2026年8月16日日曜日

生徒が自分の学びをどのように示すかを選べるようにすることの大切さ

評価が単なる成績のためだけのものではなくなると、生徒は創意工夫に満ち、夢中で取り組む姿があふれ、学びの確かな証拠が見える教室を体験できるようになります。

 伝統的な評価方法、つまりテストや小テスト、作文などには、生徒が何を理解し、何ができるのかを教師が判断するうえで一定の役割があります。しかし、生徒が選択の自由をもつと、夢中で取り組む姿と学びの示し方が明らかに増えることを、私はこれまでの経験から実感しています。生徒は自分の強みや関心、目標をよりよく反映する形で学びを示すようになります。

すべての生徒に同じ最終成果物を課したり、同じ期末試験を受けさせたりするのではなく、生徒自身が学習目標を達成するための取り組みに主体性をもち、どのように学びを示すかを選べるようにすることができます。

 

生徒が自分の成果物にどんな目的をもたせたいのかを明確にする

私の授業では、生徒が学期を通した探究に取り組む際、最初の課題として「最終成果物で何を達成したいのか」を自分で定めます。生徒は次のような目的のどれを目指すのかを判断します。

・テーマを分析する

・調査結果を統合する

・作者の表現技法を評価する

・複数の文章のあいだに関連を見いだす

・証拠を用いて主張や解釈を支える

・因果関係をたどる

・権力や不平等が人々の経験にどのような影響を与えたかを検討する

・異なる時代や集団の視点を比較する

・歴史的変化の影響を評価する

また、生徒は最終成果物の想定読者についても考えます。それは、成果物を評価するパネリストや、学期末のコミュニティー向け発表会に参加する地域の人々です。目的と読者が明確になった段階で、生徒は自分の目標を達成できる形式を選びます。

 

成果物の可能性に制限を設けない

次に、生徒は「自分が学んだことを、どのように共有し、どのように示すことができるか」を考えます。

一年を通して、私は生徒に多様な可能性を提示します。過去の生徒の参考作品を一緒に見たり、形式のアイディアをブレインストーミングしたり、さまざまな方法の強みと難しさについて話し合ったりします。私の役割は、生徒が制約を言語化できるようにし、修正を「誤りの訂正」ではなく「設計」として捉え直せるように支援することです。限られた期間の中で、意味があり実現可能な形へとアイディアを整えていけるように伴走します。生徒がこのプロセスに慣れ、さらにクラスメイトがどんな形式を考えているかを知ると、発想はより大胆になっていきます。

今年だけでも、生徒はさまざまな成果物を通して学びを示しました。ある生徒は、地域の専門職の人々とクラスメイトをつなぐために、職業探究のための見学ツアーを企画しました。また別の生徒は、文学作品のテーマを象徴する比喩として、花束の一つ一つの花に意味をもたせた作品を制作しました。ほかにも、レシピ本を作った生徒、マルチメディアのプレゼンテーションを作成した生徒、創作文章を書いた生徒、視覚芸術の作品を制作した生徒など、多様な取り組みが見られました。

伝統的な形式を選んだ生徒もいましたが、それぞれの強みを活かす形に工夫していました。形式的な作文を書いた生徒もいれば、アイディアを動画やグラフィック、コミックの形式へと変換した生徒もいました。博物館の展示のように、鑑賞者が学びに触れられるような作品を構成した生徒もおり、また、参加者が概念を使って成功を目指すゲームを設計した生徒もいました。

形式の多様さは確かに魅力的で、生徒が夢中で取り組む姿も印象的でしたが、それ以上に際立っていたのは、生徒自身の「主体性」でした。

 

生徒の取り組みを支えるために、学びを示すための期待を明確にする

私は、生徒に対して明確で透明性のある期待を示します。共有されたルーブリックによって、この場面での「理解を示している」とはどのような状態なのかが定義されます。単一の成果物を指定するのではなく、ルーブリックは学びの転移可能な指標を中心に据えています。つまり、伝わりやすい表現、読者への配慮、思考の深さ、理解を示す証拠、そして選択の背後にある意図などです。これらの基準は、生徒が作文、動画、パフォーマンス、展示、あるいは複合的な形式を選んだとしても、どの形式にも当てはまるように設計されています。

取り組みの過程では、生徒は定期的なチェックポイントや非公式の対話に参加します。これらの時間は、生徒のアイディアを「審査」したり「許可」したりするためのものではありません。生徒が自分の思考や試作品、下書きを試すための機会です。私は問いかけます。ここでは、あなたの思考が最もよく見えるのはどこですか? この形式は、あなたの伝えたいことをどのように支え、あるいは制限していますか? どの証拠が、あなたが学んだことを示していますか? こうしたやり取りの中では、修正は当然のことであり、継続的に行われる作業の一部になります。

最終成果物の目的は、学びを本質的かつ意図的に伝えることです。生徒は評価されますし、成果物には成績もつきます。しかし、重視されるのは形式ではなく、生徒の思考がどれほど明確かつ効果的に可視化できているかです。

選択の自由は、生徒に情報の受け手、目的、時間配分、そして設計について考えることを求めます。博物館の展示を作る生徒は、受け手が情報とどのように関わるかを考えます。オリジナルの曲を制作する生徒は、テンポ、歌詞、リズム、語り、そして情報の受け手がどのように聴くかを考える必要があります。ゲームを設計する生徒は、参加者が必要とする背景知識、ゲームを終えるまでの時間、そして各参加者がどのように関わり学ぶかを予測します。

どの最終成果物においても、生徒は指示に従うだけではなく、意図的な判断を積み重ねていました。また、伝統的な評価では力を発揮しにくい生徒が、最も革新的で、既存の枠を超え、夢中で取り組める成果物を生み出すことが多いことにも気づきました。選択の自由があることで、生徒の創造性が強みとして表れるのです。

 

生徒が自分の学びの関連性を実感することは、とても大きな意義がある。

とりわけ、本当に存在する状況に向けた最終成果物は、生徒が自分の学びがどのように現実とつながっているのかを理解する助けになります。学校の外で、私たちは理解を選択式テストで示すことはほとんどありません。その代わりに、問題を解決し、何かを作り、アイディアを伝え、協働します。生徒が最終成果物の設計や完成方法を自分で選べると、教室の外でも使う力を実際に練習することになります。

学期ごとの最終成果物は互いに異なりますが、共通する目的があります。それは、深い思考、意味のある選択、そして理解を本当に要る情報の受け手に送ることです。伝統的な評価から離れ、生徒自身が学びの示し方を設計する方向へと移行することで、最終成果物は「指示に従ったかどうか」を測るものではなく、「成長・学び・理解を共有するもの」へと変わります。

多くの生徒にとって、この変化は力を与えるものになります。自分の取り組みが一つの形式に押し込められていないと気づいた瞬間、目に見える変化が起こります。生徒はアイディアを言葉にし、試し、主体性をもって取り組むことで、このプロセスに深く入り込んでいきます。動画のテンポがしっくりこないために三度も修正する生徒や、メッセージを明確に伝えたいという理由で仲間に助言を求める生徒の姿には、誇りと成長が表れます。

一方で、伝統的な段階的構造がないことや、成功が同じ課題の達成で定義されないことに戸惑う生徒もいます。何点になるのかを気にする姿勢から、質や伝え方に焦点を移すことは簡単ではありません。しかし時間が経つにつれ、多くの生徒は、期待が依然として高く、しかもその期待が「目的・情報の受け手・明確さ」によって示されているのだと理解するようになります。

最終的な目標は、生徒がこのプロセスを楽しみ、自分を「意味のある仕事を設計できる存在」として捉えられるようになることです。その変化が起こると、最終成果物は単なる学びの証明ではなくなります。それは、生徒が意図をもって考え、修正し、伝えることができるという確かな証拠になるのです。

