2012年8月26日日曜日

「大切な友だち」の第4ステップ

教育界の方々と接していると、正論というか正解が好きな人たちの集団なんだ~、と思わされることがしばしばあります。

「正しいことはそれをそのまま言えば、単純に伝わる」と思い込んでいる人が少なくないということです。(これは、親子関係でも、夫婦関係でも、極めて難しいことです。自戒を含めて、書いている部分があります。)

文科省は、教育委員会や学校や教師に対して、その姿勢を延々と崩していませんし、教育委員会は学校(管理職や教師)に対して、管理職は教師や生徒や保護者たちに対して、そして教師は生徒や保護者に対して、といった具合に、将棋倒し現象が続いています。
しかし、いかに正論や正解を主張されても、教育の何がよくなってきたでしょうか?
全体的に見れば、何も変わらないか、悪くなってきていると感じることのほうが多いのが残念ながら現状です。

アプローチのおかしさを感じる人はいないのでしょうか?

アプローチの転換が、前回の「大切な友だち」に凝縮されています。
特に、第4ステップに。

「大切な友だち」は、立場が上のものが諭す(話す)のではなく、まず聞くことからスタートします。
わからなかったことは、質問します。
よかった点は、たとえ些細なことでも、指摘します。いいところは、伸ばしてほしいですから。
そして、肝心のまずい(ないし改善が必要だ)と思ったところは、指摘も、改善案も提示しません。それをした段階で、大方はそっぽを向かれることは、これまでの経験が明らかにしてくれているからです。
答えは、自分で見つけてもらうというか、考え出してもらうことが、一番いい方法だからです。

上司から言われたら、ほとんどの人は従うしかありません。
従わせる代わりに、問いかけて、考えてもらい、自分なりにベストなアイディアを作り出してもらうということです。それができない場合は、同僚に相談するなり、自分にまた相談に来るかもしれません・・・・・
時間はかかるかもしれませんが、考え続けてもらい、自分で答えを見出した方が、正解を聞かされて受動的に行動するよりも、はるかに価値があると思えるかどうかです。
正解を提示することは、お腹のすいた人に魚をあげること。
自分なりの回答を見つけ出すための問いかけをすることは、お腹のすいた人に魚の釣り方を教えてあげることに相当します。

教育界全体が(教室の中で日々行われる授業も)、このシフトを求められているのではないでしょうか?
こちらがいいと思っていることをやらせるアプローチから、問いかけるアプローチに。

2012年8月19日日曜日

「大切な友だち」



 これまでも何回か、「問いかけ」の大切さについて触れてきました。
 リーダーにとって欠かせない能力の一つです。
 コミュニケーションの要素を含めた、この「問いかけ」はひょっとしたら一番大切かもしれないぐらいです。

 その具体的な方法を今回は紹介します。
 「大切な友だち」というきわめてシンプルな方法です。

 これは、部下から個別に相談★を受けた時や、会議や、授業研究などの研修の場など、ほとんどの場で活用できる極めて効果的なコミュニケーションの方法です。もちろん、教師にとっては、教室での子どもとのコミュニケーションや同僚とのコミュニケーション、親にとっても子どもとのコミュニケーションで使えることは言うまでもありません。
 使い始めると、関係性や雰囲気、そして実際にアクションとして起こり始めることが、変わり始めます。

     まずは、相手の話をよく聴きます。(②~④のことができるように聴きます。)
     聴いていて、わからなかったところや不確かな点を質問します。
     よかった点は、できるだけたくさん指摘します。
     まずい/改善が必要だと思ったところは、それを質問の形に変えて尋ねます。
     最後は、愛を込めたメッセージをおくります。

順番に解説します。


   <以下は、メルマガからの続き>

① ②~④が聴いた後にできるように聴くのと、単に聞くのでは、聞き方がまったく違います。(後で、読んだ本について紹介するのと、単に楽しむだけの、違いのようなものです。)

