2026年4月5日日曜日

ジャーナリングを始めませんか

新年度が始まりました。あれもやりたい、これにもトライしたい。とてもポジティブな空気に満ちているでしょうか。それとも、新しいスタートに強い不安を抱えて、おしつぶされそうになっているでしょうか。

一喜一憂しても仕方がないと思いつつも、日々起こりうる出来事、多様な子どもたち、難しい保護者への対応などなど、数多くの物事に出会い、意思決定をし、前に進んでいく。教職という仕事は、実に幅が広く、人間的で、複雑。もちろん、そこに他の仕事では得られない、達成感やよろこびもあるのですが。

様々な思いの中でスタートしたであろう新年度。この一年間を、より良いものにするために、ジャーナリングに取り組んでみませんか。★1

なぜ、ジャーナリングをお勧めするかというと、多忙な日常の中で、気づけなかったこと、見逃していたこと、新しい発見などをもたらしてくれる、とても良い方法だからです。

私の2025年12月のジャーナルのエントリーです。

「この授業も3サイクル目に入りました。昨年、大改革を行った後半戦です。今年はさらに内容を精選して、よくなったと感じています。いや、むしろ、自分自身の「肩の力が抜けた」ことで、学生諸君がエンパワーされたと言った方が良いのかもしれません。学生MC(その日の授業リーダー)を4名毎回置いているのですが、彼ら彼女らの最後のリポートには本当に感心します。「おー、こんなことに気づいているのか」と思うことは一度や二度ではありません。長らく教員やってきて、ほぼ終着点が近づいたところで、気づくのですね。」

続けて、2026年1月。

「昨年も繰り返し書きましたが、捨てることで、内容が充実していくということ。Less is moreという言葉がありますが、まさにそれ。無駄を削ぎ落とすことで、本質的なところが充実してくるということ。色々な角度から見てもらいたいと思って、事例をたくさん用意して、これまでは、それらを見せていた。でも、少し「くどい」気がしていた。

今年は、それらを毎回削ぎ落としていった。毎回、一瞬、逡巡する。せっかく、集めた事例やモデルなのに!と。しかし、削ぎ落とすことで、伝えたいことが焦点化できていったような気がする。教師が必要だと思うこととと、それを全て受け入れられるかどうかということは、別物のようです。」

さらに、2026年2月。

「僕自身が関与を下げたことによる、学生たちの主体的な動きの実現。主体性、エイジェンシーなど、学習者に学びの権限を委譲することについて、理屈では分かっていて、その大切さを、ことあるごとに語っていたに、自分自身が満足にできていなかったことを悟った。どうしても、手放す勇気がなかったのかもしれないですね。いやむしろ、自分自身が主役でいたかったのかもしれません。」


学習者に学びの権限を委譲することの大切さについては、ずっと前から気づいていたし、認識はしていたんだけど、実際、教室の中では、それが真に実現できていたとは言えなかった。

そして、それは長年の私自身の問題意識でもありました。そのような問題意識を、ずっと持ち続け、ジャーナルの中で、自問し、行動を変えることで、やっと、自分の描いていたものに近づいていった実感があった。

これは日々流れている、実践や思考、感情を少しづつでも、書き留めていったことによって、もたらされた気づきではないかと思います。

私が取り組んできたジャーナリングの進め方を紹介しておきます。2015年に、7−8名のグループで、ブログを使ったジャーナリングを始めました。Googleのフリーのサービスである、Bloggerを使って、各自が個人のBlogをもち、そこに日々の授業実践について、ジャーナルを書いていきます。学習者の固有名を使った方が、生き生きと語りやすいということで、非公開のブログにしています。

特に、記入する内容や形式は定めていないので、各自が書きやすい方法で、自由に書くようにしています。形式や報告よりも、自分の経験や振り返りを書くことを重視したいからです。

私は、[Procedure]としてその日の流れを数行で記し、その後に[Reflection]として、感じたこと、気づいたことを書くようにしています。その際、できるだけ、学生たちの様子が分かるように(自分が後から思い起こせるように)、写真やビデオを掲載するようにしています。

ジャーナルを書くことの意義については、メンタルヘルスのため、思考の整理・生産性の向上、自己理解・自己成長、生活の質の向上、振り返りと今後の計画などが挙げられています。

私は、ジャーナルを書くために、立ち止まって、考える。その時間を取れることが最大のメリットだと感じています。通常であれば、やり過ごしたり、流れていくだけの出来事について、じっくりと向き合うことになる。向き合い、考えをめぐらさなければ、書けませんから。

なお、このブログは、メンバーのみが閲覧可能で、お互いがジャーナルを読み合い、コメントを記入し合うようにしています。当初は、ピア・メンター的な役割をお互いに果たし合おうと話していたのですが、そこはうまくいきませんでした。メンターやコーチとして、仲間に関わる余裕も知識もなかったことが原因だろうと思います。

しかし、一言でも、反応があることは、重要でした。もちろん、返信を期待して書いているわけではありませんが、自分のエントリーに対して、何らかの反応があることは、このような取り組みが継続されるためには、とても重要な意味を持つと思います。

10年以上続けてきて実感することは、これらの思索が、蓄積され、いつでも読み返せるということです。「時間をかけて蓄積してきたジャーナルを読み返すことで、その中に何らかのパターンのようなものがあることに気づき始めました。折に触れて、読み返すことで、読み返すプロセスこそが、ジャーナルを書くことそのものよりも重要であると気づいたのです。」★2

私たちのジャーナリングの実践では、ジャーナリングの蓄積を振り返りにつなげる工夫をしています。月に1回、1ヶ月間のジャーナリングを振り返る、全員の集約版ブログを準備しています。メンバーは、1ヶ月分のジャーナルを読み返し、次の質問に対する自分なりの、振り返りを書きます。

---Blog Journaling 毎月の振り返り質問---
1.この間、心が動いたことは? 嬉しかったこと、悲しかったことは? 人に伝えたいことは?

