2020年1月19日日曜日

深い学び 再考


 「深い学び」については、https://projectbetterschool.blogspot.com/2017/03/blog-post_19.htmlで触れています。しかし、すでに形骸化してしまったというか、「不変と流行」の流行として洗い流されてしまったのでしょうか?★ 学校現場でその言葉自体聞くことはあるでしょうか? 先生たちは、日々の実践でどれほど意識しているでしょうか?

「主体的、対話的で深い学び」は、このブログが始まったときから、その言葉はあえて使っていませんが、中心テーマの一つであり続けています。
たとえば、先週の「PLC便り」も、それを見事に実践している授業の紹介でした。
そして、「主体的、対話的で深い学び」が起こっている時に、教師がしていることと生徒がしていることの違いを明確にしています。(教科書中心の一斉授業との対比で。)

 これらを別な言葉でいうと、生徒たちがオウナーシップをもった授業であり、エンパワーする授業です。(両方とも、カタカタですみません! 概念自体が、日本の教育では乏しいので、いい日本語にまだなりません。)
 「オウナーシップ」は、「自分のものと思えること」です。「主役意識がもてること」です。「エンパワー」は「力を与える」や「権限を委譲する」と訳されることが多いのですが、「人間のもつ本来の能力を最大限にまで引き出す」ことです。

 これら2つについて言及している資料を二つ紹介します。
 一つは、いま訳していて3月に発売予定の『あなたの授業が子どもと世界を変える ― エンパワーメントのチカラ(仮題)』の中に描かれている図(76~77ページ)です。(たまたま、ゲラ校正をしているのでコピーできました!)

 あなたは、図に納得したでしょうか?
 数学教師の井本さんの授業には、最初の「選択」はありませんでした。井本さんが提示した「良問」を解くことしか、生徒たちは許されていませんでした。しかし、みごとなぐらいに、「オウナーシップ」はもっていましたし、「エンパワー」されていましたし、「深い学び」をつくり出していました。
 しかし、教師の役割は、常に良問を提示することでいいのでしょうか?
 あなたは、他にどのような質問や疑問をもたれましたか?
 図に示されている順番には、納得できますか?

 もう一つは、このブログでだいぶ前に紹介している絵本の『てん』から私が導き出した(というよりも、『エンパワーメントの鍵』で紹介されていた)図です。
 その図も、カタカナばかりですみません。
 このサイクルを回すことによって、人がどんどんエンパワーされることは理解できると思います。
 さらには、最初は「クリティカルな問いかけ」は教師からされるわけですが、サイクルを回し続ける(練習する)ことによって、徐々に自分で(ないしは、クラスメイト相互に)問いかけられるようにもなります。

 教師ないし教材が主役の授業から、生徒たちが主役の授業にはやく転換しないと、いつまでたっても正解におどおどする生徒たちを拡大再生産するだけです。(後者の「生徒たちが主役の授業」が、「主体的・対話的で、深い学び」の中身だと思うのですが、言い始めた人たちはそのことを理解していたでしょうか?)

★ 文科省のすることは、宿命的にそういうところがあります。しっかり普及・定着させるノウハウをもっていないので。もちろん、それは本気度も問われます。自分たちはアドバルーンを上げるのが役目、と考えている節が多分にあります。また、責任者がいないという大きな問題も。言い出した人たちは、数年でどこかに異動してしまいますから。そういえば学校(特に管理職)の人事もそうでした。
少なくとも、文科省や教育委員会が上で書いたようなエンパワーする組織になっていないことは確かです。それをモデルとして示すことが一番大切なのに、そんなことは頭のどこにもありません。そして、エンパワーの真逆の「従順、服従、忖度」をまき散らす組織になっています。困ったものです。学校や授業は大丈夫ですか?

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