② わからないところ/不確かなところをそのままにしておいて、誤って③や④を想像でしてしまっては、失礼です。そういうことをなくすためにも、質問します。
 慣れないうちは、この段階で④をやりはじめてしまう人が少なくありません。会議や授業研究の後の研究協議などでは、それが目立ちます。そういう習慣にドップリ浸りきっていますから。それも質問の形ならましですが、早速アドバイスを始める人がいますから、困ります。単純明快な質問をします。もちろん、④の段階の内容は、たとえ質問でも、この段階でしてはまずいのですが。

③ いい点は、どんな些細なことでも指摘されたら、誰でも嬉しいものです。でも、お世辞レベルのものは、すぐに見抜かれてしまいますから、やめておいた方がいいです。人間関係を悪くしかねませんから。心底いいと思ったことだけにしてください。
いい点を指摘するのは、次の段階の準備でもあります。これなしで、④にはいるのと、この後に④をするのとでは、雲泥の差があります。話や発表をした人が、④の段階を受け入れられやすくする役割が③にはあるのです。少なくとも、一つ、二つ、三つは言ってください。

最初のうちは、これを指摘するのも苦労します。
理由は、聴いている最中に、話の悪いところばかり探しながら聴いているのに慣れているからです。是非、両方を探しながら聴いてください。慣れてくれば、簡単にできます。

④ ある意味では、ここがすべての中心です。②と③はウォームアップの位置づけ。⑤はウォームダウンの位置づけ、です。
まずいと思ったところや改善が必要だと思ったところは、事欠かないと思います。
指摘する時は、優先順位を考え、いいところ2つ、多くても3つぐらいに留めます。それ以上では、言われた側は取り組む気がなくなってしまうからです。★★
ここの難しさは、指摘やアドバイスをしてしまいたくなるのを抑えて、それを質問の形に変えて尋ねてあげることです。指摘やアドバイスの主役は、それをする側ですが、質問の主役はそれをされた側になるからです。ようするに、どう考えるのか、どうするのかを、相談や発表した人に問いかけるわけです。あるいは、たとえ自分は回答をもっていたとしても、相手や全体が考えるように投げかけるのです。そうすると、指摘やアドバイスをするよりも効果は何倍にもなります。(自分がもっていた答えよりも、はるかにいいものが出てくる可能性すらあります。)
まずは、主役と位置づけてくれたことがうれしいはずです。
そして、回答を自分で考えられます。自分で考えるということは、アクションにも移しやすくなります。「こうしなさい」と言われたら、お付き合いではしてくれますが、打ち込みようは、主体的に動く時の何割加減になるはずです。質がまったく違ったものになってしまいます。
ちなみに、これらの質問に答える判断は、質問された側が決めていいのです。その場で答えてもいいし、持ち帰って熟考してもいいし。いい加減な即答よりも、はるかにその方が誰のためにもいいからです。

⑤ 最後は、これまでのやり取りを振り返ってぜひ強調したいことを、愛を込めたメッセージとして伝えます。長くて15~20秒です。「愛」さえこもっていたら、何を言ってもかまいません。受け入れてくれるでしょう。でも愛がこもっていなければ、受け入れてくれないでしょう。

ぜひ、試してみてください。
そして、結果をぜひお聞かせください。
これは、読むことに価値があるのではなく、することに価値があるものですから。


★ 報告や連絡に、あえて「大切な友だち」をしていても時間の無駄です。それらについては、単によく聞くだけで十分です。せいぜい、わからないところは聞く、ぐらいです。

★★ 数は結構重要です。この点に関心のある方は、国語の書くことや読むことの新しい教え方について書いた『ライティング・ワークショップ』や『リーディング・ワークショップ』のカンファランスの章を参照してください。たとえば、子どもの作文を教師ががんばって添削をして子どもに返すことは、何の意味もありません。それを使って、その後の修正に活かせる子どもは40人中一人もいないでしょう。そんな効率の悪いことを教師はすべきではありません。

