2021年10月17日日曜日

ピアノの演奏についての本が、教え方・学び方に参考になる!

 京田辺シュタイナー学校で国語を教えている吉川岳彦さんが紹介してくれた本です。

『ミスタッチを恐れるな 伸び悩みの壁を越え、演奏に生命力を取り戻す』

(ウィリアム・ウェストニー著 西田美緒子訳 ヤマハミュージックメディア)

 コントロールできるという自意識過剰な錯覚を捨てることで、もっと深い、もっと穏やかな種類のコントロールを手にする、そうすればより深く学習できるようになる。72ページ)

 私がこの本に出会ったのは、42歳で妻と娘とともにドイツに渡り、現地の大学院の試験に備えていたときだった。主専攻はシュタイナー教育のクラス担任コースであったが、修士課程ではこのほかに、副専攻を一つ必ず取らなければならない。私が選んだのは“Musik“すなわち「音楽」だった。

 副専攻の実技試験では歌とピアノ、そしてピアノ以外の楽器の演奏が課される。吹奏楽部での音楽経験はあった。しかし、ピアノは弾いたことがなかった。

 さて、渡独したのが5月、試験は6月末である。ピアノの練習はした。しかし、家探し、語学学校での勉強、娘の幼稚園の手続き、ヴィザの申請、日々の生活など、当時、たどたどしい日常会話程度のドイツ語力で悪戦苦闘する中での練習である。そもそも練習するピアノもなかった。使っていたのは36ユーロで買った「カシオトーン」である。

 結局、試験は練習不足と「落ちると後がない」というプレッシャーから、惨憺たる結果であった。不合格である。どこかで「副専攻だし、日本での教員経験を考えて、何とか採ってもらえるだろう」という甘えた考えがあったのだと思う。落ちこんでいたが、9月に再募集があるというメールが大学事務局から届いた。

 再試験のため、私は中古の電子ピアノを手にいれた。そして、ピアノの練習法について書かれた本をAmazonのサイトで探していて、この『ミスタッチを恐れるな』を見つけたのだ。

 この時期に買った本では、『音楽家のためのアレクサンダー・テクニーク』(ペドロ アルカンタラ著、小野ひとみ、今田 匡彦訳・春秋社)、『音楽のためのドイツ語事典』(市川 克明著・オンキョウパブリッシュ)がとても役に立った。

 また、大江千里の『9番目の音を探して 47歳からのニューヨークジャズ留学』(Kindle版)は何度も読んだ。大江千里さんは、もちろんプロだ。しかし、日本での成功を捨てて、ジャズ・ピアニストとして再出発することを47歳で決断した。それもジャズの本場アメリカ・ニューヨークで。目指す所は違うが、今までの教え方を捨てて、シュタイナー教育をドイツで学ぼうとしている自分に重ねて読んだ。

 ピアノの話に戻ろう。

 練習を始めたときは、「間違った鍵盤を弾いてはいけない」という意識が強かった。だから、いつも指をコントロールしようとしていた。当然、力んだ指はこわばり、肩はがちがちに固定されてしまっていた。身体を固めながら、同時に動かそうとするのだから、とにかく疲れるし、ぎこちない動きになる。それでも、極端にゆっくりの速度から、何度も練習を繰り返すことで、それなりに指は動くようになってきていた。日本から『ミスタッチを恐れるな』が着いたのは、それくらいの時期のことだ。

 第一にミスタッチをする。第二に「しまった!」とか、いろいろな声を出す。第三に正しい音を慎重に弾きなおす。この三つを大急ぎですませる。問題の音符がとくにややこしければ、同じことを何度も繰り返す。

 何かが修正されているだろうか? 何も。(104ページ)

 笑ってしまった。私自身、その通りのことをやっていたからだ。今、手元にあるこの本は、ほぼ半分近くのページの端が折ってあり、鉛筆で引いた線とコメントが多く書き込まれている。その中から、もう一つ紹介したい。

 理想とされる自然な方法は、ただ自分を信頼し、エネルギーの自由の流れにまかせて演奏することだ。懸命になって、音の位置をひとつずつ見つける必要はない。体にはもう、音の個々の位置と空間的な関係を独自の身体的方法によって結びつけるチャンスをたっぷり与えてきたからだ。(106ページ)

 そして、「独自の身体的方法」を見つけるための方法が「ミスタッチ」なのだ、と著者は言う。「ミス」を単なる「ミス」としてではなく、「なぜ、こういう動きになるのか?」など、興味と好奇心を持って、それを見ることが大切だ。そうすることで、「ミス」は探求の対象になるのだ、と。

 楽器の演奏に限らず、これは何かを身につける時の基本ではないだろうか? 赤ん坊が立ち上がって歩こうとするときのように。人は「間違うこと」で、自分自身も含めた「世界」を探る。そして、より深く「世界」を識り、利用することができるようになる。「ミス」を恐れて行為しないこと、行為を既知の範囲にコントロールしようとすることは、自らの可能性を閉ざすことだ。

 さて、電子ピアノの良いところは、ヘッドフォンをしてしまえば、いくら「ミス」をしても外には聞えないということだ。私は、安心して、何度も「ミス」をすることができた。実に楽しかった。音を外したって気にならなかった、むしろ、そうやって音楽に身を任せようとすることで、バッハの美しさが素人のピアノ演奏にもかかわらず、自分自身に深く、深くしみこんでくるようだった。私は、長く吹奏楽部でトロンボーンを吹いていた。しかし、これほど演奏すること、音楽そのものの楽しさを感じたことはなかった。

 9月の再試験。今回の受験者は5人。私は2番目に演奏した。もちろん緊張したが、今回は自分が緊張しているということを認識できた。

 左手3の指、最初の音はド。親指が三度でミを重ねる。右手が16分音符の上行形を二度繰り返し、曲は動き出す。私はひたすらピアノの響きを聴き続けた。

 試験後、面接官がホールから出てきた。そして、私の前に来ると、 “Wir respektieren Ihre fleißige Übungen. (我々はあなたの熱心な練習に敬意を表します)と言って、にっこり笑った。

 様々なことがあった3年間の留学後、今、私は京都でシュタイナー教師として教えている。そして、生徒たちにも「ミスタッチ」が存分にできる場を作ろうと、実践を重ねている。『ミスタッチを恐れるな』は、ピアノや楽器の演奏のコツに留まらない。教わる人、教える人、すべてにとって、大切なことが書かれている本だ。



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