2015年11月12日木曜日

文科省の副教材から考えたこと

安倍さん=安倍政権の教育における試み(「政策」などと呼べるような代物ではありませんから)に一貫して言えることは、すべて「思いつき」の域を出ていません。★

前回紹介した「選挙権年齢の満18歳以上への引き下げ」にしても、「政治や選挙等に関する高校生向け副教材等について」にしても。

副教材に安倍さんは直接関わっていませんが、「教員の免許更新制」の時と同じで、役人/製作者たちは「どうせ役に立たないもの」と思っている気がします。効果など期待できないのに、上から降ってきたので「仕方なくお付き合いしている」という感じです。

高校生たち自身に書いてもらった方が、いい内容のものができたのではないでしょうか?
あるいは、そういう発想こそが大切だと思います。
彼ら・彼女らに主体的に参加してもらう一歩なのですから。★★

ちなみに、いま文科省主導(?)で展開しつつある「アクティブ・ラーニング」も同じ路線を歩んでいる気がします。
教師がすべてお膳立てして、アクティブ・ラーニングを生徒たちにさせるアプローチです。(それのいったいどこが「アクティブ」といえるのでしょうか? 確かに、一斉授業よりは「アクティブ」ではありますが・・・)


★ その前の民主党政権は、もっとひどかったかもしれません。何もしないうちに消えてしまった、という感じですから。

★★そんなこと、文科省には期待できないことでしょうか?
 これを実現するために、教育界の人間および民主主義を大切だと思う大人ができることはなんでしょうか?
①それを高校生(あるいは中学生や小学生)がつくり出すお膳立てをすることや、②文科省版の副教材とは異なるものを教育委員会レベルや民間レベルでモデルとしてつくってみることなどは私にも思い浮かびます。他にアイディアはありますか?
  う~ん、副教材の枠組み自体を取り払って、もっと自由に発想しないと選挙を含めた政治や民主主義に本質的に役立つものはできなさそうな気がしてきました。(逆に、それなら小学校の中学年以上で、やれることはいろいろあると! 低学年でも可能かな??)
  確実に言えることは、いつまでもお上主導の路線でやっている限りは、体裁だけは整いますが、中身のないものであり続けるということです。(それとも、教育とは体裁を整えることなのでしょうか? このブログで紹介している「学びの原則」を押さえることなく。)


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