調査を中心に動かしているのは新井紀子さんです。この前までは、「AIロボットは東大に合格できるか」というようなプロジェクトをしていました。(それが終わったから、あるいはその延長線上に、今回のプロジェクトがあるようです。)
今回の関連記事は、すでに他社で紹介されていました。 http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201709/CK2017092302000119.html https://news.yahoo.co.jp/byline/yuasamakoto/20161114-00064079/ など。
数学者が、国語の読みにまで手を出してきていいのかな・・・などと思っていたところ、そういう自分も、都市計画の人間が、教育のあらゆる分野に興味をもって情報発信しているのですから、「自由」だろうと、一度は封印しました。
そういう中で、今回は日経の、それも論説委員長が書いていたので、見逃せなくなってしまったのです。
前回の記事について、いろいろ書けることはありますが、一点に絞ります。★
枠組みとして「教科書をカバーして、テストで評価する」を続けることは、基本的に、誰にとっても負け戦が続くだけだ、ということです。★★
読むこと、書くこと、そして学ぶこと、教えることが、楽しくなるはずがありませんから。誰にとっても「苦役」が続くだけです。
苦役を通して学べるものには、どんなものがあるでしょうか?
読む力をつけたいのであれば、テストが正解を得られる力ではなく、選書能力から出発する読書のサイクルこそを身につけられる教え方・学び方に転換しないと、無駄な時間を過ごすだけです。
その意味で、今回のプロジェクト自体、最初のボタンを掛け違えてしまっているのです!
この記事を書かれた方(日経の論説委員長、東京新聞の記者や湯浅誠さんも!)、今回の読む力の向上プロジェクトにかかわっている研究チームのメンバーの方々、その研究に協力している教育委員会の指導主事や学校関係者の方々、そして記事に興味をもった方々にはhttp://wwletter.blogspot.jp/2012/01/blog-post_28.html のサイクルの大切さを認識していただきたいと思います。
ジャーナリストも研究者も、そして多くの職種に就いている方々も、これらのサイクルを回して仕事をしているはずなので、理解しやすいと思います。
そして、どういう状況でよく学べるかというと、私たちがイメージする教師が教壇に立って、座っている多数の生徒たちを相手に教科書を使った授業をすることではありません。http://wwletter.blogspot.jp/2010/05/ww.html で説明されているような要因がそろっている教室でこそ、よく学べます。(ここに説明されているのは、「書くこと」ですが、それは「読むこと」に換えられるだけでなく、「算数・数学の問題を解くこと」「理科や社会で探究すること」など、すべての教科に換えられます。)
これだけでは、イメージがつきにくいようであれば、NHKの人気番組「奇跡のレッスン」にたとえると分かりやすいと思います。日本人の部活の指導者も、海外から招へいした最強コーチも、同じスポーツ(や料理や踊り等)を指導しています。しかし、彼らがいる間につくられる「学びの空間」や「関係の空間」はだいぶ違っているのです。
最強コーチによってつくられる空間が、教室の中でつくり出せるのです。
それによってしか、読むことや書くことや考えることや学ぶこと等を好きになり、かつ読む力、書く力、考える力、学ぶ力をつけていくことは難しいを通り越して、不可能だと思います。
もう少し知りたいと思っていただけたら、https://sites.google.com/site/writingworkshopjp/teachers/osusume のリストの中から、「これは、面白そう」と思えたものを読んでいただければ幸いです。
そこには、通常の学び(教科書とテスト)の世界とはだいぶ違った世界があります。
★ 従って、記事で紹介されているテスト問題自体の問題や、研究者やマスコミ関係者がしてしまっていいことやまずいことの問題(こういうのは倫理的な問題?)や、クリティカルな思考の大切さ等については一切触れません。
★★ こう書いている私自身が、その産物でした! 大学院を卒業して30近くになるまで、書けませんでした(なんと、ワープロが救ってくれました!)し、読めませんでした(強制されて読むものから解放されることで、読み方をはじめて学びだしました!)。
0 件のコメント:
コメントを投稿