2025年5月24日土曜日

教室の壁を越えていく

 

 この4月から中学校の教科書が改訂されました。どの教科書もICTに対応するような体裁になり、ディジタル教科書ではさまざまな資料につながるような工夫がされたりしています。ただ、いくら仕掛けがいろいろと埋め込まれていても、教科書をカバーする授業では、思考力を育てることは難しいでしょう。そのような授業をパワーアップしていくために、「オーディエンス」という視点から授業を見直してみてはどうでしょうか。

昨年出版された『一人一台で授業をパワーアップ!』(新評論)(以下、『パワーアップ』)の第5章にはその「オーディエンス」を取り入れた授業実践が紹介されています。

たとえば、学習活動の成果をまとめる段階で、クラス内で「発表」することがよく行われますが、『パワーアップ』では、教室の壁を取り払い、拡張することが提案されています。  

具体的には、ネット上のブログ、電子出版、ビデオ会議などによって、校外の人々に公開していきます。もっともブログなどは公開の範囲を限定するなど、現実的にはいくつかの配慮事項があると思いますが、不可能なことではありません。

電子出版ではないのですが、10年以上前に、私の勤務した中学校で全校生徒が「800字の短編小説」プロジェクトに取り組んだことがありました。学年によっては、それをまとめて印刷物にして、生徒全員がお互いの作品を読むだけでなく、保護者も読者になるようにしてくれました。私もその1冊をもらいましたが、今読んでも中学生の書いたものかと思うくらい素敵な短編小説が並んでいます。ふだんは、あまり目立たない生徒も仲間や担任以外の先生からのフィードバックをもらうこともできて、その後の信頼関係の醸成にも役立ちました。「創造力を育てる」と文科省は簡単に言いますが、実際に現場でそれをやるためには、こうした地道な活動の積み上げが必要です。今は当時よりもさらに、より多様な活動ができると思います。

ところで、『メディア教育宣言』(水越伸・監訳/世界思想社/2023)でも、「オーディエンス」の存在の重要性が語られています。「自分の制作したメディア作品をより多くのオーディエンスの前で発表し、そこからフィードバックを得て、それを考察する」(同書79ページ)という、メディア教育の欠かせないプロセスであると。

『パワーアップ』においても、学習活動の発展として、生徒が自分たちの書いたものを電子出版する事例が紹介されています。その結果、読者対象は先生だけでなく、クラスの生徒、生徒の保護者、全校生徒へと広げることができたのです。このように本物の読者を提供することは、『教科書をハックする』(新評論/2020)でも「生徒に本気で取り組ませることになりますし、より良い作品を生み出そうと刺激することにもなります。実際の読者が設定された書く課題は、しばしば学習経験の集大成となります。」(同書195ページ)と「学ぶために書く活動」に向けて、教師ができることの一つであると説明されています。この「書く活動」の一例が理科の時間では、「科学読み物を書く」活動となります。『だれもが<科学者>になれる!(新評論・2020年、160~161ページ)には、『自分を金だと思っていた黄鉄鉱』という絵本を制作した3人の生徒の活動が紹介されています。

また、同書には教室の外に広がる学習活動として、「子ども探究大会」の事例も掲載されています。この大会は、近隣の学校と連携して、それぞれの学校で行われた理科の探究活動の成果を発表する場として機能しています。事前の準備には、手間も時間もかかりますが、大会の帰りのバスの中では、「それぞれの生徒が、発表をしたり、ハンズオン会場で活動の手助けをしたり、聴衆として質問をしたりして、最善を尽くしつつ、イベントに貢献」(212ページ)し、満足感にあふれた笑顔の生徒たちを見ることができました。科学者たちの学会にならった発表の場で、互いに発表者とオーディエンスの両方の立場を経験したわけです。それにより、互いに学びあい、自身の探究活動をしっかりと振り返ることもできるわけです。まさに、本物の学者のように、生徒たちは「探究のサイクル」を回しています。

