先日、内田樹さんのブログに「外国語教育について」★という、刺激的かつ、示唆的なエントリーがありました。なんのために外国語を学ぶのか。外国語を学ぶということは、その国の文化やあこがれを学ぶためで、外国語そのものは言語的な道具でしかないことを説かれています。あこがれの英米文化をのぞいてみたく、ビートルズの曲の意味を知りたい、英米文学を読みたいと英語を学習していた。しかしこれは、1960年代での話。今は、英語圏は世界語として、個々人がよりいい就職を人よりいい地位を獲得するためのキャリアパスの道具となってしまい、生活を豊かにするための経済指標の言語になりさがってしまっています。
これと同じ事が、今の日本の算数・数学についても起こっています。
算数・数学とは、できるだけ多くの公式・やり方を覚えて、できるだけ素早く、いつでも使えるようにするもの(多くの公式は生活の中ではほぼ使われないものと誰もが知っているにもかかわらず!)。それは受験のための準備学習に利用され、さらに悪いことに、算数・数学のそのテストや成績によってその後の就職や採用のパスポートとしても使われてしまっています。このような算数・数学の現状にあなたはわくわくしていますか? なによりも生徒たちはわくわくして学んでいますか? これでは、学習者の好奇心を失わせ、算数・数学の世界に潜んでいるパターンや美しさを見つけ出そうとする意欲をそごうとしていることにしかみえません。
それではなんのために算数・数学を学ぶのでしょうか? その本質とはなんなのでしょうか? 感動した映画を観るように、コンサートに行って音楽にうっとりするように、算数・数学には芸術のような美しさがあります。それは、算数・数学がアートだからです。その美しさのパターンを見つけることにもあります。
“走る前に歩けるようにならないといけないですよね。ちがう。あなたが走って行きたくなる何かが必要なんです。”ポール・ロックハート『算数・数学はアートだ』P60より★★
子どもが走り出そうとするときは、どんなときでしょうか? 歩けるようになったから、その次のステップとして走り出すようになるのでしょうか? もちろん、走るためには、その基本的な技術である歩く練習が必要です。しかし、ちがいます。子どもたちは、走る楽しさやその先にある観たい世界やあこがれがあるからではないでしょうか? そこではじめて、走り出したい気持ちに駆られるのではないでしょうか? それを味わうことなくしては、走ることに全く意味はありません。では、算数・数学では、走り出したくなるような、わくわくした喜びや楽しみを、味わわせていますか?
学校で学ぶ算数・数学では、基礎・基本を徹底して学習します。まるで歩き方を徹底して教えるかのように。系統的に仕組まれた教科書を使うことで、あたかも算数・数学の世界を理解させてくれるような錯覚に陥ります。算数・数学だけは、どうもすべてのカリキュラムが系統的に完成されているように理解されていると誤解されています。しかし、未だに、新しい発見や証明が提出されているのも事実であり、まだ途中のプロセスの中にあります。
例えば、図工や美術の授業を想像してください。絵の具の使い方、筆の使い方、順番に色塗りをしていけば一見、「美しい絵」が仕上げられます。しかし、教師により一方的に指示されて定型で仕上がった作品になんの意味があるのでしょうか? また、真っ白なキャンバスに自由に絵を書けるのはいつ来るのでしょうか? あれもこれも教えることで、そこには、楽しむプロセスや創造的なプロセスが抜け落ちてしまっています。
現状の算数・数学を全て否定しているわけではありません。身につけることと、その本質である美しさや楽しさを学ぶバランスを失ってしまっていることを指摘しているんです。純粋に算数・数学を楽しむ時間を、平行してもつのはいかがですか? 現在、「数学者の時間」として、作家の時間、読書家の時間に続き、試行錯誤している教師たちのプロジェクトが進んでいます。そこでは、単元末の発展的な学習として、算数をアートすること。または、通常の算数・数学の時間と平行して、年間通して算数・数学の楽しさに触れられる時間を進めています。
最近では、円と三角形を使った算数アートをする時間がありました。自分のオリジナルコンパスをつくりながら、円の性質について試行錯誤を通して理解していく。さらに、その道具を使いながら、円と三角形のサーと作品をつくってみる。子どもたちは驚くほど集中してものづくりにはげみます。そこに描かれているのは、自分だけのオリジナルな算数・数学の世界が展開されているからです。いつもは算数が苦手な子どももこのときばかりは夢中になります。
このような取り組みは、単元末のわずかな時間をテストで点を稼ぐための習熟の時間にあててしまうことよりも、算数数学好きや、その世界への好奇心をずっと育てられると思いませんか? 「できる」ためを目指した算数・数学は、その学問的視野を狭め、先にある広大は景色をせばめてしまいます。難問に「うーん」と脳みそに汗をかいて、もがきながら考え続ける。そういうすぐには解けない問題だからこそ、楽しみながら、その算数・数学の世界のもつパターンを発見したとき、その美しさに魅了され、考えることに向き合い続ける力が育っていくのではないでしょうか?
PLC便りには、教科書では学べない「数学的思考」についても連載してきました。
・算数・数学がキライな人にすすめたい「考える楽しさ」をあじわえる1冊 https://projectbetterschool.blogspot.com/2019/02/blog-post_9.html
・数学的思考はたった二つ。それは、試す「特殊化」と確かめる「一般化」 https://projectbetterschool.blogspot.com/2019/03/blog-post_10.html
・一律同時の問題解決型算数授業はまぼろし!? 数学的予想を考える
https://projectbetterschool.blogspot.com/2019/04/blog-post_14.html
このような試行錯誤が、カチコチに固まってしまった算数・数学への誤解に、風穴を開けてくれるはずです。算数・数学をアートしたり、数学的思考を高めたりするための授業実践している方がいらしたら、pro.workshop@gmail.comまで、ぜひ教えてください。
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内田樹「外国語教育」
http://blog.tatsuru.com/2019/05/31_0824.html
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ポールロックハート著・吉田新一郎訳『算数・数学はアートだ!』
算数・数学の固まった物の見方を変えるためにも、おすすめの一冊です。算数・数学への私たちのカチコチなうがった世界観を一歩、外から眺める視座をあたえてくれるはずです。覚える・できる算数から、アートする算数へバランスをとってみませんか?
あとがきに “何が解決をもたらすのか、自分自身で学ぶしかありません。そのことは、本のなかでかなりはっきりかいたつもりですが…P169”とあります。私たちには、まだ自分の頭で考えて、教育をよりよくしていこうとするチャンスは残されているはずです。思考停止してしまったら悪行の数々を代々と引き受けることとなってしまいます。私たちにできることはなんですか?
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