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2026年5月10日日曜日

考えることを楽しむ算数「数学者の時間」のはじまり

 新学期が始まってしばらく経つこの時期、算数の授業でも、子どもたちは少しずつ新しい学年の学び方に慣れてきます。教科書の問題を解き、答え合わせをし、新しい計算や考え方を身につけていく。もちろん、それは算数の大切な学習です。しかし、どこかで「また問題を解いて、また答えを出すのか」という感覚が生まれてくることもあります。できる子は早く終わり、苦手な子は遅れを感じる。算数が「できる/できない」という基準だけで語られてしまうと、考えることそのものの面白さが見えにくくなってしまいます。

そこで、毎年この時期に始めているのが、算数科の「数学者の時間」です。これは子どもたちが小さな数学者として、一つの良問にじっくり向き合う時間です。目指しているのは、単に問題を解けるようにすることではありません。問題と出会い、条件を整理し、試し、失敗し、もう一度考え、友だちと話し、やがて自分なりの説明や新しい問題をつくっていく。その一連の過程を通して、「考えることって面白い」と感じられる算数の時間をつくりたいのです。

最初の単元では、「川渡り問題」に取り組みます。オオカミ、ヤギ、キャベツを川の向こう岸に渡す有名な論理問題です。ただし、船には一度に一人と一つの荷物しか乗せられません。オオカミとヤギを一緒に残すとヤギが食べられてしまい、ヤギとキャベツを一緒に残すとキャベツが食べられてしまいます。この条件の中で、子どもたちは行ったり来たりしながら、最小の手順を探っていきます。



面白いのは、最初からすぐに正解へ向かう子ばかりではないということです。ある子はオオカミの絵を丁寧に描き始め、ある子は「わかった、7回だ」と答えだけを言いに来ます。またある子は、何から書き始めればよいのかわからず、じっと問題文を見つめています。一見するとバラバラな姿ですが、ここにこそ「数学者の時間」の大切な学びがあります。

答えだけを言いに来た子には、「どうしてそう考えたのか、その足跡を数学者ノートに残してみよう」と声をかけます。算数では、答えが合っていること以上に、自分の思考を可視化し、相手に伝わるように整理する「説明のアート」としての側面が重要だからです。また、絵に凝りすぎてしまう子には、「簡単な記号や言葉に置き換えると、もっと考える時間が増えるかもしれないよ」と伝えます。詳しいイラストからシンプルな図へと表現を変えていくことは、思考の道具を獲得していく過程そのものです。問題の意味がつかめない子には、おはじきなどの半具体物を使い、動かしながら一緒に条件を確認します。こうした個別のやり取りから子どもたちのつまずきを見取ることが、教師にとっても次の支援をつくる大切な時間になります。

「数学者の時間」では、一つの問題を解いて終わりにはしません。解けた子には、「条件を変えて、自分でも問題をつくってみよう」と投げかけます。ここから子どもたちは一気に夢中になります。登場人物や船の定員を変えながらオリジナルの問題をつくり始める姿は、これまでの「与えられた問題を解く人」から「問題をつくる人」への大きな転換です。元の構造を深く理解していなければ良い問題はつくれません。問題づくりは、算数の構造を深く見直す高度な学びなのです。

さらに、子どもたちがつくった問題はクラスで「出版」され、友だち同士で解き合います。自分の考えがクラスの学びの素材になる経験は、子どもにとって大きな自信になります。解いた後には、作者に「ここが面白かった」「この条件がよく考えられている」といったファンレターを書きます。互いの思考を認め合い、学びを祝福する時間が教室に流れます。

若い先生方に特にお伝えしたいのは、この実践は「自由にやらせる時間」ではないということです。むしろ、教師の見取りと支援が成否を分けます。丁寧な条件確認、答えだけでなく説明を求める声かけ、図や記号への橋渡し、そして友だち同士が「答えを教え合う」のではなく「一緒に考える」関係になれるよう支えること。こうした小さな手立ての積み重ねが、子どもの安心感につながります。

算数を学ぶ意味は、素早く正解を出すことだけではありません。条件を整理し、見通しを持ち、失敗を恐れず、自分の考えを言葉にする。これらはすべて、算数を通して育てたい大切な生きる力です。「数学者の時間」は、子どもたちにその力を実感させてくれるだけでなく、教師にも授業を違った角度から見直す機会を与えてくれます。教科書を進める日常の中で、ときには一つの問題にじっくり向き合い、子どもたちが考えることそのものを楽しむ時間をつくってみませんか。

興味のある先生がいれば、ぜひコメント欄にてお知らせください。最初の単元「川渡り問題」の3回分の授業実践のモニターを募集しています。子どもたちがどのように考え、どのように夢中になっていくのかを、ぜひ一緒に考え合えたらと願っています。

 

2026年3月15日日曜日

「深い学び」についてのインタビュー動画

 https://www.edutopia.org/video/deep-learning-interview-elena-aguilarの画面の「設定」を少し操作すると、自動翻訳を「日本語」に設定して字幕を日本語で読めるようにできます。(あるいは、Transcriptがついているので、それを翻訳するという手もあります。)

このインタビュー★の主なポイントを要約すると、次のようになります。

*****

従来の「50分授業+教科書+講義」中心の学び方は、多くの子ども、とくに社会経済的に不利な立場の生徒には効果的ではない。学力格差を縮めるためにも、教科横断的で体験をベースにした多様な学び方を取り入れる必要がある。研究も、教科をブツ切りにした学習ではなく、統合的学習が最も効果的であることを示している。

ただし、教科横断的なユニットを計画するには、他教科の基準を把握し、どこで結びつけられるかを丁寧に検討する時間と労力が必要である。他教科の教師と相談し、必要な標準を補強する方法を探り、綿密な計画を立てることが欠かせない。また、インターネットや書籍、人脈を活用し、積極的に情報を求める姿勢も重要である。

単元設計では、到達目標と評価方法を事前に明確にし、生徒にも共有する。学習の途中では形成的評価を行い、理解が不十分なら教え方を調整する。ASCEND School (この学校についてはhttps://projectbetterschool.blogspot.com/2026/02/blog-post_22.html を参照)では、歴史・英語と数学・理科の4教科を組み合わせ、現実世界と結びついた探究型学習★★(expeditionary learning、2015年にEL Educationに名称を変更)を実践し、基準を満たしながら生徒の関心にも応えた(具体的な様子は、https://www.edutopia.org/video/students-learn-make-difference  を参照)。

新任教師には、小さな一歩から始めることが勧められる。月に一度詩を取り入れる、年に一度ゲストを教室に呼ぶなど無理のない目標を立て、徐々に教室運営や基準理解を整えながら、短い教科横断的ユニットに挑戦していけばよい。長期的視点で少しずつ広げていくことが鍵となる。★★★

 *****

 自分に割り当てられた(どこの誰が、誰に向かって書いたのやらよくわからない)教科書を忠実にカバーしていくのではなく、目の前にいる生徒たちがよりよく学べる方法を常に探究し続けるのが教師という仕事ではないでしょうか?

 

★このインタビューは、2008年当時すでにコーチの職にあった、5年後の2013年に『教師のためのアート・オブ・コーチング』を出版することになるエリーナ・アギラ―に対して行われたものです。この本を書いた著者が、どのような考えをもっていたり、どのような実践に共感していたりする人なのかは、成果物の一つであるその著作と大いに関わっています。それは、個人レベルで言えることですが、同じように教師集団レベルでも言えることだと思います。「教科書をカバーしてテストをする」ことを学力向上の最善の方法と錯覚している日本の教育界においては、残念ながら、教師を中心に教育関係者に与えられている選択肢はないも同然です! ちなみに、何年か前に文科省は「深い学び」を数年間唱えましたが、言い始めた人たちは、それが「教科書をカバーする授業」とは相容れないものとは気づいていないようでした(ひょっとしたら、気づいていて、あえて言っていたのかもしれません!?)。同じレベルで「主体的で協働的な学び」も教科書との相性が極めて悪いです。教科書内容を「主体的」に取り組める生徒(や教師も!)は、いったい何%いるでしょうか? 「主体的」に取り組めないものを、いったいどうやって「協働的」に取り組めるというのでしょうか?