このような聴衆の存在が学習者の学びを深めてくれることは、社会科学の分野でも指摘されています。

「社会科学者は「聴衆の効果」と呼ばれるものを発見しました。それは、人が見ていると分かっているときに、パフォーマンスのレベルが変化するというものです。」『教育のプロが進めるイノベーション』(ジョージ・クーロス/新評論・2019/61ページ)

 こうしたパフォーマンスの向上により、学びは深化していきます。『パワーアップ』にも第5章の章末で、「校外のリアルな世界とつながる機会にアンテナを張ってください。」(135ページ)と生徒たちのオーディエンス拡大を提案しています。以前なら学校に来てもらうか、こちらから訪問するしかなかった「校外の専門家」とオンラインでつながることも可能です。このテクノロジーの恩恵を利用しない手はありません。多くの教室でリアルに社会とつながる学びが必要です。そのための教育方法を学ぶことは教師自身の成長にも欠くことのできないものとなるでしょう。

2025年5月18日日曜日

教師の情熱と冷静のあいだ

私は、学園ものドラマ全盛期の世代です。1960年代後半から1980年のころ。番組のタイトルには、たいてい「青春」の文字が入っていました。例えば、青春とはなんだ、これが青春だ、でっかい青春、青春をつっ走れ、泣くな青春、飛び出せ!青春、ーといった調子です。よくもまあこれだけ思いついたものだと関心しますが、当時の日本の状況がよく現れているような気がします。日本は、高度経済成長の真っ只中、明るい未来に向けて、列島全体が熱狂の中にいた。学校も青々しい若さの中で、はつらつとしていた。

私は、これらの番組のファンで、主人公である熱血教師にあこがれの気持ちを抱いていました。教員採用試験の面接なんかでは、もっともらしい志願理由を述べたと記憶していますが、今でこそ白状しますが、本音のところは、学園ドラマの主人公の先生のようになりたいと思っていたのです。

生徒たちと取っ組み合い、語り合い、情熱をもって、共に歩む、そんな教師になりたかった。

もちろん、情熱だけで何とかなるほど簡単なわけではないですが、学習者のモーチベーションに影響を与える重要な要因の一つが、「教師の情熱と学習への関わりの深さ」であるとことは多くの研究で示唆されています。★1 

生徒たちが、夢中になって学び続けるためには、教師自身が自分の仕事に夢中になって取り組み、楽しんでいる必要がある。

一方で、このような情熱に任せた、猛烈な「働き方」が、決して健全とは言えない教師の働き方を生んできたのも事実でしょう。夜遅くまで学校に残って働き続けることや土日に部活動で仕事に行くことは、教師にとって当然のことという認識は、長らく共有されてきました。多くの教員がバーンアウトで苦しみ、精神疾患も抱える教員の数も増え続けています。★2

そのような働き方から外れることは、教師としてとても居心地の悪いことだったと感じてきた人は多い。私の友人も、早い時間が職場を出るときに、罪悪感を感じると言う人はたくさんいます。また、週末の部活があるために、家族へのサービスは二の次にしてきたと忸怩たる思いを語る友人も少なくありません。利他的と言えば聞こえは良いけれど、滅私奉公的なマインドセットが当然のことのように定着していると感じます。

働き方改革は、喫緊の課題です。しかし、働き方改革の取り組みは必ずしも上手くいっているようには見えません。時短、いわゆる勤務時間を機械的に削減しても、解決しない問題であることは、分かってきました。働きがいや業務の負担感、時間不足による焦り、手抜き可能な業務との関係など、勤務時間以外の要員も考えるべきという提案は興味深いものです。★3

教師が幸福(ウエルビーンぐ)を求めることは、「甘えでもわがままでもない。その回復力と素晴らしい授業実践のための重要な鍵に他ならない。」 ★1 (p.89)こういった考え方を、もっと多くの人が示し、実践すべきではないかと思います。

仕事への情熱を持ち続けるためには、少し肩の力を抜いて、何を捨て去るべきか、冷静に考えることは必要ではなないでしょうか。今、このタイミングで、思い切って教師にとって、本当のウエルビーイングとは、何なのか、考えてみたいものです。


★1 サラ・マーサー/ゾルタン・ドルニュイ(2022)『外国語学習者のエンゲージメント』アルク.

