2025年7月27日日曜日

核家族での子育てが、親への負担を過剰にした! ➡ 教えるのは教師一人でない方がいい?

 人類は、その歴史の99.9%以上の時間(日本でも、たかだか、100年ぐらい前まで)は、大家族での子育てが当たり前でした。しかも、大多数の男親は子育てにはほとんどかかわっていないし、さらに最近20~30年はシングル(その多くは母親一人の)ペアレントも増えています。

それまでは、おばあちゃん、おじいちゃん、おばさん、おじさん、めいやおい、そして近所のおばさんやおじさん、さらにはちょっと上の子どもたちによって世話されていたのに、いまやひとり親がそれらすべての人たちが担っていた役割まで果たしているのですから、荷が重すぎます。

 そこで本書で紹介しているのが、狩猟採集民のなかでは当たり前のアロAllo(アロ)」はギリシャ語の「ほかの」という意味から来ています)ペアレントの存在です(『「しない」が子どもの自力を伸ばす: 叱らない・ほめない・コントロールしない、狩猟採集民の子育て術』の第15章)。

 母親と父親以外で、子どもの世話を手伝ってくれる人なら誰でも、アロペアレントになることができます。親戚、隣人、友人、あるいはほかの子どもでさえ、素晴らしいアロペアレントになることができます。

 人類学者サラ・ブラッファー・ハーディーは、こうした「多くの助け」ないし「追加の親」が人類の進化に不可欠だったと考えています。彼女はキャリアを通じて、この仮説を裏づける膨大な証拠を収集しました。サラは、人類が子育ての責任を集団で分担するように進化してきたと考えています。同時に、人間の子どもは、単に両親二人だけでなく、数人の人々と結びつき、絆を深め、一緒に育てられるように進化したと信じています。

 私はかつて、このアロペアレントの家族が「愛の輪」と呼ばれているのを聞いたことがありますが、それはとても適切な表現だと思いました。(同上、353~4ページ)

 現代の狩猟採集民の一例として、中央アフリカの熱帯雨林に何千年も住んでいるエフェ族の例を紹介してくれています。

母親が出産するとすぐに、ほかの女性たちが彼女の家を訪れて赤ちゃんの「SWATチーム(特殊部隊)」を編成し、赤ちゃんのすすり泣きや泣き声にいつでも対応できるように準備します。彼女たちは生まれたばかりの赤ちゃんを抱きしめ、寄り添い、揺らし、さらには授乳もします。人類学者のメル・コナーが書いているように、「ぐずる赤ちゃんへの対応は、集団の努力です」。数日後、母親は仕事に戻り、赤ちゃんをアロママに預けることができるのです。

 新生児は生まれて最初の数週間、平均して15分ごとに一人の世話係から次の世話係へと移ります。赤ちゃんが生後3週間になるまでに、アロママによる世話は新生児の身体的な世話の40%を占めます。16週間までには、なんと60%を占めるようになります。さらに2年後には、その子どもは母親と過ごす時間よりも、ほかの人々と過ごす時間のほうが多くなります。(同上、354~5ページ)

 まさに、「母親が赤ちゃんの人生で唯一の存在となり、赤ちゃんの世話に全力を注ぐ西洋の状況とは大きく異なります」(同上、355ページ)

 また、アロペアレントは、他の母親たちだけが担っているわけではありません。子どもの年齢が大きくなるにつれ他の父親たちも、そして6歳~11歳ぐらいの子どもたちも担っています。

フィリピンの狩猟採集民のアグタ族を研究している人類学者アビゲイル・ペイジの報告によると、6歳から11歳のこのミニ・アロペアレンツは、幼い子どもたちのケアの約4分の1を担当していました。彼らは母親たちの手を空けさせ、女性たちは仕事に戻ったり、ただ休んでリラックスしたりすることができました。そして、これらのミニ・アロペアレンツは、単に子守りをしたわけではありません。それ以上のことをしていたのです。彼らはその役割を真剣に受け止め、乳幼児に対しての教育も行いました。

