2014年2月16日日曜日

「学校経営方針」という読まれないリスト



知り合いの校長さんから以下のようなメールを受け取りました。

前任校での反省をもとに、学校づくりをしたいと考えています。その第一が、学校経営方針の作成です。教員の考えや保護者の考えも聞いてそれをもとに学校経営方針を立てます。・・・少なくとも、生徒を前に、先生が講義しているだけの授業はしないようにしようと思います。

今度は小規模校なので、それが可能だというのです。
しかしながら、一番単純なことで、ほとんどの校長さんが理解できないことは、学校経営方針を自分がつくることだと思い込んでいることです。
自分で書いてしまっては、機能しないことが約束されているのに。
そして、一番学ぶのも、得をするのも本人だけです。
他の人たちは、よくて参考意見を聞かれるだけ。
主役は、校長。

これは、まさに授業の構造と同じです。(ですから、「先生が講義しているだけの授業はしない」と「校長が一人で学校経営方針を書く」は矛盾しているわけです。★)

もし、教職員が本当に動く学校をつくりたければ、学校の方針をみんなで一緒につくるべきです。
与えられた段階で、残りの人は「お任せ」です。
従って、二度と読まれることのない(従って、当然実行されることもない)紙っぺらができたに過ぎません。

おそらく、この事実、校長さんはもちろん、教育委員会や文科省の人たちにもまだ理解できないと思います。
要するには、人はどう学び、どう動くのかという根源的な部分を取り違えているので。

より詳しく知りたい方は、『校長先生という仕事』のビジョンの章(147~161ページ、特に149ページ)をご覧ください。はるかに効果的なビジョン=学校目標や学校経営方針の書き方が詳しく書いてあります。


★ 同じ構造にあるのは、学校経営と授業だけではありません。教員研修も、会議もです。誰が主役なのかを見れば、すぐにわかってしまいます。いったい、このボタンの掛け違えをいつまでやり続けるつもりでしょうか?

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