 

出典:https://www.edutopia.org/article/student-choice-final-projects

執筆者のエリザベス・ヨルゲンセン(Elizabeth Jorgensen)は、ウィスコンシン州の高校英語教師。『Go, Gwen, Go: A Family’s Journey to Olympic Gold』の共著者。キャロル大学「Graduate of the Last Decade(過去10年間で最も活躍した卒業生)」受賞。全米英語教師協会(NCTE)、ウィスコンシン州読書協会(WSRA)、アジア教育に関する全米コンソーシアムなどで講演。趣味はトレーニング、愛犬とテレビ鑑賞、バイオリン演奏。

今回の内容を、さらに詳しく紹介している資料に、『ようこそ、一人ひとりをいかす教室へ』(キャロル・トムリンソン、北大路書房)と『歴史をする』(リンダ・レヴィスティック、新評論)がありますので参考にしてください。

2026年8月9日日曜日

海外の教育実践を、自分の教室でどう生かせるのか

教育書を読んでいると、「これはぜひ自分の教室でもやってみたい」と思う実践に出会うことがあります。海外の教育実践について書かれた本から、新しい授業の方法を知ることも増えました。私自身も、そうした本から多くのことを学び、自分の授業に取り入れてきました。

 

ただ、実際にやってみると、本に書かれていたようにはうまくいかないことが多々あります。そこで、「この実践は日本の子どもには合わない」「自分のクラスでは無理だった」と考えてしまうこともあります。けれども、ここにはもう少し考えてみるべき問題があります。

 

そもそも、ある国、ある学校、ある教室で成立していた実践を、別の教室へそのまま移すことはできるのでしょうか?

 

StiglerHiebertは、授業を「文化的な活動」として捉えています。私たちは長い学校生活を通して、「授業とはこういうものだ」という暗黙のイメージを身につけています。教師と子どものやり取りや問題の扱い方など、授業の進め方について、教師も子どももある程度共通した「授業の脚本」をもっています。

 

この視点に立つと、海外の実践を取り入れる難しさが見えてきます。目に見えるやり方だけを持ち込んでも、その活動は、自分たちがすでにもっている「授業の脚本」の中で解釈されてしまうからです。

 

海外の授業で、子ども同士の話し合いが大切にされていたとします。それを見て、ペアトークやグループ活動を取り入れることはできます。しかし、教師が「正解に早くたどり着くこと」を授業の中心に置いたままであれば、話し合いは単なる答え合わせになるかもしれません。子どもたちも、教師が求めている答えを探す時間として受け取るかもしれません。同じ形を再現しても、同じ実践になるとは限らないのです。

 

では、海外の実践を学ぶことには意味がないのでしょうか。そうではありません。大切なのは、実践の「形」をそのまま再現することではなく、その実践が何を大切にし、何を実現しようとしているのかを理解することです。

 

ここで参考になるのが、「fidelity(大事なところを守ること)」と「adaptation(目の前の子どもや教室に合わせて変えること)」という考え方です。DeBargerらは、実践をまったく変更せずに再現することだけを重視するのではなく、その実践の重要な考え方を保ちながら、現場に合わせて調整していく「productive adaptation(生産的適応)」を論じています★★

 

教室には、それぞれ異なる子どもがいて、異なる学校文化があります。時間や教材などの条件も違います。実践は、どこかで必ず調整されます。問題は、「変えるか、変えないか」ではありません。「何を守り、何を変えるのか」です。

 

算数の問題について話し合う実践の目的が、「子どもが他者の考えを手がかりに、自分の考えをつくり直すこと」にあるとします。その場合、グループの人数やワークシートの形式、活動時間まで同じにする必要はないかもしれません。一方で、教師がすぐに考えをまとめたり、一つの正解へ誘導したりすれば、活動の形は残っていても、その実践が大切にしていたものは失われてしまいます。

 

ここで大切なのは、「守ること」と「変えること」を対立させないことです。私は、実践の形式をそのまま守ることよりも、その実践が果たしていた役割や、背後にある考え方を失わないことの方が重要なのではないかと思います。そのために、活動の形や教材、時間、教師の関わり方を変える必要がある場合もあります。

 

では、何を守り、何を変えればよいのでしょうか? 海外の実践を読むとき、私はWhyHowWhatの三つに分けて考えると分かりやすいと思っています。

 

① Why:なぜ、その実践を行うのか?

Whyは、「子どもにどのような学びを起こしたいのか」「何を大切にしているのか」という、実践の目的や価値です。ここは、その実践の核にあたる部分なので、簡単には変えない方がよいところです。

ただし、Whyは本を読んだだけですぐに分かるとは限りません。実際にやってみて、子どもの姿を見たり、授業を振り返ったりする中で、「この実践が本当に大切にしていたことは何だったのか」が少しずつ見えてくることもあります。Whyは最初に決めて終わるものではなく、実践しながら確かめ、見つけ直していくものでもあります。

 

② How:その目的を、どのように実現しているのか?

Howは、教師と子どもの関係、学級の文化、教師の働きかけなど、その実践を成立させている条件や原理です。ここは自分の教室に合わせて変えることができますが、Whyとのつながりを考えながら慎重に扱う必要があります。

 

③ What:具体的に、何をしているのか

Whatは、活動の手順、教材、時間、グループのつくり方など、目に見える実践の形です。ここは、目の前の子どもや学校の状況に合わせて、比較的柔軟に変えることができます。

つまり、海外実践を取り入れるときに大切なのは、Whatをそのまま真似することではありません。Whyを確かめながらHowを考え、Whatを自分の教室に合わせてつくり直していくことです。

 

そのためには、自分の教室にある暗黙の脚本に気付くことが必要になります。自分の授業には、どのような「当たり前」があるのか。子どもたちは、授業とは何をする場所だと思っているのか。教師である私は、無意識のうちに子どもに何を求めているのか。

 

海外実践との違いを見ることは、自分たちの授業文化を見直すことでもあります。海外の優れた実践を知ると、ついその方法を手に入れたくなります。しかし、他者の実践から学ぶことは、方法を集めることだけではありません。その実践を手がかりに、自分たちの授業の「当たり前」を問い直すことでもあるのだと思います。

 

★ ジェームズ・W・スティグラー/ジェームズ・ヒーバート著、湊三郎訳
『日本の算数・数学教育に学べ――米国が注目するjugyou kenkyuu

日本・ドイツ・アメリカの算数・数学授業を比較し、授業のあり方が文化の中でつくられていることを示した本です。日本の授業研究にも注目し、授業を継続的に研究し、改善していく仕組みの重要性を論じています。

 

★★ DeBarger, A. H., Choppin, J., Beauvineau, Y., & Moorthy, S. (2013). “Designing for Productive Adaptations of Curriculum Interventions.”

