2015年9月6日日曜日

クオリティ・スクール = 質を大切にする学校

夏休み中に読んだいい本の紹介です。
   『クオリティ・スクール』ウィリアム・グラッサー著
この本の英語版(=原書)を90年代の中ごろに読みました。
最近、その日本語訳が出ているのを知ったので、再読しました。いいことがたくさん書いてあるので紹介します。
ちなみにこの本、いまは存在しないサイマル出版社から出ていたので、中古で買うか、図書館で借りて読むかの選択肢しかありません。
なんとグラッサーが、一番参考にしたのは、日本の経済成長=日本企業の成長を推進するのに貢献したエドワーズ・デミングの「品質管理」の考え方でした!!★

以下、私のノートより(数字は、ページ数です。青字は私のコメント)。

まえがきの5ページ: ボスとリーダーの比較 ~ アポロ高校の実践から

ボスは駆り立て、リーダーは導く。
ボスは権威に依存し、リーダーは協力を頼みとする。
ボスは「私」と言い、リーダーは「私たち」と言う。
ボスは恐れを引きだし、リーダーは確信を育む。
ボスはどうするか知っているが、リーダーはどうするかを示す。
ボスは恨みをつくりだし、リーダーは情熱を生みだす。
ボスは責め、リーダーは誤りを正す。
ボスは仕事を単調なものにし、リーダーは仕事を興味深くする。

読みながら、以下のような項目を付け足せるかな、と思いました。

ボスは部下を従わせるだけ、リーダーは部下を自ら行動させる。  
ボスは部下に考えさせない、リーダーは部下に考えさせる。 
ボスは上質がわかっていない、リーダーは上質がわかっている。 
ボスは評価するだけ、リーダーは部下に自己評価・修正・改善をさせる。 
ボスは退屈、リーダーは楽しい。 
    ~ 以上は、当然のことながら、教室の教師にも当てはまる!!

6 日本企業に大きな影響を与えた品質管理(カイゼン)の神様=エドワーズ・デミング

12 学校のテスト以外ではだれも使わないと分かっているような事実を暗記することほど退屈なものはない。私たちの記憶にある良い教師は、私たちを退屈させなかった。教師が私たちにするよう求めたことは、何らかのかたちで私たちを満足させるものであった。
13 良い教師は強制しない  ~  生徒に選択させる!! それが、エンパワーすることになる
   私たちの学校では、強制的な教師の存在は珍しいことではなく、普通である。

15 学業はもとより、質の高いものは何であれ、標準化された、機械が採点するような客観テストでは測定できない。
   インタビューしたり、観察したり、追跡調査をしたりの、質的なかたちでしか測れない!!
   今日、生徒たちは、いろいろな強制的な方法で質の低い勉強が機械で測定され、それがほとんどどこの学校でも上級管理者の最優先事項であると気づいている。これは、今日の私たちの自己破壊的なシステムの症状の表れといえよう。 ~ 学力テストや入試を含めて、まさに、これをやり続けている日本!!

21 「効果的」に教えるとは

 私たちがちょっと気合を入れて、圧力をかけさえすれば、教師により良い仕事をさせることができるはずだと。(たとえば、学力テストの点数の公表など)これほど真理から外れたものはない。
22 教えることほど難しいものはない。
   効果的な良い教師とは、学校で自分が担当する生徒のうち、半数でも、8割でもなく、ほとんど全員に質の高い勉強をさせるように説得できる教師である。生徒が自分たちの能力を全開させられる教師である。
24 物よりも、人を管理する方がはるかに難しく、さらには生徒を従業員と見れば、生徒が最も抵抗するタイプであることに異議をさしはさむ人はいない。

40 学校教育で普及しているボス・マネジメント
46 求められているリード・マネジメントへの転換

59 ボス・マネジメントは、「動機づけ」について、完全に誤解している。ボス・マネジャーは、人は外部から動機づけられると固く信じている。彼らは、動機づけは、すべて内側から来ることを理解していない。 ~ 学力テストや入試は、その象徴!! 動機づけに興味のある方には、『人を伸ばす力―内発と自律のすすめ』エドワード・デシ著がオススメです。


      <メルマガおよびフェイスブックからの続き>


95 強制では、上質は生まれない

113 すべての行動は選択だという時に、すべての行動は常に行為、思考、感情、生理反応の混じり合ったものであることを意味している。
  行為と思考は選択できるが、感情と生理反応は選択できない。