2. 実践のハイライトは何でしたか? 特に、よかったことや成功したことです。  うまくいった要因は何だと思いますか?

3. うまくいかなったことはどのようなことでしたか。児童・生徒が動かなかった時や自分らしさを発揮できなかった時です。  それらに共通することは考えられますか? パターン/傾向のようなものです。

その他、何でも気づいたこと、思ったことは
----

日々のジャーナルは、気軽に書いたとしても、月に一回の、この振り返りの質問に答えるときに、いつも筆が止まる(立ち止まる)と皆さん言います。

日記をつけたり、マメに手紙を書いたりするわけではない私ですが、書き続けることで、実に多くの学びも気づきも生まれたと思っています。

多忙な、学校の仕事の中で、バーンアウトしてしまっている人も多いと思います。でも、それを超えるには、一歩踏み出して、自分に良い負荷をかけるしかない。その一つの方法がジャーナルを書くことだと思います。

まずは、しばらく続けてみませんか?

★1 吉田新一郎(2006)『「学び」で組織は成長する』光文社新書,pp31-42 などに紹介されています。

★2.Thomas Farrell(2013)Reflective Writing for Language Teachers, equinox, p.85から。

2026年3月29日日曜日

なぜ研修は役立たないのか? では、何が本当に効果を生むのか?

  『教師のためのアート・オブ・コーチング』の著者のエリーナ・アギラーさんが、つい先日、上記のタイトルの論考を書いていたので紹介します。

   *****

忘れてしまう研修と、教師を変える(成長させる)研修を分けるのは、たった三つの要因です。

ある研修で、教師が私の方へ身を寄せて小声で言いました。「明日すぐに使えることを一つだけでいいから知りたいです」。この思いは、ここ20年ずっと聞き続けてきたものです。そしてこれは、多くの研究が示している事実とも一致しています。多くの研修が効果を発揮しないのは、教師に意欲や好奇心がないからではなく、対象のことを考えずに設計されているからです。

教師の学びに関する900以上の研究をまとめた大規模メタ分析では、効果的な研修は「焦点が明確で、継続的で、教師の目の前のニーズに直接関係している」ことが示されています(Darling-Hammond ほか, 2017)。しかし実際の研修の多くはその逆で、短時間に内容を詰め込みすぎ、成果が不明確で、情報を受け取る教師たちの感情面や認知面への配慮がほとんどなく、フォローアップもありません。

研修をうまく機能させるには、もっと早い段階から取り組み、まず対象に焦点を当てる必要があります。

1. 対象を知ること

研修をどのように計画しているかを担当者に尋ねると、多くはまず「扱うべき内容」を挙げます。教育現場のプレッシャーを考えれば理解できる反応ですが、生産的な出発点ではありません。本来の最初の問いはこうです。「今日、目の前にいる学び手は誰で、彼らが今もっとも必要としているものは何か?」

これは「曖昧で非科学的な話」ではなく、認知科学に根ざした考え方です。Malcolm Knowles1984)や Patricia Cranton2006)といった成人学習の理論家たちは、何十年にもわたり、大人は「尊重され、感情的に安心し、扱われる内容とつながりを感じられるとき」に最もよく学ぶことを示してきました。神経科学もこれを裏づけており、ストレスや過負荷、情緒の乱れは新しい情報を取り入れる脳の働きを弱めます。場にいる人々を理解しないまま内容に飛び込むと、学びが始まる前にその土台を損なってしまっています。

「対象を知る」ことを怠ると、いくつかの予測可能な問題が生じます。

  • 認知的過負荷:参加者の事前知識や心の準備状態を把握しないまま進めるため、内容が詰め込みすぎになる。
  • 学習目標の不明確さ:教師が何を最も必要としているかが見えないため、すべてを扱おうとして結局どれも定着しない。
  • 関連性の低さ:どれほど優れた方法でも、教師が自分の文脈や学年・教科等の現実と結びつけられなければ効果が出ない。

解決策はシンプルです。関連を見いだすことから始めるのです。

3〜5分ほどの短いチェックインをするだけで、学びの場は大きく変わります。たとえば、今どんな気持ちでこの場に来ているかを一言で表してもらったり、この研修に「参加してよかった」と感じられるために必要なことを挙げてもらったりするのです。経験値を把握するために、ペアでの短い共有や挙手を求めてもよいでしょう。大事なのは形式ではなく、「そこで得た情報に応じて応える姿勢」です。★

 

2. 焦点を絞る

次に大切な要因は、驚くほどシンプルです。学習到達目標を一つだけ決めることです。そう、たった一つです。

時間が足りず、プレッシャーの大きい教育現場では直感に反するように感じられるかもしれません。しかし、しかし、広く浅くよりも、狭く深く掘るほうが力になるのです。私は『教師のためのアート・オブ・コーチング』の後に書いた『The PD Book: 7 Habits that Transform Professional Development』のなかで、教師が研修後に「一つのアイディア」——一つのプロトコル、一つのルーティン、生徒作品の見方の一つ——を覚え、実践できることのほうが、20のアイディアを聞いて何も定着しないよりはるかに変革的だと強調しています。

