2016年5月1日日曜日

改めて「学ぶ」ということについて考えたこと


O先生が退職したのを期に、書いてくれました。

 定年退職という人生の節目の年を迎え、改めて「学ぶ」ということについて考えてみた。私自身が、学ぶことの楽しさを最も強く感じたのは、自分自身で希望して、時には身銭を切って、あるいは平日の夜や休みの日に自分自身で時間をつくって研究会や学習会・勉強会に参加したときであった。もちろん、いわゆる悉皆の研修会や講演会などでも、考えさせられたり、新たな発見や気づきがあったりしたこともあったが、自分の意思で希望して参加した研修会での学びに勝るものはなかったと考えている。
 このことは、「学ぶ」ということの本質を表現している。すなわち、学びの主体者は、学習者自身であり、学ぼうという意思、学びたいという意欲が重要であるということである。「主体的で、能動的な、探究的で、そして協同的な学び」こそが、「学習」であり、「学ぶ」ということなのである。
 特に、私自身が教師として、あるいは人として大きな学びを得ることができたものを挙げてみる。A科学教育財団の東日本特別研修会(23日)、環境学習のプログラムProject Leaning Treeのファシリテーター養成研修会(23日)、民間の理科教育の研究会の夏合宿(12日)、B県教育委員会の新教育相談講座(年7回開催で2年間)、C大学の大学院生や学生によって運営されていたカウンセリング研究会(毎週水曜日の夜開催)、大学の学校心理学の研究室でのSchool Psychology Handbookの輪読会(2週間に1回の開催で2年間)、学校心理学の研究会での学習会(年78回開催)、構成的グループエンカウンターの宿泊研修会(23日)、B県長期研修生(教育相談)としての1年間(大学・大学院への内地留学)。
以上の研修会や研究会、学習会などへの参加は、およそ1990年から1994年までのわずか5年間のことである。
それでは、この時期とそれ以前の教員生活とではいったい何が違っていたのか。それは、「時間の使い方」と「行動範囲を広げたことによる様々な人との出会い」である。私は、公立中学校の教師となり、理科の教科担任として理科の授業を担当し、学級担任として不登校の生徒や非行傾向の生徒にもかかわり、そして、放課後や土曜日、日曜日は、野球部の顧問・監督として部活動の指導をしていた。
教師としての1日の生活は、朝715分からの部活動の朝練習の指導に始まる。その後、朝の会、授業、給食指導、清掃指導、帰りの会と続く。放課後の部活動の指導が終わり、下校指導を済ませると、夕方6時頃から教材研究や校務分掌上の仕事・事務処理などを行う。毎日、学校を出るのが夜8時過ぎという生活を送っていた。もちろん、土曜日の放課後や日曜日は、野球部の練習や大会引率でほぼ1日が終わる。
教師としての研修・学ぶ機会は、市や県の教育委員会主催の悉皆研修会、市の教育研究会の研修会、自分が希望して参加できる年に34回程度の県教育委員会主催の研修会、そして、校内研修会であった。研修の機会・回数は、多かった。しかし、内容や質的な面では、千差万別、玉石混交であった。やはり、自分自身の「学びのニーズ」にマッチするものは、少なかった。さらに自分の学びのニーズを満たすために、自ら学校の外に出て、「学ぶ」機会を積極的に得よう、広げようという時間的なゆとりはなかった。というより、心の余裕もなかった。
1989年に、同じ市内で学校規模が半分ほど(学年5学級)の中学校に異動となった。教師としての生活は、それまでとほとんど変わっていなかったが、中学校の教員として10年近くになり、また、市の郊外で落ち着いた雰囲気の学校であったこともあり、心のゆとりも生まれた。さらに、異動後2年目から、「学年主任」という中学校の教員としては最もやりがいのある校務分掌を担当することになり、自分自身の「学ぶ意欲」が高まっていった。
部活動は、野球部の監督として、それまでと同様、朝から放課後、土曜・日曜とほとんど休みなく指導にあたっていた(市の野球専門部長としての役割も担っていた)。
しかし、精神的な余裕が生まれていたことにより、土曜日の午後や日曜日に行われる研修会や学習会に参加するために、部活動を休みにしたり、二人態勢のときには、もう一人の顧問に部の指導をお願いしたりしたのである。そのために、部活動の計画(練習日程や練習試合の予定)を2ヵ月~3ヶ月単位で早めに立てて、部員と家庭・保護者に知らせるようにした。時には、研修会・学習会に参加するため、1週間前になってから急遽、土曜日の練習を中止にしたりしたこともあった。もちろん、子どもたちには、「学習会に参加して、教師としての勉強をするために、練習をなしにしてくれ。頼む。」と正直にお願いをするのである。ほとんどの子どもたちは、自分の時間が増えるので、喜んで私からの申し出を受け入れてくれた。

このように、自ら研修・学びのための時間を創り出し、研修会・学習会に参加することによって、新たな「気づき」と「学び」が広がった。同時に、様々な人々との新たな「出会い」が生まれた。そして、新たな人々との「出会い」を通して、さらなる「学びのためのネットワーク(人や学びのための情報とのつながり)」が生まれていったのである。

0 件のコメント:

コメントを投稿