 以上の問題への回避策は、『教科書をハックする』や『ほんものの学びに夢中になる』などを参照ください。

★★この教え方を小学生段階で実践した記録が、『子どもの誇りに灯をともす』ロン・バーガー著、英治出版、2023年です。著者のロン・バーガーは、本の執筆以降はexpeditionary learning→EL Educationのアドバイザーを中心に活動しています。

★★★間違っても、毎年同じことを繰り返さないということです。無理のない範囲で学びながら、毎年確実に成長していくことこそが、教師に求められている(もっとも大切な!?)あり方ではないでしょうか? その際に大事なのは、単に考え続けるレベルではなく、実際に試してみるレベルで臨み続けることです。考え/学び続けることはもちろん大切ですが、残念ながら安全圏にとどまってしまうのに対して、実際に試してみることで小さなリスクを引き受けながら価値のある気づきや改善を得て、教師の成長が生まれるからです。

 日本の学校の内外で行われている研修は、このことがどれだけ意識されて行われているでしょうか? 研修を実施することと参加教師の成長とは、どのような関係にあるでしょうか? 成長を加速させられればいいに越したことはありませんが、まずは確実に毎年一人ひとりの教師が成長していることを実感できる制度を再構築することが必要です。残念ながら、いま行われている校内や校外の教員研修では、自分が成長し続け(その結果として、生徒たちの学びの質と量が向上し)ていると実感できている教師はあまりいませんから。この再構築を可能にする情報は、これまで日本にはあまりに少なすぎました(つまり、選択肢がほとんど提供されていませんでした)。動画に登場していたエリーナ・アギラーさんの『教師のためのアート・オブ・コーチング』や、3月10日に出たばかりのジム・ナイトさんの『インストラクショナル・コーチング』などは確実に選択肢を提供してくれていますので、ぜひ参考にしてください。(また、それら異なるコーチングのアプローチを含めて、コーチング関連情報を提供している「コーチング便り」https://note.com/coachingletter/m/ma24c24afc5bdもご覧ください!)

2025年12月21日日曜日

教師の授業、考え方、あり方を変える研修方法としてのコーチング

 このブログもはじめてから14年が経ちます。

 その目的は、教師のメインの仕事である授業を飛躍的に改善することであり続けています。それを実現するための教員研修(教師の学び)関連の書き込みで主だったものを挙げると、次のようなものがあります。

・https://projectbetterschool.blogspot.com/2024/10/blog-post_27.html

・https://projectbetterschool.blogspot.com/2012/05/blog-post_20.html

・https://projectbetterschool.blogspot.com/2016/03/blog-post_20.html

・https://projectbetterschool.blogspot.com/2016/07/blog-post_10.html

・https://projectbetterschool.blogspot.com/2015/03/blog-post.html(特に、表の一番右)

・https://projectbetterschool.blogspot.com/2012/03/plc_18.html(特に、「学びの原則」)

これら以外の他の記事に興味をもたれた方は、左上の検索欄に「教員研修」や「教師の学び」を入力して検索すると、たくさんの記事を読めます。

 

 教員研修が機能していないという視点で、機能する22の方法を紹介したのが『「学び」で組織は成長する』(光文社新書、2006年)という本でした。しかし、残念ながら、教員研修はそれから20年間、従来の校内研とセンター研修に固執し続けて、教師の学びが確保されているとは言えない状態が続いています。

 時期が熟すのをこれ以上待てないので、22の方法の一つとして紹介していたコーチングに特化した2冊の本を出すことにしました。1冊目は、すでに出版されている『教師のためのアート・オブ・コーチング』https://www.amazon.co.jp/dp/4571102089/refで、2冊目は来年の2月末に出る予定の『インストラクショナル・コーチング』https://x.gd/P7NeI です。

 それら2つの特徴をまとめたのが、下の表です。


 この表から2つのアプローチの違いは、理解できましたか?

 

●『インストラクショナル・コーチング』

 『インストラクショナル・コーチング』は、学級経営も含めて授業(教え方)★で改善したい点を特定し、それを自分のものにするために必要な知識やスキルを学び、実践をしながら新しい知識やスキルが自分のものになるようにすること(インパクト・サイクルを回すこと)が中心です。

 したがって、https://projectbetterschool.blogspot.com/2015/11/blog-post_29.html

の2つ目の表の一番下の段の「サポート」を確実に実現している方法なわけです。コーチの手厚いサポートによって、教師の8~9割は使いこなせるようになりますから。その際、新しい知識やスキルを達成可能なSMART目標(Specific 具体的で、Measurable 測定可能で、 Achievable 達成可能で、Relevant 関連性あり、Time-bound 期間を設定した目標)ないしPEERS目標(Powerful 効果的か、Easy取り組めそうか、Emotionally compellingどうしても達成したいと思えるか、Reachable達成可能か、Student-focused 生徒中心かのすべてを満たしている目標)を設定することが大切にされています(『インストラクショナル・コーチング』の135~6ページを参照)。この目標設定が、極めてあいまいになっているのが日本の教員研修の大きな特徴の一つです。

 授業改善を実現する一つの効果的かつ達成可能な目標(知識・スキルの獲得)を設定することで、教師は6~9週間という比較的短期間のうちに成功体験をもつことができます。そして、それが次のサイクルを回す大きな動機づけにもなるわけです。生徒にとってはもちろん、自分にとってもいいことは、ドンドン繰り返したいですから。

 平等・選択・声・対話・振り返り・実践・互恵性の七つの原則は、それを見るだけでは当たり前のことが書かれていると思いがちですが、設定した目標を実現するために、コーチと教師が協働し、信頼に基づき、そして共に成長できるパートナー関係を築くための不可欠かつ決定的な要因なので、たとえコーチングを受けなくとも、『インストラクショナル・コーチング』を読んで自分が実践できるものにしてください。なぜなら、他の教師のコーチにならなくとも、教師として生徒とのパートナー関係を築く際にそのまま使えるからです(使わなければ、いい授業/生徒が夢中で取り組む授業は難しいでしょう!)。

 すでに紹介した「パートナーシップの原則」と「インパクト・サイクル」の他にもインストラクショナル・コーチングが成功する要因として、インストラクショナル・プレイブックhttps://projectbetterschool.blogspot.com/2024/07/blog-post.htmlの存在や、データ重視の進め方があります。

 

●『教師のためのアート・オブ・コーチング』

 『教師のためのアート・オブ・コーチング』の目的は、もちろん『インストラクショナル・コーチング』と同じように教師や管理職の行動を変えることなのですが、それを実現する方法として対象者の信念、価値観、感情、あり方を扱うところに特徴があります(トランスメーショナル(変革)コーチングという名称を使っているぐらいです!)。そのために、コーチと対象である教師ないし管理職は、心理的安全性と信頼関係を構築するためによく聴き、よく問いかけるだけでなく、ほどほどに自己開示もします。

 「年間サイクル」は、1年間に一つのサイクルを回すのではなく、ミーティング(毎週ないし少なくても隔週)毎に回している感じです。

 そして、行動の変容は、ミーティングとミーティングの間でコーチと合意したことを具体的な授業改善や行動に移し、次のミーティングでそれを振り返り、さらに修正改善した実行に移すというプロセスを繰り返す形で、小さなステップ(成功)を積み重ねることで、変容が現実の場に根づいていくのです。

 本書の他の特徴(成功の理由)については、https://note.com/coachingletter/m/ma24c24afc5bd の12月10号をご覧ください。