 アビゲイルは、世話が必要な子どもより5歳ほど年上の幼い子どもこそが最高の教師になれると考えています。親よりもずっと優れた教師です。彼女が指摘するところによれば、若い子どもたちには私たち大人にはないいくつかの大きな利点があります。彼らは親よりもエネルギーにあふれています。遊びやごっこ遊びを自然に「教える活動」に取り入れるので、学びがより楽しくなります。そして、課題に対する彼らのスキル・レベルは、より幼い子どものレベルに近いのです。(同上、357ページ)

 こうして世界中の狩猟採集民の経験から学んだ著者は、サンフランシスコに戻って次のような試みを早速し始めみたり、提案してくれています。

・子どもの人生における「補助的な母親」や「補助的な父親」を大切にする。

・ミニ・アロペアレントを育てる。

・おばさんとおじさんのネットワークをつくる。

・MAP(「多年齢プレイグループ(multi-age playgroup)」または「混合年齢プレイグループ(mixed -age playgroup)」の頭文字)をつくる。

・親戚を受け入れる(または彼らの貢献を大切にする)。

 以上、アロペアレントは、本書でたくさん紹介されている子育てのヒントの一つです。子どもとの時間をこれまで以上にもつことになる夏休み中の親にとって必読の書となることでしょう。

 一方でお子さんがいないか、すでに巣立ってしまった教育関係者にも役立つ内容が豊富に含まれています。その中には、先週紹介した「練習+モデル+承認=スキルの習得」という公式や、従来の子育て(と、会社や行政などの組織、さらには学校でも当たり前にやられ続けている)「叱る、ほめる、コントロールする」アプローチとは反対の「共に過ごすこと、励ますこと、自立、最低限の干渉」(4つの頭文字をとってTEAM)アプローチがあります。

 そして、上で紹介したアロペアレントならぬアロエデュケーター(教師とは違う教え手)の可能性を考えることなどです。アロエデュケーターに教室やその他の場で活躍してもらうことで、教師は楽になるだけでなく、関わってもらうアロエデュケーターたちにとって大きな学びがあり、もちろん助けを受ける生徒たちは(時には教師から教わるよりも)はるかに効果的な学びを得ることになりますから、誰にとってもいいこと尽くめです。

2025年7月20日日曜日

『“しない”が子どもの自力を伸ばす』を読んで

 本を読んだ高校の英語の先生Tさん(広島県)が感想を送ってくれたので紹介します。 

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教師として、生徒を「怒る」「叱る」ことは必要だと思っていました。たとえば、生徒が人を傷つけるようなことを言ったとき。何度注意しても授業中におしゃべりを続けるとき。課題や活動に真剣に取り組もうとしないとき。そういう場面では、毅然とした態度で厳しく対応するのが当然であり、場合によっては感情的に怒ったり、「教師も人間であり、傷ついたり腹を立てたりするのだ」と示したりすることが、教育として必要だとさえ思っていたのです。それも、つい最近まで。

しないが子どもの自力を伸ばす――叱らない・ほめない・コントロールしない、狩猟採集民の子育て術』(マイケリーン・ドゥクレフ著、築地書館)を読んで、私の考えは大きく揺さぶられました。この本には、イヌイットの大人たちがもつ「感情をコントロールする力」が詳しく記録されています。彼らは、どんなに子どもにイライラさせられる状況でも、決して怒鳴ったりせず、声を荒らげることもなく、穏やかに対応します。小さな子どもに理由もなく顔を引っ掻かれて、血が流れたとしても。子ども同士でふざけ合って、テーブルの上のコーヒーをひっくり返してしまっても。

「イヌイットは、小さな子どもに怒鳴ることを屈辱的だとみなしている、と年長者たちは私(著者ドゥクレフ氏)に話してくれました。大人が子どものレベルにまで身を落としている、つまり大人版の癇癪を起こしているのだ、と。」(185ページ)

これを読んだとき、私は恥ずかしくなりました。私は穏やかに話せば分かり合えるはずの、分別のある高校生に対してさえ、大きな声で叱責することがありました。それは単に「生徒をコントロールできない自分」に苛立ち、癇癪を起こしていたのだと気づいたのです。にもかかわらず、私は「教育の一環」として、「生徒の力を伸ばすため」にあえて叱っているのだと、自分にも周囲にも思い込ませていました。

