2026年9月13日日曜日

「すぐにわからなくてもいい」という学びがあっていい

 この夏、独立研究者の森田真生さんの講演を聞く機会がありました。テーマは「算数するって何?」でしたが、話は算数にとどまらず、子どもが学ぶとはどういうことか、教師はその学びにどう関わるのかというところまで広がっていきました。そこでの学びは私たち教師にとってとても意味のあるものだと思いますので、ここでいくつか共有します。

 

一つ目は、「学びには遅れがある」という話。

 

森田さんは、自身の子育ての経験を紹介してくれました。森田さんのお父さんは仕事が忙しく、子どもの頃には、一緒に遊んでもらった記憶もあまりなかったそうです。ところが、自分に子どもが生まれ、初めてその子を抱いて子守唄を歌ったとき、ふいに、かつて父親が自分を抱きながら歌ってくれた声がよみがえってきたと言います。子どもの頃にはその意味を十分に受け取れていなかったものが、自分が父親になった約30年後に、初めて「届いた」のです。

 

森田さんは、教師が子どもに投げかける言葉も同じではないかと話します。一生懸命伝えたからといって、その場ですぐに届くとは限りません。今日の授業で話したことが、今日理解されるとは限らないし、こちらが大切だと思って伝えた言葉が、そのときにはほとんど響かないこともあります。それでも、何年も経ってから「あの先生が言っていたのは、こういうことだったのか」と気づくことがある。逆に、いつ届くかを教師がコントロールすることはできません。だからこそ、教師にできるのは「今すぐわからせる」ことだけではなく、いつか届くかもしれない言葉を、心を込めて投げかけ続けることなのだと思います。

 

「高い山に登るためには、谷を歩く時間が必要だ」。算数が面白くない、わからない、少し離れたい。そんな時間も学びの一部なのだと森田さんは話します。いつも前よりできること、成績が上がることだけを求めると、子どもは「登り続けなければならない」状態になります。本当に遠くへ行くためには、一度下ることや立ち止まることも必要です。「わからない時間」を、教師がどこまで待てるか。これは今の学校にとって、とても大きな問いだと思いました。

 

二つ目は、AIと評価の話。

 

森田さんは、「何をすれば評価されるかがわかっていて、その通りにできること」を人工知能的な知能と表現していました。正解が決まっている問題に素早く正確に答えること、基準に沿って高い評価を取ること。もちろん、それも大切な力です。ただ、AIが急速に進歩する今、人間まで「評価されることを正確にこなす」方向だけに伸びていけばよいのか、という問いが生まれてしまいます。

 

森田さんが対照的に語っていたのが「天然知能」です。自分の知らないものに出会って驚くこと、意味や役立ちがまだわからないものに心が動くこと、予想もしなかった方向へ進んでいくことです。教師はつい、「この活動のねらいは何か」「何ができるようになったか」を明確にしようとします。しかし、子どもの学びには、まだ意味になっていないもの、評価の物差しでは捉えにくいものもあります。AI時代だからこそ、すぐに役立つことだけでなく、「なんだかわからないけれど気になる」という感覚を守ることが、これまで以上に大切なのかもしれません。

 

三つ目は、「子どもはコントロールできない」という話。

 

森田さんは、子どもを自然になぞらえ、教師にできるのは思い通りに動かすことではなく、よく観察し、今どんな動きが始まろうとしているのかに注意を向けることだと話していました。算数に少し興味を持ち始めた、友だちとの関係が少し変わってきた、今なら挑戦できそうだ。そうした小さな変化を見取り、そこに関心を寄せる。森田さんはそれを「ケア」と重ねていました。

 

若い頃ほど、教師として「何かをしてあげなければ」と思いがちです。授業を成功させたい、子どもを伸ばしたい、できるようにしたい。でも、学びは予定通りには進みません。すぐに届かない言葉があり、谷を歩く時間があり、こちらの想定を超える方向へ伸びていく子どもがいます。だからこそ、教師の仕事は、子どもの成長をつくることだけではなく、まだ見えていない変化に気づけるよう、そばに居続けることなのかもしれません。森田さんの話を聞きながら、そんなことを考えました。

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