カリキュラムや教育実践を現場に導入するとき、元の実践をそのまま再現するのではなく、その重要な考え方を保ちながら、教室の状況に応じて調整していく「productive adaptation(生産的適応)」について論じた論文です。

 

あわせて読むなら、Jeffrey Choppin (2013), “Connecting Teaching and Learning in Curriculum Adaptations” もおすすめです。全文8ページと短く、教材をそのまま使うのではなく、子どもの考え方やつまずきに合わせて、学びの大事な部分を残しながら授業を変えていくことの重要性を具体的に考えることができます。

 


 
 

2026年8月2日日曜日

学びに熱中する教室づくりの壁

もう30年以上も教壇に立っているけれど、日々迷いの連続。いやむしろ、若い頃の方が迷いがなかったかもしれません。新しい方法や考え方に出会ったら、それを取り入れ、授業で試してみる。ある意味、夢中になって、さまざまなことにトライしていた時代は確かにありました。

今は、これまでの「無茶な」経験が蓄積されているので、その結果を多少なりとも予測できるようになる。そうなると、慎重になり、迷うのかもしれません。

教室の中で、2度と同じことは起きない。同じ生徒であることもない。同じ到達度と同じ場面であることもない。その時々に、よく観察し、生徒たちを見極め、より良い方法を選択していくわけです。

そのような日々のチャレンジの連続。なんだか、ジャズの即興セッションのような、面白さと味わいがあるようにも思います。★1

しかし、周りを見渡してみても、伝統的な授業のあり方を見直そうとする、大きなうねりがある中で、伝統的な講義中心の知識伝達型授業をやり続けている人も多い。深く根差した「教員文化」になっているとさえ言えます。★2

新しい授業にチャレンジする上での障壁は二つあるように思います。一つは教員側の意識、もう一つは生徒自身の意識です。

教員側の意識は、教師のリーダーシップに関するものでしょう。独裁的なリーダーシップと言わないまでも、「教師自身が授業をコントロールできることが一種の快感」になると言うことです。自分が役に立った、生徒が指示通りに動いた、自分が言ったことに興味を示してくれた。生徒の関心を一心に集める。これらは、教師であれば誰でも感じたことのある、一種の「やりがい」に違いありません。

これらを、全面的に否定する訳ではありません。というか、自分自身もこのような快感に浸っていることに気づきます。

生徒側の意識としては、生徒自身も一方通行の伝統的な授業を好んでいるように見えることです。そのような授業だと、教室に座って、「何もしなくても乗り切ることが」できるからです。

実際にこのような学びの構えができている学習者は多いのような実感があります。「あれこれ面倒くさいことせずに、必要なことだけ教えてください。それをきちんとやるし、覚えるので。」と言った趣旨の発言をする生徒にも出会いました。

このように長い時間をかけて、構築されてきた学びに関する文化。これを打ち崩すには、もう少し時間はかかるかもしれません。しかし、日本中の多くの学校が、その第一歩が踏み出しています。

今一度、生徒たちが学びに熱中する教室づくりのために、私たちが新しい学びをスタートさせたいですね。


★1 こんな感じ https://youtu.be/GVG-aKisi4I?si=bhqrbPlP1o5C0rJW

★2 マーサ・ラッシュ著 (2020) 『退屈な授業をぶっ飛ばせ-学びに熱中する教室』新評論.


2026年7月19日日曜日

リーダーシップは肩書きではなく、日々のふるまいとして扱うべき理由

長いあいだ多くの組織は、「リーダーは一部の人だけ」という前提で動いてきた。役員や部長など、限られた人が方向を決めるという考え方である。しかし、環境が複雑になるいま、このやり方だけではもう足りない。

本来のリーダーシップとは、役職ではなく、周りの人との関わり方やふるまいのこと。影響力をもち、責任を引き受け、さまざまな背景をもつ人たちを共通の方向へ動かす力のこと。そしてその力は、組織のあらゆる場所に眠っている。

リーダーシップを「一部の人だけの特権」として扱うと、組織は自分たちの可能性を取りこぼしてしまう。顧客に一番近い人の気づき、現場で働く人の問題解決力、貢献したいと願う人のエネルギー──それらが活かされない。

これからの組織をつくるのは、少数のリーダーではなく、多様なみんなのリーダーシップを引き出せる組織である。

 

リーダーシップは肩書きではなく、ふるまいである。

 本当に強い組織は、上層部だけが引っ張るのではなく、どの層でも「自分から動く」「考える」「協力する」「責任を引き受ける」といったリーダーシップの行動が育つ文化をつくっている。

「命令して管理する」やり方から、リーダーシップをみんなで担うものとして捉え、 多様性を受け入れ、心理的に安心できる文化へと転換すると、より多くの人が前に出て、主体的に動き、変化を定着させていく。

リーダーシップが「特別な人だけのもの」ではなく、誰にでも開かれたものだと感じられる職場では、人はより深く関わろうとする。自分が見られ、聞かれ、居場所があると感じられるとき、人はもっと力を注ぐ。自分の行動が組織や地域の未来を形づくっていると実感できるとき、人はより大胆に動く。そして、リーダーシップが「上から押しつけられるもの」ではなく、自分たちとともにつくるものだと信じられるとき、人は自然と同じ方向に向かっていく。★

 

広い層でつくる変化の仲間づくりの力

どんな成功した動きも、企業の内外を問わず、「自分より大きな目的」を信じる人たちの集まりから始まる。強い組織は、変化を支える仲間が 役員や権限をもつ人だけで成り立つわけではないことを理解している。むしろ、影響力や信頼をもち、周囲が「この人なら」と自然に耳を傾ける人たち──たとえ正式な権限がなくても、人が共感し、信頼し、ついていきたくなる人たちが欠かせない。

こうした声を早い段階から、しかも形だけでなく本気で巻き込むことで、動きは一気に加速する。納得感が自然に生まれ、抵抗も小さくなる。変化が「上からの指示」ではなく、みんなで取り組む使命として感じられるようになる。

そして、人は仲間がリーダーシップを発揮する姿を見ると、「自分もやってみよう」と心が動く。★その連鎖が、組織の変化を本物にしていく。★★

 

「より多くの人がリーダーシップを発揮する」=「より強い当事者意識と納得感が生まれる」

考え方はとても単純で、物ごとが自分に対して決められるのではなく、自分と一緒に決められていると感じられると、人は結果にもっと力を注ぐ。伝統的なリーダー像にとらわれず、より多くの人を意思決定や議論の場に招き入れた組織では、次のような変化が起こる。

変化の定着が速くなる 自分が解決の一部だと感じられると、人は変化を押し進める側に回る。

創造的な問題解決が増える 視点が広がることで、より深く、偏りのない解決策が生まれる。

チームの結束が強まる 自分の声が届き、価値を認められていると感じる人は、より高いレベルで貢献する。

勢いが続く 変化が「一時的な取り組み」ではなく、文化として根づいていく。

 

これからのリーダーシップは、みんなでつくるものになる。

いま求められているのは、素早く動き、工夫し、しなやかに立て直す力。今の世界では、硬直した上下関係にしがみつく組織は遅れをとる。リーダーシップを「組織全体に広がる動的なふるまい」として捉えられる組織こそ、変化の速さに追いつくだけでなく、むしろ流れをつくっていく。

これからの変化は、一部の人が密室で決めるものではない。多くの人の力を引き出し、みんなで前に進む動きをつくることが鍵になる。そうして初めて、変化は「上からの施策」ではなく、それを実行する人たち自身が動かす本物の流れになる。★★★

人は「意味のあることの一部になりたい」と願っている。多様な人のリーダーシップを引き出すことは、単なる納得感づくりではなく、自分の居場所があり、力を発揮したいと思える文化をつくることにつながる。

組織が進化し続ける力を手に入れるのは、リーダーシップを希少な資源として囲い込むのではなく、みんなで分かち合う豊かな資源として育てるときである。誰もが「自分より大きなものに貢献できる」と感じられる環境こそ、持続的な成果を生み出す土台になる。

 

出典・https://www.kotterinc.com/unlocking-leadership-power-of-the-many/

 

★この段落に書かれていることは、エイジェンシー、オウナーシップ、エンパワーメントなどの考え方(捉え方、概念)を表現しています。それらがまだカタカナ言葉としてしか存在していないことを考えると、多くの日本の組織はこれらの概念が定着していないことを表していると言えます。

★★こちらは、Collective Efficacy(集合的効力感ないし推進力)あるいはShared Commitment(共有された覚悟)ないしDistributed Ownership(分散した当事者意識)、さらには、transformational organization(変容し続ける組織)やtrue learning organization(学び続ける組織)になります。ウ~ン、全部カタカナ語ばかりだ!!

