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2020年2月23日日曜日

『教科書をハックする』

まもなく、邦訳『教科書をハックする』(新評論)が発売されます。
この本は、リリア・コセット・レント(ReLeah Cossett Lent)さんによって書かれたものです。彼女は中学・高校での教職経験後、セントラルフロリダ大学のリテラシー・プロジェクト創設メンバーとなり、現在は教育コンサルタントとして、リテラシーから学校や教育委員会の(授業を本質的に変える)実践コミュニティーまでをテーマにワークショップを行っています。
 彼女は本書のなかで次のように書いています。

実際のところ、教科書疲労には「もう教科書にはうんざり」という倦怠感以上のものがあります。それは、教科書や指導案をカリキュラムの手引きとして使うこと、すなわち教科書会社が概要を示した順序と、その提供する活動の両方をロボットのようにただこなすだけというもどかしさです

この「教科書疲労」という言葉は、金属疲労にたとえて彼女が使った造語です。固い金属は壊れるとは思われていませんが、長年使われることで破損する場合があるのと同じく、国が関与して厳重につくられている教科書も「ほころびる」ということを意味しています。この本では、どのようにすれば教科書疲労に対する解毒剤となるように、さまざまな資源とツールを教師と生徒が使いこなして、生徒が積極的に学ぶ意味を感じられるような授業をつくり出せるかを私たちに解き明かしてくれます。

たとえば、第2章の「予備知識」では、予備知識が「すべての学びは、それまでの経験からもたらされる。初めて学ぶことでさえ、これまでの経験と予備知識をもとに行われる」という識者の言葉を引用してその重要性を教えてくれます。そして、どのようにすれば、生徒たちの予備知識を教師が授業前に把握することができるのか、その具体的な方法についても言及しています。「予想の手引き」を作成して、これから学ぶ単元に登場する重要な概念について生徒たちに予想をさせます。この活動によって、生徒たちは興味・関心をもって授業に臨むことができるわけです。

また、生徒たちの予備知識を培う方法として「絵本を利用する」ことを著者は薦めています。なぜ絵本を利用するかという点に関して、著者はある研究者の次のような言葉を引用しています。 

子どもの本として知られる絵本は、小さな子どもたちのためだけにつくられたものではありません。驚くべきことに、1000文字ごとに含まれている難しい言葉の数は、ゴールデンタイムのテレビ番組や大学生の会話以上なのです。 

また、日々の授業のなかで、教科書に登場した語彙を効果的に学ぶためにはどうすればよいか悩んでおられる先生方も多いと思います。そのような問題を解決するために、著者はいくつもの方法を具体例も交えて紹介しています。たとえば、「見える化用紙」(考えることを促進するツールで、図式による表現方法が用いられています)を利用して、視覚的にわかりやすく整理するやり方や、「読み聞かせ」を積極的に利用する方法などを説明してくれています。 

まだまだ紹介しきれないほどの宝の山がこの本のなかにありますので、ぜひ手に取っていただいて、お読みいただくことをお薦めします。

2018年9月30日日曜日

組織づくりのリーダーシップ

 今回は学校組織の形成に校長がどうかかわるかということを考えてみたいと思います。
 以下は2006年にジョージア州を訪問したときにお会いしたジョージア大学のゼペーダさ 
  んの著書Ref lective  Supervisor」の一部をヒントに作成したものです。
 組織づくりをしていく上で、校長がどうあればよいかを考えたものです。
 そこで、具体例を通して、大きく分けて次の5つの視点から考えることにします。

1 校長は学校の状況(実態)をどう把握すればよいのでしょうか

昇任又は異動によって新しい学校の校長になった者が自分の担う役割をどう現実的に考えるかを例に取り上げます。

情報源
 まず行動を起こす前に、校長としてどのような役割を期待されているのかという情報を
  集める必要があります。第一段階は、多くの情報源から公平な立場で情報を集めること
  です。


★情報収集の重要性
 公立学校では転任者が毎年何名かいます。
 校長は次年度の職員構成を考えるにあたり、転任者の情報を必要とします。
そのようなとき、電話で前任校の校長から情報を仕入れるわけですが、
 手が正直に答えてくれる場合ばかりとは限らない。したがって、時にはその


