2022年12月24日土曜日

科学の作法を身につける

大学で教養科目の「生物学」を教えていたときに、高校で生物学を履修していない学生にも興味をもってもらうために、関連する図書を資料にしました。そのなかで、石浦章一さんの『小説みたいに楽しく読める 生物科学講義』(羊土社)は読んでいて面白いと思えるものでした。その石浦さんが今年の10月に『理数探究の考え方』という本を出されました。「理数探究」とは、2022年度から高校で新設された教科「理数」で、「理数探究基礎」とその上位科目の「理数探究」から構成され、選択科目になっているものです。この科目は数学と理科の知識や技能を総合的に活用することをその目標にしているものです。いわゆるクロスカリキュラムですので、高校の先生方もその実施には苦労されているのではないでしょうか。

 この本には、「理数探究」を進めるにあたっての授業のヒントもありますが、どちらかと言うと、理科教育全般についての話が多いようです。その中で、小学校の理科について、次のようなくだりがありました。(同書102ページ) 

 

 小学校で理科がどう指導されているかというと、理科と実生活の関連を図る授業が少ないのです。「教えることが多くて教科書を進めるだけで精一杯」という言葉もよく聞かれます。本当に必要な理科専任の教員がすべての小学校に配属される、こういう時代にならないといけません。

 

 後半の理科専任教員の配置は現実的には難しい問題かもしれませんが、前半の実生活との関連を図る授業は実現可能ですし、すでに取り組んでおられる先生方も多いと思います。

 今から30年くらい前に子どもたちの「理科離れ」が問題になり、様々な施策が打たれました。理科の専門家を特別講師として学校に派遣したり、博物館・科学館と学校との連携を推進したりといろいろありました。それらの事業は当初3年くらいは文科省からの支援がありましたが、その後は補助金が打ち切られました。そうなれば財政に余裕のある自治体ならいざ知らず、多くの自治体や学校はそれでおしまいとなったように思います。依然として、「理科離れ」は解決されない問題として積み残されたままです。特に高校から理系の大学に進学する学生の5割が文系、3割が理系のようです。科学技術立国を国の目標とするならば、理系をあと1,2割増やす必要があるでしょう。

 さて、小学校理科に話題を戻しましょう。先ほどの石浦さんは小学校理科で、「ものの大きさを数字で表す」「実験は何回かやって、データの平均を取る」「結果をグラフで表す」などの科学の作法を発達段階ごとにきちんと教えていくことを強調しています。

 たとえば、「大きな花がさいた」というときに、身近な何かと比較したり、大きさそのものを数字で表したりすることが理科では重要であるというわけです。これをやっておかないと論理的にものを考えるなどと言うことが難しくなります。

もっとも小学校学習指導要領【理科】の目標の中に「自然を愛する心情を育てる」という情緒的なものが入っています。感性を大切にするというのは、人格の完成には不可欠のものですが、科学そのものとは別物です。案外そこをいい加減にしている教師も皆無ではありません。

高等学校理科の目標にはこの心情的な目標はありませんので、ぜひそこにつながるように自然科学の基礎的な作法は義務教育段階で養っておきたいものです。また、科学と数学は切り離せないものですから、理科同様に算数・数学にも力を入れたいものです。そのためには、算数を教える教師は「数学の本質」を理解しておくことが大切になるでしょう。

『数学とはどんな学問か?(津田一郎・講談社ブルーバックス)『算数からはじめよう!数論』(R.F.Cウォルターズ・岩波書店)などが入門としておすすめです。

実は最近「数論(整数論)」の本を読んでいます。これまで数学は単なる科学の道具としか認識していませんでしたが、それが浅薄な理解だったと今更ながら気づかされます。

 

今年も一年間このブログをお読みいただきありがとうございました。

 来年も引き続き、よろしくお願いいたします。 

2022年12月18日日曜日

『一斉授業をハックする』

ハック・シリーズ(教育・学校・授業の改良・修繕シリーズ)の11冊目、19日発売の『一斉授業をハックする ~ 学校と社会をつなぐ「学習センター」を教室につくる』(スター・サックシュタインとキャレン・ターウィリガー著、新評論)を紹介します。古賀洋一さん(島根県立大学)による「訳者まえがき」の一部です。

