2014年6月8日日曜日

30年以上も抱え続けている大きな課題


先日、私のマルチ能力に10年前から関心をもち続けている人からメールがありました。
 
ずっとなぜ日本ではマルチ能力(MI)が認知されないのか不思議でしょうがなかったのですが、その原因を書いた論文「H.ガードナーのMI理論のアジアにおける需要と展開」を発見しました。日本で広がらなかった理由として、


1.研究現場をフィールドとする研究者が少ないことと現行の教育課程の硬直性がMIを適用したカリキュラム研究の展開を難しくしている。

2.教育課程編成における学校の自由裁量枠が狭く、学校及び教員のカリキュラム編成経験がない。

3.悉皆的な教員研修の在り方が教員の自立性や柔軟性を発揮することを拒んでいる。★

が挙げられていました。

これに対する、私のフィードバックは、以下の通りでした。

マルチ能力が日本で普及しない3つの理由は、まさにその通りだと思います。
ERICを私が始める準備段階で、文科省の教科調査官などと話して、すでに把握していたことではありましたから★★、もう30年近く(以上?)、まったく改善が図られていません。学校教育に関係する人たちは、改善する気もありません。
要するには、単にマルチ能力の普及を阻む要因になっているだけでなく、「日本の教育が膠着したままである理由」であり、○○さんが尻拭い的にさまざまな活動(不登校やいじめ問題への対応など)をしないといけない要因でもあり続けています。
子どもたちも、教師も、そこに関わるほかの大人たちも元気になれない、自分を出せない世界ですから。みんなで仮面をかぶることを強要された世界ではないでしょうか。それが社会に出る前段階での練習の場になっているわけですから、学校が社会の縮図化しています。凝縮しているというか。(それこそが、『ギヴァー』を再刊し、普及したかった私の理由でした『読書家の時間』も同じ目的で出したので★★★、読まれたらぜひ感想聞かせてください。ということで、私の中ではすべてつながっています。)


★ 中教審の答申のたびに、「教員の資質向上」の必要性には言及していますが、文科省にその方法を知っている人はいません。従って、「それは、都道府県教委の責任です」と逃げてしまいます。それで、自分たちは制度整備(改悪?)と教科書づくりで、教育を管理することが役割だと思い込んでいるようです。 では、都道府県や市教委に教員の資質向上のノウハウをもっている人がいるかというと、いません。それでは大学にいるかというと、教員免許更新制の研修を見てもわかるとおり、いるとは言えません。従って、教員の資質向上はお題目に過ぎない状態が続いています。教員研修のプロが一人もいないのですから。

★★ たとえば、世界史の教科調査官は「フランス革命はいつ始まり、いつ終わったのか?」という一つの質問で年間を通して教えてもらってもいっこうにかまわないのです、と言い切っていました。しかし、その後に以下のように補足しながら、「もちろん、それができる教師がいれば、です。養成課程でも、現職研修でも、カリキュラム開発能力をつけることを日本ではやっていませんから、基本的には無理です。」
 これは、30年前のやり取り(おそらくそれ以前からわかっていたこと)ですが、いっこうに現状を改善する形での努力が行われる気配はありません。要するには、先生たちにカリキュラム開発能力は身につけてほしくないのです。教科書を大人しくカバーしてくれている存在でいいと思っているのですから。

★★★ 年間計画を自分で立てること(=カリキュラム開発能力)は、『読書家の時間』を実践する際に欠かせない力量です。教科書をカバーするやり方ではないので。結果的に教科書の内容をカバーするアプローチではありますが。(教科書をそのままカバーする授業をしていては、少なくとも半分以上の子どもたちがこぼれ落ちてしまうことがわかっていますから。教師にとっても、学びはないし!!)

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