 『教師のためのアート・オブ・コーチング』は、欧米では過去10年ぐらいの間に教育書で最も売れた本の一冊です。昨年、その改訂版が『Arise』というタイトルで出ましたが、10年間の蓄積を踏まえて、ほとんど別な本(というか、さらにレベルアップした内容)になっているので、初版をまだ読んでいない日本の読者にとっては、改訂版から読み始めるのは荷が重いのではないかと判断して、比較的理解しやすく、かつとっつきやすい初版の方を訳しました。

 また、原書のタイトルには「教師のための」はありません。著者は、教育関係者以外の読者も読めるように、コーチングの基本を網羅的に押さえながら、これ一冊があればコーチングができると思ってもらえるように書いています。それが、400ページの大部な本になっている理由です。

 

●コーチング便り

 なお、この「PLC便り」の姉妹ブログとして、4つ目の教育ブログ★★の「コーチング便り」https://note.com/coachingletter/m/ma24c24afc5bdを先月からスタートしていますので、そちらも是非ご覧ください。

 

 今回の記事からも、「サイクルを回す」ことが学びを確保するための鍵になっていることが分かります。逆に言えば、サイクルになっていないと、学びを得にくいのだと思います。それは、教師対象の研修にも、生徒対象の授業にも、等しく言えます。

・https://projectbetterschool.blogspot.com/2025/09/responsive-teaching.html

・https://projectbetterschool.blogspot.com/2012/06/blog-post_17.html

・https://projectbetterschool.blogspot.com/2023/01/blog-post_15.html(教科書や指導案/書は、必然的に直線になってしまい、サイクルにならない?!)

 

★欧米では、学級経営と授業とを日本ほど明確に分ける傾向がありません。分けることによるメリットって何でしょうか? そして、デメリットは?

★★ 残り2つは、WW&RW便り:http://wwletter.blogspot.com/ と  SEL便り:         https://selnewsletter.blogspot.com/  です。

2025年11月29日土曜日

AIと教育 その2

 

私の担当した前回の8月の記事で、これからAIが学校教育、特に授業にもかなり入り込んでいくことを述べました。それからわずか3か月しか経っていませんが、その間にも次々とAI関連の進展が続いています。

たとえば、米国のAI企業アンソロピックが開発したAIは、人間の1回の指示で、コンピュータのプログラミング改良の仕事を7時間連続して行いました。また、グーグルの作成したAI科学研究支援システム「サイエンティスト」が新たな研究テーマを考案したことなど、次々と新たな試みが発表されています。(10月1日付・日本経済新聞)

このAI「サイエンティスト」は、ある科学者が10年かけて考えた成果をたった2日で提案したとのことで、これは実に驚くべき内容です。このようにAIが自律的に作業をこなしていく機能を「AIエージェント」と呼びますが、これが今やさまざまな分野で現実のものとなりつつあります。

教育現場でもこうした「AIエージェント」がいろいろな形で実現していくものと思われます。企業では「AI社長」「AI部長」などと銘打って、経営者・管理職の日々の仕事内容をAIに読み込ませることで、AIが本人に代わりに、部下からの報告を受けたり、相談にのったりすることができるわけです。あるIT企業では、AI社長が社員の人事評価まで行うというところまできているようです。これは極端な例かもしれませんが、これからは管理職の決裁が必要な稟議書などもすべてAIが代行することになるでしょう。学校は企業に比べれば、職階の多くない、比較的フラットな職場であり、それほどのメリットはないかもしれません。それでも事務的な仕事に関しては、確実にその労力は低減されていくでしょう。現状は事務作業が多くて、子どもたちに向き合う時間が確保できないという面もありますので、そこは大幅に改善されていくと思います。

授業に関しては、前回も述べたように、教科書中心の授業を転換する大きなチャンスです。それが実現するかどうかは各自治体の首長と教育長の考え方次第です。これらの関係者の方々には、ぜひその方向転換に全力を注いでほしいと願わずにはいられません。

教師主体から子ども主体の授業へ転換することが、AIの力を借りて、これまでよりもはるかに容易にできるようになります。知識理解の基礎的なところはAIの力を借りて、学習者の興味・関心のもとに進める探究学習をAIと教師のサポートで行うことが可能になります。よくお題目のように言われる「個別・最適化」が本当の意味で実現する可能性が見えてきました。ただ、AI教師が人間教師の仕事のすべてを代行するのは、難しいでしょう。必要なのは人間教師のサポートです。

その際、特に注意すべきことは、次の2点です。

1点目は、基礎・基本の利用以外のところでは、AIに投げかける「問い」の質が重要であることです。AIを使いこなすためには、AIに対して「どう質問するか」が大切だということです。自分がその解決を求めている問題に対して、AIからどのような答えを引き出すのかはすべてこの問いにかかっています。すでにビジネス界では、さまざまな分野で、「こうすると、確実によい答えを引き出せる」といったようなマニュアル本が出版され始めています。今後、その流れはさらに加速されていくでしょう。

教員研修もこれからはAIに対する「問いかけ」の質をどのように上げていくかということが焦点の一つとなります。その方策の一つとして、教育センターも教育における「AIエージェント」の先駆けとして、「AI指導主事」を構築したらどうでしょうか。過去の実践事例、最新の教育データをもとに、ディープラーニングをさせることで、ある程度可能になると思われます。この「AI指導主事」により、現場の先生方はいつでも授業のアイデアや進め方のアドバイスを受けることができるようになります。そして利用者が多くなれば、そのデータから、AIはさらに深化します。学校訪問の形式的な場ではなく、いつでも気軽に相談できる機会が用意されていることで、学校での研修なども大いに変わってくると思います。

気をつけるべき2点目は、AIが根拠とするビックデータには、誤謬やうそが混じっている可能性があることです。これは、なかなか見抜くのは難しいことかもしれませんが、人間教師のチェックが必要なところです。

 

この「質問づくり」にとりかかるにあたって、『たった一つを変えるだけ』(新評論・2015)は触れておきたいと思います。その冒頭の「訳者まえがき」に次のような一文が紹介されています。

 

教育の鍵は、知識よりもむしろ「問いかけること」です。(中略)ワールド・スタディーズが目指すのは、学びかたを学ぶ力、問題を解決する力、自分の価値観を自覚する力、自分で選択できる力です。これは、ひとえに「問いかけ」に、単に質問するだけでなく、子どもたちが自分で疑問点を洗いだし、答を見つけていけるようにすることにかかっています。「問いかけ」は、情報が目まぐるしく移り変わる今日の世界では、私たち教師が子どもたちに提供できる最良のものと言えましょう。(『ワールド・スタディーズ』国際理解教育センター編訳・1991年、15ページ)

 

ここに、AI時代にも通用する「問いかける力」の重要性が指摘されています。

まさに「情報が目まぐるしく移り変わる今日の世界」にあって、マスメディアが流す情報を鵜呑みにせず、それを問い続ける力こそ、民主主義社会を支えていく力になるものと思います。

 

最後に、最近読んだ『タングル』(真山仁・小学館文庫)の一節を紹介します。

(同書131ページ)

「音は波形の曲線で伝わるものです。でも、デジタルは数字で表現するしかない。すると、折線近似と言って、波形を数値として分解して音を構成することになるんです。」

 

AIのすごさは改めて言うまでもないことですが、所詮AIもデジタルで動くものです。先ほどの話は、「デジタルはアナログを完全に再現することはできない」ことを教えてくれるものです。教育においても、アナログの部分を完全にデジタルでカバーすることは困難です。そのデジタルの隙間のところを埋めていくのが、これからの教師の主な仕事ではないでしょうか。その仕事とは、具体的には何なのか。それは後輩のみなさん一人ひとりが実践を通して、ぜひ考えていただきたいと思います。

 

2025年10月26日日曜日

いまよりはるかに望ましい道徳教育を実現するための方法がある

 SEL便り(https://selnewsletter.blogspot.com/2025/10/selai.html)で紹介したのとは少し違った切り口で、道徳教育とSELの関係に迫ってみましたので、その生成AIとのやり取りを紹介します。

あなた: 道徳教育をまともにやろうと思っている教師は、残念ながらあまり多くはありません! いまよりははるかに望ましい道徳教育を日本で実現するための方法はありますか?