129 「上質」は定義するのが難しい概念であるが、私たちのほとんどはそれを見れば分かる。そして、ほとんどの生徒は、クラスで指示された勉強の中に「上質」を見出すことができない。一方で、彼らは、ほとんどのクラブ活動につきものの「上質」をたやすく見ることができる。彼らは、質の高い音楽、演劇を求める能力を持っており、フットボールのチームが良いチームかどうか、見れば分かる。
   生徒が部活動に進んで参加するときに、楽しみ、自由、力、そして人との触れ合いが「上質」なものを与えてくれ、生徒はこれを求めて一生懸命、部活に取り組む。実のところ、この部活動が自由参加であることが、より一層魅力的にしている。選択の自由が私たちの選択するものに「上質」を付加している。もし生徒全員がフットボールをしなければならないとなれば(例えば、体育の授業などで)、明らかにこの活動にはたいした「上質」が見られなくなる。
130 それに対して、高校一年生の国語の必修教科を見てみよう。このクラスの普通の日に、熱心に勉強している生徒は十人以下だ。残りの生徒は、そこに座っているだけで何もしていない。勉強していない生徒に、その理由を聞くと、彼らは授業が面白くない、必要がない、何を考えていてもだれも気にかけないと答える。勉強は教師にとって価値があるかもしれないが、生徒は価値を見出していない。
131 熱心に勉強している生徒になぜ勉強しているか、その理由を聞く。彼らは、良い成績をとりたい、親を失望させたくないと答える。勉強に価値や「上質」があると言う答えはあまりしない。どんな職場と比較しても学校は、多くの強制的な教科があって、取り組むように言われた勉強に「上質」を思い描くことさえできないほど問題に満ちている。
  生徒が学校が嫌いだと言うときに、彼らの言い分の多くは、自分たちの欲求を満たさないことに熱心に取り組まなければなければならないことが嫌なのだということだ。
  ・・・彼らのほとんどにとって、アルバイトで指示されたこと(例えば、掃除する、礼儀正しく、迅速に)の中に「上質」を見つけるほうが、学校で読むこと、計算することの中に「上質」を見つけるより、ずっと簡単なのだ。
133 「上質」の仕事とは何かを見失っていた1970~90年代ぐらいのアメリカの自動車産業。 ~ 「安くて小さい日本車」と言われながらも、「上質」の日本車がアメリカ中で広く受け入れられた時代。同じことは、電気製品を含めて多くの産業製品に言えた。
134 不幸なことに、認識できる「上質」教育のモデルを見つけることは、質の高い車を見つけるほど簡単ではない。しかし、ひとたび「上質」こそ問題に対する答えだと分かれば、私たちは少なくともこうしたモデルを探し始める。これは重要な第一歩だ。

135 問題は、教育界に「上質」を見つけることが困難なことにある。その困難の理由は、あらゆる教科を小さな断片的な知識にして、テストで「客観的」に測定できるようにすべきだ、と上から押しつけが強くなっているからだ。
    生徒は大学進学というイメージ写真を上質世界に入れている。そしてそのためにはこの質の低い勉強も必要だと割り切って一生懸命勉強する者もいる。しかしながら、ほとんどの生徒は、このようなテストで良い成績をとるための勉強には何の「上質「」も見出せない。・・・勉強自身に何の価値もなければ、勉強をする気になる生徒の数は減る一方だ。
    質の高い学校とは生徒が行儀よく「上質」とは言えない学力テストで平均以上(あるいは、上位になること! ~いずれにしても「上質」と言えない)をとる学校、と考えられている。これは大きな間違いだ。これは、70年代、80年代の自動車産業を倒産に追い込んでいたはずのやり方と同じことを、学校で実践しようと懸命に努力しているようなものだ。デザインの悪いおそまつに造られた車でも、最低の検査基準はパスする。人びとはより良いものを知らないし、より良い車もないので、それを買っていた。人びとは、私たちの学校をまたサポートしてくれているが、不満は増大している。

151 成績評価の新しいシステム ~ こんなに前から、今の評価システムに代わる具体的な方法が提示されていたとは!! しかし、いまだにこれの足元にもたどりつけていない。評価と指導は一体化されたものであるということが、いまだに気づけていない!
152 成績という強制力
155 悪い成績はつけない ~ 誰もがいい成績は取れるから
156 悪い成績はつけるものではなくて、生徒と教師が(親の参加も得ながら)一緒になって解決すべき問題という捉え方。 できる生徒とできない生徒を分けるための手段ではない!!
    クオリティ・スクールが伝統的な学校とはなはだしく違うところは、生徒が質の高い勉強をした教科の成績だけが記録されること。質の高さを示す勉強で最も低い成績はBで、それ以上の優秀なものには、AA-が記録される。
157 クオリティ・スクールでは、記録があることは生徒が知っていることを示し、知らないことを示すためではない。
158 あたたかい、支援的な雰囲気に満ちたクオリティ・スクールでは失敗はなく、ほとんどいつも個人的に教えてもらえる可能性がある。生徒は欲求充足ができ、成績を上げるような勉強をすることができる。生徒は教科をあきらめたり、単位をもらえなかったりすることはない。 ~ 「上質」に向けて努力できるということ! フィンランドが実践しているのは、まさにこれじゃない?


★ 日本の製造業では、これを導入していないところはないぐらいと言えます。QCサークルというやつです。QCはクオリティー・コントロール(品質管理)です。
  トヨタがWhy? Why? Why?を3回尋ねるというのも有名です。
  学校には、残念ながら1回も尋ねられない文化があり続けています。
  産業界と教育界、いったい違いは何でしょうか?
  同じ、ニホン人がやっているのに。

1 件のコメント:

  1. 上質=クオリティに関連して・・・・

    いま準決勝たけなわのワールドカップ・ラグビーから、

    エディーHC、日本ラグビー界に辛口エール「規律を守らせ、従順にさせる練習をしている」

    上の見出しは、以下のように述べたもの。
    「日本では高校、大学、トップリーグでも高いレベルでパフォーマンスする指導ができていない。規律を守らせるため、従順にさせるためだけに練習をしている。それでは勝てない」と、日本ラグビー界の問題を指摘した。
    http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20151013-00000528-sanspo-spo

    日本の部活を象徴していると思います。
    そして、その部活指導は、生徒指導や学習指導と密接に結びついていますから、日本の学校(社会全体)が「規律を守らせるため、従順にさせるためだけに練習をしている」とも言えます。

    「その枠から出ないと、世界大会で3勝はできないですよ」と、彼は言っているわけです。

    日本スタンダードでなく、世界スタンダードにしていかないと。
    ラグビーだけでなく、サッカーも・・・・そして、教育も。

    返信削除