2020年9月27日日曜日

好奇心を大切にする

最近、授業について改めて考えてみると、学習者の「好奇心」にいかに働きかけるかが大切であると感じます。以前も紹介しましたが、『好奇心のパワー』(新評論)について、もう一度触れてみたいと思います。同書「第3章 聴き方を選択する」では、65ページに次のような言葉が紹介されています。 

「人間の欲求で最も基本的なものは、人を理解したい、そして人に理解されたいという欲求です。人を理解する最も有効な方法は、人が話すことを聞くことです。   ラルフ・ニコルス」 

ここに書かれたことは、学校教育において最も大切なことの一つであろうと思います。もっと人を理解しようという営みが学校で行われていれば、無用なトラブルや、最悪の場合、命にもかかわるような悲劇が減るものと思います。生徒指導は子ども理解から始まると言われますが、まさに子どもたちの発言に耳を傾け、子どもを理解することが出発点です。 

質問の大切さはたびたび、このブログでも取り上げてきましたが、この本の「第4章 好奇心を示すオープンな質問をする」では、どのような質問を投げかければよいのかがわかりやすい事例を通して語られています。87ページに次のような言葉が紹介されています。 

「賢い人は正解を言わず、よい質問をする  クロード・レヴィ=ストロース」 

レヴィ=ストロースは有名な人類学者ですが、さすがに素晴らしい言葉を残したものです。教師は授業の中で、問題・課題に対する解答を教える場面がもちろんあるわけですが、いつもそうであっては子どもの思考力は育ちません。「よい質問」で子どもたちにじっくりと考えさせ、調べたり、話し合ったりして、考えを深めさせる必要があるわけです。

質問にもクローズドな質問とオープンな質問の二つのタイプがあるわけですが、これまでの授業ではこれしか正解がないというクローズドな質問が主流でしたが、21世紀になってからはオープンな質問の大切さに光が当たるようになりました。

実際、社会の中では、答えのなかなか見つからない問いがたくさんあるわけですから、このような変化は当然のことでしょう。

たとえば、再生医療や遺伝子工学などでは、これまで神の領域と言われてきた事柄にまで人間の科学技術が及ぶようになりました。クローン人間なども決して夢ではなくなってきたわけです。ただ、技術的に可能ならば何をしてもよいのか、このあたりの生命倫理の問題は今後ますます重要になるものと思います。また、原子力の問題。福島の事故は未だに終息していませんが、国策として「原子力発電技術の輸出」を掲げている現状があります。あの事故の教訓を完全に学び取ったのかどうかわからない状況で、次に踏み出していくという科学技術と社会の有り様をどう考えるのでしょうか。学校で教えられている「理科」という教科にはそのあたりまでが学びの範囲に入るべきだと改めて思う次第です。 

しばらく前に、新学習指導要領が発表されて、新聞報道では特に「カリキュラム・マネジメント」に対して、にわかに注目が集まったことがありました。

このブログでも、再三「カリキュラム・マネジメント」の重要性については触れてきましたが、特に「ひと・もの・お金」という条件整備が整わない環境での「カリキュラム・マネジメント」は成果を生み出すことが難しいのも事実です。

「教育課程論」の第一人者である安彦忠彦氏も「その種の活動が可能になるような条件整備がよほど伴わなければ、空回りして所期の成果を挙げることは難しい」(日本教育新聞・平成29220日号記事)と述べています。同新聞の同じページには、埼玉県内の校長談が次のように紹介されていました。 

「当初は授業方法の大幅な見直しを求められると身構えたが、それを思うと、大きく変わる印象は受けない。正直、少し拍子抜けした感じだ。」

やはり、「アクティブ・ラーニング」という文言が消えてしまったので、こんな印象になってしまったのでしょうか。しかし、よく考えると「深い学び」を追究するわけですから、これは大変な転換です。

しかも、「学習内容を減らさずに」です。内容を減らして、じっくり時間をかけて「深い学び」をやるというわけではないのです。そのためには、当然各学校での「カリキュラム・マネジメント」が必須になります。

子どもたちの「好奇心のパワー」に依拠しながら、探究の学びを追究したいものです。理科の授業については、『だれもが<科学者>になれる!――探究力を育む理科の授業』(新評論・2020)が参考になります。探究理科の実現に向けた道程が必ず見えてくるものと思います。

 

 

2020年9月20日日曜日

教え方と学び方の革新的なモデル by High Tech Highの校長Larry Rosenstock

 「教え方と学び方の革新的なモデル」は、実は極めて当たり前のアプローチです!