★2 うつ病などで休職した教員 初の7000人超 過去最多 文科省調査

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20241220/k10014673801000.html

★3 露口 健司 「教員のウェルビーイングと働き方改革 —働きがいと信頼関係の観点から—」, https://ippjapan.org/archives/8386


2025年5月11日日曜日

よい教育研究とはなにか

 「最新の教え方」「うまくいくステップ」「成績が上がる手続き」——こうした言葉に私たち教員はつい惹かれてしまい、手法やノウハウに注目しすぎてしまうことがあります。新しい教材、流行のプログラム、SNSで話題の実践など、「よさそう」と感じたものを、深く考えずにすぐ試したくなる。そして、うまくいったように思えると、そのやり方がまるで正解であり真理であるかのように思い込んでしまうこともあります。

教育現場では、こうした「方法信仰」がしばしば見られます。しかし、そのとき私たちは立ち止まり、「そもそもその実践は何のために行っているのか?」という根本的な問いを忘れていないかを見直す必要があります。

オランダの教育学者ガート・ビースタは著書『よい教育研究とはなにか』の中で、教育研究を行う際には「なぜその研究を行うのか」という目的を最初に問うべきだと述べています。

教育現場で日々実践を積む教員、特に子どもの学びと成長を願う教員は、よりよい教育の実現を目指して取り組んでいます。しかし、その過程で、気づかぬうちに方法やテクニックに焦点を当てすぎてしまうことがあります。もちろん、それ自体が悪いわけではありません。ただ「正しい方法さえ見つかれば教育はうまくいく」と考えてしまうと、教育における本質的な問題と向き合う視点をつい見失いがちです。

 

ビースタは、現代の教育研究において、新しい手法やデータ分析の技術が自己目的化してしまい、研究が教育の現実や子どもとの関係から乖離してしまう危険を指摘します。だからこそ重要なのは、「どの理論が使えるか」ではなく、「その理論を使って何を目指すのか」という、目的への立ち返りです。ビースタはこう言います。

「理論を信じるのではなく、教育的目的のために理論を使え」

The point is not to believe in theory, but to use theory for educational purposes.

 

この指摘は、教育に関する専門書や研究会で見かける「信条的告白」への批判ともつながります。「私は構成主義者です」「○○メソッドを信じています」と語ることは、現実の教育課題への応答ではなく、むしろ個人的な信念の表明にとどまり、学術的な責任の所在を曖昧にしてしまうのです。

 

ビースタは、教育における研究の目的を大きく三つに分類しています。「説明(explanation)」「理解(understanding)」「解放(emancipation)」です。

 

「説明」は、教育現象の因果関係を明らかにすることを目指します。たとえば「協同学習を導入するとテストの成績が上がる」といったように、特定の取り組みと結果の関係を数量的に示す研究です。これは主に量的研究の領域に位置づけられ、教育現象を予測・制御可能なものと見なします。

 

「理解」は、教育の現場で何が起きているのかを、その場にいる人々の意味づけや視点を通して捉えようとするものです。たとえば、ある子どもが授業中に発言を控える背景を、その子の体験や教室内の関係性から読み解こうとする姿勢がこれに当たります。質的研究で重視されるアプローチです。

 

「解放」は、教育に潜む抑圧や不平等な構造を明らかにし、それを乗り越える可能性を探ることを目的とします。たとえば、ある評価制度が特定の子どもに不利に働いているとき、その構造を問い直し、より公正な在り方を模索する研究がここに含まれます。批判的教育学やアクションリサーチと深く関係しています。

 

ビースタは、こうした研究目的を方法論の違いとして単純に分けるのではなく、研究が「何のために行われるのか」という本質的な問いに基づいて区別すべきだと述べています。つまり、「どの方法を使えばうまくいくか」ではなく、「その方法は子どもにとって何をもたらすのか」と問い続けることが、教育実践において求められる姿勢なのです。