★★★文科省や教育委員会は、いつになったら、このことに気づけるのでしょうか?

2026年7月12日日曜日

『真正の評価』から、数学者の時間における評価をどう捉えるのか

 これまで僕は、授業の評価とは、事前に目標を定め、その目標に照らして子どもの姿を見取り、どこまで到達したかを判断するものだと捉えてきました。「数学者の時間」を続けるなかで、評価は本当にそれだけでよいのだろうかと考えるようになっています。

 

数学者の時間では、子どもたちは一つの問題に向き合い、具体的な場合を試したり、条件を変えたり、友だちの考えに触れながら問いをつくり直したりします。そこでは、教師が事前に予想していなかった考えや、めあてには直接表れない迷い、行き詰まり、夢中になって考える姿が生まれます。

 

その場で生成的に立ち上がってくる出来事を、あらかじめ設定した授業目標への到達度だけで捉えてよいのでしょうか。数学者の時間にふさわしい評価とはどのようなものなのか、改めて考える必要があると感じていました。

 

参考になったのが、ハロルド・バーラック他による『真正の評価 テストと教育評価の新しい科学に向けて』です。この本を読み、自分の教育実践と照らし合わせながら、数学者の時間ではどのような評価を目指したいのか、これまでどのような評価を行ってきたのかを考えてみました。理論と実践を往還させながら、自分の評価観を捉え直す試みです。

 

 

 

1章では、能力を個人の内側にある固定的なものとして捉え、共通の尺度によって測定する評価観が問い直されています。学びや能力は、子どもの内側だけにあるのではなく、課題や友だち、教師との関係、その場の文脈のなかに現れると考えられています。そうであるなら、評価も「この子にはどのような力があるか」を判断することにとどまりません。「この子と問題や友だちとの間に、何が起きているのか」まで捉える必要があります。

 

「一般化することができた」と判定するだけでは、その子の思考がどのように動いたのかは見えてきません。どのような事例に注目し、何をきっかけに考え方が変わったのかを記述することで、その場で生まれた学びの意味が表れます。

 

評価とは、目標への到達を判定することだけを指すのではなく、その場で起きた出来事の意味を読み取り、言葉にする営みでもあるのだと思います。ただし、事前に固定的な評価項目を設けないからといって、教師が何の見方ももたずに子どもを見ることはできません。ここで重要になるのが、第2章に示されている「数学すること」の捉え方です。

 

2章では、数学的能力を計算技能や正答数だけで捉えるのではなく、問題を捉え、試し、表現し、推論する活動として見る必要が示されています。子どもの行為が目の前に現れていても、教師が数学的な営みについての見方をもっていなければ、その意味を理解することは難しくなります。教師には、「数学するとはどういうことか」についての豊かな見通しが必要です。

 

ただし、その見通しは、子どもを分類するための固定的なチェックリストとは異なります。子どもの行為を数学的な営みとして理解するための視点であり、実際の子どもの姿に出会うなかで更新されていくものです。

 

数学者の時間では、テストにこだわらず、数学者ノートに残された記述や、教師や友だちとの対話など、その子が今どのように数学と関わっているのかを理解するための大切な資料にしています。特に重要なのが、個別カンファランスです。第7章では、標準テストだけに頼らず、学習活動や文脈に即して、さまざまな資料から子どもの学びを捉える必要が示されています。この考えは、数学者の時間で行っているカンファランスと深く重なりました。

 

カンファランスは、教師が理解度を確認し、正しい方向へ導くためだけの場ではなく、子どもと教師が、その子の考えてきた過程や今もっている問い、必要としている支援について、一緒に考える場です。教師は、すぐに答えやヒントを与えるのではなく、まずその子が何を考え、どこで立ち止まっているのかを理解しようとします。そのうえで、どのような関わりがあれば考え続けられるのかを考えます。

 

形成的評価も、子どもの不足を見つけて修正することだけに限られません。その子が自分の考えを続けていくために、何を必要としているのかを捉えることも含まれます。僕自身も、少しずつそのように考えられるようになってきました。そして、教師による見取りや支援は、やがて子どもの自己評価につながっていくと考えています。第8章では、評価を教師や専門家が外側から行う測定にとどめず、学習者も参加する判断や対話の営みへと開いていく方向が示されています。

 

自己評価とは、「できた」「できなかった」と自分を判定することよりも、自分の考えが今どこにあり、何に困り、次に何を試したいのかを、自分で捉えることだと考えています。

最初は、教師が子どもの思考に言葉かけをします。その言葉を手がかりに、子どもは少しずつ自分の思考を振り返り、自分に必要な支援を考えられるようになります。数学者ノートやカンファランスは、そのための大切な道具になっていくのです。

                                                                                                                

 

 

数学者の時間における評価では、子どもが問題や友だちと関わるなかで、どのように考え、立ち止まり、問いをつくり直しているのかを捉えたいと考えています。そのためには、教師が「数学するとはどういうことか」という見方をもちながらも、それを固定的な評価項目として当てはめず、目の前の子どもの姿から自分の見方を更新していく必要があります。

 

数学者ノートや対話、個別カンファランスは、その子が今どのように数学と関わっているのかを理解するための大切な資料になります。教師が思考の動きを読み取り、必要な言葉や支援を返していくことで、子どもも少しずつ、自分が何を考え、どこで立ち止まり、次に何を試したいのかを捉えられるようになるのではないかと考えています。

 

『真正の評価』を読むことで、これまで数学者の時間で行ってきた見取りやカンファランスを、一つの評価実践として捉え直すことができました。評価とは、学びを終わらせるための判定ではなく、子どもが自分の思考を見つめ、自分の足で考え続けていくことを支える営みなのだと思います。

 

 

2026年7月5日日曜日

変容するリーダーシップの形

サムライブルー(サッカー日本代表)が北中米ワールドカップを戦っています(6月30日ブラジルに惜敗し終戦)。近年のサムライブルーの成長には心躍ります。

選手の成長もだけれど、森保一監督のマネジメントにも大きな注目が集まっています。前回のカタールワールドカップの決勝トーナメント一回戦のクロアチア戦のペナルティーキックで、キッカーを選手が自ら手をあげる形で決めたことが話題になりました(賛否はありましたが)。今回のワールドカップでは、この形はやめたようですが、選手の主体性を生かす、マネジメントを取り入れられたことは、注目されました。

リーダーシップの在り方は変わりつつあるようです。

先日、ある中学校を訪問をする機会がありました。授業参観の後、校長から学校の概要の紹介がありました。学校の在り方や自分自身の考え方を、分かりやすく語ってくれて、好印象。ビジョンが明確な、いいプレゼンだと思いました。どこの学校に行っても、ほぼ同じような印象を持ちます。近年は、学校においても、支配的かつカリスマ的な校長は少なくなってきているように感じるのです。

長らく、続いてきた学校のリーダーシップは、次のようなものでした。

「校長の仕事に対する一般的な認識は、二十世紀初頭からあまり進化していません。かつての校長には、生徒たちや教師、学ぶことや教えることにほとんど関係なく、校長室で学校を管理することのみが期待されていました。(p.100)」★1

ビジネス、スポーツ、学校、あらゆる場面において、リーダーシップのあり方は、強烈な個性をもった「個人が導く」から「集団を活かす」へのシフト。さらに、「権限による支配」から「信頼による支援」へのシフトしていると言われます。★2 今は、転換期にあるのだと思います。