 この校長さんとは、5年以上前の2015年にメールで数回やり取りして、たくさんの情報を提供してもらいました。その後、映画の上映等で、High Tech Highの取り組みは日本でもかなり知られるようになりました。

 彼は、いくつかの点での統合が必要だと訴えます(それを、ベースに彼の学校は創設されています!)。まず、社会的階層の統合(要するにリッチな人たちだけでなく、貧しい人たちを含めた統合)です。二番目は、手と頭の統合です。モノを作ったり、実際にいろいろしたりすることが理解を深め、かつ夢中で取り組ませます。三番目は、学校と地域の統合です。学校と地域に歴然と存在する壁をできるだけ低くする(可能なら消し去る)必要があります。四番目は、中等教育と中等教育後の統合です。この最後のポイントは、生徒全員を大学に送りだすことを意味します。~ これら4つをうまく統合している日本の中等学校(アメリカの高校は4年間)は、どのくらいあるでしょうか?

 テクノロジーと従来の教科の統合は、二番目の手と頭の統合に最も関係します。前者は、グループで教えたり学んだりし、最終成果物もグループ発表が中心です。まさに体験的な学びをつくり出します。このような方法論に、生徒たちが従来の教科で知る必要があったことをうまく統合させることで、身につくレベルの理解や、従来の教科指導では見られなかった夢中で取り組むこと=学びを実現します。私は、生徒たちに消費するのではなくて、生産してほしいと思っています。つくり出し続けるのです! ~ この点については、『あなたの授業が子どもと世界を変える!』の第7章「生徒は誰もがつくり手~消費することから、つくり出すことへの転換」と第6章「従順なマインドセットから、自立的マインドセットへの転換」をご覧ください。

 High Tech Highでは、ブツ切りの時間割ではなくて、ブロック化された時間割で、物理や生物とアートを統合し、本づくりやフィルムづくりをしています。これを実現するためには、教える教師たちはチームとして機能する必要があります。彼らが計画し、学ぶ時間を提供する必要があります。教師は「教えるプロ」として扱われる必要があります。

 生徒も一人前の者として扱われる必要があります。教職員のためのトイレがあって、生徒用のトイレがあるというのでは、ダメなのです。また、トイレに行くのに教師の許可が必要というのも、生徒を一人前の者として扱っていない現れです。彼らがいく必要がある時はいつでも自分の判断で行けないとおかしいのです。それが敬意をもって接することであり、このような些細なことが積み重なって学校の文化が形成されるのです。もし、生徒に敬意をもって接すれば、彼らも礼儀正しく振る舞うことでしょう。

高校時代の最も印象的で価値ある学習体験

 たくさんの人が、あれもしたい、これもしたいが、でもできない、と言います。そして、できない理由をいろいろとあげてくれます。そういう人たちには、このエクササイズがおすすめです。対象は、教師だけでなく、誰でも構いません。まずは、各自で5~10分の時間を取って「高校時代の最も印象的で価値ある学習体験」について振り返って書いてもらいます。書き終わった後は、3~5人のグループで、各自の体験を披露し合い、価値のある学習体験がもっている特徴をまとめてもらうのです。そして、全体に発表してもらいながら、私はその特徴を書き出します。私は28以上の都市でこれをやりましたし、私の教職員とも何度もやりましたし、昨日は建築家たちとやりましたが、いつも結果は同じものが得られます★。以下のような特徴が含まれています。

  ・プロジェクト

  ・学校の中だけでなく、地域に関係する

  ・失敗や不安を伴っていた

  ・成功を認められた

  ・メンターがいた

  ・最終成果物は公にされた

 これらは、まさにHigh Tech Highが実現していることです。

 私はエクササイズをした対象に尋ねます。「これらのリストと、あなた(学校で)の教え方はマッチしていますか?」「もしマッチしていなければ、望ましい学びを生徒に提供するために、何をしはじめますか?」

 リストは、自分たちで作ったものなので押し付けではありません。教師集団が動き始めるのに、このエクササイズは最適です。そして、私たちがHigh Tech Highでしていることは、極めて真っ当なことです。

 

出典:https://www.edutopia.org/video/taking-lead-interview-larry-rosenstock と

   https://vimeo.com/10000408

 

★対象が、保護者や地域住民でも同じ結果が得られます。

 

「教え方と学び方の転換」を可能にする文献リスト

・『教育のプロがすすめるイノベーション』

・『あなたの授業が子どもと世界を変える』

・『「おさるのジョージ(Curious George)」を教室で実現――好奇心を呼び起こせ!』  https://www.hanmoto.com/bd/isbn/9784794811622

・『退屈な授業をぶっ飛ばせ!――学びに熱中する教室』https://www.hanmoto.com/bd/isbn/9784794811653

▲来春には出版予定の以下の2冊もです!

