2019年8月25日日曜日

自分の授業を見直す

先日、この4月から東京都や埼玉県、神奈川県などで教師としての生活をスタートさせた教え子たちと再会する機会がありました。たった数か月ですが、学生時代とは違った精悍な顔つきになった彼らの様子を見ると、仕事で鍛えられたくましくなったように感じました。
翻って、自分の初任時代を思い起こすと、真っ先に脳裏に浮かんだのは「授業日誌」のことでした。この日誌は毎日、その日の授業で気になったことやうまくいかなかったこと、生徒の様子で記憶に新しい残ったことなどを書き留めたものです。これは、自分で思いついて始めたことではなかったのですが(実は、学習指導主任の先生から書くように言われたのです)、いざ始めてみると書くことがいろいろと出てきて1年間続けることができました。その後、学級経営日誌なども付けるようになり、今から思うとあのとき「書きなさい」と言ってくれた先輩に感謝です。この「書く・記録する」ことはその後、教師を続けていくうえで大変役立ちました。
その「授業日誌」について昔読んだ本の一節を思い出しました。
『成長する教師』浅田匡ほか編・金子書房(1988)です。その第10章に「自分の授業を見直す」という箇所があります。そこでは、秋田喜代美氏の教師教育における省察(振り返り)概念に関する省察の三つのレベルが紹介されています。

(1)「いかにできたか」
(2)「なぜこの方法なのか」
(3)「何のために、誰のために(自分の)知識が使われているのか」「なぜこの教材なのか」「なぜこの場でこのような形で授業が成立するのか」

そして、このような分析が可能になるためには、「自分の授業を記述する」ことから「自分の授業から学ぶ」ことが必要になります。そこで、自分の授業を記述することから「授業日誌」を書くことが推奨されるわけです。
この論文で、日誌を書くことは二つの意味があると説明されています。
1つは、自分が覚えているエピソードを書くことで、必然的に先ほどの三つの省察レベルで授業を見直すことができるというわけです。もう1つは、自らが関わる出来事を書くことで、「自己」を書き記すことで、「自分の活動の細かいところまで注意が払われ、自己体験が強化され、拡大されることになる」ということです。
 その本の中では、日誌の形式として、「日時」「具体的な状況」「対象とする子供」「状況の解釈や判断」「用いた手立て」「その手立てを用いた理由」などが紹介されています。
この書式については、やりながら改善を加えていくことで、自分の書きやすい形式が見つかると思います。
 現在は、ディジタル時代ですから、この日誌もディジタルを利用して当然です。米国ではブログなどを利用することが一般的ですが、日本の場合はまだまだこのあたりのイノベーションについては遅れていますから、自分の置かれた場所で無理のない形で進めるのがよいと思います。また、新しいことをすれば、当然守旧派からは反発をされ、たたかれることになります。そのダメージがあまりにも大きければ、好きな教師の仕事も続けられなくなってしまうこともありますから、そのあたりはバランスをよく考えるとよいでしょう。
今後、「現状維持型」の教師から「イノベーション型」の教師へ、多くの先生方がそのように変わっていけばよいと思います。

2019年8月18日日曜日

「もっとも大切な人」


今となっては、この写真をどこで見たのか覚えていません。

ある教師が、医者の待合室で撮った写真だということと、その文章を教師と生徒との関係に置き換えられたらどんなに素晴らしいだろう、ということだけは覚えています。

 詩を訳すと、次のようになります(直訳バージョン)。

患者は、私たちの仕事でもっとも大切な人です。
私たちは彼らが来てくれることに依存しているように、
彼らは私たちの専門性に依存しています。
患者は、私たちの仕事の妨げではありません。
患者こそが、私たちの存在意義です。
患者が私たちのところに来てくれることで、大いに助かっています。
私たちが彼らに役立つことで、助けているのではありません。
患者は統計値でもありません。
それぞれが、私たちと同じように、感情と気持ちをもった人間です。
彼らは、私たちのところにニーズや要望をもってやってきます。
それらを満たすことが、私たちの使命です。
私たちが提供できるもっとも丁寧で思いやりのある治療を
患者は受ける資格があります。
患者は、私たちの仕事の活力源です。
彼らなしで、仕事を続けることはできません。