確実に、トップダウン型のリーダーは減ってきてはいる。しかも、誠実に、思いやりをもって、子どもたちファーストで、力を尽くしている校長には、たくさんいます。

しかし、これからの学校におけるリーダーシップはどうあるべきか。そして、それを実践するには、校長がどのように行動すれば良いのか。具体的なイメージは描けていない校長もまだまだ多いのではないかと思うのです。

そのような方に、まず、実行してほしいのが、リード・ラーナーになるということです。校長自らが、学び続けるモデルとなって、その姿を、校内に、地域に、生徒たちに示して欲しいのです。生徒たちは言うに及ばす、教職員、地域の人たちと良い人間関係を築き、皆さんの声に耳を傾け、学び続ける姿勢を示しましょう。

『学校のリーダーシップをハックするー変えるのはあなた』には、リード・ラーナーを目指すときに、すぐにできることとして、次のようなことを挙げています(pp.14-19)。★1 

◉ひたすら聞く

生徒、教職員、保護者など、さまざまな人の声に耳を傾ける。毎日のスケジュールに短時間でも2回以上、立場の異なる人たちとコミュニケーションを取ることが推奨されています。

◉質問をする

オンラインのフォームやSNSなどを使って、質問を送ることを指しています。質問を受けた人にとっては、回答を考える時間が大切な時間になりそうです。回答が得られたら、何らかの対応をすべきとの提案がなされています。

◉生徒と一緒に昼食を取る時間をつくる

カジュアルな雰囲気の中で、生徒たちの声に耳を傾けることができます。生徒たちの視点でみた学校の様子を知ることができますね。学校が生徒たちのためにあると言うことを示すことにもなると言えます。

◉目に見える形でお祝いをする

これはSNSなどを使って、学校で起こった素晴らしいこと、素敵なことを、一日一回投稿することです。学校の何気ない日常を祝福し、それを公開することは、学校外との良い関係づくりの第一歩にもなります。

◉校長室から出る

1日一回、一時間程度は校長室を出て、様々な人と直接関わる。もしかすると、これが第一番に校長がすべきことかもしれませんね。


新しいリーダーシップ求められる時代になりました。もし、あなたが、校長室にこもって、教育委員会や他の学校の校長との電話を生きがいにしているようであれば、新しいリーダー像を実現するために、ぜひ新しい一歩を踏み出してください。あるいは、あなたが、意欲と情熱にあふれた新米校長であれば。新しいリーダーシップを実現するチャンスを手にしていると言えます。あまり、周りに同調することなど考えず、自分の信じる道を進んでください。あなたが、新しいリーダーシップを創り出してはどうでしょうか。

校長のリーダーシップが変われば、学校が変わります。

なお、この記事の中で紹介した『学校のリーダーシップをハックするー変えるのはあなた』には、学校のリーダーシップを変革するためのアイデアが満載です。ここに掲載しているのは、その目次です。ぜひ、ご一読ください。★3


1 リード・ラーナーになる―校長は、学び続けるモデルを見せよう

2 C.U.L.T.U.R.E(文化)をつくりだす―リーダーが率先してはじめよう

3 関係を構築する―意図的に関係をもとう

4 学校の壁を取り払う―コミュニティーとパートナーになろう

5 生徒の声を拡散する―声を見える化し、周囲の人の支持を高めよう

6 生徒を学校の中心に据える―子どものための学校をつくろう

7 スーパー教師を見いだす―スペシャリストのチームを育てよう

8 教師も情熱を注げるプロジェクトをする―教師を励まして学びと成長を推進しよう

9 協働して学ぶ―仲間とともに成長しよう

10 マインドセットを変える―ネガティブ思考をやめよう


★1 ジョー・サンフォリポ&トニー・シナシス (2021) 『学校のリーダーシップをハックするー変えるのはあなた』新評論.

★2 リーダーシップ理論とは?変遷と近年注目されるリーダーシップの特性

https://mba.globis.ac.jp/careernote/1351.html

★3  加えて、以下もご覧ください。

PLC便り: 管理職はもちろん、教師も教育書を読む時間はつくれる! 

校長先生の巡回の意味は|コーチング便り 

明日が最後の1日だったら・・・|コーチング便り


2026年6月28日日曜日

管理職はもちろん、教師も教育書を読む時間はつくれる!

弁護士も本を読みますし、医者も本を読みます。でも教師や管理職はどうでしょう。「忙しすぎて読む時間なんてない」「授業や学校運営で手一杯で、専門的な読書なんて無理だ」とよく言われます。

しかし、教師や管理職の仕事がいつか落ち着く日を待っていても、その日は来ません。必要なのは、学び続ける姿勢を自分たちがもつことです。生徒には学びを求めるのに、私たち自身にはそれを求めないことが多いです。でも、学校を「学び続ける組織」にしたいなら、まず教師や管理職がその姿を示すことが欠かせません。

『7つの習慣』でスティーブン・コヴィーは、時間をより生産的に使うための「時間管理マトリックス」を示しています。これは、目の前の仕事がどれだけ「緊急」か、そしてどれだけ「重要」かを整理して考えるための枠組みです(PLC便り: トリックスの検索結果参照)。 

管理職も教師も、いわゆる「緊急」の仕事に埋もれがちです。困っている保護者からの電話、急に入る教育委員会の会議、食堂での小競り合いの対応、さらには疲れ切った先生のためにコピー機を直すことまであります。

けれど、教師や管理職として本当に大事な仕事――つまり授業と学びをよくするための仕事――は、目の前の火消しほど急ぎには見えません。管理職や教師は、こうした「緊急ではない」という感覚のせいで、どうしても事務や対外対応など、授業や学びに直接関わらない仕事に多くの時間を取られてしまいます。スタンフォード大学の研究でも、校長が授業に関わる仕事に使っている時間は、全体のわずか13%ほどだと報告されています。

そして、専門的な読書もまさに同じことが起きます。生徒の学びをよくするためには欠かせないのに、残念ながら「緊急」ではありません。

でも幸いなことに、校長をはじめ教師たちは読書を習慣にすることで、その時間を取り戻すことができます。習慣は、「緊急だけれど実はそれほど重要ではない仕事」の誘惑に負けないための、最も強力な方法だと私は思っています。ここでは、ジェームズ・クリアーの『複利で伸びる1つの習慣』の考え方を参考にしています。彼は、科学的な知見に基づいて「習慣を続ける方法」を示しています。私はその考え方を、忙しい学校の先生たちがどうすれば専門的な読書を習慣化できるか、という課題に当てはめてみました。

以下で紹介するのは、私が特に気に入っている「専門的な読書を習慣にするための4つの方法」です。

 

方法1:既存の習慣に新しい習慣をくっつける

新しい習慣を身につけたいときは、すでにある習慣のすぐ後にくっつけると続きやすくなります。「今ある習慣のあとに、新しい習慣をする」という形です。

私は、校長が日常的な短い授業観察を習慣化するために、この方法をうまく使っているのを何度も見てきました。たとえば、毎朝の生徒へのあいさつや、職員室にカバンを置くといういつもの行動の直後に、数分だけ2クラスを見に行く、というようにします。

「毎朝、生徒にあいさつしたら、そのまま(職員室に寄らずに)二つの授業を数分ずつ見に行く」読書を習慣化したい場合も同じです。

  • 「朝コーヒーを淹れたら(すでにある習慣)、この掲載誌『Educational Leadership』の記事を一つだけ読む」
  • 「水曜の夜、娘をサッカー練習に送ったあと、家に帰る前に車の中で専門的な読書をする」

このように、すでにある行動読み始めるきっかけをくっつけることで、読書が自然と生活の一部になっていきます。

 

方法2:わかりやすく、取りかかりやすくする

読書を「やるべきこと」として見える化すると、続けやすくなります。たとえば、枕の上に本を置いておけば、寝る前に必ず目に入ります。または、オンラインで見つけた気になる記事をコピーして、明るい色のフォルダーに入れて持ち歩くのもよい方法です。