目標を一つに絞ると、すべてが良い方向にゆっくりと進みます。ファシリテーターの目的が明確になり、参加者の認知的負荷が減ります。情報を整理し、質問し、練習するための余裕が生まれます。そして教師は「持ち帰って使えるもの」を確実に得られます。

私は研修担当者や管理職と仕事をするとき、計画を始める前に次の文を埋めてもらうことが多いです。「この研修の終わりまでに、教師は__ができるようになる。」もしこの文が長く、複雑で、接続詞だらけになるなら、目標がまだ明確でない証拠です。

3.研修中に「実践」を組み込む

研修が感情面でも認知面でもうまく受講者の教師に届いたとしても、それが教室での実践につながらないことがよくあります。その理由はシンプルです。学んだことを実際に使ってみる時間がないまま、教師が研修を終えてしまうからです。

Learning Policy Institute の研究では、練習・計画・フィードバックのための時間をしっかり確保した研修は、新しい学びの実践度を大きく高めることを示しています(Darling-Hammond ほか, 2017)。学習科学もこれを支持しており、「実践」は記憶を定着させ、不安を軽減し、習慣形成の条件を整えます。

実践のために複雑な仕組みは必要ありません。教師は翌朝使える5分間のルーティンを書き出してみたり、新しい視点で生徒の作品を分析したり、ペアになって会話プロトコルをリハーサルしたり、学んだ方法を使って授業の一部を短く計画したりすることができます。意図的な10分間の実践だけでも、新しい学びが定着する可能性は大きく高まります。★★

 

教師の人間性を尊重する

教師には、人間性と専門性を大切にする研修が必要です。教師の専門性を尊重し、時間を大事にし、授業改善につながる研修は、一つの基本から始まります。それは「対象を知る」ことです。その場にいる人をきちんと理解しようと立ち止まることで、焦点が定まり、大人の学びの現実に根ざした、人にやさしい学びを設計できます★★★。到達目標を一つに絞り、実践の時間を組み込むことで★★、行動が変わる条件が整うのです。

 

出典:https://www.ascd.org/el/articles/why-most-pd-doesnt-work-and-what-actually-does

★私が教員研修に関わり始めた頃、オーストラリアから招いた講師がしっかりこれをやっていたのを思い出しました。

ちなみにこのことは、当然のことながら、生徒対象の授業でも同じです! あなたは、診断的評価、形成的評価、総括的評価の理想的なウェートづけはどのくらいずつだとお考えですか? このこと(=学ぶ対象に焦点を当てて築く学び方・教え方)について書かれているのが、『学びの中心はやっぱり生徒だ!』ですので参考にしてください。先ほどと逆で、これはそのまま教員研修に応用できます!

★★しかし、https://projectbetterschool.blogspot.com/2015/11/blog-post_29.htmlの二つ目の表を見ると分かるように、実践=練習を研修会でするだけでは、残念ながら、ほとんどの参加者は学校に戻っても、それがやれないことはすでに1984年ぐらいの段階で明らかにされています。何が必要かというと、研修後のフォローアップ(=継続的なサポート)です。それが、この文章の執筆者であるエリーナさんがやり続けているコーチングの柱と言えます。一度きりのイベントとしての研修会でいくら努力をしても、参加者の教室や学校レベルの実践が変わることはほとんど期待できません。研修会で関心をもってくれたことを学びのサイクルとして回し続ける形で(https://note.com/coachingletter/n/n6718ea3f0f29?magazine_key=ma24c24afc5bdを参照)、自分のものにしてもらう仕組みが大切です。それを助けるのがコーチです。

★★★『教師のためのアート・オブ・コーチング』のなかには、実践を変える6つのレンズが紹介されており、その一つが「大人の学び」=成人学習のレンズなので、ぜひ参照してください。

2026年3月22日日曜日

教育現場で好奇心を育む3つのコツ

 https://note.com/coachingletter/m/ma24c24afc5bdの3月18日号で書いたことの続編的な位置づけです。

 「社員の意欲が下がっているときこそ、リーダーが好奇心を後押しし、認めることで、イノベーションや仕事の意味を生み出すチャンスになる」という記事(https://www.smartbrief.com/original/3-tips-to-replace-employee-stagnation-with-curiosity-in-2026)を見つけました。まさに、いまの日本の学校が一番必要としていることではないでしょうか?

 その記事の全訳はしませんが(興味をもたれた方は、ぜひご自分でトライしてください)、ここではCopilotとのやり取りの一部を紹介します。

  *****

1 好奇心を伝染させる文化をつくる

🔍 原文の本質

  • インスピレーションは「スピーチ」ではなく「問い」から始まる
  • 好奇心は、成果を生むための「戦略的スキル」
  • 質問傾聴探究の連鎖がチームを変える

🏫 教育への置き換え

教師も生徒も、日常の中で「問いを立てる力」★が学びの質を決めます。学校でこれを実現するには:

  • 授業で「今日の学びを面白くする質問」を生徒が一つ書く★
  • 教師同士で「最近、子どもたちの学びの変化で気づいたことは?」を共有
  • 管理職が「結果」ではなく「気づき」を問う文化をつくる