誤った情報で学級担任などを決めてしまうこともあります。
年度始めの数日でその人となりを見極めることはなかなか難しいのが現実で
す。


校長にとって最初の情報源は教頭(副校長)です。教頭が新しい校長に何を期待しているのかを理解する必要があります

2の情報源は前任者です。また、教頭(副校長)と教務主任、学年主任たちとの関係を 理解しておくことが必要です。前任者が主任層との関係に問題があった場合は、主任層との信頼関係を築くことが学校経営上不可欠でしょう。
また、これまでずっと続いてきた仕事、問題解決のパターン、重要なデータファイルのある場所について、前任者から個人的に引き継ぐ必要があります。

第3の情報源は主任層です。
主任たちと学校に関すること、学校に今必要なこと、その方向性について話し合うことが求められます。このことは、リーダーシップとして大切な傾聴と問題解決という技能を発揮するよい機会を与えてくれることになります。異なる意見に対して寛容であることが求められます。
 批評的な情報を集めるには他にも方法があります。他の職員とも話したらよいでしょう。尋ねるべき質問はたくさんあるでしょう。「彼らがその役割についてどう感じているのか」「管理職とはどのようにつきあってきたのか」「校長のリーダーシップについてどう考えているのか」など。
また、過去のメンバーの評価、予算や連絡、管理に関する覚書や会議の議事録などが重要なデータとなります。

振り返り
あなたは校長として新しい学校に赴任して、その学校の職員の雰囲気、人間 
関係を知るためにどのような方法を取りましたか?

2 校長はビジョンをどのように作ればよいのでしょうか

 校長に求められていることは自分の役割を理解することです。校長として求められているものは何でしょうか? 
だれもがその役割について違った意見を述べるでしょう。この質問にうまく答えるためには、進むべき進路を定めることです。一方で、どのメンバーも喜ぶようなことをしようとすれば結果的にはだれも喜ばすことはできないでしょう。また一方でだれの言うことにも耳を貸さないとすれば、すべてのメンバーとの関係が壊れてしまうでしょう。
いずれにしても、仕事をうまく進めることもできないし、組織への貢献もできないと思われます。
力のある校長になるためには、教頭や職員と一緒にうまく仕事を進めていくべきです。校長がその組織の目標を達成するためには、共にやることが大切なのです。協働者なしには、どんな組織も、そのミッションを達成することはできません。

学校の実態を把握した後は、学校として目指す目標・ビジョンを明らかにする必要があります。結果としてできあがったものよりも、作成する過程の方がはるかに重要です。
学校の実態を明らかにする作業と同時に、ビジョンづくりの参考となる様々な事例・情報を収集することです。
その結果、集められた情報を関係者と共有します。この関係者の中には、保護者・地域住民の代表が参加している地域協議会のような組織が含まれます。そして、ビジョン作りの会議を持つのです。(中学校であれば、生徒代表が入ることも考えられます。)

 部下職員の所属意識を高めるにはどうすればどうすればよいのでしょうか

 心理学者は人間にとって所属意識が重要であると言います。それは人間にとって大切な動機です。われわれは所属意識が感じられないときは、他のメンバーや組織に対して疎外感をふくらませてしまうでしょう。所属感を感じられる職員は、学校のためによく働くし、忠実に仕事を進めることができます。
 ◆振り返り
 あなたは部下の所属感を高めるためにどんな工夫をしています
 か?






4 生き生きと部下が働けるようにするためにはどうしたらよいでしょうか

校長の中には、校内に競争原理を持ち込むタイプがいます。
しかし、これは結局、職員たちにとって利益になりません。
競争原理を持ち込めば、絶えず自分たちの利益を守ることが目標になってしまいます。
したがって、校長が学年間の連携・協力関係を作ることが重要となります。校長が職員に対して、同僚との良好な関係を築くよう配慮すれば、協働的な雰囲気が醸成されます。
もうひとつの失敗例は、タテとヨコの組織の分裂です。校長があるグループと他のグループを競わせるようなことをすると、内戦状態になります。

例として予算要求の例が考えられます。
もし、ある教科が昨年削減された予算の回復に成功したとしても、それは近視眼的な勝利です。なぜなら、その教科が予算の回復に成功したとしても、それは他の教科を削って得たものにすぎないからです。その小さな勝利はまた新たな敵を生み出してしまうことになるのです。