会議が遅れたり、どこかで待ち時間ができたりしたとき、そのフォルダーが手元にあればすぐ読めます。「どこかにあったはずの記事をメールから探す」「ネットをスクロールして見つける」といった手間がなくなるので、とても取りかかりやすくなります。

 

方法3:予定に入れる

優れた校長は、授業観察やフィードバックの時間をきちんと予定に組み込み、その時間を大切に扱うよう周囲にも伝えています。ならば、専門的な読書も同じように予定に入れてしまうのがよい方法です。

たとえば、金曜日の9:4510:0015分だけ、読書の時間として確保します。カレンダーに入れたら、その時間になったら静かな場所へ移動します。図書室でも、使われていない理科室でも構いません。

もちろん、ときどき予定が崩れることはあります。でも、年間36週のうち毎週この時間を確保していれば、最初から読書の時間をまったく取らない場合に比べて、読める量は大きく変わります。

 

方法4:仲間をつくる

6時のランニングや夜8時のヨガに行けるのは、「誰かが待っているから」という人は多いものです。この誰かと約束しているから続く仕組みを、専門的な読書にも取り入れられます。

まずはリーダーシップチームと始めてもよいでしょう。

「金曜日に、Educational Leadership(またはあなたが読んでいる別の雑誌)の最新のインストラクショナル・コーチングの記事について話そう。読んで、意見をもってきてね」

あるいは、他校のリーダーたちと月1回のゆるやかな読書会をつくり、教育に関する本を一冊選んで語り合うのもよい方法です。こうした仕組みは、読書の習慣を後押ししてくれるだけでなく、読んだ内容をより深く理解できますし、何より楽しくなります。

 

習慣にする

4つすべてを使う必要はありません。どれか一つ、あなたが「これならできそう」と思えるものを選べばよいのです。

一つの方法。一つの新しい習慣。それだけで、あなたの専門的な読書は確実に広がっていきます。

 

出典・https://ascd.org/blogs/yes-principals-can-make-time-to-read

(書き手は、教育コンサルタントのジェン・デイビッド-ラングで、毎月『The Main Idea』を通して教育関連書の要約を提供し、さらに学校や教育委員会のリーダーたちと「マスターマインド」と呼ばれる学習グループを運営している。)

2026年6月21日日曜日

授業時間を一秒もムダにしない

  あなたの教室や学校では、「説明ないし指示(instructions)」と「実際の学習(instruction)★★★」のどちらに、どれくらい時間を使っているでしょうか。少し計算してみましょう。

もし中学校や高校の教師が、1コマ50分の授業で毎回10分を説明に使い、それが年間180日続くと、合計で36コマ分が「指示を伝える時間」になります。

また、小学校の教師が、1日の流れを説明するのに5分、学習センター★の説明に10分、さらに算数・理科・社会などでさまざまな課題の説明にもう5分使うと、1日あたり約45(あるいはそれ以上)が説明に費やされます。これは年間にすると22日分に相当します。

11回の説明や指示は大した時間に見えませんが、積み重ねると、実際の学習以外のことに使われる時間が大きくなってしまうのです。

 もちろん、生徒が「自分に何が求められているのか」を知ることは大切であり、課題や期待を説明するために時間を使う必要はあります。もし説明が一度で完全に理解されるのであれば、その時間は良い投資と言えるでしょう。しかし実際にはどうでしょうか。教師が説明を終えた直後に、生徒が確認の質問をしてくることはどれくらいありますか。また、課題や活動、宿題に取り組む途中で、追加の説明を必要とする生徒はどれほどいるでしょうか。

Doug がある3年生のクラスを観察したとき、教師は学習センター★で生徒が何をするのかを説明するのに13分を費やしていました。しかも説明を始めたのは、子どもたちが休み時間から戻ってきて4分後のことでした。これらは生徒にとって初めての課題でした。いざ活動を始めようとしたとき、Marco は「どのセンター★に行けばいいの?」と尋ね、Jiovanni は語彙の課題が理解できず手を挙げ、Karina は自分のジャーナルを探して教室内を歩き回っていました。生徒たちが実際に活動を始められたのは、合計17分が経過した後でした。

一方、別のクラスでは、子どもたちが教室に入った瞬間、教師はすぐに行動に移りました。生徒たちに、すでに慣れているタスクを思い出させ、センター★に移動して作業を始めるよう促しました。その後、4人の生徒の名前を呼び、教師の机に来るように指示しました。生徒たちは教室に入ってから2分以内に学習に取りかかっていました。

 生徒が学習に使える時間を最大化するために、優れた教師たちは次の三つのことを実践しています。

  1. 時間通りに始めること。
  2. 授業のために割り当てられた時間をすべて使い切ること。
  3. 生徒が理解し、慣れている一貫した指導方法を活用すること。

 

 最初の二つは、かなり常識的かと思いますので、簡潔バージョンで紹介します。

1. 時間通りに始める

 授業の最初の数分をどう使うかは、学習時間の確保に直結します。実際、多くの生徒は授業開始を待つだけの時間を過ごしており、その積み重ねは大きなロスになります。一方、優れた教師は、授業がスタートした瞬間から学習が始まるようにルーティンを整えています。出欠確認が必要でも、(教師の説明を待たずに)「Do Now」やチャレンジ課題、ジャーナルなど、生徒がすぐ取り組める活動を用意し、待ち時間を最小限にしています。こうした工夫が、年間を通して大きな学習時間の差を生むのです。

2. 1分たりともムダにしない

授業が予定より早く終わってしまうことは、誰にでもあります。しかし、そのときに何の準備もなければ、せっかくの学習時間が失われてしまいます。教育者 Madeline Hunter は、この問題に対して「スポンジ活動(sponge activity)」という言葉を作りました。これは「本来失われてしまう貴重な時間を吸収する学習活動」のことです。彼女は、スポンジ活動には次の二つが必要だと考えていました。

  1. 既習内容の復習に焦点を当てること
  2. 分散練習(繰り返しの練習)の機会を提供すること

優れた教師は、残り数分を「吸収」するための工夫をいくつも持っています。

 

3. ルーティンを確立し、それを使い続ける

授業に唯一の正しい方法があるわけではなく、どんな指導法でもすべての生徒に必ず効果があるとは限りません。しかし、指導のルーティンを頻繁に変えると、生徒は混乱し、何をすればよいのかを説明するために貴重な時間を使わざるを得なくなります。特に小学校では、教師がセンター活動を「新鮮さを保つため」に毎週、あるいは隔週で変えることがよくあります。その結果、生徒は活動に慣れる前に次の新しい活動に移ってしまい、上達する機会がほとんどありません。

例えば、ある2年生の教師はリスニング(聴くことで学ぶ)センターを導入し、毎日同じ手順で使い続けました。変えるのは内容だけで、活動そのものは変えませんでした。教師は最初に、機器の使い方や求められる成果物について丁寧に説明し、生徒が理解できるように時間をかけました。しかし、その後はもう説明する必要がなくなり、何週間も生徒たちは追加説明なしでリスニング・センターに取り組むことができました。

 学校全体でルーティンを統一している場合もあり、一度生徒が覚えれば、どの教師でも同じ方法を使うことができます。私たちが知っているある小学校では、学年ごとに協働学習のルーティンを三つ決め、同じ学年の教師全員がその三つを必ず教えることに合意しました。ほかのルーティンを教えることは自由ですが、この三つは必須とされました。

たとえば、幼稚園年長チーム(日本の小1に相当)が採用したルーティンは次の三つです。

● Busy bees(忙しい蜂たち)

