生徒たちには同じ教材を使って、同じことを教えないと、不公平である、という価値観が教師には根強くあります。これは、一つの教室内でも、学年でも存在します。
この辺について、ある先生の言葉を借りると、次のようになります。「クラスごとに違う課題は出せないし、クラス内のグループで違うこともやれないという状況があります。」
いったい、平等に扱うとはどういうことなのでしょうか?
まったく同じものを教えて、出た結果(つまり、生徒がつくり出した点数)が違った場合は、それは生徒の責任なので、教師は公平かつ平等に扱ったと言えるのでしょうか?
私たちは、テストや成績の正規分布(ベルカーブ)を受け入れてしまっていいのでしょうか?
学習の目標を掲げ、それに応じた評価規準も設定し、授業をした結果、それらを得られていない生徒(点数的に低い生徒)がいた場合、それでも教師は生徒たちを公平かつ平等に扱っていたと言えるのでしょうか?
それとも、学習目標(と評価規準)を達成させるように、教え方や扱う教材を変えたりすることが、教師が公平かつ平等に生徒を扱うことでしょうか?
『ようこそ、一人ひとりをいかす教室へ』は、たくさんの参考になることを提示してくれている本ですが、そのもっとも顕著なものの一つは確実に、この公平・平等観に関するものです。
すべての教師は、子どもたちは異なるレディネス、興味関心、学習スタイルをもって教室にやってくることを知っています。
しかし、教える際にはそれらの違いは無視されがちです。あたかも、みんな同じところからスタートし、同じ興味関心をもって、同じ教え方に合わせた学び方をもっているという前提にすり替わってしまいます。★ それは、いいことなのでしょうか? 誰にとって、いいことなのでしょうか? 教えやすい教師にとってでしょうか? それも教科書をカバーする形の一斉授業という方法で。
違うことを認めたところからスタートしないで、公平と平等は達成できるのでしょうか?
以上のことについては、『ようこそ、一人ひとりをいかす教室へ』の、特には第3章に書かれていますのでご覧ください(もう一度読み直してください)。
日本の教育界に充満しているゆがんだ「平等意識」は、教え方として教科書をカバーするアプローチが唯一ベストのものなんだという誤った方法に固執してしまうことにもつながっています。
そして、それは、常に学び続けていないといけない教師から、学ぶことを奪い去ることにまで発展しています。
日本の出版界では長年語られ続けていることの一つに、「教師ほど本を読まない人種はいない」というのがあります。教師向けの本は、企画としてもっとも成立しにくいのです。売れないことがわかっていますから。
なぜ、教師は本を読まないか?
いろいろな理由はあります。忙しいから、というのもあります。確かに、やらなくてもいい仕事をたくさんやらされていますから、多忙です。しかし、同じように忙しいビジネスマンたちは、結構読んでいます。ビジネス書は売れます。新しい知識やノウハウを注入し続けることは、ビジネスマンにとっては成功するか失敗するかの分かれ目ですから、たとえ忙しくても、読み続けるのでしょう。
それに対して、教師にはその切実感はありません。何といっても、教科書をカバーしていれば、それでいいのですから。本を読む必然性が、どこにもないのです。
ということで、なんと、ゆがんだ「平等意識」は、教科書をカバーする教え方をはびこらせ、結果的には本を読むことを含めて学び続けることのできない教師までうみ出しているという構造になっています。見事と言わざるを得ない悪循環の出発点に、ゆがんだ「平等意識」があるのですから、とても恐ろしいです。
この悪循環を断つには、必ずしもゆがんだ「平等意識」を改めるところからスタートする必要はありません。(それが、教育界の文化ないし、日本の文化といえる状況ですから、容易なことではありません!)教科書をカバーする授業から抜け出すところからでも(『ようこそ、一人ひとりをいかす教室へ』には、そのためのアイディアが満載です。別に「教科書を無視しろ」と言っているのではありません! あくまでも、いろいろな教材の一つという扱いです!)、本を読むことも含めて、日本の教育界ではなかなか入手できない情報を入手することからスタートすることもできます。
その一つとして、『ようこそ、一人ひとりをいかす教室へ』の内容紹介ばかりになりましたので、少し経路の違う情報の紹介を。
http://projectbetterschool.blogspot.jp/2017/03/blog-post_19.html で紹介した3番目の本が、今週出ます。『PBL 学びの可能性をひらく授業づくり』L.トープ & S.セージ (著)です。http://www.hanmoto.com/bd/ isbn/9784762829925
★ この例外が、少人数能力別のクラス編成と言えるかもしれませんが、これで公平と平等が達成できるかというと、それは無理です。少人数能力別クラス編成の問題点については第3章に明記されています。これを導入している学校や教育委員会は、できるだけ早くやめるべきです! 子どもたちのためにはもちろん、教師のためにも。(この教え方も、教師の教え方を改善することはありませんから。)
この教え方は、子どものことは知らなくても/人間関係ができていなくても、教える内容さえ知っていれば、教えられるという前提にも立っています。この前提自体、成り立つでしょうか?
この教え方は、子どものことは知らなくても/人間関係ができていなくても、教える内容さえ知っていれば、教えられるという前提にも立っています。この前提自体、成り立つでしょうか?
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