 ★これは給与・待遇に連動した教員評価において同様の例が見られます。 
ある自治体の公立学校では、教員に対して4段階の評価がなされ、下のランクに評価された教員は昇給が延伸されたり、賞与の額が減額されたりしています。その減額分は成績優秀者に対して与えられるというシステムです。これなども互いに競わせて勤労意欲を高めようという競争原理に基づいた組織活性化法と言えるでしょう。
しかし、上記の話からも、これは両刃の剣であることがよく理解できます。
  たしかに、一生懸命働いても、そうでなくても給料に差がつかないのはお 
 かしいという考えも成り立ちます。しかし、時代の変化と共に、「協働
 性」が重視されている学校において、チームプレイや連携プレーが要求さ 
 れているにもかかわらず、その協働性を分断するような成果主義であれば
 それは学校にとってマイナスです。


5 組織づくり成功のために校長に求められるものは何でしょうか

  力のある校長は部下の話をよく聞く
  リーダーシップというと、常に部下に対して指示を与えることと思いがちですが、決してそうではなく、部下職員の話に耳を傾けることが大切なのです。
このコミュニケーションの基本が守られていて、初めて部下職員は校長の言うことをきくのです。

  力のある校長は正直である

正直さは校長の行動やことばに滲み出ています。
これらの行動やことばはどのような与えられた状況のなかでも、常に正しいことをやろうとする意欲と関連しているものです。正直さをもって校長が行動しているときは、すべての部下がその校長を言行一致の人とみなすでしょう。陰での取引や依怙贔屓などがないことです。そのときは校長の行動が、組織に対して正直さ、公平さ、統一性として反映されるのです。正直に行動することにより、校長は信頼と高い倫理的な原則に基づいた校内文化を作り始めることができます。


 ★部下職員が意欲をもって仕事を進めることができるためには、やはり
  校が自らそのモデルとなる必要があります。
 「正直さ」という範を示すことで部下は安心して職務にあたることができます。




「モデル」となって示すことは「言うのは簡単だが、実行は難しい」のです。自分のことは棚に上げて、言行不 一致の上司にはだれもついていきません。生徒が担任教師のことをよく見ているように、部下職員も校長のことをよく見ているものです。



 ◆振り返り
 校長として部下の信頼を失わないためには、どのように行動すればよいの 
 でしょうか?



2015年6月28日日曜日

探究の科学とリテラシー


The Essentials of Science and Literacy
   
 この1か月間、大学の同僚と表記の本をテーマに読書会を行いました。

Karen Worth他・Heinemann2009で、著者たちはEducation Development Center, Incというところに所属している人たちです。

 この本の最後の「Conclusion」に次のように書いてあります。(同書p.92)
   
 探究をベースとした科学は、生徒のライティングに本物の内容を提供してくれます。探究活動を行って集めたデータを利用して、ライティングプログラムで教えられたやり方をもとにしてノートに記録をしたりするときに、生徒はそのプロセスと内容についてオーナーシップを感じることができるのです。
    生徒は直接行った探究活動について書くとき、その分野や、読者、どんな情報をそこに含めるか、そしてどのようにして自分の考えを述べるのかについての選択権をもつことができるのです。同時に、それによって、彼らは科学の知識や書き手としてのスキルを高めることができるのです。

 
 学ぶ対象が「本物の内容」であるということがまず重要です。教科書に書いてあることをカバーすることが主なのではなく、探究を基礎とした学習活動のなかで、本物の科学者と同じように学んでいく点が何よりも魅力的です。ですから、ノートの記入も自分が見出だした主張を裏付けるようなデータをきちんと記録しておく、サイエンスノートブックなのです。

 そして、科学の知識を深めると同時に、「書き手としてのスキルを高める」という点も良い点です。このようなやり方こそ、「言語活動と各教科の連携」です。

 また、この本の第1章には探究学習のサイクルとして次のような図が紹介されています。

 この頭のところにある「Engage」は、このブログのパートナーに教えてもらったことなのですが、「夢中になって取り組む」というイメージが最もよい訳語だと思います。子どもたちが「夢中になって取り組む」ような学習が、多くの教室で展開されるように、この考え方が理解されていくとよいと思います。