ChatGPT:

とても本質的な問いですね。
おっしゃるとおり、「まともな道徳教育」を実現しようとする教師が少ないのは、単に意欲や力量の問題ではなく、日本の制度や文化そのものが「まともな道徳教育」を難しくしているからだと思います★。

では、「いまよりははるかに望ましい道徳教育」を日本で実現するには、どんな方向がありうるのか。
私は、次の3つの筋道をはっきりさせることが鍵だと考えます。


① 「徳目」ではなく「問い」を中心に据える

現在の道徳科は「徳目(価値項目)」中心の設計になっていますが、これは「正しい答え」を前提にしており、子どもたちの内面の探究や葛藤を抑えこみがちです。
望ましい道徳教育は、「この場合、どう生きるのがよいのか?」「なぜそう思うのか?」という**探究的な問い(inquiry)**から出発することです。

たとえば、

「正直はいつでもよいことか?」
「人を助けることと、自分を守ることがぶつかったら?」
といった矛盾や葛藤を扱う。


②
「語り合う場」をコミュニティーとして再構築する

多くの学校では「話し合い活動」は形式的です。
しかし、本当に道徳が育つのは、「異なる考えをもつ仲間と、安心して葛藤を語り合える場」ができたときです。
そのためには:

  • 教師が「正解を導く人」から「聴く人・ともに考える人」になること
  • 発言が評価や指導の材料ではなく、「その人の声」として受けとめられること
    が不可欠です。
    つまり、道徳の授業を民主的対話の実践にすることが核心です。

③ 「SEL(社会情動的学習)」との接続

欧米で進んでいるSEL(Social and Emotional Learning)は、徳目の押しつけではなく、自己理解・他者理解・関係づくり・意思決定力などを、体験を通して育てます。
日本の「道徳」はこのSELと統合されるべきです。
たとえば:

  • 感情を認識する言葉を学ぶ
  • コンフリクトを扱うロールプレイを行う
  • クラス全体で「安心して話せる文化」を育てる

つまり、「徳の教科」ではなく「人間関係と感情のリテラシー」を育てる学びとして道徳を再設計することです。

🔹まとめ

「徳目」→「問い」へ
「指導」→「対話」へ
「評価」→「省察」へ

この転換が、「まともな道徳教育」への第一歩です。
そしてこれは、教科書や制度を完全に変えなくても、一人の教師の授業づくりから始められます。★

 

あなた: ③のなかには、①と②は含まれていることをご存じですか?

ChatGPT:

はい、まさにそのとおりです。
③
のSEL(社会情動的学習)には、①と②の要素が本来的に含まれています。

つまり、あなたの言いたいことはこうですね:

SELをしっかり取り入れれば、自然と「問いによる探究(①)」も「語り合う共同体(②)」も実現されるので、わざわざ①②を別に考える必要はない。

その通りです。③を実践すれば①②は自動的に満たされるので、最も重要なのはSELの本質を理解して授業に取り入れることです。

言い換えると、

「望ましい道徳教育=SELの実践」

と捉えれば、日本での具体的な課題は「SELをどう教師が実行できるか」に集約されます。


★日本に品質改善を紹介した紹介した人で有名なエドワード・デミングという人がいます(1950年代から1960年代の話です。その恩恵もあって、日本はその後の高度成長に突入していきました!★★)。彼は、組織の中の個々人がいいことができないのは、組織の責任と言い切りました。組織の責任85%、個人の責任15%。でも、15%は個々人の責任なので、変われない/変わらない組織を待たないで、15%の責任を全うすることが求められています。

 それはまさに、ChatGPTも提案していた「教科書や制度を完全に変えなくても、一人の教師の授業づくりから始められます」です。具体的には、https://www.amazon.co.jp/dp/4091045197/ とそのオリジナルのhttps://www.eric-next.org/reflect_read.html#texts の6冊目の『わたし、あなた、そしてみんな』が参考になります。もちろん、https://selnewsletter.blogspot.com/2023/06/sel.html の4冊の本も!

★★産業界は、見事なぐらいにデミングの教えを実践しましたが、教育界は彼の存在すら知らない状態がいまだに続いています! いまからでも遅くはありません。教育の質の改善、取り組みはじめましょう! 道徳に限らず、すべての教科・領域、そして学習指導以外の分野でも質の改善は急務の課題であり続けていますから。

2025年10月19日日曜日

定番の学習活動(課題)をさせることから、より創造的で選択のある学習活動(課題)への移行を

以下の表は、「いい授業」の条件/特徴と「悪い授業」の特徴をChatGPTに出してもらった項目を整理したものです。

納得できる内容でしょうか? 修正したいところや、付け加えたい項目はありますか?

あなたの授業は、いい授業の特徴をより多くもった形で行われていますか?

 よりよい授業をつくり出すのに、あなたが特に気をつけたい項目はどれですか?

 「悪い授業」を一言でいうと、見かけは、学びが起こっているようだが、実際は子どもの学びが成立していない授業。教師は「授業をしたつもり」、子どもは「学んだつもり」になっているが、残るものの少ない「薄っぺらな学びしか存在しない」授業のことです(この問題を文科省も知っているからか、いろいろ提案を出しています!)。

 このように悪い授業といい授業の特徴が明らかになっている中で、前者から後者への移行はどのように実現できるかを尋ねてみたところ、ChapGPTは次の5つの視点というか原則を提示してくれました(文科省も、これら全部ではないかもしれませんが、似たような転換を求めています!)。

  1. 教師中心から学習者中心へ
  2. 一斉進行から学びの個別化へ
  3. 形式的な活動(課題)から意味ある活動(課題)へ
  4. 結果重視から学習プロセス重視へ
  5. 教師の「やったつもり」から教師の省察へ

 こちらも、大切なポイントを網羅してくれていると思いますが、あなたは、それぞれの項目だけでピンときますか(つまり、それぞれの項目で何をどうすればいいか分かりますか)?

 5つ全部について補足説明とそれを実現するための情報源の提供が必要と思いますが、今回は3番目の「形式的な活動(課題)から意味ある活動(課題)へ」に焦点を絞ります。

 『ほんものの学びに夢中になる ~ 関わりあい高めあう授業づくり』(ローレン・ポロソフ著、北大路書房)の第4章に、次のようなエピソードが紹介されています。

 (中学校で国語を教えていた著者は)生徒のほとんどが詩を嫌っていることを知りました。そのうちの一人が、詩の授業が抱える問題をまとめてくれました。「学校で読まなければならない詩はどれもつまらないか、意味不明なものばかり。もし意味があって少しは面白いと思えても、つまらなくなるまでその詩について話さなければならない。そのうえ、その詩についてつまらない作文を書かなければならない。」(『ほんものの学びに夢中になる』63ページ)

 ここでは国語の詩が具体的な例として取り上げられていますが、算数・数学、理科、社会、英語など他教科でも共通に抱える問題ではないかと思います。これまでやられてきた方法だから生徒たちの学びが成立するとは限りませんし、生徒たちにその教科やテーマを嫌いにさせてしまうというのは授業をするうえでもっとも避けたいことです。

 著者は、上の状況を脱するために、生徒が選択できるように複数の活動(課題)を考えしました。それぞれの課題には詩を分析して書く要素が含まれていましたが、その課題はエッセイを書くものだけではありません。思ったことや考えたことを表現するのにも様々な形態がありえますし、複数の形態を組み合わせることもできるようにしました。課題の選択肢には次のようなものが含まれました。