例:「どんな小さな変化が子どもの学びに影響していると感じますか?」

例:「今、私たちがまだ問えていない問いは何でしょう?」

“Did you hit your numbers(結果は出しましたか)?” “What are you noticing(どんな変化・成長・学びを気づきましたか)?” に置き換えるだけで、学校は「指示待ち」から「探究する組織」に変わります。

 

2 つながりのための余白をつくる

🔍 原文の本質

  • 人が離れるのは「努力しないから」ではなく「見てもらえていないから」
  • つながりは大きなイベントではなく、日常の小さな存在の確認から生まれる

🏫 教育への置き換え

学校でも、生徒も教師も「見られている」「大切にされている」と感じると、学びや仕事へのエネルギーが大きく変わります。

  • 朝の会で「最近どう?」を形式ではなく本気で尋ねる
  • 教師同士で「今日のあなたの良かったところ」を一つ伝え合う
  • 管理職が廊下で立ち止まり、教師の小さな工夫を言語化して称賛する
  • 生徒の小さな努力(提出物の改善、友達への声かけ)をその場で認める

つながりは、学級(学校)経営の土台であり、教師のエンゲージメントの源泉です。

 

3 結果だけでなく好奇心そのものを評価する

🔍 原文の本質

  • 結果だけを評価すると、挑戦や問いが減る
  • 好奇心を認めると、結果はむしろよくなる
  • プロセス(質問・試行・リスクテイク)を価値づけることが鍵

🏫 教育への置き換え

学校では「結果評価」が強くなりがちですが、探究・学びの本質はプロセスにあります。

  • ルーブリックに「問いの質」「試行回数」「仮説の更新」を入れる
  • 生徒の振り返りに「今日の初めては何?」を追加
  • 教員研修で「今年挑戦した新しい実践トップ3」を共有
  • 管理職が結果よりプロセスを称賛する文化をつくる

例:授業改善のための小さな試行を指摘・紹介する

例:失敗した試みからの学びを共有する場をつくる

好奇心を評価(賞賛)すると、挑戦が増え、結果も自然と伸びるというパラドックスが教育でも成立します。

 

 以上を整理すると、次の表のようになります。

 3つすべてを一度に、というよりも、これらの中の一つでも取り組めそうなのはあるでしょうか?

 ちなみに、Copilotが提供したURLをうまく読み込めない段階では、次のような表をつくり出してくれていました。原文にはない内容(?)を生成AIが勝手に考え、解釈して提供してくれていた情報ではありますが、大事な点を押さえていたので驚くと同時に、感心もしたので、参考までに紹介します。

 なお、3つのコツは別物というよりは、相互にかなり深く関連し合っている気がします。どれから入っても、すべてを押さえられるような関係というか・・・なので、取り組みやすい(挑戦しやすい)項目からはじめてください。いずれにしても、表に描かれている環境にならない限りは、教師は元気になれ(自立でき)ないし、いい授業を生徒に提供できないし、結果的に生徒たちもいい学びを体験できないままが続くことが約束されています。それほど、大事なことです。

 

★一つどころか、たくさんみんなで出し合う方法が、『「おさるのジョージ」を教室で実現 ~ 好奇心を呼び起こせ!』の第5章「質問することを支援する」のなかでは「100個の質問をする」をはじめ生徒が質問をするための方法がいくつか紹介されています(もちろん、『たった一つを変えるだけ』で紹介されている方法も含めて!)。

 

2026年3月15日日曜日

「深い学び」についてのインタビュー動画

 https://www.edutopia.org/video/deep-learning-interview-elena-aguilarの画面の「設定」を少し操作すると、自動翻訳を「日本語」に設定して字幕を日本語で読めるようにできます。(あるいは、Transcriptがついているので、それを翻訳するという手もあります。)

このインタビュー★の主なポイントを要約すると、次のようになります。

*****

従来の「50分授業+教科書+講義」中心の学び方は、多くの子ども、とくに社会経済的に不利な立場の生徒には効果的ではない。学力格差を縮めるためにも、教科横断的で体験をベースにした多様な学び方を取り入れる必要がある。研究も、教科をブツ切りにした学習ではなく、統合的学習が最も効果的であることを示している。

ただし、教科横断的なユニットを計画するには、他教科の基準を把握し、どこで結びつけられるかを丁寧に検討する時間と労力が必要である。他教科の教師と相談し、必要な標準を補強する方法を探り、綿密な計画を立てることが欠かせない。また、インターネットや書籍、人脈を活用し、積極的に情報を求める姿勢も重要である。

単元設計では、到達目標と評価方法を事前に明確にし、生徒にも共有する。学習の途中では形成的評価を行い、理解が不十分なら教え方を調整する。ASCEND School (この学校についてはhttps://projectbetterschool.blogspot.com/2026/02/blog-post_22.html を参照)では、歴史・英語と数学・理科の4教科を組み合わせ、現実世界と結びついた探究型学習★★(expeditionary learning2015年にEL Educationに名称を変更)を実践し、基準を満たしながら生徒の関心にも応えた(具体的な様子は、https://www.edutopia.org/video/students-learn-make-difference  を参照)。

新任教師には、小さな一歩から始めることが勧められる。月に一度詩を取り入れる、年に一度ゲストを教室に呼ぶなど無理のない目標を立て、徐々に教室運営や基準理解を整えながら、短い教科横断的ユニットに挑戦していけばよい。長期的視点で少しずつ広げていくことが鍵となる。★★★

 *****

 自分に割り当てられた(どこの誰が、誰に向かって書いたのやらよくわからない)教科書を忠実にカバーしていくのではなく、目の前にいる生徒たちがよりよく学べる方法を常に探究し続けるのが教師という仕事ではないでしょうか?

