2015年9月20日日曜日

国会で起こっていることと学校で起こっていること



安保法案の「悲劇」の記憶はまだ新しいと思いますが・・・・

あれを見ていて私が思ったことは、国会で起こっていることと、学校で起こっていることとの共通性でした。
どういうことかというと、安倍さんをはじめ自民党を中心とした議員たちは「よかれ」と思ってしています。あたかも「自分たちは先見性があるのだ」と思い込んで。
そして、自分の周りにいる圧倒的多数の国民(選挙民)の声に耳を傾けようとはしません。
(もちろん、聞く必要はないとも思い込んでいます。選挙でみそぎは終わっていますから。★)

この辺が、学校で起こっていることと似ていると思ったのです。
先生たちは、少なくとも子どもたちよりは先見性があると思っています。(少なくとも、10数年以上は長く生きてきているから?)。
そして、耳を傾けないことも似ています。子どもたちの声にも、親たちの声にも。

あなたは、子どもたちや、親たちの声に耳を傾けていますか?

安倍さんたち議員に、いまさら耳を傾けるように教えることは不可能です。

でも、未来の安倍さんたちに対して、いまからモデルを示すことはできます。
教師が耳を傾けることで。(もちろん、教師以外の大人たちも!)

少し長期的な話しになりますが、今回の「異常な」出来事★★を見ていて、そのように解釈するしか、救われようがないかな、と思った次第です。

もちろん、先生たちに全責任を負わせるつもりはありませんが・・・・他に考えられる方法が見つかりませんでした。原則は、一人ひとりの気づいた人のアクションです。無理やりやらせて、効果の上がるようなことではありませんから。(それこそ、逆効果!? 文科省や教育委員会が、いつも先生たちにしていること?になってしまいます。そういえば、官僚や役人も安倍さんはじめ国会議員と同じことを常にしてますね。)


★ この発想自体がおかしい/異常だと思いませんか? それでは、自ら選挙という制度自体を壊している気さえします。もちろん、大人しく黙っている有権者サイドにも半分の問題はあるわけですが・・・・。白紙委任をしていると思って投票している人は、どれだけいるでしょうか? そしてさらに言えば、いまの選挙制度が有権者にとって機能しているとは言い難いです。議員サイドに機能しているがゆえに続いている制度です。

★★ しかし、この「異常な」出来事は、安倍さんからすると、すでに「国民」が自民党に投票した(しかも、あんな圧倒的な勝利を献上した)時点で、安保法案を通すことは既定路線だったわけです。そうじゃないと、一国の首相がアメリカの議会で「夏までに法案は通します」と言えるはずがありません。
  選挙に通ってさえいれば、自分のシナリオ通りに進められると・・・・ これって、多くの先生たちが指導案という名のシナリオ通りに授業を進めるのと似ていませんか?
  なんと、安倍さんのしでかした今回の騒動(そんな生易しいものではありませんが!)と教師たちが日々授業で使っている指導案はつながっているのでした!!

  指導案の検討や協議(そして指導案をもとに行われた研究授業や協議)というのは、国会が国民に見せしめた数百時間の異常な/アホな(?)やり取りにどこか似ていると思われませんか?
  国会議員に、それを改めることを求めても、時すでに遅しの人たちです。
  だから、未来の安倍さんたちに期待するしかないかと・・・・甘いでしょうか。
  未来の安倍さんたちに期待するということは、今の今、私たちが子ども(や親)たちを対象に、アクションを起こすことを意味しています!! 単に、口をくわえて、30年~50年後を待つことではありません。待ったところで、同じことが繰り返されるのは、過去70年間がすでに証明してくれていますから。

★★★ ところで、他にも国会と学校とのつながりはありますか?

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