2015年2月1日日曜日

日本の教育に欠けている「agency/agent」



agencyagent という言葉があります。いまだかつて、日本語に訳せないで困っています。

辞書を見ると、agencyには、
   1. 代理店、取次店、あっせん所
      2. 取り次ぎ、周旋、仲介 
      3. 代理人、仲介者◆【同】agent
      4.〔政府の〕機関、局
   5.《the Agency》〈米〉中央情報局Central Intelligence Agency
      6.〔力の〕作用、働き
   7.《法律》〔依頼主との〕代理関係
      8.《言語学》〔動作主の〕動作主性
 →9.〔哲学や社会学における〕行為者性、行為主体性

という意味が。そして、agentには、以下のような意味があります。

     1. 代理人、代理業者、代理店、取次人、仲介者
2.〔政府の〕職員、係官、調査官、護衛官◆与えられた権限に基づいて職務を行う人。
3.〈話〉スパイ、工作員、諜報員
4.〔ある結果を引き起こす〕化学[作用・原因]物質、病原体
5.〔変化をもたらす〕主体、手段、媒介、作用因子
6. 《言語学》〔格文法の〕動作主
7. 《コ》エージェント◆日常的なタスクを自動的に行うプログラム。

それぞれ、ピンクに染めた部分が、私が取り上げたい意味ではあるのですが、「変化の主体(者意識)」で通じますか?

これについては、http://thegiverisreborn.blogspot.jp/search?q=agencyなどで、すでに触れたことがあります。日本の歴史教育の中にはもちろん存在しませんし、社会科全般に存在しません。理科にも、算数・数学にも、国語にも、英語にも・・・・

これは、民主主義の維持・発展のために教育があると信じ、かつ行われている国々と、民主主義が言葉としてしか存在せず★、教育の目的自体が定かでない国との違いでしょうか? 

agencyがもてるように教えるためには、教える教師の側が、その意識があるだけでなく、ある程度そういう体験をしていないと難しい部分はあります。自分が動けば、世の中がとは言わないまでも、組織や物事のやり方が変えられるんだ、という意識や方法などをです。

その意味で、日々の授業と、研修や研究などは、コインの裏表の関係にあります。
自分たちが枠だと思っている「枠」は、本当はどこまでが枠で、それ以上は自由というか選択なのでしょうか?


会議とは、ロの字型になって座るものという暗黙の了解というか習慣がありますから。
これは、「枠」です。

しかし、思考も、学校でしていることも、ロの字型に座っている限りは、変わることが期待できません。agencyagentを限りなく、難しくする座敷の配置ですから。基本的に教室の座席も同じです。主体者意識を持たせない配置になっています。★★


★ 日本の民主主義が(市民もほんのわずかしか)存在しない最大の理由は、このagency/agentの欠落だと思っています。こちらも、コインの裏表の関係です。
さらにいえば、私自身が都市計画/まちづくりという仕事から教育に移った理由も、agency/agent 欠落でした。一般人は、すでに税金を納めているのに「市民参加」といっても動きません。一方、役所は「市民/住民参加」の大切さは声高に叫びますが、本音では参加してほしくありませんし、そのための効果的な方法をまだ持ち合わせていません。これでは、いつまで経っても、私が本来やりたい仕事ができないことがわかってしまったのです。もう35年も前のことですが。

  「民主的な社会の一員としての市民の役割とは何か?」を問うことが今の日本にはあるでしょうか? これは、「学校の一構成員の役割とは何か?」を問うことと同じだと思います。それは、教師だけが問われるのではなく、保護者や生徒たちもですが。

★★ 『理解するってどういうこと?』や『「考える力」はこうしてつける』を注意して読んでいただけると、この辺への打開策が見えるはずです。

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