 目を閉じて想像してみてください。みなさんがこれまでに受けてきた授業、ドラマや映画で目にした授業とはどのような風景ですか? 多くの方がイメージしたのは、おそらく次のような風景でしょう。

縦横に規則正しく並べられた机に生徒が座り、前を向いています。そこには教師が立っています。何人かの生徒に発表させたり、解説や板書をしたりしながら授業を進めています。あなたは、ほかの生徒の発言や板書の内容を一生懸命ノートに写しています。

こうして見ると、あたかも授業が円滑に進められているかのようです。表面上は確かにそうでしょう。でも、あなたの周りはどうですか? 授業についていけない生徒や、興味をもてない様子で突っ伏してしまっている生徒、飽き足らないのか退屈そうにしている生徒、クラスメイトとのおしゃべりや手紙回し(現在では、隠れてスマホでメッセージの交換)に夢中になっている生徒はいませんか?

 こうした一斉指導(一つの目標に向けて一つの教材を用い、一つの活動計画に沿って進められる授業)には、いくつかの無視できない大きな問題があります。

 まず、「何のために」、「何を」、「どれくらいの時間で」扱うのかについては、教師ないしは教科書がすべてを決めてしまっています。そのため、それぞれの生徒が興味関心やレベル、学ぶスピードや学び方にあった教材や活動を「選択」することができません。

 次に、一斉指導では教師主導となってしまうため、生徒自身が目標や計画を立てることがありません。自らが立てた目標や計画ではないため、やり抜く力(グリット)や困難に対して粘り強く取り組む根気、リーダーシップなどを発揮し、協働して支えあうことがありません。★

 そもそも、受けたくもない授業において、このような能力が発揮されることはないでしょう。となると、一斉指導の問題は想像以上に大きいと言えそうです。生徒一人ひとりに適した教育を提供できないばかりか、生徒が実社会を生きぬくために必要となる力を育てきれないのです。

 本書『一斉指導をハックする (原題:Hacking Learning Centers in Grade 6-12)(仮題)』の著者であるスター・サックシュタインとキャレン・ターウィリガーは、一斉指導の問題点を端的に指摘しています。

教師が管理している教室では一部の生徒だけが授業に参加することになるでしょうが、結局のところ、彼らは何があってもうまくやれる生徒である可能性が高いのです。彼らがうまくやれるのは、あなたの手柄ではありません。では、そのような生徒だけではなく、すべての生徒に手を差し伸べるために、私たちは何を、どのように変えられるでしょうか。(13~14ページ)

 生徒一人ひとりをいかした授業★★を実現するために本書で紹介されているのが、「学習センター」という教え方です。簡単に言えば、「教師の継続的な指示を必要とせずに、生徒が自立的に学べる教材を用意したコーナーを教室内に複数設置した学び方・教え方」★★★です。

訳者の一人(吉田)は、二〇〇〇年頃にオーストラリアの小学校を訪れた際、六年生の授業で学習センターが使われていたことを確認しています。一時間の授業のなかに、読む、書く、算数、理科、コンピューターを学ぶコーナーが設けられており、並行する形で活動が進められていました。それぞれのコーナーで生徒は熱心に取り組み、教師は各コーナーを回りながら、個別ないし各コーナーのメンバーにカンファランス(35ページの注を参照)を行っていました。

このように、学習センターは英語圏やモンテッソーリ教育においてかなりの歴史がある教え方なのです。ただし、本書を読めば分かるように、こうした教え方は幼稚園や小学校低学年が中心となっており、中学校から大学へと上昇するにつれて一斉指導が支配的になっていくという傾向があります。一斉指導からの脱却は、日本のみならず、世界共通の課題だといえるでしょう。とはいえ、本書が出版されているという事実からも、一斉指導からの脱却が日本よりも早く、本格的に進められていることが分かります。

 