それ以来、私は生徒に対して感情が湧き上がってきたとき、まず立ち止まるようにしています。「これから私が口にする言葉やとる行動は、何のためなのか? 生徒をコントロールするためか? それとも、生徒を励ますためか? どうやって伝えるのが一番効果的だろうか?」そう問いかけることで、頭ごなしにきつい口調で注意する代わりに、表情だけで「不適切な行動である」ことを伝えたり、必要なら「今、何をする時間かな?」とか、「あなたが○○できるようになるために、一緒に何ができるかな?」と声をかけられるようになってきました。それでも状況が変わらないなら、少し待ったり、距離を置いたりすればいいのです。生徒との関わりは、今この場で勝ち負けを決める闘いではないのですから。

教師が怒りで接すれば、生徒に怒りを学ばせてしまいます(191ページの図)。生徒の班活動でリーダーが班員を怒鳴っていたとしたら、それは怒りの学習がうまくいっているということ。まさにこの本が提示している「練習+モデル+承認=スキルの習得」という公式の通りです。私たち人間は、よいことも悪いことも、こうして学び、習慣にしていきます。だからこそ、私自身が穏やかに対応できる場面を一つでも多くつくることで、生徒たちも日々それを見て学び、穏やかさを身につけていってくれるはずだと信じています。

湧き上がってくる怒りを和らげるためのルールとして本書では三つのルールを紹介しています。「子どもたちが不適切な行動をとることを想定しておく」、「子どもとの言い争いをしない」、そして、もう一つが、本書で提案する普遍的な子育てアプローチ(TEAM子育て)の中核となる「コントロールせず子どもを励ます」です(204ページ)。

教師としての私は、次から次へと生徒に指示を出すことを自分の仕事だと勘違いしていたのかもしれません。つまり、いつも何かを強制していたということです。そのせいで生徒が怒りや不満をもち、反発を示す行動をとります。そして教師がさらにコントロールしようとし、敵対関係ができあがるのです。今こそ、この悪循環を断ち切るために「励ます」ことを学ぶ必要があります。本書を開くと、そのためのさまざまなツールを学ぶことができます。ぜひ、多くの先生たちに本書を読んでいただき、それぞれの日常で活かせるツールから実際に使ってみていただきたいと思います。

2025年7月13日日曜日

鈴木大裕さんが警鐘する新自由主義が教育を壊すとき 「構想と実行の分離」に抗うためにできることとは何か

 先日、「崩壊する公教育」というテーマで、教育研究者であり土佐町議会議員でもある鈴木大裕氏の講演を拝聴する機会がありました。鈴木氏は、新自由主義が教育にもたらしている深刻な影響について強く警鐘を鳴らし、ICT機器の活用や教員の働き方の変化が、経済効率を優先する分業体制へと移行するなかで、教師たちが専門職としての自信を失いつつある現状を指摘されました。今回は、その講演で私が学んだことを共有するとともに、そこから考えをさらに深めていきたいと思います。


講演の内容については、昨年末に出版された鈴木大裕さんの著書『崩壊する日本の公教育』(集英社新書)に詳しく書かれていますので、ぜひご一読ください。この前著である『崩壊するアメリカの公教育』の姿が今、日本で起こってしまっていることに驚きを隠せません!



「民衆を受け身で従順にする賢い方法は、議論の範囲を厳しく制限した上で、その中で活発な議論をさせることだ」


講演の冒頭で、鈴木さんはノーム・チョムスキーのこの言葉を引用しました。これは、現代の新自由主義がいかにして教育現場を狭い価値観の枠に閉じ込めているかを端的に示しているものです。新自由主義とは、あらゆる物事を市場の価値基準で評価しようとする思想であり、その影響は教育にも深く及んでいます。新自由主義的な価値観が教育に入り込むと、子どもは「将来の労働力」として投資対象となり、学校や教員は「サービス提供者」、児童生徒や保護者は「消費者」として位置づけられるようになります。


こうした構造のもとでは、教育の本来の目的である子どもたちの人格形成や全人的な成長は後回しにされ、「学力向上」といった表面的な成果や、保護者満足度を意識したサービスの質ばかりが重視されるようになってしまいます。その結果、教育の塾化が進み、外部委託が広がる(たとえば、千葉県では塾講師を招いて算数の授業を行うというニュースも記憶に新しい)なかで、教員の役割は「教育者」から「サービス提供者」へと矮小化されている現実が浮かび上がってきました。