同じようなテーマの詩を集めたアンソロジーをつくる。詩の内容をもとに振り付けをして踊る。詩のリミックスを録音する。BuzzFeedスタイルの「あなたはどの詩ですか?」クイズを作成する。生徒たちが最終的なプロジェクトをイメージできるように、私(著者)自身もそれぞれの課題に楽しんで取り組んでみました(同、63~4ページ)。

 「自分が考えた課題に自分で取り組むのも楽しいことでしたが、生徒たちがどのように課題に取り組むかを見るのは、もっと大きな喜びでした」と書いた上で、具体的に3人の生徒の事例も詳しく紹介してくれています。

 著者は、9つの選択肢を用意しましたが、「クリティカルな読解、創造的な解釈、そして分析を含む、詩に反応する課題を自分で考え出すよう生徒にも呼びかけ」たので、それに反応した生徒たちも少なくなく、より一層創造的かつ本人や周りの人たちにより意味のある作品がつくり出されました。

 生徒たちは機会さえ提供されれば、自分の学びを十分につくり出せるのです! ぜひ勇気をもってチャンスを与えてあげてください。著者は、自分の実践を振り返って、次のようにまとめています。

(生徒は)自分の興味、長所、ニーズ、価値観に最もマッチした課題を選ぶことができれば、自分の学習により強い主体性(エイジェンシー)をもつことができます。さらに、生徒が自分で学習課題を考案すれば、学習方法の選択だけでなく、「自分の声」も手に入れることになります。主体性に、声と選択は欠かせません!(中略)「声と選択」は、生徒をエンパワーするためのキャッチフレーズとなっています(同上、73ページ)。

 教師が(そして生徒も)考えられる学習課題には、次のような可能性が含まれます(同上、65ページ)。

・ビデオを見る。

・複数のひとつながりの問題を解決する。

・ジャーナルを書く。

・親戚/関係者にインタビューする。

・絵本を読む。

・模型をつくる。

・動き(パフォーマンス)の流れを考える。

 このリストが、すべての可能性を網羅しているわけではありません。添付の図表4-2(同、69ページ)をご覧ください。それからも分かるように、冒頭の詩の課題として従来生徒たちが取り組まされていた学習課題からは想像もつかないような多岐にわたる可能性がたくさん見えてきませんか?

  テーブル

AI 生成コンテンツは誤りを含む可能性があります。

 なお、『ほんものの学びに夢中になる ~ 関わりあい高めあう授業づくり』には、上で紹介した生徒が夢中で取り組める課題のつくり方以外にも、PARTⅠでは、生徒にとって学習内容が人生における意味の原点となるようにするための教え方の設計について4つの章で紹介されています(その際、もはや教科書教材だけでは不十分であることが第1章で明らかにされています)。PARTⅡでは、学習内容、学習方法、最終成果物(=評価)のつながりについて3つの章で紹介されています。そしてPARTⅢでは、生徒同士が互いに関わり合うことで、学級がコミュニティーの原点となるようにするための方法が3つの章で紹介されていますので、ぜひ、よりよい授業づくりの参考にしてください。

2025年9月28日日曜日

良いことや良さそうなことはやめて、もっとも良いことに集中する! (教師と生徒のエイジェンシーで共に創る授業=Co-Constructed Classroom ③)

 https://projectbetterschool.blogspot.com/search?q=Co-Constructed+Classroomの続きです。まだ、本論に入る前の序章の部分が続きます。

 ディラン・ウィリアム(2000年前後に、形成的評価というか「学びのための評価」の効果をイギリスから全世界に発信したメンバーの一人です。これについては、評価の大幅な転換の可能性を書いた『テストだけでは測れない!』(NHK生活人新書、2006年)で紹介しています)の主張を引きながら次のように書いています(Co-Constructed ClassroomのKindle版の位置162~177)。

 ひとつの方法は、新しいものを加えることばかり考えるのではなく、むしろ何を減らせるかを考えることです。

 ウィリアムは、新しい取り組みを増やす必要はなく、むしろ今あるものの中で最も影響力のあることに集中すべきだと主張しました。

 彼はその後、形成的評価の実践を牽引しました。形成的評価の核心には、生徒の夢中な取り組み(エンゲージメント)と主体性(エイジェンシー)があり、自己評価や相互評価の共同構築、評価基準の理解、評価能力の育成が求められます。

 学校で最も重要な問いは「なぜ?」です。もし私たちが何かをする理由を問い続けて、その答えが生徒の学びに関するものでないなら、それは手放すべきもののサインかもしれません。

 「共に構築する授業」とは、制度(や過去の習慣・慣例)に振り回されるのではなく、私たちが制度を動かし、生徒のニーズに応じて適応・変化させていく場のことです。

 この部分には、とても大切なことが書いてあります!!

 増やすのではなく、減らすことが大事、というのは、まさにその通り!

 教師は、成績づけに翻弄されています。なんの成果も生み出さないのに。単に、過去の習慣・慣例というだけで。前回紹介した「What if?」https://projectbetterschool.blogspot.com/2025/06/teachable-momentco-constructed-classroom.htmlや、今回紹介している「Why(なぜ)?」を考えられない状況に陥っています。これらが問えたら、通知表も指導要録も、ほとんどのテストも消えてなくなるのに!

 そして、「今あるものの中で最も(効果があり)影響力のあることに集中すべき」というのも、ごもっともです。日本の教育界は、その判断ができないことを証明し続けているようなものです。その最たるものが、教科書をカバーしてテストをするという流れ!(いつまで、それをし続ければ気が済むのでしょうか?)。

 当事者である生徒が夢中で取り組めるようにしないと、学びの質と量を向上することは期待できません(教科書をカバーしてテストで成績をつける授業は、教師と生徒の「従順、服従、忖度」の練習が中心です)。

 さらに進むと、(同上、位置196)

 それは教師主導でかっちり構成されたやり方をやめて、生徒やその場の状況に自然に応じられるようにすることが特徴です。

ウィリアムが言ったように、「良いことをやめて、もっと良いことのための余地をつくる」のです。と同時に、https://projectbetterschool.blogspot.com/2025/09/responsive-teaching.html のテーマそのものです!

 思い出してください。teachable momentのことを! 指導案通り、教科書通りに授業をすることは、教師だけがコントロールしている授業であり、葬り去らないと、生徒たちはいつまでたってもよく学べない状態が続きます。苦役以外の何物でもないので。「テストのために暗記して、その数日後にはほとんどを忘れる」の繰り返しです(先生たちの多くは、残念ながら、それを「教えること」と錯覚して傾向が見られます。Why? Why? Why? 一度だけでなく、最低でも3回は問うてみてください。

 また、「教師たちは本能的に、生徒のニーズに応じることが良い学びにつながると分かっています。けれど残念ながら、その教師の本能は、柔軟性のない制度化や、すでに述べた一貫性への欲求によって押しつぶされてしまうことが多いのです」(同上、位置204)と書かれています。これを続けることは、悲劇です! どうしたら一貫性の名のもとに幅を利かせ続ける、柔軟性がない制度を葬り去ることができるのでしょうか? それを要求しているのは、いったい誰でしょうか? なぜ? その中に、教師も含まれていませんか?

第1章に入る前の最後で、本の3本の柱(カリキュラム、教え方・学び方、そして評価)についての簡単な紹介が書かれています。

 

●カリキュラムについて(Co-Constructed ClassroomのKindle版の位置212)

私たちは、誰に教えるのかに基づいて、何を教えるかを計画します。

私たちの教室には、どんな文化があるでしょうか? どんなアイデンティティーがあるでしょうか? どんな興味があるでしょうか?

生徒たちが何者であるのかを、私たちはどうすれば知ることができるでしょうか?

そして、どうすればその声をもとに、生徒たち一人ひとりにとって魅力的で、彼らが「自分自身になっていく」こと、そして彼らが生きていく世界の一部となっていくことを支えるようなカリキュラムを作ることができるでしょうか?

