2019年3月24日日曜日

「教科書を教える」は、誰にとってもよくない!


直近のPLC便りRW/WW便りの両方で、「教科書は神様」(カリキュラムの捉え方)についての記事を書きました。しかし、「教科書を教える」ことに満足感が得られない/疑問に思っている教師は多くいます。
単に教科書をカバーするだけの退屈で誰も受けたいとは思えない授業ではなくて、生徒たちはもちろん、教師もワクワクできる授業をしたいと思っている授業をしたいからです。それは、教師も自立する授業であり、教師の仕事をクリエイティブなものにする授業でもあります。(さらには、隠れたカリキュラム★としての「従順、服従、忖度」などから脱する授業です!)
そのような授業をつくり出し、実践するための具体的な情報が詰まっている本が、先週15日に発売が開始された『シンプルな方法で学校は変わる』なので、まだ読まれていない方はぜひ参考にしてください。

 この本は、「教科書を教える(カリキュラムの捉え方)」問題に特化しているわけではありませんが、現場の教師にとっては大きな問題なので、この点に即して紹介します。
 まず何よりも、文科省が求める「主体的・対話的で深い学び(アクティブ・. ラーニング)」★★を授業で実践するための具体的な事例が多様に紹介されています。それらは、「生徒たちはもちろん、教師もワクワクできる授業であり、教師がクリエイティブになれる授業」です。しかも、「これをしなければならならない」という形ではなくて、「自分はこれならやりたい/やれる」と思えるものを選べる形で提供されています。そしてそれらの方法はすべて、「学びの原則」をおさえた授業であることが明らかにされています(102~104ページ)。
 具体的に紹介されているのは、チーム学習(=協同/協働学習)、テーマワーク(=プロジェクト学習、PBL)、ワークショップ、マルチ能力、思考法を核にした教え方、異学年の学び合い、本当の仕事を使った学習、インターンシップ(=サービス・ラーニング)、授業の展開の前に評価の方法や基準を考える「逆さまデザイン」などです。(他の章は、平均30ページなのに対して、この章のみ約倍のページ数で手厚く紹介しています。)

 以上の教科書を教える/カリキュラムに関連する内容以外に、学校をよくしていくための多様なアプローチが紹介されています。たとえば、
・「指導と評価の一体化」も文科省は2000年前後に唱え始めましたが、残念ながら唱え始めた人たちも、多くの教師も具体的にどうすればそれが実現されるのか分からない状態が続いていますが、実現するための方法を選択できる形で紹介されています。
・教師はすでに十分に忙しすぎます(もちろん、忙しさの質を改善する余地はいくらでもありますが!)。教育の当事者である子どもたち当人や、子どもたちの教育に対して一番の責任をもっている保護者に、もっと活躍してもらう方法もたくさん紹介されています。
・学校/教育にまつわる制度・仕組み・ハードは、https://youtu.be/TPYYOJFwfw8?t=4
を見ていただければ明快なように、長年変わっていません。これは、教育システムがその主役であるはずの子どもたちをいったいどう捉えているかが反映されています。規則、教室というスペース、時間割、図書室を含めて何を情報源として学び★★★、学んだことをどう発信したり表現したりするのか等についても、提案されています。図書室も含めた情報源に関しては、このインターネットの時代に、いまだに教科書のみに限定しては、21世紀を生きる子どもたちのために教育を行っているとは言えません!
そして何よりも、
・教師が学び続けるための仕組みや方法です。「学び手中心ないし主体の学校や授業づくり」と言ったときに欠かせないのは、楽しく学び続ける存在としての教師だからです。これまでの研修・研究の枠から解放されることが求められています! それこそが本ブログのテーマであり、教師が継続的に学んでいれば、「教科書を教える」問題は起こり得るはずもありません! 学び続けている教師は教科書をカバーする授業で満足できませんから。


★隠れたカリキュラムも含めて、カリキュラムについての捉え方および作り方について興味のある方は、いい学校や教室や授業のつくり方を書いている『いい学校の選び方』(中公新書)の126~155ページが参考になります。
★★この言葉は2012年に文科省が使い始めたとされています。この本の初版はその5年前に出版されています。しかも、その後に起きた「アクティブ・ラーニング」ブームでは、この本で大事にされている点の多くが理解されないまま(ということは、実践されないまま)の状態が続いています。その理由のかなりの部分は「学びの原則」を無視し続けていることによります。
★★★「しかし、教科書をカバーし、その中にあることをひたすら暗記し続けるのか、それとも、子どもたちが興味・関心の持てる「本物」や自分が選んだ学習材を使って学ぶのかでは、身につくものが確実に違ってしまうのではないでしょうか。教科書は、あくまでも結果的にカバーされるべき内容の「一つの案」が書き記されているだけです。それにこだわる必要性はどこにもありません。おさえるべきは指導要領であって、教科書ではないのですから。文部科学省や教育委員会は、はっきりそのことを教師や親に伝えるべきです。曖昧な状態が続いているので、「基礎・基本」の名の下に、退屈でおもしろくない、テストが終わったらほとんどすべてを忘れる授業を続けざるを得ない状況が続いています。それは、教師にとっても、生徒たちにとっても、社会全体にとっても不幸なことです。費やしている時間のほとんどが無に帰すのですから。それは、教科書中心の授業が続く限りは約束されています。教科書とは、所詮そのレベルのものでしかありません。」(『シンプルな方法で学校は変わる』の「図書室を学びの基点に」239~240ページより)

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