2019年9月15日日曜日

小学校教育にプログラミング教育はいらない!?

2020年度に小学校でプログラミング教育が必修化されます。その準備に向けて、多くの先生方が、慌ただしい毎日に頭を悩ませている。私もその一人です。

先の夏期休業日に、ロボットを使ったある大学で実施されたプログラミング教育研修に行ってきました。プログラミング言語とプログラミングロボットの操作方法や授業づくりについて学ぶはずが、その一台20万円もするロボットの数台が不具合続きで、全然使い物になりませんでした。実際に、道具を使ったプログラミング授業では、こういうことが数多く存在しています。研究発表の当日に、四台あるカメラ付きドローンのうち、2台しか跳ばず、デバッグ(プログラムの修正)で終わってしまい、研究主任の背中に冷や汗が流れた話も聞きました。

さて、このような現状の中、早急にプログラミング教育を導入する意義が本当にあるのでしょうか? 小学校の子ども時代には、PC画面を通して学ぶよりも、畑で植物を育ててどうやって食べようかを考えたり、集まってくる昆虫を捕まえて調べてみるなどの五感を十二分に使うこと、友だちと一緒にたっぷり遊んで心がすっきりしたり、ときにケンカしながらその解決方法を実体験を通して学ぶことのほうが、子どもの育ちには必要だとおもいませんか? 

今、本当にこの小学校時代に早急にプログラミング教育をする意義があるのでしょうか? 

文科省のHPに「未来の学びコンソーシアム」のパンフレットが紹介されています。そこには、プログラミング教育の意義が冒頭から、以下のように語られています。その内容にあまりにも驚いたので全文をそのまま記載します。

2020年度から、すべての小学校において、プログラミング教育が必修化されます。ここで重要なことは、「なぜプログラミング教育を必修化したのか」という点にあります。我が国の競争力を左右するのは何か。それは「IT力」です。ヨーロッパでは、「IT力」が、若者が労働市場に入るために必要不可欠な要素であると認識されています。現に、90%の職業が、少なくとも基礎的なITスキルを必要としていると言われています。そのため、ヨーロッパでは、多くの国や地域が学校教育のカリキュラムの一環としてプログラミングを導入しています。一方で日本はどうかというと、2020年までにIT人材が37万人も不足するという試算もありますが、それは今想像できるニーズだけでそれだけ必要ということであり、潜在的なニーズを含めるとより多くのIT人材が必要だと考えられます。今後、国際社会において「IT力」をめぐる競争が激化することが予測される中、日本も子供の頃から「IT力」を育成し、しっかりと裾野を広げておかなければ、この競争に勝ち抜くことはできません。そのような思いから、小学校におけるプログラミング教育の必修化は実現されたのです。”★★

みなさんはこれを読んでどのようなことを感じましたか? 我が国の競争力? 労働市場? 競争に勝ち抜くこと? 下請けプログラマーを育成するのが目的なのでしょうか? 何か大きな違和感を感じざるを得ません。

実際、年間指導計画がまだ未知数にもかかわらず、すでに走り始めている学校も数多くあります。算数で正三角形の書き方を扱った具体的な授業が「プログラミング教育の手引き」には記載されていますが、そもそもこのような授業がこれまで日本が大切にしてきた「情報」とのつながりや、今後、中学校、高校へとどのようにつながっていくのか、これからの学びの見通しが示されていません。実際にプログラミング教育の小中高の接続と見通しがどうなっているのか、上記の大学で行われたプログラミング教育の研修で質問してみても、「まだそこは未定。できることからやっている」状態でした。

このような状況にもかかわらず、2020年度のスタートを切ることで、文科省の方たちはプログラミング教育によって、将来「国際社会においてIT力をめぐる競争の激化」の中で「勝ち抜く」人であふれかえることを夢見ているのでしょうか。これこそプログラミング的思考★★★を使って、筋道立ててよく考えてほしいものです。現在、どれだけの多くの先生たちがプログラミング教育新規導入に翻弄されているのか。学校現場では、パソコン操作や新しいプログラミングアプリの扱い方程度の時間を費やして、適当にやり過ごすことが目に浮かんでしまいます。早期における「IT力」が将来必須だからといって、果たして現行の教科教育に申し訳なさそうに年間数時間のプログラミング教育を付け足し実装したところで、一体どのような効果を小学校であげられるのでしょうか。

