これまで僕は、授業の評価とは、事前に目標を定め、その目標に照らして子どもの姿を見取り、どこまで到達したかを判断するものだと捉えてきました。「数学者の時間」を続けるなかで、評価は本当にそれだけでよいのだろうかと考えるようになっています。
数学者の時間では、子どもたちは一つの問題に向き合い、具体的な場合を試したり、条件を変えたり、友だちの考えに触れながら問いをつくり直したりします。そこでは、教師が事前に予想していなかった考えや、めあてには直接表れない迷い、行き詰まり、夢中になって考える姿が生まれます。
その場で生成的に立ち上がってくる出来事を、あらかじめ設定した授業目標への到達度だけで捉えてよいのでしょうか。数学者の時間にふさわしい評価とはどのようなものなのか、改めて考える必要があると感じていました。
参考になったのが、ハロルド・バーラック他による『真正の評価 テストと教育評価の新しい科学に向けて』です。この本を読み、自分の教育実践と照らし合わせながら、数学者の時間ではどのような評価を目指したいのか、これまでどのような評価を行ってきたのかを考えてみました。理論と実践を往還させながら、自分の評価観を捉え直す試みです。
第1章では、能力を個人の内側にある固定的なものとして捉え、共通の尺度によって測定する評価観が問い直されています。学びや能力は、子どもの内側だけにあるのではなく、課題や友だち、教師との関係、その場の文脈のなかに現れると考えられています。そうであるなら、評価も「この子にはどのような力があるか」を判断することにとどまりません。「この子と問題や友だちとの間に、何が起きているのか」まで捉える必要があります。
「一般化することができた」と判定するだけでは、その子の思考がどのように動いたのかは見えてきません。どのような事例に注目し、何をきっかけに考え方が変わったのかを記述することで、その場で生まれた学びの意味が表れます。
評価とは、目標への到達を判定することだけを指すのではなく、その場で起きた出来事の意味を読み取り、言葉にする営みでもあるのだと思います。ただし、事前に固定的な評価項目を設けないからといって、教師が何の見方ももたずに子どもを見ることはできません。ここで重要になるのが、第2章に示されている「数学すること」の捉え方です。
第2章では、数学的能力を計算技能や正答数だけで捉えるのではなく、問題を捉え、試し、表現し、推論する活動として見る必要が示されています。子どもの行為が目の前に現れていても、教師が数学的な営みについての見方をもっていなければ、その意味を理解することは難しくなります。教師には、「数学するとはどういうことか」についての豊かな見通しが必要です。
ただし、その見通しは、子どもを分類するための固定的なチェックリストとは異なります。子どもの行為を数学的な営みとして理解するための視点であり、実際の子どもの姿に出会うなかで更新されていくものです。
数学者の時間では、テストにこだわらず、数学者ノートに残された記述や、教師や友だちとの対話など、その子が今どのように数学と関わっているのかを理解するための大切な資料にしています。特に重要なのが、個別カンファランスです。第7章では、標準テストだけに頼らず、学習活動や文脈に即して、さまざまな資料から子どもの学びを捉える必要が示されています。この考えは、数学者の時間で行っているカンファランスと深く重なりました。
カンファランスは、教師が理解度を確認し、正しい方向へ導くためだけの場ではなく、子どもと教師が、その子の考えてきた過程や今もっている問い、必要としている支援について、一緒に考える場です。教師は、すぐに答えやヒントを与えるのではなく、まずその子が何を考え、どこで立ち止まっているのかを理解しようとします。そのうえで、どのような関わりがあれば考え続けられるのかを考えます。
形成的評価も、子どもの不足を見つけて修正することだけに限られません。その子が自分の考えを続けていくために、何を必要としているのかを捉えることも含まれます。僕自身も、少しずつそのように考えられるようになってきました。そして、教師による見取りや支援は、やがて子どもの自己評価につながっていくと考えています。第8章では、評価を教師や専門家が外側から行う測定にとどめず、学習者も参加する判断や対話の営みへと開いていく方向が示されています。
自己評価とは、「できた」「できなかった」と自分を判定することよりも、自分の考えが今どこにあり、何に困り、次に何を試したいのかを、自分で捉えることだと考えています。
最初は、教師が子どもの思考に言葉かけをします。その言葉を手がかりに、子どもは少しずつ自分の思考を振り返り、自分に必要な支援を考えられるようになります。数学者ノートやカンファランスは、そのための大切な道具になっていくのです。
数学者の時間における評価では、子どもが問題や友だちと関わるなかで、どのように考え、立ち止まり、問いをつくり直しているのかを捉えたいと考えています。そのためには、教師が「数学するとはどういうことか」という見方をもちながらも、それを固定的な評価項目として当てはめず、目の前の子どもの姿から自分の見方を更新していく必要があります。
数学者ノートや対話、個別カンファランスは、その子が今どのように数学と関わっているのかを理解するための大切な資料になります。教師が思考の動きを読み取り、必要な言葉や支援を返していくことで、子どもも少しずつ、自分が何を考え、どこで立ち止まり、次に何を試したいのかを捉えられるようになるのではないかと考えています。
『真正の評価』を読むことで、これまで数学者の時間で行ってきた見取りやカンファランスを、一つの評価実践として捉え直すことができました。評価とは、学びを終わらせるための判定ではなく、子どもが自分の思考を見つめ、自分の足で考え続けていくことを支える営みなのだと思います。
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