 

★このインタビューは、2008年当時すでにコーチの職にあった、5年後の2013年に『教師のためのアート・オブ・コーチング』を出版することになるエリーナ・アギラ―に対して行われたものです。この本を書いた著者が、どのような考えをもっていたり、どのような実践に共感していたりする人なのかは、成果物の一つであるその著作と大いに関わっています。それは、個人レベルで言えることですが、同じように教師集団レベルでも言えることだと思います。「教科書をカバーしてテストをする」ことを学力向上の最善の方法と錯覚している日本の教育界においては、残念ながら、教師を中心に教育関係者に与えられている選択肢はないも同然です! ちなみに、何年か前に文科省は「深い学び」を数年間唱えましたが、言い始めた人たちは、それが「教科書をカバーする授業」とは相容れないものとは気づいていないようでした(ひょっとしたら、気づいていて、あえて言っていたのかもしれません!?)。同じレベルで「主体的で協働的な学び」も教科書との相性が極めて悪いです。教科書内容を「主体的」に取り組める生徒(や教師も!)は、いったい何%いるでしょうか? 「主体的」に取り組めないものを、いったいどうやって「協働的」に取り組めるというのでしょうか?

 以上の問題への回避策は、『教科書をハックする』や『ほんものの学びに夢中になる』などを参照ください。

★★この教え方を小学生段階で実践した記録が、『子どもの誇りに灯をともす』ロン・バーガー著、英治出版、2023年です。著者のロン・バーガーは、本の執筆以降はexpeditionary learningEL Educationのアドバイザーを中心に活動しています。

★★★間違っても、毎年同じことを繰り返さないということです。無理のない範囲で学びながら、毎年確実に成長していくことこそが、教師に求められている(もっとも大切な!?)あり方ではないでしょうか? その際に大事なのは、単に考え続けるレベルではなく、実際に試してみるレベルで臨み続けることです。考え/学び続けることはもちろん大切ですが、残念ながら安全圏にとどまってしまうのに対して、実際に試してみることで小さなリスクを引き受けながら価値のある気づきや改善を得て、教師の成長が生まれるからです。

 日本の学校の内外で行われている研修は、このことがどれだけ意識されて行われているでしょうか? 研修を実施することと参加教師の成長とは、どのような関係にあるでしょうか? 成長を加速させられればいいに越したことはありませんが、まずは確実に毎年一人ひとりの教師が成長していることを実感できる制度を再構築することが必要です。残念ながら、いま行われている校内や校外の教員研修では、自分が成長し続け(その結果として、生徒たちの学びの質と量が向上し)ていると実感できている教師はあまりいませんから。この再構築を可能にする情報は、これまで日本にはあまりに少なすぎました(つまり、選択肢がほとんど提供されていませんでした)。動画に登場していたエリーナ・アギラーさんの『教師のためのアート・オブ・コーチング』や、3月10日に出たばかりのジム・ナイトさんの『インストラクショナル・コーチング』などは確実に選択肢を提供してくれていますので、ぜひ参考にしてください。(また、それら異なるコーチングのアプローチを含めて、コーチング関連情報を提供している「コーチング便り」https://note.com/coachingletter/m/ma24c24afc5bdもご覧ください!)

2026年3月8日日曜日

良い授業をまねしても、なぜ同じようにうまくいかないのか「教育実践の文脈と教師の省察」

 年度末になると、学校研究の発表を参観する機会が増えます。公開授業を見て「これはすごい授業だ」と感じた経験はないでしょうか。そして、その方法を自分の教室でも試してみたものの、思ったほど子どもたちが動かなかった。そんな経験をされた先生方も少なくないはずです。私自身もその一人です。優れた授業を見るほど、「なぜ自分の教室では同じようにいかないのだろう」と戸惑うことがあります。

 

これは授業研究に限ったことではありません。海外の教育実践を紹介した書籍を読んだときにも、同じような感覚を抱くことがあります。優れた実践が紹介されているのに、なぜそのまま広がらないのでしょうか。

 

最近、哲学対話について学ぶ機会がありました。日本で広がっている比較的自由なスタイルの哲学対話は、ハワイを経由して紹介された実践であることを知りました。一方で、本来の哲学対話は、哲学的な問いを丁寧に扱いながら、関連する知識にも触れつつ思考を深めていく営みだとされています。しかし、そのような実践が日本で広く根付いているかというと、必ずしもそうとは言えません。このことを知ったとき、海外で生まれた教育実践はなぜ同じ形では広がらないのかという疑問を抱きました。

 

教育研究では、教育実践はその場の「文脈」から切り離せないと考えられています。LaveWengerは、学びを個人の頭の中の活動ではなく「社会的実践への参加」と捉えました。学びは、人間関係や活動のルール、学校文化といった環境の中で形づくられるものだという考え方です。またNuthallの教室研究では、子どもの学びは教師の説明だけで決まるのではなく、友だちとの会話やこれまでの経験、個人的な関心など、多くの要因が重なり合って生まれることが示されています。

 

つまり、外から見える授業の形は結果に過ぎません。その背後にある人間関係や活動の文化こそが、学びを支えているのです。

 