校内研修で「ScratchMITが作った子ども向けのプログラミング言語)」を全教員で使ってみました。すると、多くの教員たちが、そのプログラミングの「おもしろさ」に釘付けとなり、これまでそれに全く縁のなかった先生たちが夢中となりました。その一方で、気づかずに「夢中にさせられてしまうこと」への懸念も反省として挙がりました。昨今の子どもたちの生活の3分の1を占める長時間のスクリーンタイムやデジタル中毒への懸念も話し合われました。

“ジョブズは2010年末に『ニューヨーク・タイムズ』紙の取材を受けた際、記者のニック・ビルトンに対し、自分の子どもたちはまったくiPadを使っていないと語っている。「子どもが家で触れるデジタルデバイスは制限しているからね」 ジョブズだけではない。ビルトンの記事によれば、IT業界の大物たちの多くが似たようなルールを取り入れている。” アダム・オルター著・上原 裕美子訳『僕らはそれに抵抗できない』Kindleの位置17

あのジョブズでさえも、子どもにiPadを渡していませんでした。プログラミング教育が教育全体にとってどのような意味があるのか包括的に眺めてみて、「IT力」の早期学習、この意味を今一度、子どもの育ちから考え直してみるよい機会です。


~~~~~~~~~ ここから Facebookの続き~~~~~~~~~

子どもたちの発達段階におけるデジタルメディアの扱いについて、医療面からの指摘もあります。PC画面を凝視することによる、目の瞬き数の現象から近視が増加することに加え、画面のブルーライトにより、脳内ではアドレナリンが分泌され興奮状態が続き、いざ就寝時間となってもぐっすりと眠れない状況が続きます。睡眠不足は、思春期特性の鬱を併発させてしまいます。

また、ある動画サービスは一つのドラマが見終わると、さらに次のドラマを自動にオススメしてくれ、気づいたらいつの間にか数時間も動画を観てしまっていることも。TVゲームや携帯ゲームをしていても、さらに新しい挑戦課題が与えられ、画面の向こうから即座のフィードバックにより、よりいっそうゲームに夢中になりフロー状態が止まらず、ゲームに釘付けにされてしまいます。友人にネトゲ廃人だったことを告白してくれた人がいました。仕事が終わり家に帰った瞬間にPCログインして朝までオンラインゲーム漬けの日々で、その後の疲労感たるやなんたるや。仕事に支障を来してしまった話を生々しく聞いたことがあります。私たちは、スクリーンタイム中毒の浸食により、どれだけの貴重な成長の機会やそもそも幸せに過ごす時間を失ってしまっているのか、計り知れません。★★★★

“テキストメッセージの会話では、言葉にならないものが偶然的に生じたり、曖昧なものを許容したりする余地がない。話すときの「間」や、声のピッチを意識することもないし、思わず吹き出したり、鼻で笑ったりという動作が混じることもない。非言語的な手がかりが存在しないので、それらを読み取らねばならない対面のコミュニケーションではどうすればいいのか、そのスキルを学ぶ機会が奪われている。”アダム・オルター著・上原裕美子訳『僕らはそれに抵抗できない』Kidleの位置4179

このような能力は「スクリーンではなく、人と接することによって、幼い子はもっともよく学習する」とアメリカ小児科学会も主張しています。心理学者シェリー・タークルも『一緒にいてもスマホ』に、「テクノロジーが子どものコミュニケーション能力を貧弱にすると主張している」と述べています。人と関わっていく力は、面と向かって相手と話すとき、その言葉の奥にある非言語の意味をやりとりしている高度なコミュニケーション能力です。言葉に表されるもの全てが、常に論理的であり、無駄のない会話はなんてありません。こういう実際に相手とかかわりながらでしか学べないことを、小学校時代に経験する機会をできるだけ増やしたいと思うのです。

IT力」は私たちの生活において、今後、避けては通れないものであり、生活や学習を促進する側面をもっています。AIを活かしたiPadを媒体として、デジタルメディアは教育にすばらしく貢献しています。その一つにプログラミングももちろん含まれます。その扱い方は、利用する子どもと大人がしっかりと相談しながらルールをおのおのが決めていく必要があります。しかし、こういったメディアに早期に触れ、より早くに技能を磨くことが、果たして小学校段階にふさわしいのでしょうか。

