2015年7月26日日曜日

リアルな人間関係の再構築


今年の1月に「平成25年度公立学校教職員の人事行政状況調査について」という調査結果が文部科学省から公表されています。これによると、

「教育職員(※)の精神疾患による病気休職者数(5,078人、全教育職員のうち0.55%)は、19年度以降、5,000人前後で推移しており、依然として高水準。」とあります。

(※)公立の小学校、中学校、高等学校、中等教育学校、特別支援学校における校長、副校長、教頭、主幹教諭、指導教諭、教諭、助教諭、養護教諭、養護助教諭、栄養教諭、講師、実習助手及び寄宿舎指導員(総計919,717人(平成2551日現在))

◆精神疾患による病気休職者の推移(教育職員)(過去5年間)


    元外務省主任分析官で現在は作家・佐藤優氏が書いた「修羅場の極意」(中公新書ラクレ2014)p.146に、次のような文章があります。
   
「企業では成果主義が強まり、それについていくことができず、悩んでいる人が増えている。また、グローバリゼーションの中で英語を習得しないと落ちこぼれると神経過敏になっているビジネスパーソンも多い。上司と部下、同僚同士の関係が、ぎくしゃくすることが以前よりも多くなった。筆者に対しても職場の人間関係について悩んでいるので助けてほしいという相談が頻繁に寄せられる。

 リアルな人間関係が持てないので、その代わりにネットで絆を強化しようとする人も多い。フェイスブックで友だちが1000人以上いるという人も珍しくない。しかし、ネット空間で、よい顔をするのに疲れている人がほとんどだ。また、匿名のネット空間では罵詈雑言が飛び交う。

 これらの現象を総合すると、どうも人間社会における悪が力を増しているように思える。」

 そこで、佐藤氏は、この悪を克服するヒントを探すために、まず作家の藤原智美氏の次の文章を手掛かりとします。(『ネットで「つながる」ことの耐えられない軽さ』文藝春秋2014/pp.33-34)
   
「日本語の土台の上に接ぎ木するようにして得た道具程度の英語力は、しょせんそれを母語とする人たちにはかなわない。英語という土俵に上がるまえに決着がついています。つまりその土俵とは思考そのものであり、日本語で考える人は圧倒的に不利なわけです。言語のルールは常に母語を使えるものに有利になっています。このルール上の優劣が英語化への圧力をさらに強めています。

~(中略)~

グローバルネットワーク拡大のもうひとつの側面は「英語」対「他の母語」という言語間の競争なのです。それは静かに、しかし急速に進行しています。」

「書きことばが衰退するということは、読む力も衰退するということです。よって読者の力も同時に衰えていきます。現在、紙に書かれる文章も短文化が進んでいますが、短文しか読まない読み手が増えているからにほかなりません。長文を読めない人が増えているのです。」(前掲書p.208)

 そして、藤原氏は現時点での自分の考えを総括して次のように述べるのです。
   
「閉じられた空間で文字とむきあうという行為はもはや過去のものとなりつつある。他者から自分を切りはなし、個として自立的に考える、あるいは内省するという行為は、古くさい無駄なものとして見られています。しかし個人が個として書きことばにむかいあい、自立的に思考するという、いっけん孤立したように見える行為はけっして無駄ではありません。」(前掲書p.217~218)

これをもとに、佐藤氏は次のように考えます。
   
「人間の特徴は言語を駆使するところにある。悪は人間と人間の関係から生まれる。従って、人間がどのような言葉を用いるかで、悪の濃度は変化するのである。国際関係においても、企業、官庁、学校などの生活においても、言葉の使い方が下手になり、長くて複雑なテキストを読むことができなくなり、思考が粗雑になっている。その結果、社会における悪の力が強まり、閉塞感が強まっているのだ。」(「修羅場の極意」p.150)

 このところのニュースを見聞きしていても、まさにその通りと思うことばかりです。
   そして、最後に佐藤氏は神学者・ボンフェッファーの思想を手掛かりに、次のように説きます。
   
「われわれも正しく言葉を使い、行動するならば、修羅場の危機から抜け出すことができるのである。もう少し、われわれの日常に引き寄せて、このことを言い換えるならば、あなたが他人の気持ちになって考える努力をすると、自然と言葉の使い方も異なってくるようになる。その結果、あなたの行動が変化する。この影響が自然と他人に及ぶ。そして、他人もあなたのことを思いやるようになり言葉遣いと行動が変化する。このようにして、リアルな人間の信頼関係が構築される。」(「修羅場の極意」p.159)

「人は社会的な動物である」とアリストテレスは言ったそうですが、人は人間関係なくして生きていくことはできないのですから、まずは日々自分たちが使う「言葉」を他人の気持ちを理解するという方向から見直してみることが必要です。学校でも、学習指導要領で「言語活動の重視」を謳っているわけですから、クラスの中で教師と子どもが「言葉」を手掛かりに安心な信頼関係を作り出していけるといいと思います。国と国の関係もまさに同じです。

「言葉」を手掛かりとして、この社会を作り直していくためにも、学校教育にかかわるわれわれは、言語リテラシーである、「読み」「書き」「話す」ことを今以上に重視していく必要があります。

0 件のコメント:

コメントを投稿