2023年11月19日日曜日

理論 vs. 実践

研修会に参加した(り、教育書を読んだりする時)教師は、「理論的(抽象的)なことは飛ばして、実践的(具体的)なことだけをお願いします」と言います。

 これは、洋の東西に問わず、同じ傾向があるようです。でも、理論の大切さに気づいた先生たちは以下のように言います。

A先生: 私は、理論を知ることで授業をより良いものにすることができ、何が効果的で、何がダメなのかについて、より鋭い感覚で選択ができるようになりました。私がやっていたことの多くは「運に任せた」ものでした。

以前は、何かを試してみても、それを二度と使わないようなこともありました。今は、新しい教え方を考えるとき、自分が知っている理論でフィルターをかけることができています。また、それが、自分の授業のプラスになるのか、それとも単に自分を忙しくするだけなのかについても判断することができます(『歴史をする』40~41ページ)。

B先生:「理論を知った」ことでどれだけ自分が変わったか、言葉では言い表せません。よい教師になるということは、自分のやっていることに目的があり、何をすべきかを知っている教師になるということです。

あなたがすることは、学級経営に至るまで理論的なベースをもっていなければなりません。多くの教師は自然にやっていると思いますが、事前に理論を知っていれば、とてもやりがいがあります。偶然の出来事ではなく意図的にやっているわけですから。

理論を知っていると、さらに上のレベルへと導かれるのです(『歴史をする』81ページ)。

 ということで、同じところで足踏みをしたい先生には不要かもしれません(それは、子どもたちにとっては悲劇です)が、子どもたちによりよい授業を提供したい、常に成長し続けたい教師には不可欠なようです。

 『歴史をする』の著者たちは、「優れた理論は、教師が自分の経験を理解するうえで役立つもの、と位置づけています。優れた理論を通して、毎日教室で行われていることをより明確に理解することができ、教え方を振り返ることができるようになります。また、優れた理論は、生徒にとってより効果的で、意味のある授業を教師が計画するうえにおいて役立ちます」と書いています(同、42ページ)。

 それでは、優れた理論とはどのようなものでしょうか? しかも、歴史を含む社会科で有効なだけでなく、すべての教科領域で授業をする際に使える理論です。

 全部で、六つあります(同、第2章を参照)。

   教えることと学ぶことには目的が必要不可欠である。

   学ぶことは深い理解を意味する。

   教えることは、生徒がすでにもっている事前知識に基づく必要がある。

   人は探究の真っただ中で学習する。

   教えることは足場をかける(生徒に適切なサポートをする)ことである。

   建設的な評価で、生徒の学びが絶えず修正・改善され、教師の授業もよくなり続ける。

 このリスト、チェックリストとして使えます!

あなたは、どれはすでに押さえられていますか? 一方で、まだ実現できていないのはどれですか? さらに伸ばしたいのは、どれですか?

 それでは、一つずつ見ていきます。『歴史をする』から引用する形で紹介していきます。

 

  教えることと学ぶことには目的が必要不可欠である

目的のない教育は、子どもたちの学習意欲を奪うだけでなく、学習する能力を弱めてしまいます。学習は、生徒が自分の選択や行動に意味を見いだすときに起こります。それに対して、先生を喜ばせることや、合格点を得ることなど、歴史そのものと無関係なことを目的とした行動を生徒がとっていれば、生徒の知的成長は阻害されることになります。

優れた教育は、生徒が学んでいることを包括的な目的と結びつけることに焦点が当てられています。それは、生徒が調査のための問いを示し、深い理解をするための理由を提供し、調査結果を使うことなどによって行われ、彼らの知的成長と市民的な能力がサポートされることになります(同、48ページ)。

 「包括的な目的」とは、単にテストでいい点数を取ったり、教科書をカバーするためではなく、生徒たちがより意味を感じられる目的です。それには、自分のアイデンティティーを形成したり、民主的な社会に選挙以外の方法で参加するための知識・スキル・態度を身につけたり、「公共の利益」のために何が最善かを見極め、それを実現するために情報を分析したり、仲間や他者と協力したりするための方法を身につけたりすることが含まれます。

 

  学ぶことは深い理解を意味する

さまざまな分野の専門家と初心者の違いを調査した心理学的な研究によると、能力の高い人は、単に知識が豊富であったり、一般的な知性や推論する力が必ずしも高かったりするわけではなく、その分野の重要な「概念」をより理解しており、それらの概念を、いつ、どのように適用すればよいのかということについての理解が進んでいることが分かっています。(中略)このような観点から、単に事実を多く知っているだけでは理解が深まるとは言えません。生徒は、それが何を意味しているのか、なぜ重要なのかについて分からないまま事実を学ぶことがあります。(中略)したがって、よい教え方とは、単に大量の事実に基づいた情報を網羅するのではなく、重要で体系的なアイディアとしての「概念」が身につけられることに重点を置いて教えることとなります(同、50~51ページ)

 社会科の概念には、どのようなものがあるでしょうか? 理科は? 算数・数学は? 国語は? その他の教科は?