子どもたちはハチの羽音やゆっくりした動きをまねしながら教室内を歩き回り、パートナーを探します。教師が「Busy bees, fly!」と言うと動き始め、「Busy bees, land!」と言った瞬間に近くにいる子がパートナーになります。その相手と、意見交換・質問への回答・簡単な算数などの短い学習活動を行います。

● Language experience(言葉の体験)

子どもたちは、絵や共通体験を説明する言葉やフレーズを出し合い、教師がそれを模造紙に書き留めます。ペアでその言葉を使って文を作り、教師が記録します。次に、教師が文を並べ替えて段落にまとめる過程を示し、子どもたちは発音練習・音読・書き写しを行います。文をカードに書いて段落を組み立て直したり、単語に切り分けて再構成したり、新しい段落を作ったりすることもできます。

● Inside/outside circles(内側と外側のサークル)

内側と外側の二重円をつくり、向かい合って立つ(または座る)活動です。教師が質問を出し、向かい合ったペアが短く意見を交わします。合図があったら外側の円が一つ左に回り、新しい相手と話します。これを数回繰り返します。毎回同じ質問でも、関連する別の質問でもよく、教師のねらいに応じて調整できます。

 

 子どもたちがこの三つのルーティンをしっかり学び、練習していたおかげで、この学校の幼稚園チームは、代替教員が来た日でも授業が途切れずスムーズに進むことに気づきました。さらに、メディア・スペシャリスト(図書担当)や美術の先生も、同じルーティンをそのまま活用できました。

時間がたつにつれ、チームは翌年の1年生の初日がより効率的になることにも気づきました。どの先生のクラスに進級しても、子どもたちはすでに協働の仕方を理解しているため、学習がスムーズに始められるからです。

 

別の例として、サンディエゴの Health Sciences High(健康科学を重視した高校;筆者二人がディレクターを務めている)の教師たちは、生徒全員が身につけるべき五つの協働学習ルーティンを決めました。もちろん、教師が他のルーティンを使うこともできますが、そのたびに説明が必要になり、貴重な時間が失われてしまいます。そこで、次の五つを共通ルーティンとして選びました。

● Reciprocal teaching(互いに教え合う)

4人グループで同じ文章を読み、各自が「要約者」「質問者」「明確化する人」「予測する人」という役割を担当します。これらの役割は、説明文を理解するために必要な方法★★に対応しています。文章は短い区切りに分けられ、グループはその都度立ち止まって話し合います。

● Jigsaw(ジグソー)

生徒は「ホームグループ」と「専門家グループ」の二つに所属します。まずホームグループで文章を分担し、同じ担当をもつ生徒同士が専門家グループに集まります。専門家グループでは自分の担当部分を読み、理解し、ホームグループでどのように教えるかを練習します。その後ホームグループに戻り、互いに専門家グループで学んだことを教え合い、最後に再び専門家グループに戻って、自分の担当が全体の中でどう位置づけられたかを話し合います。

● Discussion roundtable(意見交換ラウンド)

4人グループになり、紙を四つの区画に折ります。まず左上に(読書や動画の感想などの)自分の考えを書き、その後、他のメンバーが話した内容を残りの3区画にメモします。最終的に、グループ全員の視点が一枚の紙に整理されます。

● Text rendering(重要表現の抽出と共有)

文章を読み、重要な点に注目します。読み終えたら、まず「理解に役立つ一文章」を共有し、次に「印象に残ったフレーズ」、最後に「心に響いた一つの言葉」を共有します(それぞれ記録します)。その後、出てきた文章・フレーズ・言葉をもとにグループで内容を深めます。

● Five-word summary(五つの言葉で要約)

文章を読み、内容を表す五つの言葉を選びます。まずペアで話し合って五つの言葉に合意し、次に別のペアと合流して四人で再度五つ言葉を決めます。最後に、その五つの言葉を使ってグループとしての要約文を作成します。

 

 ここで大事なのは、紹介した特定のルーティンをそのまま真似することではありません。むしろ、ルーティンが「instruction(教えること)」と「instructions(やり方の説明)」のバランスにどんな影響を与えるかを考えることです。生徒が「何をすればよいのか」を理解していれば、授業のやり方の説明ではなく、学ぶ内容に集中しやすくなります。

 

時間を味方につける授業 ~ 教師の説明よりも生徒の学びに時間を使う

学習成果を高めるための新しいアイディアは世の中にたくさんあります。しかし、上で紹介したアイディアは、一見シンプルに見えても、実は非常に価値があります。熟練した教師は、時間がどれほど貴重かを理解しており、時間の使い方には自分の価値観や期待が表れることを知っています。説明に時間を掛けすぎたり、もっと悪いのは、生徒を「何かが始まるのを待つだけの時間」に置いてしまうことです。これでは、「学びが大切だ」「与えられた時間を大事にしている」というメッセージは伝わりません。優れた教師は、時間を味方につける方法を理解しており、その結果、生徒はより多くのことを学べるようになるのです。

 *****

 ここでのポイントは、もちろん、教師の説明よりも生徒の学びに時間を使う授業を心がけるということですが、同じレベルで、いくつもの事例で紹介されているように協同/協働学習(日本流に言えば、「対話的(協働的な学び)」)をとってつけたように実践するのではなく、ルーティン化しておくことかと思います。付け足し的な位置づけでは、「対話的(協働的な学び)」の効力は発揮しませんから、やるのが当たり前のレベルに落とし込んでおく必要があります(それこそ、ルーティン化して!)。その意味でも、『「学びの責任」は誰にあるのか』の①焦点を絞った指導、②教師がガイドする指導、③協働学習、④個別学習のバランスが大切になります。 https://projectbetterschool.blogspot.com/2017/11/blog-post_19.html

 このバランスを見いだすことが、「個別最適な学び」と「協働的な学び」が相乗的に機能する状態になるとさえ言えます(そのほかの方法は、考えられますか?)

 

★学習センターは、教室内に複数(人数にもよりますが、1グループが3~5人ぐらいになるように)の学習センターを設置し、生徒が選んで学べるようにする学習方法です。詳しくは、『一斉授業をハックする』を参照ください。「個別最適な学び」と「協働的な学び」を同時に実現する手立てと考えられるかもしれません。

★★理解(解釈)のための方法には、関連づける、イメージする、質問する、推測する、要約する、何が重要かを判断する、自分の理解をモニタリングし続ける、クリティカルに読むなどが含まれます。詳しく紹介されている本に、『「読む力」はこうしてつける』と『理解するってどういうこと?』があります。

 また、生徒が「互いに教え合う」方法については、同じ著者たちによる『「学びの責任」は誰にあるのか』の145~150ページで詳しく紹介されています。

★★★後者のinstructionは「実際の学習」と訳しましたが、「生徒の学び」の方が理解しやすいと思います。

 

出典・https://www.ascd.org/el/articles/no-instructional-minute-wasted

 執筆者の二人は、共にサンディエゴ州立大学の教育リーダーシップの教授であると同時に、Health Sciences High(健康科学を重視した高校)のディレクター=共同校長を務めており、『「学びの責任」はだれにあるのか』や『学びは、すべてSEL』などの共著者です。

2026年6月14日日曜日

主体性とは、揺れながら相談し続ける力

 主体性という言葉は、教育や保育の中でとても大切にされてきました。その意味を「自分で選ぶこと」「自分で決めること」「自分から行動すること」とだけ捉えてしまうと、子どもの姿を少し狭く見てしまうのではないかと感じています。

 

自分で選び、決め、行動することは大切です。しかし、子どもはいつもはっきりとした意思をもって動いているわけではありません。やりたいけれど不安。入りたいけれど怖い。友だちと同じようにしたいけれど、自分のやり方も捨てたくない。そうした揺れの中にいることがたくさんあります。





 