(直訳バージョンでも)詩のパワーは、すごいです。
どなたか、これを教師バージョンに「リミックス」★してみませんか?
 しかし、より大切なことは「あるべき姿」を額に入れて飾ることではありません。
 実践することです。
 あなたにとって、それをもっとも体現した形で投げかけてくれているものは何ですか?
 私が推薦できるのはたくさんある中で、特に『教育のプロがすすめるイノベーション』と『イン・ザ・ミドル』です。




オリジナルバージョンの素材を一部や大部分を抜くなど、積極的に新しいバージョンを作成すること。

2019年8月11日日曜日

 学校研究はチームづくりと明確な目標を



多くの学校がプール指導や出張、さらには研修に追われた夏期休業の前半戦の終わりもみせ、いよいよ多くの教員たちは夏休みになった頃でしょうか。初任者はまだ初任者研修が続くと聞きますが。

束の間のお盆休みを終えると、研修の後半戦がはじまります。

さて、あなたの職場の学校研修では、あなたはよりよく学べていますか? もしそうなら、どうしてでしょうか? もしそうでないのなら、なぜ学べないのでしょうか?

よく学べていると感じるのは、きっと研究主任の先生が、職員皆さんのために職場づくり、そして研究テーマの授業づくりへとバランスよく取り組めるように場作りをしてくれているのではないでしょうか。そのことをぜひ、フィードバックしてあげてください。

いかに研究主任の仕事は孤独な仕事か!そもそも、多くは誰にも歓迎されていないプラスアルファの仕事と受け取られがち。学校研究に「学びがある」と言えるのならば、主体的に参加しているあなたの力だけではなく、素晴らしい管理職や研究主任などの支えがあってのことでしょう。

一方、校内研修で「学びがない」と感じているのなら、どうしてそうなってしまったのでしょうか? 学校全体が一つにまとまって取り組んでいくはずの研修が、うまく機能していない。それぞれの学年がやっていることは見えてこなかったり、ベテランの教師から「チャンスだから」と勧められて?授業をやらされたこともあるのでは。理由はまだまだありそうですね。

人に学びが起こるには、いくつか原則があります★。人が学び始めるには、心理的な「安心感」があることは基本です。「こんな授業をしてしまったら、批判されるのでは」「こんな意見をいってしまったら、恥ずかしい」など、その不安のなかでは、のびのびと試行錯誤や失敗をしながら、教師が成長していくことができないばかりか、言われたこと、管理されたことを指示されたとおりにやっていくことが一番安全。そこでは、自分の身を守る術を学んでいくことになってしまいます。

学校研究を通して、職場内に安心の場をつくろうとしている研究主任の話を、最近、聴くことができました。

「まずは徹底的に、学校研究のハードルを下げることです。指導案もペラ1枚にして、気軽に全員、授業提案ができるようにする。そういった授業はみんなで見合うことができて、その後、気軽に話し合っています」

こういう学校では、何かのびのびと新しいことを学び始めてみようと思えるのではないでしょうか。心理的安全感がある職場ではそれぞれのパフォーマンスが発揮されます★★。このような職場では、ベテラン教師と若い教師が共に学び合えるよい環境が容易に想像できます。

しかし、多くの学校はここで失敗しています。それぞれがお互いのことを知り合ったり、それぞれの価値観をもっと知ろうともしていない。そのような職場集団で、いきなり「学力向上とは」「教科の専門性を深めるには」と研究に入るから、学びが全く発動せずに、「造詣の深い先生」の講義型の知識伝達で終わってしまうのです。その教科に長けている人だけは、イキイキしているかもしれませんが、大抵はその指導者といったところでしょうか。多くの人はついていけずに、こなすためだけの学校研究となってしまいます。

一人ひとりが学び、成長していくためには、メンバーの内に安心感といったチーム作りの要素は欠かせません。この夏の学校研修は、お互いの夏休みのことや教師として大切にしていることから、お互いを知り合うコミュニケーションの量を増やすことから初められるといいですね。

一方、職場内のコミュニケーションが円滑にいくようになってこれたら、そこに止まる必要はありません。職場内の関係性ばかり追ってしまうと、同調圧力が強くなり、それはそれでお互い自由闊達な意見交換ができなくなってしまう恐れが生まれます。仲良しチームになれたとしても、なかなかチームのパフォーマンスが上がらないということはたくさんあるからです。そこで、職場内のチーム作りに平行して、学校研究で追求する「目標を明確に」していくことが必要です。

