前回のテーマを読んで、私が一番気になったのは、「言いたいことが言え、聞きたいことが聞ける関係(=信頼関係)が築けているかどうか」ということであり、一つの正解が求められる学校ではなく、たくさんの考えをやりとりできる場としての学校や授業の存在でした。
もちろん、すべての教師同士が「言いたいことが言え、聞きたいことが聞ける関係」が築けるわけではありませんから、現実的にはメンターの関係を最低でも1人、願わくは2~3人と築ければ、多くの精神的な問題は解決・改善できると思います。★★★
メンターは、「気の置けないことも話せる先輩★」「信頼できる先輩」です。日本でも初任者を含めて若手教員育成のために指導教員制度を設けているところが少なくありませんが、大切なのは
① メンティー(若年者、経験の浅い人)がメンターを選べることと、
② 先輩の側がメンターとしての接し方をしっかり身につけていることです。★★
単に年数を重ねているだけでは、メンターにはなれません。接し方を身につけていない人には、それらを身につけられるようにサポートすることが管理職や教育委員会には求められます。(詳しくは、『「学び」で組織は成長する』光文社新書の95~103ページ。)
白鳥さんといっしょに訪ねた、教師が学び続ける学校(=PLC)づくりに教育委員会ぐるみで取り組んでいるアメリカ・ジョージア州のグウィネット群では、「あなたには何人のメンターが今いますか?」が合言葉のように使われていました。教員の年数に関係なく、あるいは管理職でさえ、メンターとの関係を大切にすることで、常に学び続けることを奨励していました。
そうした人間関係が以前は日本でも、学年や教科単位のチーム等で、あるいはインフォーマルなつながりであったのかもしれませんが、いまは残念ながらかなり希薄になっています。
もちろんいい人間関係を築くことで、管理職への必要以上の負担を軽減することにもなります。教師一人ひとりにとって、管理職がメンターとして適役かというと、そうではない場合の方が多いかもしれませんし。
★ 実態は、「先輩」というよりも「同僚」とした方がいいかもしれません。年齢的な問題ではないからです。何か自分が学びたいものや盗みたいものをもっている人に教えてもらう/サポートしてもらう、という感じです。
★★ これは、実は決定的に大切なことなのですが、軽視されているというか無視され続けています。「決定的」以上に「根本的」とさえ言えます。大人を対象に教えることも、子どもを対象に教えることも同じですから。
★★★ 同僚との人間関係が一人も築けない人が教師なっている場合は、本人の問題というよりも、採用/人事の問題と言ったほうがいいでしょう。
0 件のコメント:
コメントを投稿