2014年11月16日日曜日

教員研修=授業 !?



Never Underestimate Your Teachers(教師を見くびっちゃいけない)』というタイトルの本をいま読んでいます。
その中では、教師を4段階に分けています。
(ちなみに、日本の教員研修で横行している「学校一丸となって」と年次研修に代表される「ライフステージ」というのは実態に裏づけられたものではなく、単なる習慣と役所得意の年功序列=管理主義に則っているだけにすぎません。単純に、やらされる側を考えて行うよりも、やらせる側の「都合」にすぎません。★しかし実態は、この本にも書いてありますが、30年たっても新米レベルの教師もいますし、逆に数年でベテランのような実践ができる教師もいます。)

4段階よりも細かく分けられるかもしれませんが、①身につけるスキルと②よくなり続けたいという意思・意欲の2つを軸に、4分割できるということで、そうしているようです。

このことから明らかなのは、同じ学校や年代の教師を集めてみんな同じことをしても、抱えている課題やニーズは違うので、意味はありません。同じ講義を聞いても効果的ではありませんし、みんなで指導案づくりをしたり、授業の見合いっこや研究協議も時間の無駄です。聞けるもの/見えるもの/学べるものが違いますから。

何が大切かというと、教師それぞれの課題やニーズや興味・関心に見合った「differentiated, deliberate, and developmentalな(個別化した、意図的で、成長段階に即した)」練習とサポートです。
このような教員研修を体験したことのある教師は、いったいどのくらいいるでしょうか?それが決定的に少ないので、子どもたちを対象に「個別化した、意図的で、成長段階に即した」授業を行なえる教師も極めて少ない状態が続いています。教員研修と授業は、まさに「入れ子」状態にあります。★
最初から授業を変えることは容易ではありませんから、教員研修のやられ方を転換する必要があります。学校や教育委員会/教育センターで、研修のやり方を改善したい方はpro.workshop@gmail.comへぜひ連絡ください。

ちなみに、練習して身につける際の参考文献として、『才能を伸ばすシンプルな本』ダニエル・コイル著が紹介されていました。要するには、もって生まれた資質とは関係なく、一生懸命に練習と仕事をすれば、誰でも才能は磨ける、というのです。もし読まれた方は、ぜひ感想をお聞かせください。


★ このご都合主義と「入れ子」状態は、教育界で結構多く見られます。たとえば、学年や教科や教科書等で当たり前のように教える授業は、教える側(というよりも、管理する側)の都合でしかなく、教えられる側(というよりは、学ぶ側)のことは考えていませんから、よく学べることを期待するのは難しいといわざるを得ません。さらに言えば、その教科や教えられること自体が嫌いにならない方がおかしなぐらいです。
皆さんも、同じような感想を「研修」にもっていませんか?

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