この点について、StiglerHiebertの比較研究は興味深い示唆を与えています。彼らは日本、アメリカ、ドイツの授業を比較し、それぞれの国に固有の「授業文化」が存在することを明らかにしました。教師の問いかけ方や問題の扱い方は、個人の技術というよりも、その社会の教育観や価値観の中で長年育まれてきた文化なのです。そのため、他国の優れた方法を形だけ取り入れても、本来の意味や役割がそのまま再現されるとは限りません。

 

日本の教育学者である佐藤学も、教育実践はその場の文脈に強く依存する営みであると指摘しています。授業は単なる指導技術の集合ではなく、教師と子どもの関係性や学級文化、学校の歴史などが重なり合う中で成立します。ある授業が成功しているとき、その背景には教材の工夫だけでなく、長い時間をかけて築かれた信頼関係や、その教室に特有の学びの文化が存在しています。こうした基盤を無視して方法だけを取り出しても、同じ結果を生み出すことはできません。

 

それにもかかわらず、私たちはしばしば「優れた方法を正しく適用すれば、どこでも同じ成果が得られる」と考えてしまいます。ドナルド・ショーンは、このような考え方を「技術的合理性モデル」と呼び、その限界を指摘しました。現実の専門職の仕事は、理論通りに進む整然とした世界ではなく、予測できない出来事が次々に起こる「泥濘の地」で行われるものだといいます。教室もまさにそのような場です。子どもたちの反応は常に予測を超え、授業はその場の状況の中で形づくられていきます。

 

では、他者の実践から学ぶ意味はどこにあるのでしょうか。重要なのは、実践をそのままコピーすることではなく、その背後にある原理を理解することです。教育プログラム研究では、これを「忠実性」と「適応」のバランスとして説明します。元の実践の核心となる考え方は大切にしながら、具体的な方法は自分の教室の文脈に合わせて再構成するという考え方です。

 

例えば、ある教師がペアワークによって豊かな対話を生み出していたとします。学ぶべきなのは「ペアワークという方法」そのものではありません。なぜそのタイミングでペアをつくったのか、どのような言葉を拾って対話をつないだのかといった、判断の背後にある原理です。その原理を理解したうえで、自分の教室の子どもたちの関係性や学習状況に合わせて実践を組み立てていくことが求められます。

 

その過程で重要になるのが、ショーンが提唱した「省察」です。教師は実践を振り返りながら学び、さらに授業の最中にも状況を読み取りながら判断を修正していきます。授業の中で「何かうまくいかない」と感じたときこそ、教師は子どもたちを注意深く観察し始めます。そうした問いと振り返りの積み重ねが、実践を少しずつ深めていきます。

 

海外の教育実践や他者の授業から学ぶことには大きな意味があります。自分の教室だけでは気づきにくい視点や可能性に出会えるからです。ただし、それをそのまま取り入れることが目的ではありません。大切なのは、その実践の背後にある学びの原理を理解し、自分の教室の子どもや学校文化に合わせて再構成することです。

 

教育に、どこでも通用する唯一の正解はありません。しかし、それはむしろ希望でもあります。目の前の子どもたちの文脈を最もよく理解しているのは、その教室にいる教師だからです。他者の実践はコピーするものではなく、自分の教室を見直し、新しい学びを生み出すための手がかりなのです。

 

2026年3月1日日曜日

『インストラクショナル・コーチング 授業と学校を変革する教師の最強パートナー』が発売

 PLC便りでもたびたび紹介してきたインストラクショナル・コーチングに関する本が出版されました。ジム・ナイト著『インストラクショナル・コーチング: 授業と学校を変革する教師の最強パートナー』(https://www.amazon.co.jp/dp/4810067955)です。★ インストラクショナル・コーチという職業自体まだ我が国には存在していませんし、インストラクショナル・コーチングに関する書籍は、同書が日本初とのことです。


インストラクショナル・コーチングとは何か?なぜ、導入するのか、今一度その意義を考えてみたいと思います。

コーチという言葉はスポーツなどで日常的に目にしますが、近年、普及してきた人材開発やコミュニケーション手法としてのコーチングについては、まだまだ馴染みがない人も多いのではないでしょうか。このコーチングのポイントは、コーチは、答えを授ける人ではなく、クライアントが自ら答えを見つけ出すプロセスに、対話を通じて関わるということです。

インストラクショナル・コーチングの中核にある考え方に、「パートナーシップの原則」があります。この中に、従来の方法とは決定的に違う考え方を見出せると思います。本書の第一章に次のような一節があります:

「パートナーシップの原則を採用しようと思ったら、まず自問してください。「私は、ほんとうに権限を捨てる覚悟があり、躊躇せずできるのか」「私はほんとうに、自分と共に成長する教師に、彼らが授業でしようとすることを任せられるのか」、自分自身の考えや言葉、行動を深く吟味して、これらの質問に答えてください。ビデオを撮るのは、このようなタイプの学びに最適です。録画を観ればコーチングにおける会話がつぶさにわかりますし、自分が話したりアドバイスをしたりするよりも聴こうとしているかや、問いかけることと伝えることのバランスがとれているかが、わかるからです。

 パートナーシップは、逆説的だと思われるかもしれませんが、私たちが他者に影響力を行使しようとしなくなればなるほど、より大きな影響力をもつことになるのです。」(pp.50-51)

このような考え方を、明確に打ち出した、教員の研修やワークショプはこれまでにあったでしょうか?