 本書は、「まえがき」と「結論」を含む10章から構成されています。

 「ハック1」から「ハック3」では、学習センターのはじめ方や、生徒の「声」を活かした発展方法が扱われています。いってみれば、学習センターの基本をつかむための章です。「ハック4」から「ハック8」では、内向的な生徒がリーダーシップを発揮したり、生徒の自己評価能力を高めたり、実社会と結びついたプロジェクト学習へと発展させるための方法が具体的に述べられています。学習センターがもつ大きな可能性を示してくれる章です。

 訳者として注目していただきたいのは次の点です。

 まず、センターの使い方にはさまざまなヴァリエーションがあるという事実です。コーナーごとに独立した目標と活動が並行し、それらをローテーションしながら複数の指導事項を達成していくパターンや、あるプロジェクトがいくつかの部分に分解されてコーナーに割り当てられ、それらをローテーションしながら最終的な目標が達成されていくパターン、身につけさせたい読み方が全体の目標としてあり、コーナーごとに異なる難易度やテーマの本が用意されるといったパターンなどです。

これらは、一般に「教科の壁が高い」と言われている中学校以上でも取り入れやすいものとなっています。

 次に、学習センターは、「生徒主体」ではあっても決して「生徒任せ」ではないという点です。国や州が定める到達目標(スタンダード)を達成することは、世の東西を問わず、シビアに求められています。特徴的なのは、それらの到達目標が生徒と積極的に共有されている点です。求められる到達目標を生徒自身が理解し、そのうえで興味関心や学び方に応じた学習を進めていこう、というのが学習センターの考え方なのです。

 このように説明すると、読者のなかには、いわゆる習熟度別クラス編成や、AIによって個別最適化された学習を思い浮かべる人がいるかもしれません。しかし、それらと学習センターは似て非なるものです。本書で提案されている学習センターでは、国や州の定める到達目標の達成だけではなく、目標や計画を立案・修正する力やリーダーシップを一人ひとりの生徒に育むことが大変重視されています。とくに前者については、繰り返し強調されています。

生徒がコーナーで自分のアイディアを試してみたいと言ってきたときに「ダメだ」と言うのではなく、「ぜひ、そうしよう!」と言ってみましょう。生徒がいつ、何を、どのように学ぶのかについて、自分のアイディアを駆使することを許すのです。たとえ、彼らの提案はうまくいかないだろうと分かっていたとしても、リスクを負わせるのです。

変化を求めるのであれば、失敗も必要です。生徒は失敗を経験したときに、別の方法を探す必然性にかられるのです。失敗することが授業のなかで奨励されていれば、生徒はそれを目標達成のための必要なステップとみなし、それをバネにして成長していきます。(18~19ページ)

もっとも重要なのは、生徒が挑戦し、失敗し、それの修正機会があるということです。(217ページ)

学習センターは、定められた内容を効率的に消化させるためだけのものではありません。自立した存在として実社会を生きぬいていく力を育てるためのものです。それゆえ、授業の活動や計画は生徒と一緒につくりあげていきます。もし、それがうまくいかなかったときは、安易に教師が修正を加えるのではなく、生徒自身が振り返りを行い、現状を分析し、次にいかしていくことが大切にされています。こうした活動を通して、「失敗は学びへの道である」(19ページ)と生徒に伝えているのです。

このように考えてくると、中学校以上を対象として、学習センターの考え方や具体的な方法、可能性の大きさを解説した本書は、まさに「教育の未来を切り拓く」一冊だと言えます。また、本書では難解な用語や理論がほとんど述べられていません。読者自身の教室風景や担当の生徒、授業への取り入れ方をイメージできるように、数々のエピソードや写真、生徒の様子、そして明日からでも取り組める方法が豊富に示されています。

   (中略)

 本書の内容が、読者一人ひとりを「挑戦に誘い、そっと寄り添い、アイディアとひらめき」を与えてくれる(8ページ)ことを心から願っています。

 

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グリットや好奇心、マインドセットなどは「非認知能力」とも総称され、私たちが健康かつ幸福に生きていくうえにおいて欠かせない能力として大きな注目を集めています。訳者がおすすめするのは、『感情と社会性を育む学び(SEL)』、『成績だけが評価じゃない』、『学びは、すべてSEL(仮題・近刊)』、『エンゲージ・ティーチング(仮題・近刊)』です。次の段落には、『学びの中心はやっぱり生徒だ!―個別化された学びと「思考の習慣」(仮題・近刊)が最適の本です。これらのテーマで情報を集めたい方は、pro.workshop@gmail.comにお問い合わせください。