このチームの安心感とパフォーマンスを発揮することは対立することもあり、バランスよく発揮していく必要があります★★★。学校全体がなんのために学校研究を行っているのか、明確な目標をそれぞれの案で合意形成をつくりあげていく。「どんな子どもに育ってほしいのか?」「本当に身につけてほしい力とはなんなのか?」こういったことこそ、ゆとりのある夏期休業中の校内研修でじっくりと話し合っていきたいものです。

学校研究において、明確な目標があることによって、継続したフォローアップが可能となります。何に向かっていて、どこまでができていて、何ができていないかを教員同士が支え続けるのは、明確な目標がなければできません。これはまさに形成的評価の学習モデルであり、校内研究を通して、教師自身がその職場内に支えてもらえる体験が可能となります。それによって、実際の授業においても、自分が職場の先生たちに教えてもらったように、子どもたちを支援しながら教え続けるといった学習を維持するができるのではないでしょうか。大切なことは、支援し続けること、関わり続けること、研修後のフォローアップですから。



いつまでたっても「研究授業はブロックの代表がしっかり本番の授業を一本やる」は終わりにしませんか。打ち上げ花火のような研究授業には、教師一人ひとりにとってあまり意味を見いだせません。毎日の授業こそが本番です。そのためにも、教師が教師として育っていけるような意味のあるプロセスを体験できる学校研究が望まれます。学校研究をチームづくりで終わることなく、より教師の専門性も高めるためにも、明確な学校研究の目標をもって、バランスよく学校研究をつくりあげていく。そんな夏の研修にしてみませんか?★★★★

PLCの評価基準表 ・その3
https://projectbetterschool.blogspot.com/2012/03/plc_18.html

★★
「効果的なチームとは何か」を知る
https://rework.withgoogle.com/jp/guides/understanding-team-effectiveness/steps/introduction/

★★★
PM理論 リーダーシップ行動論の1つ。社会心理学者、三隅二不二が1966年に提唱。リーダーシップを「目標達成能力」のパフォーマンスと「集団維持能力」のメインテナンスの2つの能力要素で構成されるとし、そのどちらも兼ね備えているリーダーシップが望ましいとした。

★★★★
この夏期休業中、様々な研修に参加することがあると思います。居心地がいいもの、一方的な知識の伝達で終わってしまうもの。それらを一度ふりかえってみて、チームづくりの集団維持能力の面と明確な目標の目標達成の二つの面で研修を捉え直してみると、自分が次にやるべきことが見えてくるのではないでしょうか。その研修の残念さも!? 

2019年8月4日日曜日

変わる教師の役割

時代とともに教師の役割は変わる。

教師の役割が、一方的に知識を伝授することが中心であった時代は、教師が教室の中で果たす役割は限られていた。生徒たちが学ぼうが、学んでいまいが、用意していた内容を朗々と語ることで事が足りたのだから。

今は、教師がどのように教えるかだけでなく、生徒たちがどのように学んでいるか(あるいはつまづいているか)が、大切にされるようになってきた。教師は、教室の中で、自分自身の実践や生徒の学びを、観察し、振り返りながら、必要に応じて、後戻りをしたり、修正を加えたりする。

教師の果たすべき役割の変化や多様さを考えてもらうために、外国語指導助手(日本の小中学校で英語を教える補助的役割をしている外国青年)の研修会で、教師(teacher)の同意語(synonym)を思いつく限り出してもらった事があった。

出てきた言葉を、大まかに分類すると次のようになった。実に多くの言葉があるの事に驚かされるが、同時に、教師にも多様な役割がある事が確認できる。

・教える人: instructor, lecturer, preacher, professor, trainer
・サポートする人、助言者:tutor, adviser, chaperon, coach, consultant, counselor, helper, mentor, facilitator
・モデルとなる人: example, expert, ideal, model, standard
・リードする人:advocate, captain, director, guru, inspiration, leader, master, pilot, pioneer, governor
・情報提供をする人: guide, informant
・管理する人: authority, conductor, controller, disciplinarian, enforcer, sergeant, counsel
・評価、判断する人:judge, lawyer, monitor, referee, solicitor
・友人、仲間:friend, partner

これらに加えて、外国語教育関係の本に次のような役割が記載されていたので紹介しておきたい(⭐︎)。 先のリストと重複する部分もあるが、これからの教師が担うべき役割について貴重なヒントを与えてくれるのではないだろうか。

