評価が単なる成績のためだけのものではなくなると、生徒は創意工夫に満ち、夢中で取り組む姿があふれ、学びの確かな証拠が見える教室を体験できるようになります。
伝統的な評価方法、つまりテストや小テスト、作文などには、生徒が何を理解し、何ができるのかを教師が判断するうえで一定の役割があります。しかし、生徒が選択の自由をもつと、夢中で取り組む姿と学びの示し方が明らかに増えることを、私はこれまでの経験から実感しています。生徒は自分の強みや関心、目標をよりよく反映する形で学びを示すようになります。
すべての生徒に同じ最終成果物を課したり、同じ期末試験を受けさせたりするのではなく、生徒自身が学習目標を達成するための取り組みに主体性をもち、どのように学びを示すかを選べるようにすることができます。
生徒が自分の成果物にどんな目的をもたせたいのかを明確にする
私の授業では、生徒が学期を通した探究に取り組む際、最初の課題として「最終成果物で何を達成したいのか」を自分で定めます。生徒は次のような目的のどれを目指すのかを判断します。
・テーマを分析する
・調査結果を統合する
・作者の表現技法を評価する
・複数の文章のあいだに関連を見いだす
・証拠を用いて主張や解釈を支える
・因果関係をたどる
・権力や不平等が人々の経験にどのような影響を与えたかを検討する
・異なる時代や集団の視点を比較する
・歴史的変化の影響を評価する
また、生徒は最終成果物の想定読者についても考えます。それは、成果物を評価するパネリストや、学期末のコミュニティー向け発表会に参加する地域の人々です。目的と読者が明確になった段階で、生徒は自分の目標を達成できる形式を選びます。
成果物の可能性に制限を設けない
次に、生徒は「自分が学んだことを、どのように共有し、どのように示すことができるか」を考えます。
一年を通して、私は生徒に多様な可能性を提示します。過去の生徒の参考作品を一緒に見たり、形式のアイディアをブレインストーミングしたり、さまざまな方法の強みと難しさについて話し合ったりします。私の役割は、生徒が制約を言語化できるようにし、修正を「誤りの訂正」ではなく「設計」として捉え直せるように支援することです。限られた期間の中で、意味があり実現可能な形へとアイディアを整えていけるように伴走します。生徒がこのプロセスに慣れ、さらにクラスメイトがどんな形式を考えているかを知ると、発想はより大胆になっていきます。
今年だけでも、生徒はさまざまな成果物を通して学びを示しました。ある生徒は、地域の専門職の人々とクラスメイトをつなぐために、職業探究のための見学ツアーを企画しました。また別の生徒は、文学作品のテーマを象徴する比喩として、花束の一つ一つの花に意味をもたせた作品を制作しました。ほかにも、レシピ本を作った生徒、マルチメディアのプレゼンテーションを作成した生徒、創作文章を書いた生徒、視覚芸術の作品を制作した生徒など、多様な取り組みが見られました。
伝統的な形式を選んだ生徒もいましたが、それぞれの強みを活かす形に工夫していました。形式的な作文を書いた生徒もいれば、アイディアを動画やグラフィック、コミックの形式へと変換した生徒もいました。博物館の展示のように、鑑賞者が学びに触れられるような作品を構成した生徒もおり、また、参加者が概念を使って成功を目指すゲームを設計した生徒もいました。
形式の多様さは確かに魅力的で、生徒が夢中で取り組む姿も印象的でしたが、それ以上に際立っていたのは、生徒自身の「主体性」でした。
生徒の取り組みを支えるために、学びを示すための期待を明確にする
私は、生徒に対して明確で透明性のある期待を示します。共有されたルーブリックによって、この場面での「理解を示している」とはどのような状態なのかが定義されます。単一の成果物を指定するのではなく、ルーブリックは学びの転移可能な指標を中心に据えています。つまり、伝わりやすい表現、読者への配慮、思考の深さ、理解を示す証拠、そして選択の背後にある意図などです。これらの基準は、生徒が作文、動画、パフォーマンス、展示、あるいは複合的な形式を選んだとしても、どの形式にも当てはまるように設計されています。
取り組みの過程では、生徒は定期的なチェックポイントや非公式の対話に参加します。これらの時間は、生徒のアイディアを「審査」したり「許可」したりするためのものではありません。生徒が自分の思考や試作品、下書きを試すための機会です。私は問いかけます。ここでは、あなたの思考が最もよく見えるのはどこですか? この形式は、あなたの伝えたいことをどのように支え、あるいは制限していますか? どの証拠が、あなたが学んだことを示していますか? こうしたやり取りの中では、修正は当然のことであり、継続的に行われる作業の一部になります。
