2013年7月21日日曜日

評価と学び、評価と指導

1) テストの点数や通知表の記号や短い文章で、子どもたちがよりよく学べると思っている教師はどのくらいの割合でいると思われますか?
2) テストの点数や通知表の記号や短い文章で、自分の教え方が改善すると思っている教師はどのくらいの割合でいると思われますか?
について10人強の先生方に尋ねてみました。

 約半分の人たちの回答は、
1)が、8~9割。
2)が、9割くらい、9割以上 が多かったです。

 私がこの質問を出した時に考えていた数字は、1)が95%で、2)が98%でした。これは、実質的な数字ではなくて、そう思い込んでいる教師がどれくらいいるだろうか、という数字です。

 しかし、数字で答えない人たちが、半分近くいました。
 理由は、「こういう質問・疑問自体をもたない教師が圧倒的だから」や、「やりたくもないのにやらされてやっているのが評価だから」でした。
 これには、1)も2)も、1割ないし0割と答えた人も含まれます。


 いずれにしても、テストの点数や通知表の記号や短い文章で、子どもたちの学びも教師の教え方も改善しません。(従って、実質的な数字は限りになくゼロです。)理由は、単純に「時すでに遅し」だからです。テストの点数や通知表を渡した後で改善する時間はありません。それが総括的評価の宿命です。変えたいと思うなら、形成的評価しかありません。


 あなたは、子どもたちの学びも教師の教え方も改善するために、どんな形成的評価を実施していますか? それともまだ実施していませんか?(前者なら、どんなことをすでにしていますか? 後者なら、形成的評価の実施に興味がもてますか?)


 ちなみに、教員研修に丸ごと欠けているのも、この形成的評価です。従って、教員研修としてやっていることは過去何十年も変わっていません。授業と同じように。両者は、イコールの関係にあります。ちなみに、会議も同じです。さらには組織としての学校や大学や教育委員会までも同じです。
 ある学校の授業か会議か研修を見れば、他のものがどんなレベルか、そしてその組織がどんな組織かはすぐにわかってしまいます。


 その意味でも、7月7日に紹介している「いい授業」や「いい学校」のイメージはとても重要です。それらがないということは、いま持っている悪いイメージをやり続けるしか選択肢がないことを意味しますから。★


 ★ 今日、やらされる「悪い選挙」や、その結果生まれる「役に立たない政治家」や「役に立たない議会」とまったく同じです。ちなみに、テストと「悪い授業」と、「悪い選挙」「役に立たない政治家」「役に立たない議会」は、莫大な税金を費やしているという点でも同じです。両者は、根っこの部分でつながっていると思えませんか?


    <メルマガからの続き>


追伸: 前回の記事の英語の部分は、どんな人たちですか? という質問をもらいました。あの人たちは、アメリカでライティング・ワークショップやリーディング・ワークショップを実践している人たちです。
 あまりにも効果的な授業なので、読み・書きの授業だけでなく、理科、社会、算数・数学等に広がりつつあります。 


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