久保健太さんの『写真と動画でわかる!主体性が湧き出ちゃう保育』を読んで、特に大事だと感じたのは、主体性を二つに分けて考える見方です。一つは「感じる主体性」です。「やりたい」「やりたくない」「なんかいい」「なんか嫌だ」といった感覚が、その子の内側に湧き出ている状態です。もう一つは「考える主体性」です。湧き出てきた感覚を自分なりに確かめながら、するかしないかを決めたり、どのように表すかを調整したりする働きです。

 

これまで主体性というと、後者の「考える主体性」が中心に語られてきました。大人が選択肢を用意し、子どもが選ぶ。子どもが自分で決める。自分から行動する。それは確かに主体性の一部です。ただ、それだけでは、まだ行動として表れていない子どもの内側の動きを見落としてしまいます。

 

冷たい海を前にして立ち止まっている子がいるとします。入りたい。でも冷たい。楽しそう。でも怖い。その子は何もしていないように見えるかもしれません。実際には、世界を感じ、自分の体の声を聞き、自分の中に湧いてくる感覚と向き合っています。そこにも、主体性はあります。

 

主体性を大切にする教育とは、子どもにただ選ばせることではありません。子どもの中から何かが湧き出てくる時間を保障することです。迷う時間、立ち止まる時間、試す時間を奪わないこと。そして、大人がすぐに「こうしなさい」「こっちが正しい」と決めず、その子が何を感じているのかを一緒に受けとめること。

 

子どもが没頭しているときにも、この二つの主体性は重なっています。最初のアイデアが次のアイデアを生みます。やってみたら、また別の考えが出てきます。最初に大人が用意した選択肢をきっかけにしながらも、子どもの中から新しい選択肢が生まれていく。そこでは、「感じること」と「考えて表すこと」が絡み合っています。この状態こそ、主体性が豊かに働いている姿だと教えてもらいました。

 

もう一つ大事なことは、主体性を自己発揮だけで考えないことです。主体的であるというと、自分の思いをどんどん出すことのように思われがちです。実際の子どもの育ちはそれだけではありません。「やりたい」というアクセルだけでなく、「今は止めておこう」「相手はどう感じているだろう」というブレーキも、自分で預かれるようになっていくことが大切だからです。

 

誰かに止められるから我慢するのではなく、自分で感じ、自分で考え、自分で調整する。これは、自己抑制でありながら、同時に主体性の働きでもあります。主体性とは、何でも自分の思い通りにすることではありません。自分の願いと、相手の願いと、その場の状況を感じながら、どうするかを考えていく力なのです。

 

その意味で、主体性は一人で育つものではありません。人との関係の中で育ちます。自分の自由を感じると同時に、相手の自由も感じる。自分のやりたいことを出しながら、友だちのやりたいことにも触れる。そこでぶつかったり、迷ったり、相談したりする。その中で、少しずつ自分たちの決まりをつくっていく。ここに、主体性の育ちがあります。

 

大人は、つい先回りして答えを渡したくなります。「こうすればいいよ」「そこは違うよ」「こうした方が早いよ」と言いたくなります。もちろん、安全に関わる場面では大人の介入が必要です。しかし、子どもの試行錯誤まで奪ってしまうと、主体性が湧き出る余地は小さくなります。

 

主体性とは「自分で決める力」だけではなく、「揺れながら、自分や他者や世界と相談し続ける力」かもしれません。自分の中のさまざまな声と相談する。隣にいる友だちの声と相談する。ここにはいない人の声とも相談する。その中で、自分たちで決めていくことが、主体的に生きることなのだと考えています。

 

教育の中で主体性を大切にするとは、子どもに任せきることではありません。大人が導きすぎることでもありません。子どもの揺れを信じ、関係の中で共に考え、必要な支えを差し出しながら、決まりや学びを一緒につくっていくこと。主体性は、個人の内側に最初から完成した力としてあるのではなく、安心して感じ、迷い、試し、失敗し、誰かと笑い合う関係の中で、少しずつ湧き出てくるものなのだとこの本から学びました。

 

2026年6月7日日曜日

学校の壁を取り払うーネガティブな情報をポジティブに出そう

 地域の小学校で開かれた会議での一コマです。参加者は、教育委員会や地域の有識者など。学校から、本年度の取り組みの概要説明があったあと、質疑応答の時間がありました。


「掃除の時間が週に3回しか計画されていません。子どもたちには、自分の学校を大切に思うようになってほしいので、掃除をさせてほしい。」

「児童の下校時間が、月曜日は14:20に設定されています。大切な週の始まりですよ!他の日は、15:30以降です。あまり早く下校させると、家庭も困るのではないですか?」

「新学期の家庭訪問は無くなったのですか?」

これらの質問に対する学校側の回答は、どれも納得いくものでした。全て教員の働き方改革の一環として、熟慮の上決めたというのです。

子どもたちが自分の学校を掃除して、きれいに保ち、愛着を持てるようにする。そのことの価値は、十分に分かるけれど、少しでも、教員が子どもたちと向き合い、教材と向き合う時間を確保したい。

15:30から勤務時間終了までは、およそ一時間しかない。小学校では、基本的に担任はクラスに張り付いて1日を過ごすので、様々な校務をできるのは、この時間帯しかない。

しかし、今のままでは、学校の現状や今後の進め方について、同僚と意見を交換する時間はほとんど取れない。せめて、週の初めの1日くらいは、自分たちの教育実践を振り返り、課題や成果を共有し、次に向かうエネルギーと指針を得たい。新規採用教員を含めた若年教員の成長を支援するための時間もほしい。

家庭訪問を取りやめる学校は増えているらしい。きっかけは、コロナ禍だったようですが、その後、正式に取りやめる学校が増えた。いわば「昭和スタイル」の家庭訪問は、現在のライフ・スタイルや価値観にそぐわなくなってきているというが理由です。そのために浮いた時間で、子どもたちにとってプラスになることをやりたい。

いずれも、賛否両論あることだと思います。子どもたちや家庭のサポートは、丁寧に、親身に、労を惜しまずやる方がいいに決まっている(と多くの人が思っている)。

しかし、あえて、そのような一時代前の価値観に決別をしたことを支持したいと思ったのです。

その上で、もっと積極的に、このような情報を発信してはどうかと思ったのです。

今回の決断は、一見、後ろ向きに見えるものです。これまで、やってきた、丁寧で、行き届いた配慮を止めるわけですから。ネガティブな情報は、出しづいらいものです。

しかし、その決断が最終的には、教職員一人ひとりの日々の過ごし方を変え、ウエルビーイングを実現するものだとしたら。その確信をもった上で決断したのだとしたら。その決断は、必ず共感を得られるはずです。このことが、学校コミュニティーを創っていく上での、強い味方づくりにつながれば、とても素敵なことです。

学校のリーダーシップの革新を迫った『学校のリーダーシップをハックする』の、ハック4にある、次の一節は、私にとって忘れられないものです ★:

「学校のストーリーを語るのは学校文化をつくることにつながり、学校コミュニティーのメンバーとしての一体感をすべての人にもたせてくれます。リーダーが語り手になること、そして学校の成功を祝おうと決めたときに初めて、学校はルールで縛られた訓練をするだけの場所という保護者の認識が改まり、楽しむべき学習コミュニティーへと転換するのです!学校の壁を取り払えば、あなたの学校とコミュニティーが変わるはずです。」

ネガティブな情報を含めて、学校のことをもっと自ら語るようにすれば、少しづつ学校の壁は崩れていくはずです。



★ ジョー・サンフォリポ&トニー・シナシス (2021) 『学校のリーダーシップをハックするー変えるのはあなた』新評論, p.106. 同書ハック4「学校の壁を取り払う」をご一読ください。