2012年8月12日日曜日

いじめの問題


ここのところ、いじめ事件が報道されない日はありません。 

学校の対応としては、いかに早くいじめを見つけて、迅速に対応するかが重要だと考えますが、その発見は決して容易なことではありません。

その理由の一つは、自分がいじめられていることを親や教師に知られたくないという生徒の心情にあります。これは自分がいじめられていることを親や教師に知られるのは自尊心がとても傷つけられることによるものです。

そのような背景を理解した上で、いじめの事実を早く捉える必要があります。学校では実態把握のために、「生徒へのアンケート調査」という方法を採ることが多いと思います。

記名式・無記名式のいずれかになりますが、無記名式であっても字の特徴などから誰が書いたものかわかることが多いと思います。質問の項目としては、「あなたは今の学校生活でいやなこと、困っていることがありますか」と間接的に問うものから、「あなたはいじめられたことがありますか(いじめられていますか)」「学級のだれかがいじめられているのを見たことがありますか」のように直接的に問うやり方があります。

このようなアンケートで気になる記述が見つかったら、すぐに当該学級担任・学年主任は生徒指導主事の指示のもとに、事実関係の把握に努めます。このときは、日頃からの生徒観察の情報が役に立つことになります。私が常々職員に話をしていることは「その場にいること」の大切さです。給食や清掃の時間はもちろん、休み時間も可能な限りその場にいて生徒の様子を観察することです。生徒理解がすべての教育活動の基本です。

したがって、アンケートを実施するまでもなく、日々真剣に生徒の様子を観察している教師は、朝一番に生徒に会った時に異変に気づくこともあります。

アンケート調査を実施して、気になる生徒がはっきりした場合、すぐに生徒指導主事を中心として迅速な対応をすることが肝心です。加害生徒への個別の聞き取りや被害生徒へのケアなど、組織として対応することが求められます。それを学級担任一人やその学年職員だけで抱え込んでしまうのがよくありません。迅速な情報収集と学校全体の組織的な対応がいじめ問題対応の原則です。






2012年8月5日日曜日

アンケートをお願いします


夏休みもあっという間に中盤に近づきつつあります。

これまで、いろいろな話題を取り上げてきましたが、ここで少し振り返りを行いたいと思います。

そこで、以下の各項目について、みなさんからお答えをお寄せいただければありがたいです。



1.おもしろかった/考えさせられた/参考になった書き込みは?





2.メルマガ/ブログの書き込みから実際に行動に移したことは?





3.取り扱って欲しいテーマあるいは今一番気になっていることは?





4.自分/学校/教育委員会/教育センターが抱えている課題は?







さて、ここしばらく、このブログでは「研修」がテーマになっていました。

私は地区の中学校教育研究会、通称「中教研」という組織で、「特別活動」の部会長を務めています。その研修会を先日行ったのですが、その特別講師に「特別活動」の大家を招きました。この方は「特別活動」に関して、現行の学習指導要領作成にも関わり、その前二回の改訂にも関わった方です。

 そのお話の中で、特別活動は我が国独自の教育活動なのですが、それが生徒指導と密接な関係にあることを再確認させられました。こういう気付きを与えてくれる話は「講話」という形式であっても、学ぶ意欲を刺激されるいいものです。自分でももう一度基本的なことを学びなおそうと思いました。

 そこで、他校の若い先生方にも、特別活動の歴史的な変遷とか、授業の中での生徒指導、いわゆる「学業指導」ということについても、情報提供をしていこうと思います。市内はオンラインですべての教員が閲覧できる掲示板もありますし、メールという方法もあります。