 

研究が、教育の意味を問う営みとして行われるとき、そこには「教育的な負(ネガティブな課題)が投げ返される場」が生まれます。それは、他者に対して「私はなぜこれを行うのか」と説明責任を持つことであり、教育という営みに公共性を与える行為でもあります。

 

「私はこう信じているからこうする」ではなく、「教育の場としてこれはどうあるべきか」を共に考える。その共有可能な問いの存在こそが、教育研究の価値と信頼性を支えているのです。

 

2025年5月4日日曜日

続・今年度の残り11か月で、あなたが伸ばしたい授業力は?

  姉妹ブログのhttps://wwletter.blogspot.com/2025/05/blog-post.html で、2日前に教室にいるほとんどの生徒が興味をもって、しかも身につく形で取り組んでもらえる教師の授業力を延ばすための枠組みを提供しました。図の2段目と4段目をしっかり理解・把握しながら、3段目の「内容」「方法」(詳しくは、5段目)「成果物」「感情/環境」の持ち駒を一つでも増やしていくことが、教科書をカバーして終わりの(つまり、教師は教えたと言えても、多くの生徒は学べていない/身につくものが少ない)授業を脱する鍵です。

 先のブログのなかでは、「内容」と「方法」については触れましたが、「成果物」と「感情/環境」についてはノータッチでしたので、ここで扱わせていただきます。

 

◆成果物=評価

 3段目の「成果物」には「生徒が知識を得たり、理解したり、できるようになったことをどのように示すか★」と書かれています。これまで、評価の主な方法はテスト/試験でしたが、欧米では30年以上前から、「もう、それではまずい!」という人が教育界のなかで増え始め、オーセンティックな評価(従来の「偽物」であるテスト/試験に代わる「本物」の評価という捉え方です!★)を志向し始めました。同時に同じころに、従来からの「教えた結果ないし学んだ結果としての評価」=総括的評価=成績よりも、2段目の「教えることと学ぶことにいかすための評価」=形成的評価をより重視する方向に舵を切り始めました。

 少しタイミングは遅れますが(約25年前)、日本でも文部科学省が「指導と評価の一体化」を言い始めました。しかし、残念ながら、いまだにその実態が日本の教育現場で見られるようにはなっていません。そもそも「指導と評価を一体化」を言い始めた人たちも、その中身をどれだけ理解していたのかは疑問なぐらいです(し、そのことはいまだに続いているとさえ言えます。それは、この次に触れるように教え方・学び方の転換がない(極めて遅い)ことに起因する部分が大きくありますし、すべては「入試」が左右しているということにも!)。

 さらには、ライティングとリーディング・ワークショップ(や、その他教科への応用)およびPBL(プロジェクト学習とプロブレム学習)に代表される教え方・学び方の転換もあり、それらの評価は従来のテスト/試験にはなじまないという状況も生み出していました。

評価から授業を変えるための本には、次のようなものがありますので、ぜひ参考にしてください。

・『聞くことから始めよう!~やる気を引き出し、意欲を高める評価』マイロン・デューク著、さくら社、2023年

・『成績だけが評価じゃない~感情と社会性を育む(SELための評価)スター・サックシュタイン著、新評論、2023年

・『成績をハックする』スター・サックシュタイン著、新評論、2018年

・『一人ひとりをいかす評価』キャロル・トムリンソンほか著、北大路書房、2018年

・『教科書をハックする』リリア・コセット・レント著、新評論、2020年

・『「考える力」はこうしてつける』増補版、ジェニ・ウィルソンほか著、新評論、2018年

・『私にも言いたいことがあります!』デイヴィッド・ブース著、新評論、2021年

・『挫折ポイント』アダム・チェインバーリンほか著、新評論、2021年

・『ピア・フィードバック』スター・サックシュタイン著、新評論、2021年

・『あなたの授業力はどのくらい?』ジェフ・マーシャル著、教育開発研究所、2022年

・『歴史をする~生徒をいかす教え方・学び方とその評価』リンダ・レヴィスティックほか著、新評論、2021年

 

