2022年10月29日土曜日

日本の私立大学が生き残る謎とは

 

2010年代の中ごろには、18歳人口の減少から日本の弱小私立大学が次々と経営破綻するという予想『2018年問題』が語られていました。ところがその予想を裏切る形で私立大学は今日までほぼすべてが生き残っています。(2013年以降若干の経営破綻はありましたが、それも10校に満たないものでした。)

この問題に真正面から取り組んだ日本語論文はほとんどありませんが、オーストラリアとイギリスの大学研究者による本格的な研究が『日本の私立大学はなぜ生き残るのか』(中公選書・2021)というタイトルで翻訳出版されました。

このなかで特に面白いのは、第3章「ある大学の危機---MGU:1922-2007」です。

これは2000年代初頭に、この研究者たちが対象とした大学でのエスノグラフィーを基にした解説で、その大学の仮称が「メイケイ学院大学(略称MGU)」という設定になっています。この大学も入学志願者が10年間でほぼ90%減、卒業前の退学者が20%増加などという危機が2003年ごろに顕在化してきました。

そこで学長は事務部や学務部のリーダーや教授たちも含む10人ほどのメンバーからなる中央改革委員会を立ち上げましたそうです。そして、その議論の中で責任の所在をめぐって次の4項目が話題になりました。大学オーナー、教員、職員、学生です。(同書pp.132-151)

そのなかで特に愉快なのは次の記述です。

 

総長は、「ホワイトハウス」とあだ名で呼ばれる巨大で立派な管理棟の2フロアをオフィスとして持っていたが、それらの階はエレベーターのボタンには表示されていなかった。多くの大学スタッフは、総長と打合せをしたり会話をしたりしたことがないと言っていた。中には、20年以上働いている人でも同じように言った。

 

まさに最高権力者なのでしょうが、スタッフとの打合せもなく、どうやって大学経営をしていたのか、首を傾げてしまいます。 (このMGUは短期大学、高等学校、専門学校とともに、同族経営の学校法人の一部になっているそうです。この学校法人と理事会を取りまとめる人物は学長ではなく、総長と呼ばれていたとのこと。)

この同族経営については、文科省もオーナー一族による学校組織の支配を承認しない意向を示す運営ガイダンスを出しています。たとえば、同じ親族の中から大人数を評議員に選出しないようにアドバイスをしています。また、私立学校法では一つの親族グループが学校法人を支配することを禁じています。その第387項には、「役員のうちには、各役員について、その配偶者又は三親等以内の親族が1人を超えて含まれることになってはならない」とあり、オーナーの家族は理事会の中で2つ以上のポストを確保してはいけないのです。しかし、ここには抜け道があります。この制限は個々の学校法人にしか当てはまらないので、学校法人グループを作って、それぞれの学校の理事長に家族を割り当てれば問題はないということです。今日、同族経営の大学のほとんどがこうした複数の学校法人グループの一つとして運営されています。

ここに、少子化時代に私立大学が生き残ることを可能にしている解答が隠されています。

先ほどの本の中で、アルトバックという研究者たちの「同族経営大学の特徴」が引用されています。その一つとして次のように書かれています。(前掲書282ページ)

 

大きな同族経営の教育コングロマリットの一部であることが多く、内部の異なる機関の間で歳入を共有し、必要に応じて複数の学校が大学を支援することができる。

 

まさにこれが私立大学生き残りの謎への解答ではないでしょうか。傘下の高等学校や専門学校などの収入によって何とか生き延びられている大学は決して少なくはないはずです。

私の住む県でも、私立大学はほぼ定員割れの状態です。しかし、それぞれの大学の系列高校などは定員一杯の生徒を確保しており、教育コングロマリットとしては収支が見合う状況になっているのでしょう。

 また、2013年以降文科省が「私立大学等改革総合支援事業」に乗り出したことも私立大学にとっては救いの手となったのではないでしょうか。改革への意欲を積極的に見せられた大学には経常費補助という形での補助金が分配されました。これは文科省が設定した改革への具体策をポイント制で評価するものでした。ある基準点に達した大学は「採択」となりました。私もこの基準点をクリアするための仕事にかなりの時間を割いた記憶があります。補助金欲しさに教育内容を修正するなどとは本末転倒だろうと思いますが、それが私立大学の実態の一つです。

文科省は少子化に逆行するように次々と新規の大学設置を認め、その一方では経営危機にある私立大学の延命措置とでも言えるような支援策を打ち出すという、相変わらず支離滅裂な施策を展開しています。

 まさにこの国の様々なところで起きていることは、フラクタルな構造(どんな微小な部分をとっても全体に相似しているような図形・「広辞苑」より)に例えることができそうです。

かつてフラクタル同様に注目を浴びた数理分野の考え方に「カオス理論」があります。これは、世界の様々な事象が「原因→結果」という考え方では説明できない、複雑な要素に左右されるものであり、初期条件が変われば結果が大きく異なるということを説明しています。(→バタフライ効果として有名になりました)これを私たちの行動に当てはめてみれば、初期条件(小さな行動の変化)が変わることで、それが増幅され、周りに大きな影響を与えることもあるということです。

ここにひとすじの希望があります。それを信じて行動するかどうか、それは個々人の理解と判断にかかっているということでしょう。

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