鈴木氏がとりわけ強調していたことは、「構想と実行の分離」という問題です。ここでいう「構想」とは、教育内容や指導方法を自ら考え抜く営みを指し、「実行」とは、それを教室で具体的に展開する行為を意味しています。本来、この二つは不可分であるはずですが、いま多くの教員は、自身で授業を設計するゆとりを奪われ、文科省や教育委員会が示すカリキュラムやマニュアルを忠実にこなすだけの「実行者」へと追いやられてしまっています。その結果、教育の本質について深く思索する時間や機会が失われ、仕事に対する疎外感が増し、職業的誇りの喪失が深刻化している。鈴木氏はこの点に強い危機感を示していました。


また、こうした構想と実行の分離を加速させているのがGIGAスクール構想からはじまるICT化などの教育改革であるとも言及されていました。一見、効率的で先進的に見えるタブレットやICT教材の活用が、個別最適化という名の下、実際には教師の子どもを見取る教育的判断や授業作りの構想力を奪い、教育を単なる技術的な作業に変えてしまう危険性があります。教師の役割が機械やシステムに置き換えられることは、子どもの微妙な変化に気付く人間的な関わりや、個々に応じた柔軟な対応が失われる恐れがあるのです。


一見すると、タブレットやICT教材の活用は効率的で先進的に見えます。しかし、「個別最適化」という言葉のもとで進められているこうした改革は、実際には教師が子どもを見取り、授業を構想する力、つまり教育的な判断力や創造性を奪いかねない危うさをはらんでいます。


こうした状況の背景には、政府や行政が進める「働き方改革」の問題点もあります。現在の働き方改革は、主に勤務時間短縮や業務の効率化に重点を置いています。しかし、鈴木氏はこうした改革が、むしろ教員の仕事からの疎外感を増幅させる可能性があると指摘します。残念ながら、この改革の本質が単なる時間の削減に終始しているため、教育の本質的な意義を問い直すことを阻害しているからです。この問題を克服するためには、教育現場に再び「構想」を取り戻すことが不可欠だと提唱されました。教員が自らの教育観に基づいて授業を設計し、実行できる余地を取り戻すことこそが重要なのです。教育委員会や文部科学省が教育の質を「学力向上のパフォーマンス指標」だけで評価するのではなく、教員がどれだけ主体的に子どもと向き合い、全人的に創意工夫しているかという「構想力」を評価する仕組みを取り入れることが求められています。


これには教員が自発的に行うとされる業務の見直しも必要です。勤務時間外に当たり前のように発生している授業準備や生徒指導、保護者対応などの業務を正式な勤務として認め(これらはなんと、教員の自発的行動と見解が文科省によって示されていた!)、それに見合った対価や評価を提供することが重要です。これにより、教員の働きが正当に評価され、仕事への誇りややりがいが回復することが期待できるからです。




新自由主義的な教育観に流されるのではなく、私たち自身が主体性をもって教育を構想し、実践していく姿勢が、今まさに求められています。教員一人ひとりが、学力向上という目先の成果だけにとどまらず、教育の本質的な意義を問い直し、「人格の完成」という教育の究極的な目的に向かって日々の実践を積み重ねていくことが不可欠です。新自由主義に支配される教育の流れに対して、私たちが自らの手で教育を構想し、実行する力を取り戻すことこそが、真に豊かな教育を実現するための第一歩ではないでしょうか。そのためにも、教育現場における「構想と実行」の在り方をともに問い直し、教育が本来持っている多様で豊かな可能性を再発見していく対話を重ねていきたいと思いました。


みなさんの学校現場では、教員が自ら考え、構想し、実行することがどれだけ保障されているでしょうか? 私たち一人ひとりが現場を振り返り、教育の姿をともに描いていく機会にできればと願っています。


2025年7月6日日曜日

エンゲージメントを探し求める旅

これまで、数ヶ月にわたり、学ぶことのエンゲージメントについて考えてきました。★1 ここ数年、注目されてきてもいますし、これからの教育を考えていくうえで、キーとなる考え方だろうと思います。エンゲージメントが生じているかどうかが、主体的な学びの中核にあると言えるでしょう。