 カリキュラム(年間指導計画)について、こんなことを考えている日本の教育行政に携わっている人、研究者、そして先生はどのくらいいるでしょうか?

 教科書や指導書ありきで、これは実現できるでしょうか?

 見取りと子ども理解が、すべてのはじめてであることが明らかになっています。見取りと子ども理解をしている先生は、どれくらいいるでしょうか? その方法を知っている/もっている先生は?

 そこから、何を教えるのか(生徒たちからすれば、何を学ぶのか)、どう教えるのか・学ぶのか、そしてどう評価するのかが始まるのですが、日本の授業はそのように考えられているでしょうか? 「教材研究」という発想が、どれだけズレているかを、その言葉を使う人たちはこれまで考えたことがあるのでしょうか? 一つの教材が、目の前にいるすべての生徒に等しく通用する(届く、興味を沸かせる)ことがあり得るのでしょうか? 

 教科書教材が、「生徒たち一人ひとりにとって魅力的で、彼らが「自分自身になっていく」こと、そして彼らが生きていく世界の一部となっていくことを支える」ようなことはできるでしょうか?

 ここの内容について参考になる本には、『言葉を選ぶ、授業が変わる!』『私にも言いたいことがあります!』『SELを成功に導くための五つの要素』『教科書をハックする』そして、来月刊行される『ほんものの学びに夢中になる』(ローレン・ポロソフ著、北大路書房)などがあります。

 

●教え方について(同上、位置218)

教師は、生徒がどのように学ぶのかに関心をもっています。

教師は生徒の学習行動を観察し、分析し、すべての生徒が前進できるように、その場その場で教え方を柔軟に調整します。

うまくいっていないときに、無理に授業計画に固執することはなく、教室で生徒から受け取っているフィードバックにリアルタイムでやり方を修正していきます。

 生徒の学び方に関心をもっている教師って、どのくらいいますか? それこそが、教えることのベース/基本だと知っている人は?

 下線の部分は、まさに「見取り・子ども理解」=形成的評価 = 文科省が25年前から言い続けている「指導と評価の一体化」と言えませんか?

 通常の教科書(指導書)をカバーする授業でも、これは行われていますか?

 

●評価については(同上、位置224)

標準化されたテストが当たり前のこの時代において、「柔軟に生徒の理解や進度に応じて行う評価(responsive★ assessment)」は難しく聞こえるかもしれません。しかし、学校での私たちの仕事が、生徒同士を比較して評価することではなく、一人ひとりの生徒が継続的に成長できるよう支えることなのだと気づいたとき、私たちは標準化された状況の「ルール」(外部試験以外の評価において)を手放し、標準化されていない生徒たち一人ひとりにとって公平なアクセスを実現する方向へと進むことができます。

★このresponsiveについては、上で紹介したhttps://projectbetterschool.blogspot.com/2025/09/responsive-teaching.html をご覧ください。

 ちなみに、自由進度学習は、responsive teachingないしカリキュラム、教え方、そして評価について、真剣に考えた末の実践といえるでしょうか?

 「序章」の最後には、以下の問いが読者に投げかけられています(最近、こういう問いを提供している教育書が英語では多いです。よく考えて行動を期待しているからだと思います。それに比して、日本語の教育書には依然としていい問いが欠落したままです。そのために、読者は受け身で内容を理解するだけにとどまりがちです。授業でしていることと似ていませんか? そしてそれが、実践につながる度合いが低い理由かもしれません。読者のエイジェンシー/主体性を求めていないので!?)。

 

序章の内容の振り返りのための質問(同上、位置233)

  • あなたの教育現場では、どのようなシステムが確立されていますか? それらのシステムは、どの程度硬直的(rigid)または柔軟(flexible)ですか?
  • 生徒とともに学びを「共に構築する(co-construct)」という考え方に対して、あなたはどのように感じますか? エネルギーが湧いてワクワクしますか? それとも、不安や挑戦を感じますか?
  • なぜそのように感じるのか、考えてみてください。多くの人にとっては、統制された、きっちりと構造化された計画に従うことが、安全や安心をもたらします。一方で、それが窮屈でストレスになる人もいます。教育において、あらかじめ決められたやり方や計画に従うことについて、あなたは安心感を覚えますか? それとも、窮屈さや抵抗感を感じますか? ~安心感をもっているからといって、そのままにしてしまっていいのでしょうか? 窮屈さ、抵抗感ないし違和感をもっている場合は、どうしたらいいでしょうか? 何ができるでしょうか?
  • 教育における「一貫性(consistency)」の重要性について、今の段階でどのような考えをもっていますか?(このテーマには今後何度も立ち返ることになるので、今の気持ちを整理しておくとよいでしょう)~ 日本では、この一貫性が殊の外大事にされていますが、「Why?」は考えられていません。それは、子どもたちのためというよりは、大人のため、ないし制度のためなのではないでしょうか? 

しかし、一貫性も悪いことばかりではなく、子どもたち/学習者にとって大事な(いい)面もあります。授業においても、学級経営においても、どんないい点があるでしょうか?

 この後、第1~3章で詳しく、これらカリキュラム、教え方、そして評価について紹介されていますが、これらを紹介し始めたら膨大の量になってしまうので、興味をもたれた方はぜひ原典に当たってください。

2025年8月30日土曜日

生成AIと教育

現在、私たちが日常的に見聞きする「AI」(人工知能)という言葉が初めて使われたのは、1956年です。その後、いくつかのブームを経て今日に至るわけですが、第2次ブームの1980年代に「エキスパートシステム」という特定の専門領域に特化したAIに注目が集まりました。代表的なものは、「マイシン」と呼ばれた医療診断システムです。しかし、このシステムもすぐに壁にぶつかりました。その理由は教え込む知識の「質と量」があまりにも膨大であったからです。当時のコンピュータの性能、半導体の能力では実用的な診断システムの完成は不可能でした。それを超えられたのは、その後の半導体の性能の飛躍的な向上と、ニューラルネットワーク型手法による深層学習の実用化のおかけでした。

それによって、オープンAI社の開発したChatGPTによる「生成AI」が出現しました。これはコンピュータが画像や文章などのデータをつくり出すという画期的なものです。そこで、今回のテーマは「生成AIによって学校教育はどう変わっていくか」です。

 すでにマスコミ等の報道にもあるように、企業では、稟議書や報告書、会議録など、これまで社員が時間をかけて作成していた文書を生成AI(以下、「生成AI」を「AI」と書くことにします。)に任せることが可能になりました。数時間かかっていた会議録なども数十分で完成するというそのパフォーマンスは圧倒的です。こうした状況をふまえて、企業では自律的に作業する「AIエージェント」の活用が急速に進んでいるようです。同様に今後、学校内の事務的な仕事や作業も効率化が図られていくでしょう。(しかし、そのための機器やソフトウェアの整備に国や自治体がどれだけ本腰を入れるかで実現の速さが変わるものと予想されます。)

 さて、本題は「授業」です。もうこれまでの「教科書による知識の切り売り」の授業では時代に取り残されるばかりです。そもそも教科書だけを頼りに授業を展開すること自体が問題なわけですが、まだこのレベルにとどまっている教師が少なくないことも事実です。

すでにオープンAIが開発に着手した「AIコンパニオン」は、スマホのように持ち歩きのできるディバイスです。『週刊ダイアモンド』掲載の記事(2025年6月14日号,94ページ「KEYWORDで世界を読む」牧野洋)によると、このディバイスの特徴は、「ユーザーの環境を理解する、ユーザーの邪魔にならない、ポケットに収まる」という特徴を有する計画です。これが実現すれば、生徒一人ひとりに専属の先生がつくようなものです。その使い方も、単に記憶すべき事柄を教えてくれるレベルから、探究のヒントを与えてくれるものまで、さまざまでしょう。こうなると、一斉授業は意味がなくなります。

