2015年11月29日日曜日

教員研修の「誤解」を吹き飛ばす2つの表

教員研修は、大きな誤解のもとに行われ続けています。
それは、校内研修★でも、センター研修などの外部研修でも共有されていますし、研修を企画し主催する人も、講師役を務める人も、そして研修を受ける/受けさせられる人も(さらには、研修を制度的に運営している人たちも)共有しています。(なので悲しいかな、誤解は解消されない、という仕組みになっています!!)

それは、一言でいうと、以下のような感想がでればいい研修だったと判断されることです。
  「○○大学の先生の素敵なお話。
   職場の同僚で行った語り合う会。
   実りある研修になりました。
これは、校内研修の場合ですが、外部研修の場合は、「職場の同僚で行った語り合う会」が「参加者同士で行った中身の濃い話し合い」に換わるぐらいです。

2つの表をじっくり視てください。(コピーをクリックすると拡大します。)


      (出典:『校長先生という仕事』202~3ページ)



これら2つの表で、何が誤解されているか気づかれたでしょうか?

[研修を評価する際に重要な5つの側面]の表からは、日本で行われている研修のほとんどが第1段階の「1.参加者の反応」レベルで終わっていますし、よくて「2.参加者の学び」レベルだということです。3~5が問われることはありません。なので「大量の研修は行われるが、授業は一向に変わらない」という状況が続きます。
評価と目的は、コインの裏表の関係にありますから、3~5が問われないということは、最初から子どもたちへの還元が目的にすら挙がっていないことを意味します。

[研修の方法によって変わる効果]の表は、すでに何度かこのブログで紹介していますが、お話を聞いたり、したりするレベル(AやBレベル)では、何も変わらないことを意味します。それに加えて、体験して練習したとしても(Cレベル)、授業でやれるようになる人は20人に2~3人しかいません。

要するに、研修をイベントとして位置づけている限りは、子どもたちに還元するものにはならないのです。しかも、実践レベルのサポート(Dレベル)は、1回、2回でいい人から、5回~20回必要な人まで様々です。(もちろん、Cレベルでやれるようになった人も、1~2回のサポートでやれるようになった人も、それで満足していいなどというものはありません。あくまでもスタートラインについただけです。)
その意味でも、可能なら学校レベルで、最低でも数人の仲間単位で継続的な取り組みが必要なことを意味します。(講師の継続的な関わりが確保できれば、それに越したことはありませんが、より大切なのは同僚同士の日常的な助けあいや刺激のしあいです。)
それが、研修というものです。
「誤解」は解消できたでしょうか?

ちなみに、ここまで「研修」で書いてきたことは、ほぼすべて「授業」に当てはまってしまいます。両者も、コインの裏表です。その意味では、授業にも同じ誤解があると言えます。


★ 校内研修には、「研究」と称して行われるものもすべて含まれます。




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