◉証拠を集める人(Evidence Gatherer):コミュニケーション活動などをしている時に、生徒のパフォーマンスを観察して、何ができているか、できていないかの情報を
収集する役割

◉フィードバックを提供する人(Feedback Provider):集めた証拠に基づいた、フィードバックを提供する役割

◉プロンプター(Prompter):舞台などで俳優にセリフを教える役割のことをプロンプターというが、この場合は、今やっていることを継続するよう奨励したり、次に何をすれば良いかを提案する役割を指している。背中を教えてあげる役回りということだろうか。

◉編集者(Editor):作文や発表に対して、変更や改善を提案する役割。誤りの修正ではなく、生徒たちがより良く書け、話せるように提案をする事が主目的。

◉活動設定者(Task-setter):生徒が行う活動を設計したり、やり方を説明したりする役割。

教師がこのような役割を担う教室では、学習指導案の位置付けも変わるだろう。前掲書では、学習指導案は「奴隷的に従うための設計図ではなく、行動のための提案(as a 'proposal for action' rather than as a blueprint to be slavishly followed)」としている。

教師が自立して考え、決断していく。そのような教室の姿が想起される。日本の教室もそうなっていくのだろうか。

[文献]
⭐︎Jeremy Harmer (2015) The Practice of English Language Teaching, Pearson. pp.115-117(ジェレミー・ハーマー『英語教育の実践』ピアソン).

2019年7月28日日曜日

辞める練習

今週は、『日本人は「やめる練習」がたりてない』(野本響子・集英社新書2019)を紹介します。
まず、92ページ「日本の学校は「我慢の練習」をするところ」。

 日本の学校は「辞める練習」は教えてくれない。では、教えていることは何かといえば、「我慢の練習」なのではないか。あるいは「自分がやりたくないこと」や「非効率なこと」に耐える練習だ。
 日本の学校の勉強に対し、「将来何の役に立つの?」と思ったことはないだろうか。自分自身、高校生活の最後に半年ほど受験勉強をやってみて思ったのは、「これはこういう種類のゲームなのだ」ということだった。一見無駄に見える知識を効率的に覚えるというゲーム。だから、英語も数学もかなり非現実的だ。

 この後も日本の教育の現実社会と遊離した学びの実態がつづられていますが、このブログをお読みの皆さん方はその内容に関して、おおよそ見当がつくと思います。要は、この「我慢レース」の勝者がいわゆる日本で言うところの一流大学に入り、大企業や官庁に就職するというしくみ。このレースがほとんど世界に通用しなくなってきていることは、国際社会でのこの20年間の日本の様々な面での凋落ぶりを見れば明らかです。従順な労働者を社会に送り出すという以前の教育のあり方が根本的に問われているわけで、そのための変化が求められています。
 もう一つ、88ページから。

一斉に入学し、一斉に卒業し、一斉に就職する。入学して途中で辞めると、受け入れ先の選択肢が極端に少なくなり、多くの場合は不本意なところでも行かざるを得なくなる。こうした社会では学校ですらトライ&エラーができない。

今、読んでいる本の中に、学びの途中でよくできなかったら「もう一度やり直す」という選択肢が紹介されていましたが、まさにこの「もう一度やり直す」ということが、もっと当たり前になるとよいのです。生涯学習と言いながらも、一度既定の路線から外れた人たちの受け皿があまりにも少なすぎます。 
小・中・高等学校の学びのプロセスで、「やり直す」という選択肢をもっと広げてよいように思います。
不登校、いじめ、暴力行為なども選択肢の少ない、ストレス一杯の学校社会が作り出していると言っても過言ではありません。それを「道徳教育がきちんとなされていない」からと教科化してみたり、時代の要請だからと、次々に新たな教育内容を盛り込んだりと、この国の教育は方向性を間違えているとしか思えません。
上からの改革が望み薄ならば、やはり現場からの改革しかありません。ただし、一人ひとりの力には限界がありますから、つながりが大切になります。そして、個々の与えられた場所で、「自分にできることは何でもやる」ことです。そのためのネットワークづくりに一層心していきたいものです。

2019年7月21日日曜日

PLC便り マスマティック・ハラスメントしてませんか?



