2019年5月19日日曜日

堀江氏の動画を題材に、「最善の方法は何か?」を考える


今回は、「平成26年度近畿大学卒業式」堀江貴文氏メッセージというタイトルがついた動画(https://www.youtube.com/watch?v=2DTyHAHaNMw)がテーマです。しかし、その内容についてはほとんど触れません。(とてもいい内容です!)

取り上げたいのは、講演会という状況をどう捉え、そして改善できるかです。つまり、講演内容を実現するために、彼自身や主催者がやれたこと/やるべきだったことがテーマです。
こう投げかけたときに、知人は以下のように反応してくれました。

そもそも、なんでホリエモンなのか? 目的は?
外部講師として呼んでも、学生はマインドセットされていないので彼の言葉は届かない?
さらに、近大は学生が多いので、マスに対して何をどのくらい届けたかったのか?
そもそもこの一回のイベントで何を大事にしたかったのか?
もっというと、この企画は誰がしたかったのか? 何のため?
一方的なイベントは、一律一斉的な授業と同じ?!
映像を見れば、聞いていなさそうな学生も少なくない!
学生は何を受け取り、どうしたいと思ったのか?
終わりが始まり、になっていたのか? まったく、なっていない。
誰がどう彼らをサポートするのか? ホリエモンはサポートしない。近大は?
卒業してしまえば、あとは学生次第でいいのか?

ということで、たとえ内容はよくても、問題山済みなわけです。改善の余地は大ありです。
では、この16分の場をどうしたらいいでしょうか?
それは、自分の日々の授業(あるいは、学校経営)をどうしたらいいのかを考えることと同じです。

最初にこの動画の存在を知らせてくれた人には、次のような形でフィードバックしました。

さすが、堀江さん!
極めてまっとうな話です。
しかし、会場にいた人(学生以外の人たちも、です)の何%に伝わっていたでしょうか?
講演という媒体がすでに機能していないことを示した場、というふうに私は見ました。
講演も、すでに過去の(恐竜みたいな)媒体です。
彼の話(今を生きる!)を真に受けたら、この媒体はもはや「レールの上」のものなので使えません。

堀江さんの講演は、正直、期待していなかったので、内容はとてもよかったです。
期待していなかった理由は、彼の『すべての教育は「洗脳」である 21世紀の脱・学校論』 (光文社新書)です。カスタマー・レビューでの評価が高いのに、得るものはありませんでした。(つまり、読者に選書能力がないことを、証明してしまっただけでした! もちろん、売れれば内容はどうでもいいという出版社サイドの問題も大きいです。)
しかし、講演は15分に限定しているので、的を射た内容でした。(というか、同じことを繰り返し強調していました。正味は半分以下で十分です。)

いま読んでいる7月に出る予定の『教育のプロがすすめるイノベーション』の教育イノベーターならどうするかを考えてみました。(いろいろな観点が紹介されていますが、その筆頭は「目の前にいる生徒にとっての最善は何か?」です。)

彼の講演の主張は、「情報を集めて、自分で考え、そして発信する」でした。
それを実際にやらないとまずいです。彼が強調するように、それができない時代ではないし、学生たちは全員スマホを持っているのですから。
そのアプローチを取れば、イヤでも、聴衆(学生以外の参加者も)は、聞きますし、考えますし、書きます!
具体的なやり方はいくつか考えられます。

1)
彼の話は、5分にする。
次の5分間に、10人~15人ぐらいの学生+その他の参加者に、一人の教員を一グループにして、ツイッター、フェイスブックなどのSNSを活用するか、あるいはグーグル・ドキュメントを使って、どんどん書いてもらいます。感想や質問など、なんでもOK。そしてできるだけ相互のやり取りを図ります。教員たちも、思考停止どころか、思考満開です。(その間、堀江さんに投げかけたい内容を、彼宛てにドンドン整理してメールしていきます。)
最後の5分間は、堀江さんが参加者のやり取りから出てきた感想や質問の中から反応する必要があると思ったものに応えていきます。
これなら、誰の頭も全開状態の15分間になるはずですし、堀さん自身が強調していた「情報を収集して、考え、そして発信する」練習ができます。
そして、この練習は、15分の彼の持ち時間の枠を越えて継続的に続ける選択もできます。(参加者次第です!)

2)
もう一つの代替案は、「反転授業」の実践です。
事前に15分間の講演を動画に撮って、参加者は全員出席前に見てくることを義務づけます。
そうすれば、「考え、かつ書く時間」が15分間の講演時間に限定されないことを意味します。
参加者のかなりの割合の人は、じっくり考え、かつ書くことでしょう。(それは、実際に当日本人が登場することがわかっているからです。自分が書いたものに、当人が反応してくれるチャンスがあるからです。)
書いたものを事前に(1の仕組みのような形で)送っておいて、それら全部を見られるようにしておきます。そして各チームで教員も含めて、投票をし、一番票を得たものを堀江さんに直接投げかけます。
それでも、ひょっとしたら400グループぐらいできますから、何らかの工夫が必要なのですが、このハイテクな時代なら、対応できるはずです。
堀江さんは、学生たちからの問いかけやコメントに対して、応える15分間にすれば、「情報収集し、考え、書く」練習になるはずです。
そして、1)の場合と同じように、それで終わることなく、継続する可能性が高いです。

学生たちの「声」こそが大切なのに、大学側も、堀江さんも、一言も発するチャンスを提供しませんでした。
その最大の問題に対する対処法を提示しない限りは、彼が批判するレールの上の教育は今後も続くことが約束されています。

堀江さんの「情報収集をして、考え、発信する」は大賛成です。
しかし、それを実際にやらなかったことは、何も言っていないのと同じです。
それなりには、学校大学時代を通じて、言われ続けてきていることではありますから。
あなたは目的を達成するためにどんな方法を考えますか?


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