★★「生徒一人ひとりをいかす教え方」については、『ようこそ、一人ひとりをいかす教室へ』で詳しく紹介されています。そのなかでは多様な理論と方法が紹介されていますが、一番ページが割かれている方法は、センターとコーナーについてです。

★★★学習センターの実際の教室風景は、本書61~70ページの写真およびhttp://sites.stenhouse.com/findout/chapter-5/ や https://www.youtube.com/watch?v=Kg38A1ggYiEでその様子が視聴できます。

2022年12月11日日曜日

男子なんだから速く走ってよ! 差別のないインクルーシブな社会を考える

勤務校5年生の教室には、子どもたちと一緒に遊んだり、学習支援をしてくれる大学生がボランティアに来てくれています。最近の大学授業のひとつに、サービス・ラーニングというものがあるようです。自分なりに課題意識を持って30日間、継続したボランティア活動を実施し、世界平和のために考え行動するための経験を学ぶとのこと。私の学級にも、子どもたちの性に対する課題意識をもったボランティア大学生が来ています★。

 

★日本のジェンダーギャップ指数(男女の違いで生じている格差や観念により生み出された不平等)は146か国中116位。

 

思春期まっただ中の5年生の子どもたち。保健の授業ではちょうど「心と体の成長」について学習をしています。子どもたちの悩みの多くに「ニキビができやすい」「体重が増えるのがいや」「生理がくることの不安」「イライラすることがふえてきた」「親に言われたことはやりたくなくなる、嫌になるときがある」など、日々、悩みと不安に葛藤しています。

 

それとは別に性のあり方として課題意識をもっている、ボランティア大学生と一緒に「性の多様性」について、子どもたちと「性別って誰が決めるのか?」について考え合う授業を行いました。このテーマは、決して私の教室だけの問題ではありません。どの教室においてもその当事者がいるだろうし、差別されずに大切にされる必要があることなど、とても大切なことを考えるきっかけを与えてくれました。

 

「男子なんだから速く走ってよ!」こう言われてみんなはどう思いますか?

 

運動会練習において、実際にあった一場面のことです。「OK!まかせとけ!って思うよ」「女子だって男子より速く走れるし(怒)」「僕は足が遅いからこれにはちょっと当てはまらないなぁ」など、子どもたちは思い思いに語り合いました。多くの子どもたちはTVからの先行知識として、男女差別はいけないと分かってはいるようでしたが、あまり身近な自分たちの問題だとは考えていないようでした。

 

「じゃぁ、この子たちの性別は?」と、男の子らしいイラスト、女の子らしいイラスト、さらには男の子とも女の子とも区別できないイラストが掲示されました。子どもたちは口々に「それって髪短いから男子でしょ」「まつげが長いから女子だよ」「うーん、わからない。それオカマじゃん!」と続きます。すかさず大学生から「オカマという言葉は差別用語だから、私は使ってほしくな」と切り返されていました。的確ですばらしい。

 

「では、実際に男子とか、女子って誰が決めるものなの?」と、大学生から問いが続きます。「え!?生まれたときに決まっているからぁ〜、やっぱり神様じゃないの?」「親に言われて決まる?」「もしかして自分?」と、子どもたちはどうも自信なさそう。私からも「さっき、髪が短いから男子! まつげが長いから女子! って堂々と言ってたじゃん。それって誰が決めたのさ?」と問われて「あ、おれたち? つまり他人が決めているってこと?」と、少しずつ性別を誰が決めているのか、課題意識を持ち始めてきました。

 

そこで大学生から「性をきめるには、好きになる性、心の性、表現する性、体の性の4つがあります。そして、それを決めるのは自分自身であって、大切にされなければなりません」と4つの指標であるSOGIESC(ソジエスク)★★に照らし併せて大学生自身の経験、そして、これらはとてもプライベートなことであり、安易に口にすることではないことや、他人が決めていいものではないことの説明がありました。

