2021年3月7日日曜日

あなたは、誰の先生?

 そう問いかけるのは、『悩みや不安を抱えた生徒』(現在翻訳中)の著者です。

 著者いわく、そういう生徒はドンドン増えていると!

 そうなると、教師は自分がいったい誰の教師かを問う必要が出てきます。

 「生徒の教師」か? それとも、「学校の教師」か? さらには、「自分自身優先の教師」か? 「保護者の教師」という人はほとんどいませんが、多少は「文科省ないし教育委員会の教師」はいるでしょうか?

 あなたは、誰の教師ですか?

 

 「生徒の教師」は、「生徒のための教師」というか「生徒との接点がもてる教師」というか「生徒に受け入れられる教師」というか「生徒一人ひとりを理解したうえで対応/授業ができる教師」★です。

 それに対して、「学校の教師」ないし「自分自身優先の教師」は、「生徒よりも教師自身ないし学校の都合優先の教師」というか「生徒との接点を大事にしない教師」というか「生徒に受け入れられることを気にせず、生徒が自分に合わせることを強要する教師」というか「生徒一人ひとりを理解することは考えず、一つの指導案で教えていればよく、それに合わせられないのは生徒に問題があると責任転嫁をはばからない教師」です。

 実際の教師は、100%の生徒の教師と、100%学校の教師や自分自身優先の教師の間に存在していうと思います。

 

 前者の視点、つまり「生徒の教師」の発想から生まれているのが、

・成績をハックする

・宿題をハックする

・教科書をハックする

・「学校」をハックする

・生徒指導をハックする

・読む文化をハックする

・学校図書館をハックする

・子育てをハックする

の「ハック・シリーズ」の本です。

 いま学校で当たり前のように行われていることで良しとせずに、生徒のために常にベターを目指す発想です。(それに対して、「学校の教師」や「自分自身優先の教師」からは、いま学校で行われていることを改善したり、修正したり、より良くしようとする発想および行動はなかなか出てきません。あるのは、偉大なる前例踏襲主義です。)

 

 いま「ハック・シリーズ」には、スピンオフが出てきています。

 すでに翻訳が終わり、編集・校正段階に入った『静かな子も大切にする』や『挫折ポイント』そして上で紹介した『悩みや不安を抱えた生徒』などです。

 これらは、生徒たちを一律に捉えるのではなくて、多様な子たちがいることを前提にしたところから生まれました。たとえば、内向的というか、あまり発言することのない(しかし、元気に発言する生徒たちと同じか、それ以上によく考えている可能性がある)静かな子たちが教室の中には半分ぐらいいます。しかし、私たちはよく発言してくれる生徒との共演(静かな子たちを観客にしたまま!?)で授業を進めていくことに慣れ過ぎています。いったい、発言しない静かな子たちとどのように授業をつくり出せるのでしょうか? 考えたことはありますか?

 あるいは、生徒が努力をあきらめる、学ぶことから挫折する理由は一様ではありません。やる気の研究はそれなりに行われてきましたが(実践は、どうでしょうか??)、これまで省みられてこなかった「あきらめや挫折」に焦点を当てて研究し、そして実践した結果をまとめたのが『挫折ポイント』です。今まで見えていなかったことが、いろいろと見えてくる本です!

 このように、視点を変えられると、ハック(改良・改善)できることがたくさんあります。

 あなたは「誰の先生」ですか?

 どんなことをハック(改良・改善)したいですか?

 時間割? 教科の存在?(世の中は教科で動いていません。教科で動いているのは学校の中だけです!) 就労時間? 教員研修(教師の学び★★)? 人事?

 

★これを実現するためには、ライティング・ワークショップとリーディング・ワークショップのアプローチhttps://sites.google.com/site/writingworkshopjp/teachers/osusume (それが、他教科に応用されたものとして、『だれもが科学者になれる!』や、今月出る予定の『歴史をする―生徒をいかす教え方・学び方とその評価』https://www.hanmoto.com/bd/isbn/9784794811776 や夏前には出る予定の『社会科ワークショップ―自立した学び手を育てる教え方・学び方』などがあります)と、『ようこそ、一人ひとりをいかす教室へ』https://www.hanmoto.com/bd/isbn/9784762829598 で紹介されているアプローチが効果的です!!

★★以下は、『「おさるのジョージ」を教室で実現』の100~101ページからの引用です。生徒を教師に置き換えると、そのまま教員研修に言えてしまうのではないでしょうか? 授業と研修の両方で、「ボタンの掛け違え」が起こり続けています!!

学ぼうとする動機が内側からではなく外側からもたらされる場合、生徒の焦点は他人を喜ばせることに集中してしまいます(同僚や私が「学校ごっこ」と呼ぶものです)。それは、学習プロセスや活動自体に生徒をあまり関与させることなく、権力者によって提示された問題に対して正しい答えを得るという学習結果に焦点を当てるパフォーマンスとなっています・・・・たとえば、過大にストレスを感じたり、退屈だったりすると、生徒が内容を理解したり、覚えたりする可能性がかなり低くなります。学業の課題全体に子どもが興味を失ってしまうと、それらをすることによって得られるものはほとんどないと言ってもよいでしょう。[参考文献152]・・・・ 一方、学ぶ動機が学習者の内側からもたらされている場合、生徒の情熱と取り組みはほぼ無限に膨らんでいくことになります。



0 件のコメント:

コメントを投稿