古くから道徳授業の定番と呼ばれる資料がある。
たとえば、「手品師」である。これは1976年発行の『小学校 道徳の指導資料とその利用』(文部省)に登場して以来、もう40年以上副読本にも採用され続けてきたし、今日の教科書にも採用されている。この資料は江橋照雄により作成されたが、これまで賛否両論を巻き起こし、理論上も実践上も大きな影響を与えてきた資料である。
この資料は、腕はいいがあまり売れない手品師の話である。主人公の手品師は、出会ったばかりの男の子を手品で励まし、翌日もその子と会う約束を交わす。ところが、その日の夜、手品師に大劇場のステージへの誘いが舞い込む。迷いに迷った手品師は、結局友人からの誘いを断り、翌日も小さな町の片隅で男の子1人を相手に次々と素晴らしい手品を演じるという内容である。
この資料について、渡邉満氏は興味深い指摘をしている。
この資料は単なる約束を守るという意味での「誠実さ」という道徳的価値を描いたものではない。そこには道徳的により深い思いが込められている。それは「他者のために生きる」という、言わば、道徳の黄金律(「汝の欲せざるところ人に為すことなかれ」)にもつながる生き方である。
この資料を使った指導ではこれまで「誠実さ」を価値項目として位置付ける実践が多かった。確かに、「約束」→「誠実さ」は子供の受け止め方としては自然な展開だが、「たった一人のお客さんを前に手品を演じている手品師の気持ちはどのようなものか」と主人公の気持ちを問う発問では、「誠実さ」と捉えさせるには無理がある。これまでの道徳の授業が主人公の心情を読み取ることに終始していたという批判はここでも当てはまる。また、子供を予め今日の授業でねらいとする価値項目に誘導していくような授業もかつてはよく見られた。たとえば、「今日はこの資料を使って自分の心の中にある「誠実」な心について考えていきたいと思います」などである。これでは教え込みと批判されても仕方がない。
最近、改めてこの資料を読んでみると、確かに良い資料なのだが、時代的な古さを感じてしまう。これに代わる資料が見つからないので、最新版の検定教科書にも採用されたのだろうが、「手品師」という表現も今の子供たちにはピンとこない気がする。また、街中で手品師に出会うというシチュエーションもなかなかあり得ない設定だ。
「かぼちゃのつる」という小学校低学年向けの資料があるが、これも「わがままはいけません」を教え諭すような資料としてしばらく前から学校では利用されている。低学年なので擬人化するところはやむを得ないかも知れないが、科学的なものの見方からすると、どうなのだろうと疑問に思うこともある。
これ以外にも定番資料として新版の教科書にも引き続き採用されている資料が結構あるが、時代性という観点から見直しが必要なものもある。そのような資料を利用した道徳授業では心に響くものとはならないだろう。「議論する道徳」が本当に機能するためにも、資料の選択は重要である。それと、議論するためにはそれなりのスキルなどが必要だが、子供たちに話し合わせることに悩んでいる先生方はぜひ『最高の授業 スパイダー討論が教室を変える』(新評論2018)を手に取ってほしいと思います。学びのコミュニティづくりにとても参考になります。
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