教師が生徒に向けて話をするのは授業開始直後に授業の目標や内容の確認、注意事項の伝達、終了時刻の確認だけで済むことになります。こうなれば、教師は教室内を移動して、生徒からの個別の質問に答えたり、進捗状況を確認したり、成果物の評価も可能になります。

さらに、授業に関しては、「授業名人」の授業記録を生成AIに読み込ませて、深層学習をさせれば、「授業名人AI」が誕生するかもしれません。そうなれば、授業づくりの相談相手として教師が活用することも可能です。そうなると校外での教員研修はほとんど不要になります。  

さて、持ち運びのできる携帯AIが実現するまでは、どうしたらいいのでしょうか。それには、現在の「一人一台端末」を使い、そのなかに搭載されているグーグルやマイクロソフトなどに組み込まれているAI(CopilotやGeminiなど)を利用していくことです。それにより、文章作成をしたり、語句の意味を調べたり、課題追究の方向性に関するヒントをもらったりすることも充分にできると思います。

すると、いわゆる「基礎・基本」の習得はどうしたらいいかという質問が当然出てきます。たとえば、算数・数学の計算ですが、これはAIを利用したドリル式のコンテンツがすでにいくつも開発されていますが、これがさらに進化するでしょう。あるいは国が「算数・数学AI」のようなものをつくり、データセンター(クラウド)から国内のすべての学校がアクセスできるような形も考えられます。他教科も同様に考えれば、これが教科書の代わりになると言っても良いかもしれません。(ただ、教科書会社やそれに連なる企業の既得権益を考えるとハードルは高いかもしれません。)

英語などは生徒が個別にAIを手にすることになるわけですから、「AIコンパニオン」を相手に会話や英作文の練習が個別にできることになります。(すでに自分の相談相手として、友だちのようにAIを利用している10代の若者が増えているという報道もあります。)

また、国語では意味の分からない言葉を教えてくれたり、書いた文章をすぐに校正してくれたりするわけですから誤字脱字の確認もでき、これ以上のサポートはありません。

さらに、テスト問題もAIに作らせることができますから、生徒自身がある単元の終わりに自分がどの程度理解できたかを判定する問題を自作して、その場でフィードバックを受けることができます。これをポートフォリオとして蓄積すれば、成績評価の資料に活用することも可能です。 

要するに、AIをうまく使いこなしていけば、文科省好みのフレーズを使えば、授業はほぼ「個別・最適化」されるということです。神経生理学者の池谷裕二氏は、AIと教師について次のように述べています。

「教える」ことがメインだった仕事が、変化することは間違いありません。AIの指導についていけなかった生徒をフォローしたり、AIが教えた内容を補足したりする仕事へと変わっていくでしょう。それはAIの尻拭いのように感じるかもしれませんが、私はこれこそが人がやるべき重要な仕事だと思います。(『生成AIと脳』扶桑社新書・2024年・198ページ) 

こうした授業が目の前に迫ってきているわけですが、課題もあります。一つは、AIにどのような質問をするかによって、AIからの回答が異なってくるということです。子どもの発達段階に応じて、どのような質問をしたらよいかをアドバイスしていくのは、教師の役割になります。この役割を担うためには、教師が「AIプロンプター」(プロンプターとは「質問者」の意味)になれるようにしていく必要があります。(すでにアメリカでは「AIプロンプター」が職業として確立しつつあるようです。)

また、別な問題点として、AIがどれほど大量のデータをもとに学習をしても、「誤情報」が含まれてしまうことです。データ自体に誤情報が含まれてしまう可能性があるからです。この点も教師のフォローが必要になるでしょう。

こうした問題点を踏まえて、メリットとデメリットを整理したうえで、AIを適切に使用していくことがこれからの学校に求められるものだと思います。

このようにAIは今の学校教育を根本から変えていく可能性を有する技術ですが、この潜在能力を充分に発揮していくのは、やはり「教師」の力です。未来志向で考えれば、すでに周回遅れになってしまった日本の教育に訪れた新たなチャンスと言うこともできます。こう考えると、実に面白い時代がやってきたとも言えるでしょう。

 先生方には、この面白さを味わいながら、素敵な実践を創りだしていってほしいと願っています。 

2025年8月3日日曜日

教師が「頑張らない」のは、自分のためだけじゃなく、生徒のためにも!

『「しない」が子どもの自力を伸ばす 叱らない・ほめない・コントロールしない、狩猟採集民の子育て術』を読んだ熊本県の松永先生(小学校)が「頑張らない子育てのすすめ」という内容の感想/紹介文を送ってくれました。それに対して、「頑張らない子育ての授業版というか学校版はどんなものだと思いますか?」という質問をしたところ、早速次の文章を送ってくれたので共有します。

  *****


 子育ての最初は、みな初心者です。何をどう頑張ればよいのか分からぬままただひたすらに頑張り続けた結果、時間的・精神的余裕がなくなり、我が子にあたってしまった経験はありませんか? 一所懸命頑張っているのに…と空回りすることは、とてもつらいです。

 教師も同じく、最初からスーパーティーチャーのような人はいません。だからこそ、よいとされているものに(素直に)従って頑張るものの…それがゆえに時間的・精神的余裕をなくすことになってしまっては、自分も生徒もつらい状況に陥ってしまいます。

  

 教師はしばしば、”生徒のために/よかれと思って”してしまうことがあります。発問・導入・指導案・授業研究会・学級経営・生徒指導・評価などなど、教師はよいとされてきた(本当に)多くのことに、一所懸命に取り組んでいます。

 しかし、こうした頑張りは一体どれほど、誰かの・何かのためになっているでしょうか?


 『「しない」が子どもの自力を伸ばす 叱らない・ほめない・コントロールしない、狩猟採集民の子育て術』(マイケリーン・ドゥクレフ著、築地書館)では、子育て/教育においてよいとされ続けてきた「叱ること」や「ほめること」すらもしない狩猟採集民の子育てについて書かれています。驚くべきことに、狩猟採集民の子育ては、子どもの自立を促すものになっています!

 つまり、よいとされてきたものの多くは、近代の西洋文化においての話であって、世界的/長い歴史的視点で捉えると、よいとは決して言い切れないのです。同じく、教師として一所懸命に頑張り続けているものも、その全てが生徒の(自立の)ためになっているかどうかは、定かではありません。


 ただ…そうは言われても、(代わりに)何をどう頑張ったらいいの?という疑問が浮かんできます。その答えの1つは、「支援者としての主体性」と言えるかもしれません。『はじめに子どもありき 教育実践の基本』(平野朝久著、東洋館出版社)には、以下のように書かれています。

そもそも人間の真の成長は、どんなに幼い子どもでも、他人(教師)がさせてなるものではなく、他人の支援は受けつつも、自らが築きあげていくものである。人間が人間らしく生き、成長する限りにおいて意思決定の主体者は、あくまでその子ども自身なのである。もちろん教師は、その支援者として為すべきことがある。支援者としての主体性は発揮しなければならない。しかし、支援者なのであるから、子どもに代わって意思決定(判断)し、それに子どもを従わせたり、子どもを操り人形のように操作して子どもになにかをさせるのではない。 


 一つの事例として、宿題について取り上げてみます。

 目指すべきは、教師が宿題を出さなくとも、生徒が自ら学べるようになることです。つまり、生徒の自立です。宿題を出し続けたりやり直しをさせたりすることにエネルギーを割いてしまっていては、自分だけでなく、生徒もエネルギーを奪われます。(しかも、学び嫌いにもさせてしまいます!)言葉を濁さずに言うと、「ムナシイ頑張り」を続けることになりかねません。

 そうは言っても、生徒が自ら学べるようにすること(生徒が自立すること)はそう簡単ではありません。(平野さんの言葉を借りれば、子どもは操り人形なんかではなく、人間なのですから!)しかし、「ムナシイ頑張り」を手放すことはできます。


 日々のくらしを振り返ってみて、「ムナシイ頑張り」だと思うものが1つや2つではなかった場合、一度それらを手放すことで、時間的・精神的余裕が生まれるでしょう。浮いたエネルギーを、生徒の頑張りに寄り添うことに充ててみてください。生徒がいて、生徒に合わせて頑張る※のですから、頑張りがムナシク空を切ることはありません。それは、https://projectbetterschool.blogspot.com/2015/03/blog-post.html の表の一番右側にある「responsive teaching」と言えるでしょう。そして何より、(自分のためだけでなく)”結果として”生徒の(自立の)ためにもなります!