2014年12月14日日曜日

カリキュラムづくり


アメリカは一時よりも経済が回復しているようです。その一因となっているのが、シェールオイル、シェールガスの産出です。この掘削に利用しているのが、「水圧破砕」という工法で、水と砂、化学物質を高圧で地下のシェール(頁岩)層に注入して、その岩石の亀裂からオイルやガスを取り出すというやり方です。これによって、以前からの油田に加え、アメリカ全体の産油量が増加し、それによって石油精製を始めとして、化学産業が活気を呈してきているようです。

 

このような最近の話題を早速、学校の授業に取り入れているアメリカの教師たちがいます。

LDC(Literacy Design Collaborative )という民間団体があり、そこに所属する人たちが高校生向けの授業プランを作成し、Web上でも公開しています。

    このプランの面白いところは、シェールオイルやガスの採掘に関して、賛否両論があるにもかかわらず、それらを含めて、生徒たちに議論させようというところです。もちろん、推進派と反対派の両方の考え方、科学的な根拠などを提示しながら、ち密に計算したワークシートを利用して、生徒たちの主体的な活動を促すような活動計画です。

    その一部には、「映画の台本を作る」という学習活動があります。そこでは、生徒のためにサンプルが提示されています。その部分を以下に紹介します。

    スティーブ・ツリーマン(環境保護グループの科学者)とトム•ドリラー(ガス会社の科学者)は、ホワイトハウスのバラ園でオバマ大統領と会談している。どちらの科学者も彼らの前にたくさんの論文を広げている。ツリーマン博士の情熱的で要点を押さえた話をオバマ大統領が熱心に聞いている。

 
   ツリーマン博士: それが私たちの水に害を与えるので、安全ではありません。水圧破砕の井戸の近くから取水したサンプルは、水圧破砕の井戸のない地域よりもその中に17倍以上のメタンを含んでいました。
   
   ドリラー博士: しかし、スティーブ、水圧破砕がその地域で始まる前は、このメタンが存在しなかったことや細菌の正常な代謝機能の結果自然にできるものではないからです。
   
  ツリーマン博士: (大統領に向かって体を傾けながら)大統領、深いシェールガスからのメタンの同位体と、細菌によるメタンの同位体を比較する試験によって、水中のメタンが細菌からのものではなく、もっと深いところからのものであったことが証明されました。・・・

(Literacy Design Collaborative :Hydrofracking__Pam_Meyer20140102-2-zl3jhzより)
  
   賛否両論がある科学的な話題を取り上げるのは、容易ではありませんが、生徒にとってはとてもリアルタイムで面白いテーマだと思います。

 STS(Science Technology Society)教育がしばらく前に話題になりましたが、そのときの先駆者たちもアメリカの教師でした。サイエンスはまさに現代社会と密接に関連しており、そのリアルな話題を可能な限り授業の中で、取り上げていくのは「教室の中だけで完結する」これまでの学びを広げ、面白くしていくしかけの一つだと思います。ただ、それには十分に考えられた授業プラン、カリキュラムが必要です。年間に一つでも、そのようなオリジナルのプランを作って、子どもたちと追究してみてはどうでしょうか。

そのような教師が増えて、交流の輪が広がっていくことが教育改革の一番の近道のような気がします。

 

2014年12月7日日曜日

教科横断型の授業


  先月10日に「世界教育戦争」(アマンダ・リプリー/ 北 和丈訳・中央公論新社)という本が発売されました。原題は「The Smartest Kids In The World」です。
   この本には、3名のアメリカ人高校生がそれぞれフィンランド、韓国、ポーランドに留学する話が紹介されています。

    113ページに次のような文章があります。エリックと言う高校生(高校はすでに卒業しているが、大学に入る前に海外留学をしたくて交換留学生になる)が韓国に留学するのです。

 
「面白いことに、エリックが韓国で本当に楽しいと思えた唯一の授業が数学だった。

~(中略)~

  受けていた授業は、表向きには幾何学ということになっていた。幾何学を習って高校を卒業しているエリックには、理解できない内容はほとんどなかった。ところが、韓国の生徒たちが幾何学を学んでいる方法そのものは、エリック自身が経験してきたのとはまったく異質のものだったのである。