それが、やりっぱなしではなく、研修のいいサポートになるのではないかと考えます。

2012年7月29日日曜日

機能する校内研修、教育委員会(センター)研修


「ひたすら同じことの繰り返し。
学校の中でも、教育委員会(センター)研修でも。
教員になってから20年間、何も変わっていない!」

と、あるベテラン教師が言っていました。
(というよりも、怒っていました。要するに、なんの役にもたたない研修をずっとやらされてきたことへの怒りです。もし50年間関わり続けている人がいたとしたら、50年間変わっていないと思います。)

さらに、彼はこうも言いました。

「一斉授業の悪いモデルを示すことしか能がない講師や指導主事が延々と話す講座。受講者の多くは寝ているか、他のことを考えざるを得ない時間として研修がある」

(これって、まさに授業の中で教師が生徒たちに対してしていることと同じ!
つまり、悪循環の根源として研修が存在しているわけです。)

◆機能していない校内研修、教育委員会(センター)研修の特徴をまとめると、
     イベントとして捉えている (やったという実績を残すためにしている)
     講師の話や実践紹介を聞くのが中心
     学ぶ/活かす責任は個人に委ねられている ~ 従って、ほとんどは学ばないし、活かすこともしない(活かす価値のあるもの自体が紹介されていない!)
     参加者/受講者のほとんどがお付き合い(義務)で参加している
     決まった型があり(その有効性が証明されたわけでもないのに ~ 私に言わせると機能していないことが証明されているものをあえて)、前例踏襲という習慣で行われ続けている

◆機能する校内研修、教育委員会(センター)研修の特徴は、
     プロセスとして捉えられている (人が変わるには時間が掛かることをわきまえてプログラムが組まれている)
     参加者/受講者が教え合うこと、刺激し合うこと、サポートし合うことが中心
     学ぶ/活かす責任(役割)はチームに委ねられている ~ 従って、参加者相互のチームづくり/コミュニティづくりがとても大切
     参加者/受講者は自ら選択して参加している ~ 自ら選んですることにはそれなりの力は入れる。でも、やらされるものはほどほどしかお付き合いできない ~ 要するに、最低限の学びしかない、ということ。
     効果的な進め方は多様にある、やり方も自分たちが選んでやれるに越したことはない → 『「学び」で組織は成長する』(光文社新書)や『効果10倍の学びの技法』(PHP新書)を参照ください。 それらのほとんどは継続的に取り組むもの。


 これだけ機能する研修の要因は明白なのですから、機能していないものはもう葬り去って、機能する研修をしませんか。


 サポート/フォローアップの大切さは、すでに1980年代にアメリカの研修会では分っていたことです。

 研修にサポートがないと、ほとんどやらないのと同じだ、ということが。
 そして、サポートの存在が違いを生むということが。
 この極めて有意義な情報が、いまだ日本の研修には導入されていません。
 (だから、授業も変わりません!
機能しない研修は日本中に充満している「子どもたちがよく学べない授業」とまったく同じ構造(入れ子状態)ですし、機能する研修は逆に「子どもたちがよく学べるいい授業」と同じです。研修と授業はコインの裏表の関係になっています。)

2012年7月22日日曜日

クリティカルな問いかけ


 PTA、校長による授業観察/評価、「大津市のいじめ事件」、学期の最後につける成績、そして今日あたり行われている(?)職員旅行など、書きたいことは山ほどあります(それらすべてが、システムとして機能していない日本の教育制度の氷山の一角です!?★)が、今回はこのメルマガ/ブログの中心テーマでいきたいと思います。


1)いい授業をするために必要な要素としてどんなものをあげますか? ここでいう「いい授業」とは、子どもたちがよくわかり、できるようになる授業のことです。子どもたちが受身的に学ぶのではなく、主体的に学ぶことも、含めたいです。

2)効果的な教員研修を実現するための要素としてはどんなものがあるでしょうか? ここでいう「効果的な教員研修」とは、教員が研修内容を理解し、できるようになることです。子どもたちの授業と同じく、教員が主体的に学ぶ研修というイメージも大切にしたいです。

3)ご自分が何かを学んで、よく理解し、できるようになったことを一つ思い浮かべてください。それは仕事上のことでも、生活上のことでも、趣味でも何でも構いません。(例を挙げると、①コンピューターを授業で使いこなせるようになった、②訪問者数の多い自分の授業実践を紹介するブログを書けるようになった、③将棋やフットサルやテニスがそれなりにうまくなった、④料理がそれなりにうまくなった、などです。)
それが実現できた要因は何ですか?


