この4月から中学校の教科書が改訂されました。どの教科書もICTに対応するような体裁になり、ディジタル教科書ではさまざまな資料につながるような工夫がされたりしています。ただ、いくら仕掛けがいろいろと埋め込まれていても、教科書をカバーする授業では、思考力を育てることは難しいでしょう。そのような授業をパワーアップしていくために、「オーディエンス」という視点から授業を見直してみてはどうでしょうか。
昨年出版された『一人一台で授業をパワーアップ!』(新評論)(以下、『パワーアップ』)の第5章にはその「オーディエンス」を取り入れた授業実践が紹介されています。
たとえば、学習活動の成果をまとめる段階で、クラス内で「発表」することがよく行われますが、『パワーアップ』では、教室の壁を取り払い、拡張することが提案されています。
具体的には、ネット上のブログ、電子出版、ビデオ会議などによって、校外の人々に公開していきます。もっともブログなどは公開の範囲を限定するなど、現実的にはいくつかの配慮事項があると思いますが、不可能なことではありません。
電子出版ではないのですが、10年以上前に、私の勤務した中学校で全校生徒が「800字の短編小説」プロジェクトに取り組んだことがありました。学年によっては、それをまとめて印刷物にして、生徒全員がお互いの作品を読むだけでなく、保護者も読者になるようにしてくれました。私もその1冊をもらいましたが、今読んでも中学生の書いたものかと思うくらい素敵な短編小説が並んでいます。ふだんは、あまり目立たない生徒も仲間や担任以外の先生からのフィードバックをもらうこともできて、その後の信頼関係の醸成にも役立ちました。「創造力を育てる」と文科省は簡単に言いますが、実際に現場でそれをやるためには、こうした地道な活動の積み上げが必要です。今は当時よりもさらに、より多様な活動ができると思います。
ところで、『メディア教育宣言』(水越伸・監訳/世界思想社/2023年)でも、「オーディエンス」の存在の重要性が語られています。「自分の制作したメディア作品をより多くのオーディエンスの前で発表し、そこからフィードバックを得て、それを考察する」(同書79ページ)という、メディア教育の欠かせないプロセスであると。
『パワーアップ』においても、学習活動の発展として、生徒が自分たちの書いたものを電子出版する事例が紹介されています。その結果、読者対象は先生だけでなく、クラスの生徒、生徒の保護者、全校生徒へと広げることができたのです。このように本物の読者を提供することは、『教科書をハックする』(新評論/2020年)でも「生徒に本気で取り組ませることになりますし、より良い作品を生み出そうと刺激することにもなります。実際の読者が設定された書く課題は、しばしば学習経験の集大成となります。」(同書195ページ)と「学ぶために書く活動」に向けて、教師ができることの一つであると説明されています。この「書く活動」の一例が理科の時間では、「科学読み物を書く」活動となります。『だれもが<科学者>になれる!』(新評論・2020年、160~161ページ)には、『自分を金だと思っていた黄鉄鉱』という絵本を制作した3人の生徒の活動が紹介されています。
また、同書には教室の外に広がる学習活動として、「子ども探究大会」の事例も掲載されています。この大会は、近隣の学校と連携して、それぞれの学校で行われた理科の探究活動の成果を発表する場として機能しています。事前の準備には、手間も時間もかかりますが、大会の帰りのバスの中では、「それぞれの生徒が、発表をしたり、ハンズオン会場で活動の手助けをしたり、聴衆として質問をしたりして、最善を尽くしつつ、イベントに貢献」(212ページ)し、満足感にあふれた笑顔の生徒たちを見ることができました。科学者たちの学会にならった発表の場で、互いに発表者とオーディエンスの両方の立場を経験したわけです。それにより、互いに学びあい、自身の探究活動をしっかりと振り返ることもできるわけです。まさに、本物の学者のように、生徒たちは「探究のサイクル」を回しています。
このような聴衆の存在が学習者の学びを深めてくれることは、社会科学の分野でも指摘されています。
「社会科学者は「聴衆の効果」と呼ばれるものを発見しました。それは、人が見ていると分かっているときに、パフォーマンスのレベルが変化するというものです。」『教育のプロが進めるイノベーション』(ジョージ・クーロス/新評論・2019年/61ページ)