 先生の話は、三角法や微積分などいろいろな分野をまたぎつつ、あたかも幾何学が数学という大きな宇宙に浮かぶ太陽系の一つにすぎないと言わんばかりの筋立てで進んでいった。異なる分野を組み合わせることで現実世界の問題を解決することができる数学は、もはやきれいに分類された科目としての数学とは別物だ。」

 
   韓国の数学教師がすべてこのような教科横断型というか、学際的なアプローチのしかたで数学を教えているとは思いませんが、このような実践をしている教師がいることは事実のようです。エリックもアメリカで受けた教育の中で、このような体験をしたことがなかったようですので、アメリカでも少なからず教科書をベースにした知識注入型の授業があることも事実のようです。

 
    以前からわが国でも教科横断とか、教科統合の話はありますが、なかなか現実には前に進みません。「総合的な学習の時間」は、唯一それが公式にできる場であったわけですが、どうもスキル獲得とか、別な方向に逸れていきました。

「教科縦割り主義」は教える側の都合が優先されてきたとも言えるわけで、子どもたちの側からすれば、つながりの見える形で学んだほうが、より面白く学べるわけです。

『「読む力」はこうしてつける』(吉田新一郎・新評論2010)は、こうした教科縦割り主義を打破するヒントがたくさん紹介されている本です。この本を手掛かりに、多くの子どもたちが意欲的に学べる実践が各地で展開されることを期待したいものです。

2014年11月23日日曜日

教育の情報化


先日ある小学校の公開研究会に参加してきました。

研究内容はICT教育、いわゆる情報教育です。


ICT教育は世界の潮流であることは間違いありません。ただ、これまでのアナログの部分で大切にされてきたものまで捨ててはいけないと思います。

たしかに、タブレットパソコンを子どもたちに持たせて学習させることで、たとえば子ども同士のコミュニケーションが活発に図られるようになったとか、お互いの考えを出し合い、それを練りあって、より高いレベルの思考にたどり着くことができたとか、成果はいろいろあります。


でも、それらの多くはアナログ時代にもできたことなのです。時間の短縮とか、実践後の記録保存などの点ではデジタルが優れていることはもちろんです。ただ、そのようなことよりも、たとえば、子どもたちが探究する「課題の質」「問いの質」はどうなのかということが優先されるべきでは?と考えてしまいます。

 

「デジタル社会の学びのかたち」(A・コリンズ&R・ハルバーソン著・稲垣 忠編訳、北大路書房)の冒頭の部分に「日本語版への序」という文章があるのですが、次のような内容です。

 

「新しいテクノロジは、これまでの学校のあり方に疑問を投げかけています。何世紀にもわたり、教育とは、専門家や知識、スキルに対するアクセスが制限されていること、つまり情報の欠如によって定義されてきました。」(同書・日本語版への序ⅲ)

 

まさにその通りです。これまでは学習者は勝手に知識にアクセスできず、必ず教師という先導者がいて初めて知識にふれることができたわけです。ですから、教師の教え方も当然「教授型」となるわけです。しかし、インターネットを始めとして、コンピュータの進化によって、様々な知識のデジタルアーカイブにだれもがアクセスできるようになった今、教師の手を経ずしてもだれにとっても手の届く存在になったわけです。

でも、学校はなかなか変われません。

 

「生徒たちは、自分自身の関心より、学校の教育内容は価値があるものだと信じることが求められています。」(同書・日本語版への序ⅳより)


「何のために学ぶのか」が納得できないまま、受験のために必要だからというような理由で多くの生徒は授業に向き合っています。

 

「一方、新たなテクノロジは、子どもたち自身の手で学習環境をつくり出すことを促します。」また、こうも述べています。


「一方で新しいメディア・テクノロジは、学習者一人ひとりのニーズ、目標、スタイルを支援します。」(同書・日本語版への序ⅳ・ⅴより)

 

 要するに、これまで教師主導の教授型授業の時代は、すべて教師のおぜん立てによる授業で済んだのかも知れませんが、コンピュータというテクノロジが入ってきたことにより、いやでも授業スタイルは学習者主体に変わらざるを得ないわけです。ただ、一つ危惧することがあります。

 もし、この新しいテクノロジを基礎・基本の定着と称して、ドリル型の授業で知識を詰め込むために使うのだとすると、何も変わらないことになります。

 このあたりのことを同書は次のように分析します。

 

