アメリカの教育実践を見ていると、「権利を主張する」場面がよく見られます。授業のはじめに教師と子どもが「権利と責任の契約」を交わし、学習の土台を明文化する光景は珍しくありません。一方、日本の教室では、こうした文化はあまりなじみがありません。私自身も、授業の中で子どもが発言しやすくなるのは、あらかじめ権利を掲げたからというより、むしろ「気付いたらその権利を自然に使えていた」という瞬間だと感じています。子ども同士の対話が成立し、「間違ってもいい」「考えを変えていい」ことを実際に経験したとき、はじめて「あれは自分の権利だったのか」と事後的に理解する。その過程こそが大切なのでは。そう考えて改めて手に取ったのが、Amanda Jansen『Rough Draft Math』(未邦訳)でした。
答えよりも考え方へ 下書きアイディアを共有するラフドラフト思考
https://projectbetterschool.blogspot.com/2020/11/blog-post_15.html
以前のPLC便りの記事でも紹介したように、正解を重視する授業から、思考の過程を重視する授業への転換を提案しています。「ラフドラフト思考」では、子どもが未完成の考えを共有し、比較や議論を通して理解を深め、最終案にまとめるプロセスを重視しています。教師は誤りではなく思考の変化に注目し、安心して意見を出せる協同的な学びの場をつくることで、子どもたちは主体的かつ探究的に学ぶようになるのです。
ランディ先生は『Rough Draft Math』第2章で、子どもが「思考途中のドラフト(下書き)」を安心して出せる教室づくりを最も大切にしています。彼女が目指しているのは、子どもたちが自分の考えを出すことを恐れず、他者の考えにも耳を傾け、そこから学び合える場です。ここでは「正解を早く出す」ことよりも、「考えを広げたり深めたりするプロセス」にこそ価値があります。
そのために、ランディ先生は授業で次のような環境を整えています。
・意見が異なっても評価的に否定しない。
・途中の推論や不完全な考えを歓迎する。
・相手の意見に質問や提案を重ねて対話を発展させる。
・「間違ってもいい」「考えを変えていい」という権利を子どもが自然に行使できるようにする。
このような文化があると、子どもたちは単に答えを求めるだけでなく、数学的な概念をより深く理解するための対話に踏み出せるはずです。この「学習者としての権利」は、紙に書かれた規約として存在するのではなく、まさにこうした日々のやりとりの中で生きていくものだと、ランディ先生は示してくれています。
この第2章には、子ども同士が評価的にならず、思考途中のアイデアを出し合う場面が描かれています。
【問題】
ある店主は万引きを防ぎたいと考えています。店の天井に防犯カメラを設置することにしました。カメラは360°回転することができます。店主はカメラを店の角にあるPの位置に設置します。上から見た図には、店内に10人の人が立っている場所が示されています。
① Pのカメラから見えない人は誰ですか? その理由を図に示して説明してください。
② 店主は「店の15%はカメラから見えない」と言っています。これが正しいことを、はっきりと示してください。
カメラ位置は壁によって死角ができるという設定です。この課題をめぐる対話は、正解を一気に求めるのではなく、途中経過を共有しながら進んでいきました。今、読んでいる読者の皆さんも、ご自分で考えてみてから以下の子どもたちのやりとりを読んでみてください。
子ども1:「カメラをここ(角)に置いてあるから、ほとんど全部見えるよ。」
:「ほんと? FとHは見えないはず。それはカベが邪魔になっているから」
子ども2:「僕も、同じように考えた。こうやって線をひくと。。。」
先生:「2人に質問はありませんか?」
子ども3:「もしこのカベがガラスのカベだったとしたら?2人はみえるよね。どうやってガラスじゃないって判断したんですか?」
子ども2「もしそこがガラスのカベだとしたら、こんな問題にはならないはずだと、考えたんだ」
先生:「そうだね、このカベは透明で向こうが透けて見えないものではないんだね」
先生:「他に質問はありませんか?」
このやりとりの価値は、単にカメラ位置からみえる人物を特定することではありません。子どもたちは互いの考えから問題を整理し始め、修正し合い、現場検証をしながら理解を深めていきます。ここでは「自分の考えを途中でも出せる」「間違ってもいい」「質問してもいい」という権利が自然に機能していました。
教師の役割は、このような途中の対話を価値あるものとして認め、教室文化に定着させることです。算数・数学はとくに問題解決の結果をプレゼンテーションのように発表してしまいがちです。完成度や正答の速さではなく、途中の試行錯誤や他者とのやりとりそのものを学びの中心に置くことが大切です。そのために教師は、
・誰かの発言をきっかけに新しい見方が生まれたら、それをクラス全体で共有する
・意見の違いを衝突ではなく発展の種として扱う
・「間違い」を失敗ではなく思考の過程として位置づける
といった姿勢を持つ必要があります。
『Rough Draft Math』では、このような学びの文化を支えるために「学習者の権利」が示されています。以下はその一例です。
・間違う権利
・途中の考えを出す権利
・他者の考えにのって変える権利
・納得いくまで考える権利
・質問する権利
ただし、これらは固定的なリストでは決してありません。授業の場で実際に使われ、加筆修正され続けるべきものです。特に、子ども自身が「今日、自分はこの権利をこう使った」と発表することは、権利を形骸化させず、生きたものとして根づかせる上で効果的です。
ここで、ぜひ読者の先生方にもお勧めしたいことがあります。セキュリティカメラの問題を実際にやってみてください。途中の段階でも、近くにいる誰かと話し合ってみましょう。その際、正答を求めるための会話ではなく、相手の見方や新しい気づきを引き出すことを意識してみてください。そのプロセスこそが、数学的対話の価値であり、概念理解を深める活動なのです。
正答を求めるのではなく、理解に重きを置いた数学的対話を行うこと。その文化があってこそ、子どもたちは安心して途中の考えを共有し、他者とのやりとりを通して学びを豊かにしていきます。そして、そうした場においてこそ、学習者の権利は「あるもの」ではなく、「使われるもの」として輝いていきます。
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