 

SOGIESC(ソジエスク)

① 性的欲望の対象が何かを示す「性的指向(Sexual Orientation)」 

② 自分の性に対する認識である「性自認(Gender Identity)」

③ 服装・仕草・役割などにあらわれる社会的な性役割である「社会的性(Gender Role/Expression

④ 生まれてきたときに割り当てられてきた「身体の性(Sex)」

 

子どもたちの感想は様々でした。

 

     「男だから」「女だから」という言葉をなくしたいです。そういう言葉にしばりつけられて苦しんでいる人がいる。自分の呼び方も「女だから、『僕』なんて言っちゃだめ」とか、そんなの自由だって! もう少し思いやりをもちましょうよ。

     今までたまに「あなたは女」とか決めつけちゃったり、「オカマきもい」とか思っちゃったりしていたから、そういう考えを少しずつ変えていこうと思う。

     ハロウィンでもないのに男性がプリキュアの格好をしていたり、そういう人が以前、駅にいていわかんがあった。なんでだろう?  世の中に性別というものがなかったら、こんなことを思わないのかなぁ。

     心の性、表現する性、好きになる性は自分で決められる。けれど、体の性は自分では決められない。だから女子と男子という考え方はよくないな。それでいやな思いをしている人とがいるかもしれない。それと、性別がいっぱいあるのは悪いことでもないかも。

     人は性を外見で判断してしまうことが多い。自分で勝手に決めてしまうのではなく、まずは相手がどう思っているかをきいてみるのがいいと思った。

 

子どもたちは、これまで表面的に「②身体の性」で周りから判断してしまっていたことが見えてきたようです。授業の最後に、自分は足が遅いからと話してくれた子が次のようなことを伝えてくれました。

 

一人ひとり性があると僕は思っていて、性とは周りの人が表面的に決めて良いことではないと思います。自分でひとつの自分だけの性というものを尊重するべきだと僕は思います。先入観の思い込みを外して、自分の性という大事な個性を見つけるのが大事だと思います。

 

今回、学び考え合うにふさわしい感想がたくさんありました。子どもたちは、これまで「ふつう」だと思っていたことがじつは、当たり前ではないことが少しずつ見えてきています。

 

4つの視点をクラスで共有することから、身近にできることを探し、差別のない、多様性が大切にされる社会を目指していけるとよいです。そういう私自身も男子だから、女子だからとつい教室で口にしてしまいがち。若い大学生から大いに刺激をもらいながら、日々、無自覚に行われてしまっていること、ステレオタイプに囚われてしまっているものの見方などに目を向けて反省しつつ、アップデートできる機会に感謝です。

 

★★




野口 晃菜 , 喜多 一馬 (編集)『差別のない社会をつくるインクルーシブ教育 誰のことばにも同じだけ価値がある』(学事出版2022

 

今回、授業づくりにあたってはこの本を参考にさせてもらいました。第3章にあたる実践者である星野俊樹さんの「第3限 包括的性教育について学ぼう」から、私たちの生活の中には意識していない差別あがることや、性の多様性がその人の生き方であることなど、たくさんのことを学ばせてもらいました。知的に理解するだけでなく、クラスの中で情的に理解する手立てが紹介されています。ぜひ手に取ってみてください。この授業は、子どもたちだけではなく、バイアスをつくっている私たち教員や保護者にとても大切なものです。

 


2022年12月4日日曜日

効果的なフィードバックの探究

ここ数年、私の授業における最大の関心ごとはフィードバックです。

効果的なフィードバックとはどのようなものなのか。生徒たちが、より良く学び、成長することのできるフィードバックはどのようなものなのか。教師からのフィードバックがよいのか、生徒同士によるピア・フィードバックがよいのか。授業の中で、試行錯誤しながら、探究を続けています。

ある授業では、英語での表現力を高めるとともに、グループで効果的にコミュニケーションを図るためのスキルを磨くことを目的として、英語でのディスカッションの活動をやっています。