「多くの教育現場で説明責任のプレッシャーの増すなかで、スキルの練習と、必要とされる学習内容をカバーすることに、労力の大半が費やされています。伝統的なスキルと内容理解を測定することばかりが強調されているところで、イノべーティブな授業実践が広がることはないでしょう。」

 

 この分析もその通りでしょう。かつて、アメリカのラリー・キューバンという教育社会学者が1990年代のアメリカでのコンピュータ教育の実態調査を行って、結局はコンピュータという技術革新が教室の学びを変えることはなかったと結論付けています。

 

 今のICT教育がこの轍を踏まないようにするには、このブログで取り上げている「学び」を実現することです。方向性が見えたら、あとは実践あるのみです。

 

2014年8月31日日曜日

本の紹介


今回は1冊の本を紹介したいと思います。

「言語活動ポートフォリオ実践案内」(小田勝己・アカデメイア・プレス発行)です。

 

著者の小田勝己氏は外交官の経験を有しますが、その外交官時代にアメリカにあるリベラルアーツのカレッジに留学した経験が氏の哲学的な背景にあるようです。

 

本書の第1章は「深い学びの経験は人の心を蘇らせる」というタイトルであり、まず「深い学び」とは何かを問います。その深い学びを学校現場で実践した例として、デボラ・マイヤーを取り上げます。

 

「この人は、本質的な問いを中心に置いて、つまづきやのめり込みをあえて認める度量のある学びを、大学進学者がほとんどいない居住環境が劣悪な地域の高校の生徒たちに与えた。生徒一人ひとりは異なった言語素材を読み、考え、データを探し集め、読み込み、考え、文章化する。ほとんどの生徒が、深い学びのおもしろさに人生で初めて気がつき、蘇る。」(同書p12)

 

タイトルにある「心を蘇らせる」とは、「本当に学ぶ面白さに気づき、学ぶことにのめり込む」ことを「蘇る」という言葉で表現したもののようです。教科書の知識を注入するような授業ばかりで、「学ぶことの面白さ」に気づけない子どもが今でもたくさんいるわけですから、「本質的な問い」を追究していくなかで、学ぶことにのめり込んでいくような体験ができると思います。そう考えると、デボラ・マイヤーの実践は現代の我が国の教育にもつながる貴重な実践だと言えるでしょう。

(マイヤーの実践に関しては、かつて東京大学にいた佐藤学氏(現在は学習院大学)がその著書のなかで紹介していました)

 

この「本質的な問い」の作成には慣れるまでは時間がかかるものです。

「この種の問いは、教科のなかの重要テーマをがっちりとらえておかなくてはならない。そうでないと、ただの難問に終わってしまう。深い学びと難問は、まったく別である。」

(同書p.13)

 

この本は様々な教科で「本質的な問い」を追究し、その学びのプロセスをポートフォリオとして蓄積していくためのよい手引きになっています。

 

このエッセンシャル・クエスチョン(EQ)は、次期学習指導要領の改訂を見据えて、現在文部科学省の調査研究事業でも話題になっているテーマです。これから注目していっても、決して的外れではない研究テーマだと思います。

2014年1月12日日曜日

授業を変えていくためには



先週の記事に対するコメントから始めます。

 

(先週の記事からの引用)
 
多くの校長やリーダー(管理職以外の学校レベルのリーダーや教育委員会の指導主事)は、多くの教員たちが「子どもたちが主役で、主体的に学ぶ授業」ができていないことを知っている。教科書をカバーする授業が横行していることを。・・・(引用終わり)

 

これまで私自身も「子どもたちの主体的な学び」という言葉を数多く発してきましたし、また頻繁に耳にしてきました。研修会などでは必ず出てくる言葉ですし、指導主事を招へいした研究会では必ず言われることだと思います。日本の子どもたちの教科に対する興味関心の度合いが低いことは国際学力調査などで度々指摘されることですが、このことは裏返せば、「子どもの主体的な学び」が実現していないことを示しています。表面的・形式的な「主体的学び」では意味がありません。「教科書をカバーするだけの授業」は以前よりは少なくなってきつつあるとは思いますが、それでも相当数の教室では日常的に「教科書をカバーする授業」が続いています。

 

