2018年5月25日金曜日

「1回性の学校指導訪問よりもかかわり続けることを」には続きがありました

前回の「1回性の学校指導訪問よりもかかわり続けることを」には、学校現場の嘆き?のような続き(というか、前段)がありました。

学校は、行政である教育委員会と学校現場が呼応するように一体となり、はじめて子ども達に質の高い教育を施すことができます。学校が今、どのような現状か実態を加味せず、各校、順番に「学校指導訪問スタンプラリー」が行われています。すでに、教員の病休、学級が落ち着かない状態が生まれている学校も出始めているこの5月。現場にはどのような支援が必要なのでしょうか。もう、お付き合いのやらせ授業はぜひ、ごめんこうむりたいものです。

学校訪問では、市や県の教育委員会の訪問に向け、子どもの実態や学校現場を置き去りにした「みせるため」の指導案をまとめることになります。なかには、指導案冊子の厚さでその学校の善し悪しを測っていると話をしていた教育行政の方もいました。熟練教師になるともう手慣れたもので、指導訪問用指導案の日付をちょいと変えてリサイクルしており、指導主事が同じ方でドキドキした、という話も聞きました。もちろん相手は覚えていなかったのでほっと胸をなでおろしたとか。子どものためと、昨今の教育事情をうけての思いをもってていねいに指導案を仕上げてみても、指導主事からの指導助言はどこかピントが外れていることもあります。

「ねり消しをいじっている子がいました」
「座っている姿勢が悪い子が3人います」
「あの落ち着きのない子は問題ですね」
けれども、身を乗り出して「あの指名されてから、あの子の返事ハイッはすばらしかったです」

いずれも、授業の本質とは異なることばかりです。もちろん、練り消しなんて授業中にいじらないにこしたことはありません。しかし、そうしないと落ち着かない子ども達の実態や、教えにくさを抱えている教師たちの思いよりも、指導案の文言やフォーマットの指導を微に入り細をうがつように行われます。教師ひとりひとりの願いに寄り添った指導・助言がなされることはめったにありません。

中には管理的に規律をおしすすめさえすれば学習が成立する、そこができていないのは教師の厳しさが足りないからだといった声もあります。ベテラン教師をほめて、ビギナー教師にはベテラン教師へ直接言えなかった細かい指導を間接的に伝えてくる高度な技術を使っている指導主事もいました。
 すると、学校現場はどこか違和感を抱えながらも、学校全体の決まりや規律ルールを増やしていくことばかり。

このような学校訪問が、子ども達の困り感や教師の持つ願いとは別に、管理的に教室が運営されていく一因となっているのかもしれません。一方、教育委員会の革新を願って委員会へ配属されても、慣習の強さに引っ張られてしまい、泣く泣くまたは知らず知らずその組織の一部になってしまうのでしょうか。少しせつなくなってきます。

自分たちが指導主事訪問を受ける側だった時にいい体験をもっている方は、おそらく皆無だと思うので、勇気をもって、指導主事たちが「従来の学校訪問はもう必要ない!」と言い出してみてはどうでしょうか?

最近ではワークライフバランス、時間をかけないで指導案をつくれという管理職からのお達しもあります。元を正せば教育委員会から発信されている働き方改革。それらもすべて、お互い通過儀礼としか受け取っていないのかも!?


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