 いずれも皆さんが長年やってきたことです。
 ぜひこれらについて考え、明らかになったところから2学期をはじめられれば、これまでとは違う授業、研修、そして学びが作り出せる可能性大です。
でも、しっかり振り返らなければ、いままでの悲劇的な状態が続くことが約束されています。それが制度化されているのが現状ですから。
 ですから、自分の考えをハッキリさせるために、そして自分たち大人と子どもたちの学びを修正・改善するために、ぜひあなたにとっての要素や要因をお教えください。回答は、下のコメント欄かpro.workshop@gmail.com宛にお送りください。



★これらは、すべてが今日のテーマと深くつながっています。
 つながりのないバラバラのものと捉えられていること自体が、システムとして機能していないことの証明です。
 しかも、これらは頭として見えるほんの「氷山の一角」です。見えにくい水面下の部分には何が含まれると思われますか?

2012年7月15日日曜日

大津市の事件について考えること


このところ連日、「大津市のいじめ事件」が新聞、テレビで報道されています。

自ら命を絶った生徒の心情を思うと、何ともやりきれない思いをだれもが抱くのではないでしょうか。

これから捜査によって様々なことが明らかになっていくのでしょう。



この事件に対して、様々なコメントが出ています。



私が今回の事件で強く感じることは、わが国の教育システムがもう耐用年数を過ぎているということです。

これまで同様の事件が何回繰り返されてきたでしょうか。

そのたびに、文科省や文部科学大臣のメッセージが発せられ、教委を通じて指導体制や道徳教育のあり方の見直しなどについて指示がありました。



当事者である学校、教委の責任はもちろん重大だと思いますが、同様の事件が繰り返し起きるということは、このシステム全体がおかしいのだとだれもが気づくべきときではないでしょうか。



「管理の論理」で動いている学校・教委は「隠ぺい体質」を払しょくできない組織です。自分たちに都合のわるいことはいつまでも隠そうとします。

ただ、いつかは明るみに出てしまうのですが、その内部にいる人間にとってはそれがわかりません。

今回の事件で、生徒へのアンケート調査のことを口外しないように当該保護者に「確約書」を書かせた神経はまさにそれを物語っています。そんなものを書かせたら、いつかは明るみに出てしまうというだろうという常識的な判断ができません。

それに対して、PLC(プロフェッショナルによる学びの共同体)にいる人間は、当然、社会一般の人が持ち合わせている常識を持っています。「管理の論理」だけで動いている共同体にいる人々は、自分たちに都合のよい常識しか持ち合わせていません。



「自殺といじめの因果関係」を断定できないという学校や市教委の判断は、自分たちに都合のよい常識・感性から導き出されたものでしょう。今回の件では、普通に調べれば、だれがみても「因果関係あり」です。

文科省も大津市からの要請を受けて、担当者を急遽派遣するそうですが、一体その人に何ができるのでしょう。



最近、つくづく思うことは、これから5年ぐらいが日本再生のラストチャンスではないかということです。当然、教育はその中心にならなければなりませんが、教育もすでに世界の最先端から3周以上遅れています。

「学力向上」で学力テストに血眼になったり、押しつけの道徳教育に一生懸命になったりしても、何ら問題は解決しません。



まず、今回の事件をきっかけに、日本の教育システム再生に何が必要かということに真剣に向き合う必要があると思います。すべてはそこから始まります。