数年前に担任したある女の子から、こんな算数ジャーナルをもらったことがあります。算数ジャーナルとは、その日の算数授業について、感想やふりかえりを書いたノートのことです。

「私は算数は好きなので、できると嬉しいです。けど、もうたくさん!(怒)」

算数ができるのに、なんで怒っているんだろう?まったく!と思いながらも、返事を書き始めてみると、どうも思い当たる節が見当たります。

当時、「作家の時間」のワークシップ授業を学び始め、自立した学び手を育てようと、計算練習やドリルについて、子どもたちに学習の進度を任せてみる、そんな授業に取り組んでいました。その女の子はクラスの中でも、算数が得意なほう。それだけに、どんどん意欲的に問題を解いていく子たちと同様、算数を楽しんでいるものとてっきり思っていました。けれどもそうじゃなかった。その内面には「どうして、こんなわかっていることを何度も、何度も繰り返し練習するの? 算数ってなんのためにあるの?」と叫びを訴えていたことが、分かってきました。

マスマティック・ハラスメントという言葉を、聞いたことはありますか?

略してマスハラ。「数学を用いて特定不特定多数を問わず相手に対し意図的に不快にさせること」だそうです★。この女の子が感じているように、教科書の練習問題や計算ドリルの数々をこなすこと。これって、マスハラなのでは!? 教師から意図的に不快にさせようとしていないその分だけに、よけいに悪質かも!? こういうことは、実に多くの算数授業の場面で今でも行われているかも知れません。よかれと思っての繰り返し練習や、なんのために算数を学ぶのか、算数で考える楽しさを味わう前に、保護者のお金で買った計算ドリルだから、全てやり終えないといけないという、呪いのように囚われていることも!?ありそうです

ジャーナルの返事には、迷うに迷ってこんなことを書いたかと思います。「Aさんが将来、新しい問題に出会ったとき、自分らしく考えてその問題をよりよく解決していくため、しっかりと考える力をつけるために、練習しているんだよ」と、なんともまぁ、苦し紛れの返答でした。その子との関係も良好なこともあり、「そういうもんかなぁ」と納得しているようでもありましたが、今、思えば、その将来のためにむけて学習することとかは子どもにとっては遠い先の話。さらに、わかっていることを繰り返し練習することに、あまり意味がないと訴えているのに、そこに授業で向き合えていなかったんだと思うのです。



子どもたちは、なんのために、算数を学ぶのでしょうか? そして、私たちはなんのために算数を教えているのでしょうか? 国で、学習指導要領で決まっているから? そうかもしれませんが、そんな大人の都合では、子どもたちの学びは発動しませんよね。なにより、人が学ぶって? 日常のおつりの計算で損をしないために子どもたちは、学んでいるはずはありません。子どもたちに「なぜ算数を学ぶのか?」と尋ねてみると、よくこの返答がでてきます。この電子マネーの時代に!

前回のPLC便り★★では、算数を音楽や美術と同じように、「算数・数学はアートするもの」という側面を紹介しました。では、その算数・数学の本質をアートし続けている人たちってどのような人なのでしょうか? 算数・数学を学び続け、その先になにがあるのでしょうか? それに答えるには、この世界で一番、算数・数学をしている人、つまり「数学者」について調べてみましょう。数学者の仕事って、どんなことをしているのか、想像してみてください。

薄暗い部屋に閉じこもって机に向かい、その机上には数式の書かれた紙と分厚い専門書が立ち並ぶ。むっつりと眉間にしわを寄せて、煙草をくゆらせながら、もんもんと考えている。おもむろに、ふと立ち上がって、なにかがひらめいたかと思うと、ペンを走らせ、ナゾの数式を書き始める。きっとそんなイメージが浮かぶのではないでしょうか。

しかし、実際の数学者は全く異なるようです。数学者がどんなことをしているのかについて書かれた『世にも美しき数学者たちの日常』★★★という本。日本の数学者たち(在野で数学に関わり続ける人達も含まれる)がどんなことをしているのか、興味のわくインタビュー本です。

“実際の数学者はよく旅に出るようです。人と会って、自分の考えを交流しているようです。P77”

多くの数学者は、自分の解釈や理論をもって、色々な分野の人たちと話をするそうです。そのほうが、多様な視点で考えがひらめく。仙人のような暮らしをしているようだと思ったのですが、かなりアクティブに生活していることも分かります。しかし、その一方でまるで数学者たちの嘆きのように、算数・数学をつまらないものにしてしまっている張本人は、学校教育の数学や受験数学と批判されています。