 

  教えることは、生徒がすでにもっている事前知識に基づく必要がある

生徒が理解を深めるために、教師は生徒が学校にもってくる知識を直接取り上げ、可能なかぎりそれを土台にする必要があります。人が学習するためには、すでにもっている知識と新しい経験を結びつけること(専門用語では、スキーマを再構築すること)が欠かせないのです。(中略)いずれにしても、学習は受動的なものではありません。人は、新しく出合ったものとすでに知っているものを比較しなければならないのです・・・生徒が知っていることを土台にすることができなければ、生徒は学ぶことができないのです。

残念ながら、教科書やその他の教材では、生徒における事前の理解が注目されることはほとんどありません。もちろん、すべての生徒、すべてのクラス、すべてのコミュニティーが異なっているため、どの教科書も生徒の多様な経験や理解の範囲に対応することはできません。教えることと学ぶことに関する研究では、学校での経験が事前の理解と結びついていない場合、生徒はほとんど学習できないということが一貫して示されています。(中略)情報を理解するためには、新しく得た情報をただ再生するのではなく、それを以前の理解と結びつける必要があります。教科書ではそれができません。生徒のことを一番よく知っている教師が、生徒は何を知っているのか、そしてその知識をどのように構築するのかを、生徒に代わって見つけ出さなければなりません。(同、55~57ページ)

 教科書に対する手厳しい指摘が続きますが、それは多くの教師は口にしないだけで、実践を通して強く認識していることだと思います。最後のところの、「知識を構築する」は、知識の捉え方も転換が必要なことを示唆しています。教科書に書いてあることや教師が言うことは、知識ではなくて、あくまでも情報です。知識は、一人ひとりの生徒がそれまでに自分がもっている事前知識を踏まえて、新しい意味をつくり出した結果と捉えられます。情報は忘れられやすいですが、知識はかなりの確率で残るものです。

 

  人は探究の真っただ中で学習する

人間の学習に関する研究と教師としての私たち自身の経験は、学習の「伝達モデル」と矛盾しています。伝達モデルとは、知識はある情報源(教師であれ教科書であれ)から別の情報源(生徒)に直接伝わると仮定するモデルのことです。私たちは、報酬や罰のシステムをどれほど精巧なものにしても、子どもたちを単なる情報でいっぱいにすることはできません。私たちは生徒のために点と点をつなげることはできません。人は、自分にとって重要な意味をもつ問いに対する答えを求めるときに学習するのです(同、60~61ページ)。

 これは、要するに「探究モデル」で学んでいる時を意味します。それは別な言葉でいえば、次のようになります。

生徒は(歴史家や数学者や作家や・筆者補記)科学者や市民、芸術家、ビジネスマンなどと同じような課題に取り組むことで学習の目的をより理解し、学んだことを保持し、応用する可能性が高くなります。クラスメイトや教師、その他のコミュニティーの人々も、自分と同じようにこれらのプロセスに取り組んでいると思えることが、本物の学びに関するアプローチの中心的な特徴となります(同、63ページ)。

 「これらのプロセス」とは、探究や問題解決のサイクルのことで、

社会科は、https://projectbetterschool.blogspot.com/2022/09/blog-post_18.html

国語はhttps://wwletter.blogspot.com/2012/01/blog-post_28.html

算数は、https://wwletter.blogspot.com/2019/02/blog-post.html

理科は、https://projectbetterschool.blogspot.com/2019/12/blog-post_22.html をご覧ください。教育で大切なのは、教師が用意した活動やプログラムを生徒にやらせることではなく(それは、単に教師への依存を高めるだけ?)、生徒一人ひとりが自分でこれらのサイクルを回せられるようにサポートすることなのです。

 長くなってきましたので、残りの二つは次回紹介します。

0 件のコメント:

コメントを投稿