◆感情/環境

 これは、https://wwletter.blogspot.com/2025/05/blog-post.html にある図の2段目の「学習を促し支援する環境」と同じで、『ようこそ、一人ひとりをいかす教室へ』の第4章「健全な教室環境の特徴」に、次の項目で詳しく書かれているので、興味をもたれた方を是非覗いてみてください。

1 教師は生徒一人ひとりを個人として理解する

2 教師は、生徒をまるごと捉えて教える。

3 教師がいつも自分の専門的な知見を広げようとしている

4 教師は生徒とさまざまな概念を関連づける

5 楽しい学びにしようと教師が一生懸命努力する

6 教師が高い期待を設定する-そして多くの階段(ルート)を提供する

7 教師は、生徒がいろいろな概念を自分なりに理解する手助けをする

8 教える営みを生徒と共有する

9 教師が生徒の自立を促す

10 教師が前向きな教室運営をする

ここでは、年度が始まってまだ1か月ということで、生徒全員が居場所意識をもてる教室環境に焦点を当てます。

学校を考えたとき、居場所意識は「人々がその空間で起こることに対して自分のオウナーシップ(所有感)をもっているとき」に生まれるものです。居場所意識とは、ある人が自分の声がいかされると感じ、自分にエージェンシー(主体性)があり、その空間に自分がいなければ何かが欠けていると感じることを意味します。

あなたが自分のことを考えると、きっと強い居場所意識があることでしょう。なぜなら、教室で起こることに対してエージェンシーをもっており、自分の考えはそのままいかされ、自分がその空間に与える影響を信じているからです。もし特定の日に自分が学校にいなければ、そのことに気づき、空虚さを感じる人々がいると思っていることでしょう。

 今度は、あなたのクラスの生徒たちについて考えてみてください。生徒は居場所意識を感じているでしょうか? どうすればそれがわかるでしょうか?

クラス(あるいは、あなた)が生徒たちに居場所を感じさせるとき、私たちが目にし、耳にし、心で感じられるものにはどんなものがあるでしょうか?

 生徒と一言でいっても、いろいろな生徒がいるので、居場所意識をもっている生徒からそうでない(希薄な)生徒まで多様かと思います。後者の生徒には、どのような手を打っていますか?

 すべての生徒に居場所を意識をもってもらうのに、上で示した「健全な教室環境の特徴」の10項目をほとんど押さえる形で授業展開を紹介している『ようこそ、一人ひとりをいかす教室へ』以外の2冊の本を紹介します。以下のURL目次が見られますので、確認してください。

https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784794812247

https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784794812384

 

★日本では依然として評価といえばテスト/試験しか存在しないというぐらいに君臨し続けているのに、欧米では(すでに、20年以上前から)、どうして「偽物」のレッテルを貼られてしまったのでしょうか? それは、成果物の定義にある「生徒が知識を得たり、理解したり、できるようになったことをどのように示すか」と深く関係しています。テスト/試験でせいぜい測れるのは、ブルームの思考の6段階(記憶、理解、応用、分析、評価、創造)でいうと、記憶(覚える、暗記)+理解の一部ぐらい★★なのです。それ以上の応用、分析、評価、創造は、テスト/試験ではほぼ不可能です。プロジェクトを自分で考えて創り出したり、あるいはポートフォリオやパフォーマンスなどの形で示せないと、自分ができるようになったことを他人が受け入れてくれる形で伝えるのは困難です。

 学校に蔓延している歪んだ平等意識を払しょくすることの模索が盛んに行われていることも背景にあります。https://projectbetterschool.blogspot.com/search?q=%E5%B9%B3%E7%AD%89

や下のイラストのように。

★★理解の全部ではなく、一部としたのは、『理解をもたらすカリキュラム設計』(グラント・ウィギンズほか著、日本標準、2012年)と、『理解するってどういうこと?』(エリン・キーン著、新曜社、2014年)を読んでいただくと(「理解」の奥深さを)納得していただけます。