筆者ジム・ナイト氏は、「結語 コーチングと豊かな人生」の中で、「私は、インストラクショナル・コーチ以外の職業についている自分の姿を想像することができません。(p.234)」とまで述べています。コーチの行うほとんどすべてのことが、価値ある豊かな人生と関係していると確信しているからだと言います。

いま学校は、多くの課題を抱えて疲弊しています。さらには、探究的な新しい学びへの転換、学習の個別化の推進など、新しいテーマも目白押しです。

そのような中で、さまざまな問題や課題と向き合いながら、学び成長していってほしい。教師として、豊かで価値ある人生を送ってほしい。そのための、学びと成長の機会を提供するのがインストラクショナル・コーチングだと思うのです。

本書の表紙カバーの折り返しには大きく「あまりに孤独で多忙な教師の仕事」と書かれています。それに対して「教師と共に成長しようとする新しいリーダー像は、日本の教育に変革をもたらす、最後のピース(希望の光)となるでしょう!」と結んでいます。

インストラクショナル・コーチングが、日本の教育を変革していく、希望の光になるか、ぜひ、一緒に考えていきたいと思っています。


◉本書を使ったブッククラブやワークショップを企画中です。具体的な企画が、決まりましたら、お知らせします。


★ ジム・ナイト著(蘆田亮介・長﨑政浩・吉田新一郎訳)(2026)『インストラクショナル・コーチング: 授業と学校を変革する教師の最強パートナー』図書文化社.

[原著 Jim Knight (2022) The Definitive Guide to Instructional Coaching - Seven factors for success, ASCD.]


2026年2月22日日曜日

教科(カリキュラム)の統合はなぜ効果的なのか

 去年の12月に『教師のためのアート・オブ・コーチング』という本を出したのがきっかけで、その著者のエリーナ・アギラ―さんがあちこちに書いた無料で読める記事(ブログ等)を読んでいます。ここで紹介するのは、彼女が17年前の2008年9月23日に書いたものです。この記事から、彼女がカリキュラムの統合に大きな価値を見出していたことがわかります。

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 カリキュラムを統合することには、大きな意義があります。ある教科で身につけた力を別の教科でも使って練習でき、その結果として本当に使いこなせるようになるからです。★ また、私たちが社会で経験していることに近い、より「本物の学び方」にもなります。さらに、難しそうに感じたり、自分には関係ないと思ったりしてしまう教科に対しても、生徒の興味を引きつけるきっかけになります。

そして、とても幸運な場合には、カリキュラムの統合が、生徒が自分の「情熱」を見つけるきっかけになることがあります。夢中になれることを見つけると、生徒はさまざまな困難を乗り越え、高校を卒業し、大学へ進んで自分の夢を追いかけようとします。私が働くカリフォルニア州オークランドでは、こうした成果は、文字どおり「一つの命を救う」ことにつながるのです。

教科横断的な学びの意義を語ろうとすると、私は真っ先にジョージのことを思い出します(ここに出てくる生徒の名前はすべて仮名です)。もし、ケイコ・スダ先生が彼に7年生のときビデオカメラを手渡していなかったら、彼はどうなっていただろう――そんなことを考えずにはいられません。

 

カリキュラム

ケイコ・スダ先生は、ジョージが 7年生だったときの数学と理科の担当教員でした。彼女には、カリフォルニア州の7年生向け基準の一部として、細胞生物学を教えることが求められていました。スダ先生と私が共に教えていた ASCEND Schoolhttps://www.ascendtk8.org/ では、教師が「広く浅く」ではなく 深い学びを重視したユニットを開発すること、そして 学んだ知識を別の文脈へ応用できるように指導することが奨励されていました。(学校については、https://www.edutopia.org/little-school-that-did と https://www.edutopia.org/video/students-learn-make-difference  を参照。)

スダ先生は、「HIV/AIDS は私たちに身体的・社会的にどのような影響を与えるのか?」という探究質問を軸に、1学期間の HIV/AIDS 研究ユニットを設計しました。生徒たちは免疫系や細胞生物学について学び、HIV/AIDS と共に生きるとはどういうことかを探究しました。

学習のまとめとして、生徒たちは 脚本執筆・監督・制作・編集・出演まで自分たちで行う映画をつくり、この探究質問に答えました。あるクラスは HIV と共に生きることの社会的側面を描き、もう一方のクラスは 免疫系で何が起こるのかを表現しました。

 

学びの証拠

優れた教師は、ユニット(単元)の途中と終了後の両方で学習状況を評価しています。そして、その評価は 学びの証拠 に基づいて行われる必要があります。スダ先生が行った形成的評価と総括的評価★★は、生徒たちが科学の基準を十分に習得していることを証明するものでした。しかし、これは物語の始まりにすぎませんでした。

その学期のあいだ、私は生徒たちが HIV に関する知識を別の領域へ応用している様子を目の当たりにしました。スダ先生の隣の仮設教室で、私は同じ生徒たちに歴史と英語を教えていました。その学期のテーマは ペスト(黒死病)で、生徒たちはこの疫病が中世ヨーロッパの社会・経済・政治・宗教の構造をどのように変えたのかを探究しました。

学習を始めて間もない頃――彼らが HIV の学習を始めて数週間後のことです――生徒のひとりが最初に投げかけた質問が、「ペストのとき、誰がスケープゴートにされたの?」というものでした。彼女は、HIV 陽性者が直面してきた状況を理解したうえで、別の疫病でも同じようなことが起きたのではないかと推測したのです。そして、その推測は正しく、まさに 深い学びが起きている証拠でした。

