先週の「読み比べ」で紹介された本についてコメントします。
まず、文部科学省の澤井視学官の書いた『授業の見方』(東洋館出版社)でした。
この本の根底には、「子供は教え導くべき存在である」「子供の能力には限界がある」「予定調和的に教えるのが学校の授業である」という見方があるように思えてなりません。「大人がいつでもリードしてあげなければ、子供は学ぶことができない存在」、そのようにも思えます。
ロックザム校における成長の基礎をなすものとは、「本質的に有能な人間」としてすべての子どもたちを信頼することであり、その信頼に基づいて学級の人間関係を再建することが潜在的に変容可能であり、能力で判定することによって作り上げられる限界から教師と子どもたちを解放するのだという意識でした。
まず、文部科学省の澤井視学官の書いた『授業の見方』(東洋館出版社)でした。
「主体的・対話的で「深い学び」の授業実践」というサブタイトルがついています。授業改善のための授業の見方を考えると言うのが、その趣旨のようです。新学習指導要領の内容をベースに説明がなされています。この本を全国の多くの教師たちが読むことでしょう。その影響は決して小さくありません。
そのような本ですから、その内容に関して、今一度考えるべきことはないのか、しばらく内容を反芻してみました。その結果、次のような思いに突き当たりました。
この本の根底には、「子供は教え導くべき存在である」「子供の能力には限界がある」「予定調和的に教えるのが学校の授業である」という見方があるように思えてなりません。「大人がいつでもリードしてあげなければ、子供は学ぶことができない存在」、そのようにも思えます。
以前、ここでも紹介した『イギリス教育の未来を拓く小学校』マンディ・スワン他(大修館書店2015)の「限界なき学び」という、子供の可能性を信じて、その学びを創造していくやり方とは対極にあります。
同書の「子どもたちの声を聴く」には、次のような一節があります。
教師たちが発展させようとしていた活動としては、子どもの声を聴き、アイデアや、考え方、感情などを汲み取ろうとするというものがあったのですが、そこで汲み取ろうとしていたものは、学習に関することだけではなく、学校生活全般に関することでした。
(中略) 子どもの関与は、あらかじめ決められている活動や構造に限定するべきではなく、教師によって計画される(学習の)全体構造に及ばせることが重要であると主張しています。
この考え方は、「ここまで」と枠を決めて、その中で予定調和的に、スマートにやろうという、わが国の学習指導要領中心の学びとどちらが魅力的か、考えるまでもありません。
また、同書の127ページには、次のような一文もあります。
ロックザム校における成長の基礎をなすものとは、「本質的に有能な人間」としてすべての子どもたちを信頼することであり、その信頼に基づいて学級の人間関係を再建することが潜在的に変容可能であり、能力で判定することによって作り上げられる限界から教師と子どもたちを解放するのだという意識でした。
そして、もう一つ。
子どもの可能性をそれほど信用も信頼もせず、固定的なものの見方で指導するやり方から、ロックザム校のような実践にいきなり行くのは、難しいと思います。
そこで、その橋渡しをしてくれる方法が、『「学びの責任」は誰にあるのか』(吉田新一郎訳、新評論)で紹介された「責任の移行モデル」だと思います。この本には、次のような4段階の学びが紹介されていました。
①教師が焦点を絞った講義をしたり、見本を示したりする。(焦点を絞った指導)
②教師がサポートしながら生徒たちは練習する。(教師がガイドする指導)
③生徒たちが協力しながら問題解決や話し合いをする。(協働学習)
④生徒は個別に自分が分かっていることやできることを示す。(個別学習)
この4段階を通して、子供たち一人ひとりが自立した学び手に成長することで、限界なき学びも当たり前のように、視野に入ってくるのだと思います。③と④は間違いなくこれからの教育で求められるものだと思いますが、いきなりそこには行けません。①から②へと、切れ目のない指導があって、初めて達成されるものであることを忘れてはならないでしょう。
また、これも以前ここで紹介された『ようこそ、一人ひとりをいかす教室へ』(キャロル・トムリンソン著、北大路書房)も先ほどの「限界なき学び」と深いつながりがあります。
『ようこそ、一人ひとりをいかす教室へ』の特徴として以前、次のような説明がありました。http://projectbetterschool.blogspot.jp/2017/07/blog-post_23.html
・何を(学習内容)、どう学ぶのか(学習方法)、そして学んだことをどのように証明するのか(=成果物)の3つで、生徒たちに選択肢が提供される教え方です。
・生徒たちが熱中して取り組め、意味を感じられ、そして興味が湧くものに対しては、よく学べるということを(そして、生徒たちすべてが同じものに熱中し、意味を感じ、興味が湧くわけではないことを)ベースにした教え方です。これも、上記の選択肢を提供することで、実現できます。
・クラス全体、小グループ、個人を対象にした学びが柔軟につくり出されます。
・常に臨機応変で、有機的で、ダイナミックな教え方です。
この中で、「生徒に選択肢が提供される」「臨機応変で、ダイナミックな教え方」は特に重要です。それは、「子供の関与を限定的に捉えない」という「限界なき学び」に通じるものです。このように考えると、『一人ひとりをいかす教室』と『限界なき学び』、そして『責任の移行モデル』はすべて有機的につながりあっており、それは「学びの原則」を踏まえた「学びの王道」とも言えるものです。
特に、経験の浅い教師の皆さんに、ぜひこの21世紀の教育の『王道』とも言える『「学びの責任」は誰にあるのか』『一人ひとりをいかす教室』を読み込んでもらい、日々の授業の中で実践を積んでいってほしいと切に思います。
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