Design Thinking in the Classroom (デザイン思考の学び方)https://projectbetterschool.blogspot.com/2020/05/blog-post.html 

Project-based Teaching (プロジェクト学習の教え方)


2020年9月13日日曜日

今こそ人権教育を「気持ちこそ全てのものごとの礎石」

今、人類は人権の危機にさらされています。

 

香港国家安全維持法により香港市民の民主的な権利が脅かされています。アメリカでは先月、警察官に背中を7発以上黒人が銃撃される事件も起こりました。日本国内では貧困や格差、身体的特徴からの問題、LGBTQA+、部落や朝鮮人への格差の問題が昔から根強く残っています。そして、このコロナ禍において学校内で新型コロナ感染症クラスターが発生と共に、感染者や医療従事者の家族へ新たな差別も起きています。すでに、大学生がアルバイト先から解雇され社会問題となりました。

 

今後、あなたの教室でもコロナ差別が起こりうることです。起こってからでは遅いのです。今こそ、これまで以上に人権教育に力をいれて、幼い頃から子どもたちが人権に触れて心を豊かにし、平和な社会となる礎石を育むことが求められています。


ERIC国際理解教育センターでは、今から30年も前にシドニー大学の世界的な人権教育の権威であるラルフ・ペットマンを招き、「オーストラリアの思いやり教育の実践に学ぶ」セミナーが開かれました。そのときのニュースレター「ERIC NEWS LETTER No.6」がとても参考になりましたので、紹介します★。

 

"こどもたちが他人との関わりの中で、相手の身になって感じたり、考えたりする感覚を育てていくこと、また、自分自身もかけがえのない存在であるという感覚を育むことです。この二つの心の持ちからこそが人権=「ひととして正しいこと」の最も基本となるものなのです。  
ERIC NEWS LETTER No.6 P.8より



 

人権教育というと、子どもの人権宣言やいじめ防止対策推進、SDGsなどの権利を知ることから話が始まることが多いのですが、オーストラリアの人権教育はその土台となる「気持ち」の部分を固めることがいかに重要かを説かれています。一方、私たちは道徳の教科科に伴って「教えたこと」が「理解している」とつい誤解しがちです。社会契約を人工的につくったとしても、子どもの心には「知っている」以上のものにはなかなかなりません。人権感覚は教えられ知ることで育っていくだけでは決してないのです。日常の関わりの中でこそ育まれていくものだといえるからです。

 

自分に対する信頼と、他人への共感という二つの気持ちが芽生えていれば、そこから人間としての価値観が生まれるはずです。この気持ちこそ全てのものごとの礎石です。他人にも自分自身にも価値を認められるない子どもたちに「人として正しいこと」を教えようとして、どうしてうまく伝わるのでしょうか?

 

“自分自身に価値を認めることと、他のひとたちの価値を尊重すること、この二つの気持ちはともにかかすことができない基本的な「二本の脚」です。片方は主体性に、もう一方は対人関係にかかせません。他人を全く理解しないまま自分自身であり続けようとすると傲慢になってしまいます。逆に外とのつながりを大事にしすぎると、自分を失い、他の人と共有できる自分らしさをなくしてしまいます。片方の「脚」がもう一方より長いと歩きにくいのです。” ERIC NEWS LETTER No.6 P.9より

 

この自分も相手も大切にすることを同時に行うことは対立を伴い、難しいもの。この二つの緊張関係は、人として自然なもの。私たち人間は、二つの気持ちを共に育て、どうバランスをとっていくかを考えなくてはなりません。そして、子どもは自らの経験を通してしか学ばないものです。自分の気持ちを振り返り、相手の立場を想像しようとすることで、先生の手を借りながらも、原因や背景などを子どもたち自身が考えて解決することこそ必要なのです。そこで、NEWS LETTERでは教室でできる人権意識を学べる具体的なアクティビティの紹介もされています。

 

  • 人を信頼する大切さ、人の立場を考える姿勢を培う「目隠し散歩」
  • 自分の意見を言える、聞く、自分と他人に価値を見い出す「輪になって」
  • 世界人権宣言に興味を持つ「ほしい・したい、必要、当然」
  • 人はみな異なる意見をもつことに気付く「部屋の四隅ーキミはどこ?」
  • 同じ点や異なる意見を聴き尊重できる「わたしのともだち」
  • 観察して箱に戻したジャガイモから自分のジャガイモを見つけ出すことで、その違いがあることに気付く「じゃがいもと友達になろう」

 

言葉だけの抽象的なやりとりとことなり実感を伴った活動には子どもたちの五感が触発されます。部分部分ではこれまであったような活動かもしれませんが、改めてこれらのアクティビティを人権の立場で捉え直してみると、そのよさが伝わってきます。そしてこれらは幼い子どものうちから経験するほど効果的だと思いませんか?