この授業では、「金魚鉢(Fishbowl)」★1 という方法を使って、学生同士でフィードバックを送りあいます。1グループがディスカッションをして、もう1グループは、金魚鉢の中をのぞくように、ディスカッションの様子を観察し、メモをとります。ディスカッション終了後に、振り返りの時間をもち、フィードバックを送るのです。ディスカッション全体についてのフィードバックをしてもらう時もあるし、バディ制をとってペアで相手のパフォマンスについてフィードバックをしあうこともあります。また、振り返りの時間の最後には、教員が全体的なフォローアップをすることにしています。

ディスカッションのテーマはさまざまです。「ソーシャルメディアは人間にとって恵みか?」(Is SNS a blessing for us?)といった社会的なテーマを取り上げたり、英語のリーディングと組み合わせることもあります。先日は、The Little Boyという詩を読んでディスカッションをしました。★2 

当初は、沈黙が続いたり、発言も単発で終わりがちだったのですが、ディスカッションの練習と、それに対するフィードバックを繰り返すうちに、変化が見えはじめました。記録のためにビデオ録画しているのですが、議論の質自体もですが、議論の進め方のスキルも高まっているように感じられました。

これまでのところ、次のような仕組みが効果を発揮しているように思えます。

1 ディスカッションの途中で教師が介入しない。

これは、スパイダー討論の原則を参考にしています。★3 最初のうちは、助けを求めるような視線を送ってくるのですが、そのままにしておきます。沈黙が続いたり、議論が立ち往生することもありますが、振り返りの時間には、必ずそのことが話題になり、解決策を話し合ったりしていました。教師が、手を差し伸べれば、その瞬間はうまくいくのでしょうが、生徒自身が責任を引き受けることによって、成長があるのだと思います。

2 ディスカッション用ルーブリックを提示する。

振り返りやフィードバックを観察していると、ルーブリックに書かれていることが頻繁に取り上げられることに気づきます。例えば、ルーブリックに「全員が平等に議論に参加した。(Every participates.)」という記述があれば、それは頻繁に取り上げられ、議論されるようになります。そして、全員が参画し、協働で議論を進めることの重要性を意識し、行動を改善しようと努めます。フィードバックに具体性をもたせるためには、良くできたルーブリックが不可欠ではないかと感じています。

3 もらったフィードバックにもとづいた、さらなる練習や改善の機会を設ける。

一つのテーマで、最低でも2回、メンバーを変えて実施するようにしています。その際、前の時間の振り返りの内容を確認してから、始めるようにしています。外国語でのディスカションの場合は、英語の表現への慣れも加わるため、複数回実施することが、特に効果的なように感じます。

4 教師のフォローアップが不可欠である

最初のころは、学生同士のフィードバックに委ねるべきであると考えていたのですが、不十分なことがあることに気づきました。どうしても参加者の「総和」は超えることができない時があるのです。複数のフィードバックに共通していることやその背景にある理論などを、教師の立場で補い、フォローアップすることが、さらに質の高い、学生同士のフィードバックにつながると感じています。

教育評価の本質が、測定ではなく、学習者の成長を促すことにあるのだとすれば、私たちはもっと、フィードバックの意義と価値を認めて、効果的なフィードバックについて、実践と研究を進める必要があると思います。★4


★1 https://www.facinghistory.org/resource-library/fishbowl

★2 詩 「小さな少年(The Little Boy)」ヘレン・バックリー作 教育や創造性といったことについて深く考えさせられる詩です。平易な英語で書かれています。  https://www.elmscourse.org/general_course_documents/Reader/Reader_Session_16_The_Little_Boy_Poem.pdf

★3 アレキシス・ウィギンズ(2018)『最高の授業: スパイダー討論が教室を変える』新評論, p.63.

★4 効果的なフィードバックについては以下を参照してください。

ダグラス・フィッシャー&ナンシー・フレイ(吉田新一郎訳)(2017)『「学びの責任」は誰にあるのかー「責任の移行モデル」で授業が変わる』(新評論)p. 210-216.

C.トムリンソン&T.ムーン(2018)  『一人ひとりをいかす評価: 学び方・教え方を問い直す』北大路書房, p.96-99.