最近、小学校の英語を3年生から始めるということや高校で日本史を必修化するという話を聞く度に、教師の教え方が変わらなかったら、内容をどうしようが何も変わらないではないかとつくづく思います。

 

教科書をカバーする授業から抜け出るために、まずカリキュラムづくりから始めてはどうでしょうか。各学校にはそれぞれ各教科等の指導計画が用意されていると思いますが、それを利用するだけでなく、ぜひ自分で担当する教科のカリキュラムづくりを行ってみるとよいと思います。年間のすべての単元でいきなりは無理にしても、いくつかの単元に手をつけてみるところから始めてはどうでしょうか。教科書も数ある指導資料の一つと考えて、目の前にいる子どもたちがよく学べるようにするには、どんな課題、発問を用意して、どんな資料を使えばよいのか、そんなことをいろいろと考えるのが、教師の仕事の面白味の一つだと思います。
 
今、都市圏の小中学校では団塊世代の教職員の退職で、若手の教師が増えていますが、若手の研修というか、自己研修で取り入れてほしいものです。「忙しくて、そんな余裕がない」と言われてしまいそうですが、そこは管理職の出番です。また、不幸にしてそういう上司に恵まれない職場にいる人は、自分で仲間を作りながら、ぜひ追究してほしいと思います。

 

 

 

2013年12月22日日曜日

本質的な問い その2


「どうして国々は戦争を始めるのか」という問いが先週紹介した『「教える」ことの覚え書き』シェリー・ヘンドリックス/ラッセル・クライン(フィルムアート社)に掲載されていました。
 

最近、大学生たちと一緒に丸谷才一さんの「思考のレッスン」を読んだのですが、丸谷さんも「なぜ戦争が始まるのか」が子どもの頃からの疑問であったと書いてありました。実は、私も小学生のころからずっと疑問に思っていました。
 

もう還暦にあと二年になった今の私に言えることは、戦争を始める裏側には必ず、金もうけをしようという人間の欲が絡んでいるということです。よく、宗教的な対立とか、民族間の対立が原因でと解説されることもありますが、それだけではないようです。

第二次大戦のとき、ドイツでヒトラーがあれだけ権力を独占していく過程で、アメリカの資本家たちの後押しがありました。その後対立することになったアメリカの資本家たちがなぜヒトラーを支援したのか、そのことだけを取り上げると実に不可解です。しかし、欧州での戦争が拡大するにつれて、アメリカの軍需産業の工場がフル回転し、完成した兵器が欧州に送り込まれました。これによって、アメリカの兵器産業を中心とする資本家たちは莫大な利益を手にすることができたわけです。
 

このようなことも第二次大戦に関係する本をいろいろと読み漁って、初めてわかったことです。「なぜ、戦争が起こるのか」というような問題意識、自分としての課題のようなものがあると、本を読むということは実に楽しい活動です。不思議なことに、一つのことがわかると、次から次へと、新たな疑問がわき、さらにそれを追究していくということになります。
 

このような知的な活動を学校の授業の中で行えれば、子どもたちも夢中になって学習に取り組むことができるのだと思います。ですから、どのような課題・質問を子どもたちに投げかけるかということが重要になってきます。ぜひ、単元の中で、その教科の根幹にかかわる「本質的な課題」、しかもそれが子どもたちの側から出されたアイデアや発想をもとにしたものになるといいですね。
 

そのためには、教師は常に世の中の様々なことに関心をもち、また自分なりの関心事をもち続け、アンテナを高くすることができるとよいと思います。このことは、まさに教師としての生き方の問題でもあります。

今年の私の担当は今回が最後になります。

学力テストの結果公開や、道徳や小学校での英語の教科化など、様々な問題がありますが、これをお読みのみなさんがそれぞれの持ち場で、「本質的な仕事」をされることを心より願っております。

 

 

2013年12月15日日曜日

本質的な問い


仕事帰りによく書店に立ち寄ることがあります。インターネットで買うことも多いのですが、実際に書店に足を運んで直に本に接することで意外な本との出会いがあります。先日も『「教える」ことの覚え書き』シェリー・ヘンドリックス/ラッセル・クライン(フィルムアート社)という本に出会いました。

本の帯には「教師の仕事に終わりがあると思うな」とありました。編集者の人もうまいキャプションを入れるものですね。そのキャプションに目を奪われて、ついつい手に取ってぱらぱらと中味をめくってみたのです。
 