 私のクラスでのまとめのプロジェクトは、ドラマ(劇)の上演でした。生徒たちは、スダ先生と学んだ概念をペストの理解に応用しながら、このプロジェクトのために脚本づくりや演技のスキルも磨き上げていきました。

私自身がウイルスについてより深く理解できるようになったのは、スダ先生と生徒たちが作った映画のおかげです。ネスターが演じた「HIV 細胞」の恐ろしい描写は、HIV がどのように働くのかを、私の脳に永遠に刻みつけました。映画『One Strike』の中で、彼は縛られて動けない免疫細胞の上に不気味に浮かびながら、こう宣言します。「お前はこれから俺の宿主だ。中に入り込み、お前の核を乗っ取ってやる。」このセリフは、印刷物で読んだときには決して覚えられなかった情報なのに、私の脳のどこかの受容体にしっかりと結びついてしまったのです。

深い学びの証拠は、生徒たちが ASCEND School を卒業し、高校へ進んだあとにも現れました。9年生になったマリアは、HIV に感染した若い女性を描いた詩を書きました。何千もの応募作品の中から、彼女の胸を打つ詩は、作家アリス・ウォーカーが主催するコンテストで賞を受けたのです。

 

映画づくりが足場になるということ

しかし、カリキュラム統合の力を示す圧倒的な証拠として私の心に浮かぶのは、やはりジョージのことです。ジョージにとって、ケイコ・スダ先生のクラスで映画をつくった経験は、人生で初めての「映画制作との出会い」でした。その瞬間から、彼はすっかり魅了されてしまったのです。幸運なことに、彼はオークランドの高校で、自分の情熱を追いかけるための大きな支援を受けることができました。4年間で彼は3本の映画を制作し、映画制作の授業で他の生徒に教え、さらには映画づくりのガイドまで書き上げました。

その数年間、ジョージは個人的に非常に辛い喪失体験をいくつも経験しました。いとこや同年代の若者たちが学校を辞め、ギャングに入り、子どもをもつ姿を見て、「もう全部投げ出したい」と彼が私に漏らしたことは一度や二度ではありませんでした。そんな彼を支え続けたのは、「映画監督になりたい」という思いだったのです。

20086月、ジョージは高校を卒業しました。そしてその秋、カリフォルニア大学サンタバーバラ校に進学し、映画制作を学ぶことになりました。高校の卒業式では、彼は映画監督になるという決意を語りました。移民である彼の父親は、ひとり息子の卒業を見守りながら涙を流していました。

「息子さんが映画を学ぶことについて、どう思われますか?」と私は父親に尋ねました。

彼は肩をすくめて言いました。「あいつは自分の情熱を見つけたんだ。私は嬉しいよ。父親として、これ以上望むことがあるだろうか。」

ケイコ・スダ先生の見事な教科を統合するユニットのおかげで、科学が好きではなかったジョージは 7年生の細胞生物学の基準をしっかり習得し、文章力を伸ばし、社会的・対人的スキルを育て、そして彼を高校から大学へと突き動かす生涯の情熱を見つけたのです。

 そして、これはたったひとつの物語にすぎません。まだまだ続きがあります。

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 あなたは、授業を通してどんな物語をつくり出していますか?★★★

 

出典: https://www.edutopia.org/integrated-studies-authentic-education

★逆に言えば、こういう機会が提供されないと、単に暗記だけ(そのほとんどは、忘れ去られる運命?!)の授業で終ってしまう可能性が高いことを意味します。

★★形成的評価は、成績(総括的評価)に使われることなく、生徒の学びと教師の指導を改善するために行われる評価のことです。評価で大切なのは、圧倒的に形成的評価の方で、3つの評価をあえてウェートづけると、診断1、形成8、総括1ぐらいが理想と思います。しかし、現在日本で行われている評価のウェートづけは診断0、形成0、総括10ではないでしょうか? それが、生徒の学びも教師の指導もよくならない原因になっています。

★★★ここで紹介されている授業のアプローチととても似た方法を、紹介者自身2000年ごろにオーストラリアで聞いたことがあります。読み書きに熱心ではないアボリジニー(原住民)の生徒たちが多い学校で、動画の制作をしたというのです。読み書きにはまったく興味がもてない生徒たちも熱心に取り組みました。面白い動画の制作には、上にも書いてある「脚本執筆・監督・制作・編集・出演」の最初のステップのためにたくさんの資料を読んだり、そして脚本を執筆することをしなければならないのです。それ(読み書き)自体を目的に設定したら、取り組まない生徒たちも、自分たちの動画づくりのためなら何の文句も言わずに、嬉々として取り組んだそうです。この目的から手段への転換は、ある意味、コペルニクス的な転換です。あなたも、ぜひ挑戦してみてください! 

 このアボリジニーの動画作成のベースになっている資料は、http://68.77.48.18/RandD/New%20Basics%20Project/NewBasicsrichtasksbklet.pdf です。他にも、「New Basics Queensland」で検索すると関連情報が得られます。

なお、生徒たちが自分の物語をつくり出す授業の参考になる本には、

・『あなたの授業が子どもと世界を変える』

・『子どもの誇りに灯をともす』

・『プロジェクト学習とは』

・『教室から実践するデザイン思考 児童・生徒とはじめる探究と創造のツール』などがあります。