4月から二ヶ月くらいかけて、小中高の現職の教員と、ブッククラブをやりました。読んだ本は、サラ・マーサーとゾルタン・ドルニュイさんの著書『外国語学習者のエンゲージメント』★2 。翻訳版を二ヶ月くらいかけて、読みました。週に一章づつ読み、オンラインのドキュメントに記入し、それに対して、お互いがフィードバックを描き込み合う形で進めました。

先日、そのメンバーが集まる「英語教員CAFE」★3 で、この本についての、まとめのブッククラブをやりました。とても、白熱し、話題が尽きませんでした。なぜ、そのように盛り上がったのか、また、現在教壇に立っている先生方は、エンゲージメントについて、何を感じ、何を考えたのでしょうか。その時の議論からまとめてみると:

1点目は、エンゲージメントという観点から授業を見直すことは、自分自身の授業のあり方を根本から見直すきっかけになったということです。日々の業務をこなしながら、ブッククラブをやるのは、なかなか大変そうでしたが、多くの人が、どうしても読み続けたいと感じていたそうです。今やっていることが、本当に子どもたちにとって意味があるのか?長年、続けてきたことに、価値があったのだろうか?自分が信じて続けてきたことを、否定するのは勇気のいることですが、この機会にじっくり考えたいと思ったそうです。

2点目は、これまで学んできた、授業に関することを再確認することができたという点です。この本で、読んだことは、決して新しい考え方ではないと思ったそうです。動機づけや教室環境の問題など、従来、言われ続けてきたことがほとんどだったと感じたそうです★4。それらのことを、エンゲージメントという観点で、考え直してみることに、とても意味があったと感じたようです。

3点目は、子どもたちのリアルな声を聞くことの大切さを実感したそうです。今回、ブッククラブと並行して、出口チケット ★5 や経験サンプリング ★6 といった方法を使って、授業内でエンゲージメントを測定するデータをとる、ミニ・リサーチをやりました。今回は、あくまでパイロット的な調査だったのですが、みなさん、様々な気づきがあったようで、全員で継続してやっていきたいと思ったようです。どのような結果がでると、今から楽しみです。

同書の結びに言葉に「授業に対する学習者のエンゲージメントは決して偶然の産物ではない。」(p.236)とあります。これは、教員に対する厳しい激励でもあると思います。また、同時に、子どもたちが夢中で学ぶ教室を実現することは、不可能ではないという希望の言葉でもあるとも思えます。

筆者らは、エンゲージメントについて考えてきた中で、3つの大きな主題があったことに気づいたと述べています。

1 ポジティブな感情がもつ力
2 教育のパートナーとして学習者に権限を委譲すること
3 学習活動への積極的参加

先生方の探究の旅は、これからです。子どもたちが夢中になれる授業づくり。そのことに、参加した先生方がとても夢中になっているように見えました。それが、とても希望を感じさせてくれました。



★1  「PLC便り」におけるエンゲージメントに関する記事
2025年2月「エンゲージメントの周辺」
2025年3月「エンゲージメントを決定づける要因」
2025年4月「エンゲージメントを実現するための教師の行動」
2025年5月「教師の情熱と冷静のあいだ」
2025年6月「能力と困難の黄金比」

★2 サラ・マーサー/ゾルタン・ドルニュイ(2022)『外国語学習者のエンゲージメント』アルク.(原著 Mercer, Sarah and Dörnyei, Zoltán (2020) Engaging Language Learners in Contemporary Classrooms,Cambridge Professional Learning.)

★3  「英語教員CAFE」は、英語教員が、楽しく、ワクワク探究し続けることによって、子どもたちが、楽しく、ワクワク英語を学び続けることのできる英語教育の実現を目指して、小中高大の英語教員有志によって、2025年2月に創設された研究グループです。

★4   同書の章立ては次のとおり:
    第1章 学習者エンゲージメントを取り巻くもの
    第2章 学習者の促進的マインドセット
    第3章 教師と学習者の信頼関係(ラポール)
    第4章 ポジティブな教室力学(クラスルーム・ダイナミックス)と教室文化
    第5章 タスク・エンゲージメントの喚起
    第6章 タスク・エンゲージメントの維持

★5  1−2つの質問が書かれた、小さな紙や情報カードのこと。

★6  授業時間内で、10分ごとにチャイムを鳴らすなどして、その時点のエンゲージメントの深さを、生徒に自己評価してもらう方法。