“数学嫌いの理由として答えががっちり決まっているのが嫌いと言う人がいるじゃないですか。それはね、数学じゃなくて受験数学なんですよ。本当は数学ってものすごく自由なんです。P80”

 “受験数学だと短時間でひらめく力、計算力が必要ですが、研究には制限時間がないので。計算力がなくてもチェックする時間は十分にある。だから別に途中で計算して計算ミスしても良い。正しいルートを、この道で行けそうだというのを見抜く数学的センスの方が大事。僕は美的感覚の1種だと思ってるんですけど。P86

自由に考えてもいいし、計算ミスしてもいいんだ!数学者でさえも計算ミスがある。そんなことよりも、どのように解けそうなのか、予想をひらめくセンスのほうが大切なんですね。そのセンスを「美的感覚」と表現しているのがなんともいいと思うのです。

“一般的には、数学の問題は与えられると言う先入観が強いですよね? でも1番面白いのは問題を作ることなんです。問題を起こすと言い換えてもいいかな。新しい問題を作ると、色々と真剣に考え始めるでしょう。そのうち他の誰も考えていないものを見つけると、これが非常に楽しい。さらにこれに関してはどうも人類の中でまだ自分しか考えていないようだ、と言うものがあると、それはもうほとんど死んでもいい!と言う位なんです。なるほど数学の喜びとは創造の喜びなのだ。P40

“問題を作る、その延長線上に要素を作るということがあるわけです。そして未解決問題のような、優れた予想もその中で生まれてくる。予想解決するのも、また問題を作ることで成されるんですね。こういうふうにしたら解けるんじゃないか? と言う問題の積み重ねなんです。だから問題を作ると言うことが、数学の本当に基本的な作業なんです。数学はこれをとけ!の積み重ねではなかった。なぜ?の積み重ねなんだ。なぜ? には正解がない。素朴で個人的な疑問を、好きなだけ突き詰めて良いのである。だから数学を考える事は人生を考えることにつながる。P40”

なるほど、数学者のやっていることは、誰も考えたことのない新しいものをつくりだす喜びでもあり、人生を考えること。なんとも壮大な学問であり、学びです。



現在、算数ワークショップ「数学者の時間」の授業実践に取り組んでいるメンバーたちは、問題づくりにこだわって取り組んでいます。問題づくりは、その問題そのものの理解を深めるためにも、発展的に単元末に取り組むことをおすすめします。1人ひとりがつくった問題をお互いに解き合って、おもしろさやまちがいも含めて交流してみる。その取り組みの中に、創造するおもしろさや、考える魅力、いろんな人と交流して解決しようとするコミュニケーションから生まれる理解があります。まるで本物の数学者と一緒ですね。

子どもが、教師が、なぜ算数・数学をしなくてはいけないのだろう? ふと疑問を持てるのなら、何か少しずついつもの授業を変えていく必要があります。子どもたちからの感想や辛辣なフィードバックは、その授業をより意味のある物へと変えるシグナルかもしれません。もうたいくつな授業、修行のための算数数学はオサラバです。マスハラ禁止!

今だったら、あの当時の計算ドリル地獄からとよりよい距離をとり、もっと算数の持つアートの側面や、創造性を引き出す問題づくりなど、そういった算数・数学を楽しむ時間を一緒に作り出せたかも知れないな、と思うのです。申し訳ない気持ちと、少しの希望をもって、また日々の授業を準備するのです。

★「マスハラとはMathematical harassment の略で数学を用いて特定不特定多数を問わず相手に対し意図的に不快にさせることである。マスハラとは(マスハラとは) [単語記事] - ニコニコ大百科」 新しい造語なのでしょうか。あまり一般的に使われているようではないです。

★★
なんのための算数・数学? 覚えるから美しさへ、「算数・数学をアートする」こと

★★★
二宮 敦人()『世にも美しき数学者たちの日常』(幻冬舎)2019/4/11

2019年7月14日日曜日

新刊案内『教育のプロがすすめるイノベーション』



「教育機関では、新しい機会を受け入れることをしばしば躊躇します。私たちは、マイクロソフトのワードからグーグルのドキュメントに切り替えることに不満を覚えました。それは不便になるからではなく、変化だからです。」(iiiページ)
 確かに、学校ほど世の中の変化と縁遠い組織はないかもしれません。(150年前の人はもちろん、300年前の人が現代にタイムスリップしても、学校だけはすぐに分かると思います。)しかし、このままでいいのでしょうか?