 「ムナシイ頑張り」を手放し、何にどう力を入れたらよいのかについて知るためのヒントとして、(※の2冊以外にも)以下がおススメです。夏休み、時間的・精神的余裕をつくって、読んでみてはいかがでしょうか。


 ・『「しない」が子どもの自力を伸ばす』

 ・『学びの中心はやっぱり生徒だ!「個別化された学び」と「思考の習慣」』

 ・『教育のプロがすすめる選択する学び 教師の指導も、生徒の意欲も向上!』

 ・『あなたの授業が子どもと世界を変える エンパワーメントのチカラ』

 ・『聞くことから始めよう!やる気を引き出し、意欲を高める評価』


※生徒がいて、生徒に合わせる教師の関わり方の一つに、カンファランスがあります。生徒一人ひとりの状況に応じてやり取りをすることです。また、やり取りしたことを評価し、次のやり取りへ活かしていきます。『社会科ワークショップ 自立した学び手を育てる教え方・学び方』や『作家の時間 「書く」ことが好きになる教え方・学び方 実践編』(https://x.gd/v3zaU)をご参照ください。


  *****


 ありがとうございました。

 おススメの本には、次のようなものも含められます。

・『宿題をハックする 学校外でも学びを促進する10の方法』

・『教科書をハックする 21世紀の学びを実現する授業のつくり方』

・『教育のプロがすすめるイノベーション』

・『一人ひとりを大切にする学校』

・『「考える力」はこうしてつける』

2025年6月29日日曜日

教育において「一貫性」(と「平等」に接するの)はいいこと? そして、teachable momentとは? (教師と生徒のエイジェンシーで共に創る授業=Co-Constructed Classroom ②)

 学校というところ、一貫性(と平等に接すること)を追い求めがちですが、『教師と生徒のエイジェンシーで共に創る授業=Co-Constructed Classroom』は「一貫性を追い求めるよりも、生徒たちの異なるニーズに対応する方が、むしろ彼らのためになるのかもしれません」(同書のKindle版の位置92)と書いています。そのことから、日本の学校教育で殊の外大事にされている「一貫性」がかなりクセモノであることが分かります。

「Consistency」の意味をChatGPTに解説してもらうと、次のようになります。

  • それは、同じやり方や基準をずっと守ろうとすること
  • ぶれない対応や方針を維持しようとすること
  • いろいろな状況や対象に対して、一律のやり方を貫こうとすること

生徒たちに対して同じルールや対応を一貫して適用しようとすることを指します。

 

要するに、個々の生徒よりも、全体の方が大切ということです。集団生活には欠かせない要素ではありますが、それを大事にするあまり失うものの多さに目をやる必要があります。一貫性と管理、そして「教える側の論理」は、ほぼ同義? ということは、生徒たちがよく学べない条件?? 下に出てくる「teachable moment」や個々の生徒の異なるZDP(最近接発達領域)を活かせない原因?

この点をさらに深く探ると、以下のような問いかけをする必要があります(同、位置94~102)。

もし私たちの教育システムが、生徒それぞれの異なるニーズを念頭に置いて構築されていたら、どんな姿になるでしょうか? ここで言うニーズとは、診断された学習上の違いをもつ生徒だけでなく、さまざまな背景、文化、アイデンティティーをもつすべての生徒のニーズのことです。

もし、生徒が「教師が構築した授業」ではなく、生徒と教師が「共に構築する授業」で学んでいたらどうでしょうか?

もし、カリキュラムを生徒のために創るのではなく、生徒とともに創ることが、生徒たちが生活する世界とつながりを感じる、より力強い学びの体験につながるとしたら?

もし、教え方が柔軟で生徒のニーズを満たすものであり、私たちが働く特定の文脈のなかで生徒のニーズを検討し、彼らのニーズに応じて教えていたら?

もし、すべての生徒が公平に成功と成長にアクセスできるよう、評価が柔軟に変化するものであったら?

もし、生徒たちが自分の学校での経験をよりコントロールできたら、その経験についてどう感じるでしょうか?

もしかすると、彼らは実際に学校生活を楽しめるようになるかもしれません。

 

 これらの問いは、日本でこれまでされたことはあるでしょうか?(あるいは、身近な教育関係者が投げかけていたのを聞いたことがありますか?)

 いまある状況とはことなる教育のあり方をイメージできる力は、とてつもなく大きい(と同時に、大切な)気がします。What if(もし・・・だったら)という問いかけができるかできないかは、大きな違いをもたらします。 一貫性を大事にするあまり同じことをやり続けるか、それとも同じところにとどまらずに別の可能性を追求したり、成長し続けられたりするかを意味しますから。

 

そして、teachable moment(教えるのに最適なタイミング)については、つぎのようにかかれています(同上、位置107~114)。

しかし、教師に必要なのは、目の前にいる特定の生徒たちのニーズに応じて、教えている特定の文脈の中で柔軟に対応し反応する自由が与えられることです。

教師は生徒の話に耳を傾け、生徒の世界を理解しようと努め、学びの体験を共に創り上げる過程において、生徒に声をもたせることができなければなりません。

「共に構築する授業」とは、すべての生徒が尊重され、力を与えられる場であり、教師と生徒が一緒に学びの計画を立て、学びを実践し、学びを評価する(学ぶ内容、教え方・学び方、そして評価の仕方を計画・実施する)空間です。

それは、教師が「教えなければならない内容や方法」で教えなければならないという恐れを抱くことなく、その場で訪れる「教えられるのに最適のタイミング(teachable moment)」を最大限に活かすことを可能にします。

 

いまは、生徒のニーズに応じたり、生徒と共に創ったりする自由を教師は与えられているでしょうか? それとも、まだ与えられていないでしょうか? 与えられているのに、活かせていないだけでしょうか(それは、なぜでしょうか)?

Teachable momentは、日本語ではどう訳すのがいいのでしょうか? 同じ概念の日本語はありますか?

要するに、教師が「今こそ教えるべき絶好のタイミングだ!」と感じる、生徒にとっての学びの好機のことです。そのために、「見取り」と「子ども理解」はあるようなものとさえ言えるような!!

ChatGPTにteachable momentの意味を尋ねた回答は、次のようなものでした。

具体的には、授業や学習計画に必ずしも含まれていないけれど、日常の出来事や生徒の発言、行動の中で「ここは教えるのにぴったりだ!」と感じられる瞬間のことを指します。

例えば:

  • 生徒がある疑問を口にしたとき
  • 予想外の出来事が起きたとき
  • 生徒の感情や関心が高まったとき

 

以上からも分かるように、事前に準備したわけではなくても、教師の見取りと子ども理解によって、「今こそ〇〇を教えるのに最適なタイミング」と判断する瞬間です。ある意味では、これなしで、子どもに残る形で教えることは困難とも言えます。教室にいる生徒全員のteachable momentが一致することはほとんどあり得ず、違う方が多いわけですから。そういう状況のなかで教師は何を、いつ、そしてどう教えるのが効果的なかを考え続ける必要があるわけです。これは、なかなか大変な仕事であると同時に、やりがいがあります。当然のことながら、教科書に基づいた指導書があるから大丈夫とか、指導案を完成させて終わりとはいきません。