2017年8月20日日曜日

「忙しい」は「達成感/充実感」をもたらしてくれるか?


 忙しいことは、一般的にはいいことと捉えられています。(少なくとも、悪いこととは捉えられていません。)
 私たちの日常的な挨拶で「忙しい?」は頻繁に使われ、それを当然視しており、「いや、暇です」と答える人にお目にかかったことがありません。
 しかし、
「忙しいだけで満足してはいけない。大切なのは「何で忙しいか」だ。」
      ヘンリー・デイヴィッド・ソロー★

日々の忙しさに流されるだけだと、なかなか達成感や充実感は味わえません。

時には、「なぜ」の質問を自問することが大切です。
・なぜ、教師になったのか?
・なぜ、この仕事をしているのか?
・なぜ、小学校(中学校・高校・大学・・・)教育に価値があるのか?
・なぜ、自分の授業には意味があるのか?

同時に、習慣的にしていることを問うことも大切です。(達成感を味わうためにも。)
習慣は、それなりに価値があるから習慣であるわけです。しかし、時と共にその価値も変わり、習慣にも変化が求められたり、場合によっては習慣を葬り去ったりする必要すらあります。★★

これは、個々人がすることも大切ですが、教員集団として取り組むことも大切です。
単に忙しいだけであり続けないために。
自分たちがなぜ忙しいのかを確認するために。

職業柄(というか、単に習慣として?)「いいえ」とは返事できない状況に置かれているのが教師という仕事かもしれません。(こじつけも含めて)子どもたちの学びに寄与すると言われたら、否定しづらいですから。しかし、すべてを受け入れていては、本来力を入れてしっかりやりたいことも、おろそかになってしまいます(というか、いい加減にやらざるを得なくなってしまいます)。それは、避けなければなりません。

要するには、忙しい状態というのは、言葉を換えて言うと、優先順位をもたない(=自分をもたない/思考停止)状態、と言えるかもしれません。その状態で、よい教育を提供することは可能でしょうか?

限られた時間の中で生きているので、何を大切にしたいかの優先順位を明確にしないと、「何でもするけど、何もしていない」状況に陥ってしまいます。(というか、すでに陥っています。)
そうではなく、「すべてはやらないけれども、いくつかは確実にやる」方が大切だということです。

あなたは何をもって記憶されたいですか? 「頼まれたことは断らずに、何でもやる人」ですか? それとも、「自分の大切なものを確実にやる人」ですか?
その違いは、自分の価値や優先順位をもっているか否か、です。

「忙しい、忙しい」とばかり言わないで(結果的に、何に取り組んでいるかや、何を達成できたかの説明もままならない状態を続けるのではなく)、「意味があり、建設的なことに取り組んでいる」日々を送りたいものです。

やりたいことをしている人は、「忙しい」とは言いません。(したいことができているのですから、忙しいはずがありません!)

今回のテーマにピッタリの本があります。それは、『好奇心のパワー』(キャシー・タバナー他著、新評論)です。本全部が役立ちますが、あえて言えば、特に第5章と第6章です。
私たちは、図3から図4に移行しなければなりません。
まだ、秋学期があまり忙しくならない前に、ぜひ読んで、自分の「価値観を明らかにし、確認」したり、自分の「望みを理解」したり、自分の「望みと価値観を支援する限度を設定」したりしてください。これらができないと、図3が続くことが約束されますから。




★ 今回は、このヘンリー・デイヴィッド・ソローの引用から、すべてが始まりました。これは、いま翻訳を進めているナンシー・アトウェルのIn the Middleの第4章の冒頭で使われていました。In the Middleの内容については、http://wwletter.blogspot.jp/search?q=in+the+middleで度々紹介しています。





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