 

 

 

今後、コロナウィルスによる差別、経済格差による差別、外国籍の子どもへの差別、身体的特徴による差別などが、ますます子どもたちを取り巻きます。自分を大切にすること、相手を大切にすることを礎石とし、一人ひとりがかけがえのない存在であると教えることについて体験的に学ぶ。この短いニュースレターにはその実践と理論が詰め込まれていました。

 

私たち教師が今、自分自身の思いを大切にすること。子どもたち人として本当に必要だと思ったことを大切にすることから人権教育はすでに始まっています。学習の遅れを取り戻すカリキュラムに終始せず、本当に大切なこと、人権意識を体験的に育めるような学び、していきませんか。

 



ERICニュースレターNo.6「思いやりを育てよう」は、ERIC NEWS LETTER  ERIC通信に、PDFとして全ての号も公開されていますので、ご覧ください。全て無料で見られることが素晴らしい!

http://eric-net.org/project/newsletter/nl_no6.pdf

 

1990年台初頭にすでに人権意識を求める活動が展開されていたことに驚きと共に、今の現状を踏まえると人権教育を継続して取り組むことの世界的重要さがうかがえます。

 

2020年9月6日日曜日

上位概念による問題解決

学校では、意見の対立は、日常茶飯事だろう。教育の問題は、正解が一つであることはないのだから、当然である。皆さんは、どのようにして様々な問題に対処しているだろうか。

著書『麹町中学校の型破り校長-非常識な教え』などで知られる工藤勇一校長は、上位概念による問題解決を提案している。★1 一例として紹介しているのが、生徒たちが体育祭の種目廃止に取り組んだ事例である。中3生全員参加のリレーは、毎年大いに盛り上がっていたという。その種目をどうするかが問題になった。生徒会がとったアンケートでは、8対1で賛成派(リレー継続)が圧倒的に優勢。多数決でそのままものごとを決する学校であれば、問題なくリレー継続が決まったはずだ。しかし、10%の生徒がリレーを走りたくないという意見をもっていた。

そこで、工藤校長は、生徒たちに結論を委ねるにあたり、「生徒全員が楽しめること」という上位概念を提案したそうである。生徒たちは、白熱した議論を重ねたようだが、最終的に「走りたくない」という少数派の意見を尊重して、リレー廃止を決断したそうである。そのうえで、運動の苦手な生徒も楽しめる種目を考案したとのこと。

重要なことは、生徒たち自身が、少数意見を尊重して、自分たちで結論を出そうとしたことだろう。提示された上位概念について深く考え、単純に多数決で決めなかった。

また、PBLでも、生徒が上位概念によって問題解決を図った事例がある。★2

都市計画のPBLに取り組んだ、アメリカの高校生の事例だ。生徒たちは、アーバン・ランド・インスティチュート(ULI) (https://japan.uli.org (http://minnesota.uli.org/programs-and-events/urbanplan/)が提案した都市計画プログラムに取り組んだ。生徒たちには、ヨークタウンという架空の町のさびれたエリアの5~6ブロックを再開発するための提案書を作成することが求められた。

その中で問題となったのが、ホームレスの保護施設をどこに置くかだった。その施設があることで犯罪が多くなっていたからだ。「実際そこに生活する人だったら、ホームレス保護施設のそばに住んだり、近くを通ることを望まないだろう。」という意見もあった。一方で、ホームレスの人たちを追い出すようなことも望まない意見もあったのだ。

妥協点として生徒たちが見出した結論は、教会の近くにホームレス保護施設を移すというものであった。

なぜ、このような結論に至ったかと言うと、このグループは、まず「ミッション・ステートメント」(企業とその企業で働く従業員が、共有すべき価値観や行動に関する指針や方針を明文化したもの)づくりから始めたらしい。そのミッション・ステートメントでは、「誰一人として排除しない社会づくり」が重要なビジョンだったのだ。生徒たちは、様々な意見をたたかわせ、議論をしたようだが、最終的にはこのビジョンを実現する方法を考え出した。それが先にあげた結論だったのだ。見事ではないか。

何か問題が発生すると、その出来事の細部に目を奪われてしまい、対症療法的な解決策になってしまうことが多い。自分たちがいったい何を実現したかったのか、少し引いたところから眺めて、上位概念を見出し、それよって問題解決の糸口を見つけたいものだ。★3


★1 工藤勇一 (2019) 『麹町中学校の型破り校長-非常識な教え』SB新書.

★2 マーサ・セヴェットソン・ラッシュ (2020)『退屈な授業をぶっ飛ばせー学びに熱中する教室』[長崎政浩&吉田新一郎訳]  新評論  近日、刊行。ぜひ、ご一読を。

★3 学校が、上位概念による問題解決を図るには、学校としてのビジョンの存在が不可欠だろう。ビジョンは、リーダーとして校長が示すこともできるが、教職員との共同作業で、学校のビジョンづくりをすることもできる。吉田新一郎(2005)『校長先生という仕事』(平凡社新書)にその手順や考え方が紹介されているの参考にしてほしい。