2013年9月1日日曜日

教育の方向性


「自己責任」という言葉は、しばらく前の小泉政権時代から目立つようになった「新自由主義」によって、さまざまな局面で使用されるようになってきた。

 今、大学生の就職難が社会問題化しているが、これなどもしばらく前は、「ニート」とか「引きこもり」とか言われて、若者がすべて悪いような言われ方がなされていた。
 

 しかし、最近の「ブラック企業」に関するニュースを見ていると、どうも若者がふがいないというよりも、若年労働者を過労死寸前まで働かせる、一部の経営者のあり方にこそ問題があることがわかってきたように思う。

 新興のIT企業や飲食業においては、月の残業時間が200時間という信じられないレベルまで働かせているところがある。これではまともな生活ができるはずがない。
 

 また、年間数百名を大量に採用しているIT企業では、使える人間だけを選別するために、わざとパワハラを行い、精神的なダメージを与えて、自分から退職していくように仕向けていると言う。しかも、年々そのやり方が巧妙になって、「カウンセリング」といういかにも本人のためになるかのような仕組みを利用して、精神的に追い詰めていくそうである。しかも、今の仕事のことだけでなく、その人の生い立ちから、成長過程の話まで持ち出して、「だからお前はだめなんだ」という言い方をしていく。ひどい話である。しかし、こういうやり方で追い詰められていくと、今の若者は「自分が一番悪い」と自己反省して、自分からやめていく人が大半だそうである。
 

 今をときめく、アパレル関係のグローバル企業も実はブラック企業の一つと言われている。この会社には、名だたる大学から優秀な若者が入社してくるそうだが、かなりの割合で辞めていくそうである。(入社して3年以内に50%が離職)
 新入社員は、各店舗に配属されて、そこでまず会社のマニュアルを書き写すことを命じられるそうだ。今どき、手書きでなくてもコピーを取れば済む話なのだが、わざわざ手間のかかることをさせるのは、それで本人の会社への忠誠心を見るのだそうである。会社の言うことを聞く人間かどうかをそこでまず判別するわけである。要は会社の言うことを聞く人間だけが生き残れるということらしい。これがグローバル企業を標榜する会社である。「グローバル」とは何ぞやという話である。
 

 ここで、考えさせられるのは、わが国の学習指導要領である。最近の話題は、道徳教育の教科化、英語指導へのテコ入れ等々と、要するに、これから世界を相手に戦う忠実な会社人間を育成するのが、この国の教育の方向性らしい。

 そう言えば、数日前に、今年度の「全国学力・学習状況調査」の結果が報道されていた。

 各都道府県では、相も変わらず、全国平均より上だとか、下だとか。こんなもので学力向上のアカウンタビリティを果たしているつもりなのだろうか。
 

 こんなことを考えているときに、「理解する」ということについて考える機会があった。

やはり教育とは奥深いものだし、こんなやり方があるのかと初めて気づかされることがたくさんあった。やはり教育に関する「いい情報」がこの国には絶対的に不足している。

かつて、吉田さんが欧米との比は、1001と言ったことは現在でもそのまま続いているし、さらに格差は広がっているようにも思える。

微々たる力ではあるが、人のつながりを活かして、前に進むしかない。

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