2015年2月8日日曜日

「正解」より「問い」を大切に



「最も頻繁に起こるマネジメントの問題は、正しい答えを見つけることができなかったことではありません。いい質問を問えなかったことです。」

これは、有名なマネジメント・コンサルタントのピーター・ドラッカーが言ったことです。
このことは、ビジネスの世界だけでなくて、福祉でも、環境でも、政治でも、役所でも、そして教育でも、等しく言えることではないでしょうか?

しかも、教育ほど「正解」が大事にされている分野はないというのが現状です。

小学校に入る前の子どもたちは、質問だらけですが(それが、成長するということであり、学ぶということですから)、1年生を終わるころまでには、質問は減り、教師の言うことを聞くほうにウェートが置かれ始めます。その方が、得だとわかるからでしょうか? そして学年が上がるにつれ、質問をすることなど考えられなくなります。

アメリカにも、「子どもたちは<?マーク>で入学してきて、<。ピリオド>で卒業する」という言い回しがあるようですから、状況は日本と変わらないようです。

でも、質問しない、あるいは質問する能力を萎えさせるような教育をしていて本当にいいのでしょうか?

そういえば、職員会議などでも、本質的な質問をする教員は嫌われがちですね。「いまさら、そんなことは聞くな!」という冷たい矢のような視線があちこちから飛んできます。それが、学校が変わらない/変われない最大の要因なのに。

テスト偏重のいまのおかしな日本の教育では、質問をしていてもなんのプラスにもならないと思われがちです。
が、そんなことはありません。
正解を覚えた(子どもの観点からは、「覚えさせられた」)ところで、その寿命が極めて短いことは誰でも知っています。(受験を体験した人は、「あれは、本当の勉強じゃありません!」と言い切ってしまうぐらいですから。要するに、どれだけ(短期的な)記憶ができるかの競争をさせられているだけというのは、気づいているわけです。)
なら、そんな無駄なこと(残る確率が極めて低く、ましてや使いこなせるような代物がほとんどないことが、分かっているのですから)をさせ続けるのではなく、もっと効率かつ効果的な方法があります。

それは、教師が正解を子どもたちに言わせるような質問(発問)をする変わりに、教師は子どもたちが(言わせたい正解を含めて、考え始めたくなるような)質問を出せるような投げかけをするのです。
自分がした質問と他人がした質問には、大きな違いがあります。
後者は、ほとんどの場合はお付き合いのレベルですが、前者は自分のものです。
自分のものは、その答えを知りたくなりますし、知った時には暗記の必要もありません。

子どもたちも練習次第で、先の引用でドラッカーが言っていたように、「いい質問」がドンドン出せるようになります。
まさに、これは社会が求めている大切な能力ではないでしょうか?

この、子どもたちが質問をつくり出すという試み、試してみる価値はあると思いませんか?
(興味の持てた方は、pro.workshop@gmail.comまでメールください。もちろん、対象は「子どもたち」に限定されません。教職員でも、同僚でも、部下でも、参加者でも誰が対象でもやれてしまいます!!)

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