 すでに、以下のような時代に入っていることは明らかなのです。
・教師が提供できる教材よりも優れた情報に、生徒はスマホなどでアクセスできる時代です。従来のように、学校が内容や情報を提供するだけの場であり続けたら、このような現実は学校を維持することに対して脅威となるでしょう。
・生徒が宇宙について学びたいと思っている場合、教師に尋ねることなくNASA(日本でこれに相当するのは宇宙航空研究開発機構、JAXA)のホームページを開き、宇宙飛行士や科学者のブログを読むことでしょう。
 著者も書いているように、「絶えず変化する世界では、すでに行われていることだけを維持しようと考えていると、事態はさらに悪化することになる」(25ページ)だけです。

 それを避けるためには、「イノベーターのマインドセット(能力、知性、才能は育てることができ、それが新しくてよりよいアイディアの創造につながるという信念/思考様式)」を教育関係者がもつことを提唱しているのが本書です。
 そして、確実に言えることは、もし「イノベーティブな(創造性に富み、枠にとらわれずに行動ができること」という意味)生徒」を望むなら、まずは「イノベーティブな教師」が欠かせません。

 そのイノベーティブな教師の8つの特徴を詳しく説明してくれているだけでなく、図解までしてくれています。
 そして、今日の授業で求められる8つの特徴も詳しく。
 さらには、それを実現するために教師にできることも。
 (日本語訳には、もちろん、これらの図の訳が掲載されています!)

 ここでは、それらについての詳しい紹介はできませんが、大事なポイントを二点だけを紹介します。

① 授業の中心は教師ではなく、生徒全体でもなく、生徒一人ひとりであると述べています。このような環境をつくり出すために毎日問われなければならない質問は、「この学習者にとって、何が一番よいのだろうか?」ということです。(15ページ)
イノベーティブな教師になるための鍵となる質問(40~44ページ)
・自分自身がこのクラスの生徒になりたいか?
・この生徒にとっての最善は何か?
・この生徒がもっている情熱は何か? ~ あなたは、一人ひとりの情熱や興味関心やこだわりを把握していますか?
・真の学びのコミュニティーを学校につくり出す方法にはどのようなものがあるか? ~ 日本で従来からやられている教員研修・研究でないことだけは確かです! 創造的な企業が導入していることが参考になります。
・今やっていることは、どのように生徒たちの役に立っているのか? ~ 習慣的にしていることを見直す必要があります!

 このように、本書には変化をもたらすための(思考を活性化してくれる)いい質問がたくさん掲載されています。「満載」と言ってもいいぐらいに。著者自身も、答えを提示するよりも、問題提起をする本と位置づけているぐらいですから。
 そして、いい問いを出すための一つの具体的な方法として、著者は「もし~なら」と考えてみることを提唱しています(163~4ページ)。たとえば、
・もし、生徒が唯一の学習者ではなく、学校にかかわるすべての人が「学習者」として学校が運営されていたら、どのようになるでしょうか?
・もし、リスクを取ってでもチャレンジすることを教師と生徒に推奨し、それを自分自身も管理職としてモデルで示したら、どのようになるでしょうか?
・もし、生徒だけでなく組織内の全員が夢を追うことを奨励されたら、どのようになるでしょうか?

② もう一つは、一人ひとりとの関係の大切さです(著者は、それを視覚的に「関係、関係、関係」と3つも繰り返すことによって、強調しています。一回や二回ぐらい書くだけでは、まったく不十分だからです!)。すべての基盤なのですが、これほど昨今の日本の教育で軽視されているものはないかもしれません。

本書は、常に「学習者ファースト」が貫かれており、学習者のために、常識にとらわれず、最善を尽くそうと呼びかけています。学習者の中には、生徒はもちろん、教師や管理職、保護者や地域の人など、すべての人が含まれます。その意味で、この本は、あらゆるレベルと領域の教育関係者に向けて書かれていますが、教育関係者以外にも刺激になる情報が満載です。
 ワクワクするようなヒントや問いをあちこちに散りばめ、最初から最後まで読者を励まし続けます。読めばあなたも自分の能力を信じることができ、すぐにでも動き出したくなるに違いありません。この夏にぜひ本書を読んで、その中から気に入ったアイディアをいくつか選び、秋から実行に移してください。

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※ なお、送料を抑えるために割安宅配便を使っているため、到着に若干の遅れが出ることがありますので、予めご理解ください。