そこで、目に入ったのが今日のタイトルの「本質的な問い」というフレーズです。同書の解説では本質的な問いとは、「その科目の根幹にかかわる問い」(同書40ページ)のことです。この本には丁寧にその例まで巻末につけてありました。

たとえば、科学では「太陽は地球上の生きものにどんな影響を与えているか?」、「生きているとはどういうことか?」、「エネルギーの源はどこにあるのか?」、「脳が知識を構成するしくみはどうなっているのか?」などが例として挙げられていました。
 

実は、私も10年近く前にこの本質的な問いの作成に取り組んでいました。

授業づくりをいろいろとやっていく過程で、課題や問いの重要性を認識したからです。よい授業をするにはどのような問いを子どもたちに提示できるか、それがとても大切だと思うようになっていたからです。残念ながら、この話を若手の先生方にしてもあまり興味をもってくれる人はいませんでした。こんなやり方よりも、教科書通りに教えているほうが楽だからです。

それ以来、しばらく「本質的な問い」については忘れていました。
 

しかし、福島原発の事故以来、理科のカリキュラムはやはり考え直さなければいけないという思いがありました。原発賛成・反対の立場は別にしても、科学と技術と社会のあり方についてもっと考える機会を作ってもよいのではないか、そんな思いです。それには、子どもたちが科学者のように考え、探究する理科の授業の実現を目ざす必要がありそうです。引き続き、自分の研究課題にしていこうと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2013年11月24日日曜日

インストラクショナルデザイン


「インストラクショナルデザイン」島宗 理(しまむね さとる)2010産業図書 という本があります。大学での授業で使うために読んでみたのですが、興味深い箇所がありました。

それは、「インストラクション16の鉄則」です。

 その鉄則とは以下のようなものです。

 

   何を教えるのかをはっきりさせる

   学びにコミットする   「教える」=「学ぶ」ではない

   何のために学ぶのかをはっきりさせる

   成功の基準を明確にする

   標的行動を見せてやらせて確認している

   意味のある行動を引き出している

   正答を教える

   誤答を教える

   スペックを明記する

   学び手に関する情報を把握する

   学び手は常に正しいとする視点を忘れない

   教え手に関する情報を把握する

   学ばせて楽しませる工夫をする

   個人差に配慮する

   「わかりました」で安心しない

   改善に役立つ評価をする

 

このブログで取り上げている内容とも共通するものが多いのですが、特に次の二つに注目しました。

 

鉄則�「標的行動を見せてやらせて確認させる」

 分かりやすく教えるには

  標的行動を

(1)   説明する(見せる)

(2)   行動させる(練習させる)

(3)   習得を確認させる

 

鉄則中の鉄則�「学び手は常に正しい」

個人攻撃の罠

子ども(学生)が宿題をやってこない→「こいつら、やる気がなさすぎ」

同じことを繰り返し説明してもわからない→「この子()は適性がない」

 

 自分が教えた子どもができないのは、子どものせいだとする教師は少なくありません。

「私はちゃんと教えたのに、できないのは(忘れてしまうのは)子どもがわるい」
 こんな言い方をする教師に出会ったこともありました。
そんな、「個人攻撃の罠」にはまらないようにして、「学び手は常に正しい」と考えることで教師としての力量向上を図れるのではないでしょうか。

 

この本には次のような演習問題があります。

 

問1          あなたは小学校6年生の学級担任です。いつも宿題を忘れる児童に対して、個人攻撃の罠にはまらないように、なぜこの子は宿題を忘れるのか、考えられる原因をすべて書き出してください。(荒唐無稽の原因でも構いません)

 

  「この子は、いつも宿題を忘れて、やる気がないんだから」と決めつけずに、このような視点から考えてみることも大切です。

そして、この本では「インストラクションとは相手から何かの行動を引き出すための仕掛けである」と結論付けられています。

 

 もう一つ興味深い紹介がこの本にありました。

関連サイトとして、アメリカ・シアトルのモーニングサイドアカデミーの話が書かれています。

シアトル郊外にある私立学校で、インストラクショナルデザインの考え方を取り入れて、学習障害などの子どもたちを指導している学校だそうです。
興味のある方は以下のURLをご覧になってください。