最終成果物の目的は、学びを本質的かつ意図的に伝えることです。生徒は評価されますし、成果物には成績もつきます。しかし、重視されるのは形式ではなく、生徒の思考がどれほど明確かつ効果的に可視化できているかです。
選択の自由は、生徒に情報の受け手、目的、時間配分、そして設計について考えることを求めます。博物館の展示を作る生徒は、受け手が情報とどのように関わるかを考えます。オリジナルの曲を制作する生徒は、テンポ、歌詞、リズム、語り、そして情報の受け手がどのように聴くかを考える必要があります。ゲームを設計する生徒は、参加者が必要とする背景知識、ゲームを終えるまでの時間、そして各参加者がどのように関わり学ぶかを予測します。
どの最終成果物においても、生徒は指示に従うだけではなく、意図的な判断を積み重ねていました。また、伝統的な評価では力を発揮しにくい生徒が、最も革新的で、既存の枠を超え、夢中で取り組める成果物を生み出すことが多いことにも気づきました。選択の自由があることで、生徒の創造性が強みとして表れるのです。
生徒が自分の学びの関連性を実感することは、とても大きな意義がある。
とりわけ、本当に存在する状況に向けた最終成果物は、生徒が自分の学びがどのように現実とつながっているのかを理解する助けになります。学校の外で、私たちは理解を選択式テストで示すことはほとんどありません。その代わりに、問題を解決し、何かを作り、アイディアを伝え、協働します。生徒が最終成果物の設計や完成方法を自分で選べると、教室の外でも使う力を実際に練習することになります。
学期ごとの最終成果物は互いに異なりますが、共通する目的があります。それは、深い思考、意味のある選択、そして理解を本当に要る情報の受け手に送ることです。伝統的な評価から離れ、生徒自身が学びの示し方を設計する方向へと移行することで、最終成果物は「指示に従ったかどうか」を測るものではなく、「成長・学び・理解を共有するもの」へと変わります。
多くの生徒にとって、この変化は力を与えるものになります。自分の取り組みが一つの形式に押し込められていないと気づいた瞬間、目に見える変化が起こります。生徒はアイディアを言葉にし、試し、主体性をもって取り組むことで、このプロセスに深く入り込んでいきます。動画のテンポがしっくりこないために三度も修正する生徒や、メッセージを明確に伝えたいという理由で仲間に助言を求める生徒の姿には、誇りと成長が表れます。
一方で、伝統的な段階的構造がないことや、成功が同じ課題の達成で定義されないことに戸惑う生徒もいます。何点になるのかを気にする姿勢から、質や伝え方に焦点を移すことは簡単ではありません。しかし時間が経つにつれ、多くの生徒は、期待が依然として高く、しかもその期待が「目的・情報の受け手・明確さ」によって示されているのだと理解するようになります。
最終的な目標は、生徒がこのプロセスを楽しみ、自分を「意味のある仕事を設計できる存在」として捉えられるようになることです。その変化が起こると、最終成果物は単なる学びの証明ではなくなります。それは、生徒が意図をもって考え、修正し、伝えることができるという確かな証拠になるのです。
出典:https://www.edutopia.org/article/student-choice-final-projects
執筆者のエリザベス・ヨルゲンセン(Elizabeth Jorgensen)は、ウィスコンシン州の高校英語教師。『Go, Gwen, Go: A Family’s
Journey to Olympic Gold』の共著者。キャロル大学「Graduate of the Last Decade(過去10年間で最も活躍した卒業生)」受賞。全米英語教師協会(NCTE)、ウィスコンシン州読書協会(WSRA)、アジア教育に関する全米コンソーシアムなどで講演。趣味はトレーニング、愛犬とテレビ鑑賞、バイオリン演奏。
今回の内容を、さらに詳しく紹介している資料に、『ようこそ、一人ひとりをいかす教室へ』(キャロル・トムリンソン、北大路書房)と『歴史をする』(リンダ・レヴィスティック、新評論)がありますので参考にしてください。