将来のグローバル化された社会で活躍に求められるのは、AIにはできない創造性。創造的な仕事をするには、幼い頃の原体験こそが必要です。だからこそ、それらをしっかりと道具として利用できるだけの人間力を育てていく必要があります。また、「IT力」を使いこなせるには、人とのつながりや相手の様子を観察できる人間のもつ心理学や哲学も欠かせません。★★★★★

そもそもこの時期に必要な育ちとして、遊ぶことをもっと奨励されるべきです。千葉大学の調査によると、8割の小学生が外遊びをしない現状! その理由は忙しいから。この方が大いに喫緊の問題です。★★★★★★

遊びを通して、これまでの子どもたちは多くのことが学べます。人との関わり方や集団への参加も遊びを通して獲得してきました。実際に、狩猟採集民はそうやって生活してきた! 今一度、ピーター・グレイ著・吉田新一郎訳『遊びが学びに欠かせないわけ』https://projectbetterschool.blogspot.com/2018/03/blog-post_18.html、この本を読み直して、心してプログラミング教育について考え直してみてはどうでしょうか? 本当に、取り返しがつかなくなる前に。



★ 文科省はすべてのプログラミング教育にPCを使って学習する必要はないといっていますが、実際にアンプラグド(パソコンを使わないで)の人の手によるプログラミングは使い物にはなりません。掃除の手順書や給食室までの行き方を書き出したところで、人の解釈が入ってしまい、書いたとおりのプログラミングにはなかなかならないのが現状です。

★★「未来の学びコンソーシアム 小学校プログラミング教育必修化に向けて」パンフレット

★★★ プログラミング的思考とは「自分が意図する一連の活動を実現するために、どのような動きの組合せが必要であり、 一つ一つの動きに対応した記号を、どのように組み合わせたらいいのか、 記号の組合せをどのように改善していけば、より意図した活動に近づくのか、 といったことを論理的に考えていく力 」文部科学省「小学校プログラミング教育の手引」より
https://miraino-manabi.jp/assets/data/info/miraino-manabi_leaflet_2018.pdf 

★★★★ 小学校の発達段階に、デジタルデバイスによる脳や健康への影響を調べた文献があれば、pro.workshop@gmail.com宛まで、ぜひ教えてください。このような状況が、子どもの発達段階に望ましいとは思えません。

★★★★★ Schools Say No to Cellphones in Class. But Is It a Smart Move? 
日本では、プログラミング教育に対する健全な批判は数多くないようですが、海外のサイトには上記したようにそれにまつわる健康被害やデジタル中毒に関して、数多くの情報が挙げられています。アメリカではスクリーンタイムが平均10時間という社会問題へと発展しています。ここに紹介したTEDトークでは、デジタルツールを使っていると常に脳が活動して、リラックスできないことを、自然体験の実験を通して教えてくれるものです。

★★★★★★ クリスチャン・マスビアウ著『センスメイキング』に詳しくあります。いかに「IT力」が発達して、多くのデータを処理できるようになったとしても、それを扱うのは最終的には人間です。よりよくAIを活かしていけるためには、哲学や心理学といった人文科学を豊かに学ぶことこそ、よりよく活かせると訴えています。

★★★★★★★ 「外遊び」小学生の7割しない 地方も都市部も同じ実態 千葉大調査 https://mainichi.jp/articles/20190530/k00/00m/040/072000c

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