2016年5月8日日曜日

「教え方のプロによる1週間の訪問指導」という教員研修


で、「1週間のresidency」というアプローチがあることを紹介しました。

そもそもは、「アーティスト・イン・レジデンス」★から来ています。この言葉で検索すると、その由来と日本での現時点でのやられ方がわかります。しかし、私が言っているのはそれの学校バージョンです。欧米の学校では、図工・美術、音楽等が正規の時間割に含まれていないところが少なくなく(従って、それらの専科の先生もいない場合があり)、それをカバーするためにプロの画家、音楽家、ダンサー等を短期間(たとえば、1週間とか2週間とか)招いて教えてもらうというプログラムが数十年前から存在するのです。

おそらく、RW便りで紹介した「1週間のresidency」=読み・書きの教え方のプロによる1週間の訪問指導は、そういう長年の他教科での実践も踏まえて考えられたのだと思います。気になったので、調べたことを紹介します。

Regie Routman(レジー・ルートマン)さんの場合は、それだけでなく以下のようなことも踏まえて自分の1週間のレジデンシー(滞在)プログラムを開発したというのです。

・彼女自身の過去40年を超える読み・書きの領域での実践の蓄積(かなりの量の本も書いています!)
・読み・書きの過去50年間の研究と実践の蓄積 ~ それらのエキスを、RW便りで紹介し続けています。
・最適な学びの条件について理解★★。具体的には、
     本物であること=意味のある学び(これだと楽しめますし、身につきます) ~ 逆に、子どもたちは「学校ごっこ」はすぐに見抜いてしまいます!
     自立的な学び手を育てるための教え方 ~ 子どもたちが「自分のもの」と思えることの大切さ。と同時に、教師がモデルを見せるところから、サポートして自立するところまでをステップを踏んで伴走することの大切さ。  (ここに興味のある方は、『「読む力」はこうしてつける』の65~68ページを参照してください。)
     モチベーションとエンゲイジメント ~ これら2つのキーワードもこのブログで扱ってきました。これらは子どもたちの学び(出来・不出来)に直結する重要な要素です。
     成功が約束されている授業の枠組み ~ たとえば読み・書き教育の例としては、RW便りで紹介しているリーディング・ワークショップやライティング・ワークショップです。
     教室で使われている言葉 ~ 教師が、そして子どもたち同士が日々使っている言葉は、何をどう学ぶかだけでなく、関係性も規定します。★★★
・教員研修についての理解 ~ これは、日本においては残念ながら止まった状態が続いています! 研修が停滞していますから、必然的に授業も停滞しています。
     Professional Learning Community=プロの教師として学び続けるコミュニティ(PLC)のあり方 ~ アメリカを中心に過去20年ぐらいの実践と蓄積があります。それに刺激を受けて、このブログをスタートさせました。教師が互いにサポートしあって成長していないのに、子どもたちの学びや成長を実現するのはかなり困難なことですから。
     よりよい学びを可能にする教え方を常に模索し続けるリーダーとしての校長 ~ これは学校改革を常に推し進める校長と同義で、上記のPLCのリーダーでもあります。これをテーマにして書いたのが『校長先生という仕事』でした。
     コーチング ~ このブログでも何回か紹介してきたNHKの人気番組「奇跡のレッスン~世界の最強コーチと子どもたち」と似ているところがあります。
・評価と指導の一体化(=学びを促進するための評価)に関する過去20年ぐらいの実績 ~ 日本もかけ声だけはありますが、実態が伴っているとは残念ながら言えません。これをテーマにして書いた本が『テストだけでは測れない!』でした。

 ということで、どういうふうにすれば、教師の実践が改善されていくかということをしっかり考えた上で、行われているのがこの1週間のレジデンシーということになります。それは、「奇跡のレッスン~世界の最強コーチと子どもたち」を見ても、インパクトの大きさは分かると思います。単に対象が子どもたちではなくて、教師たちに置き換えられただけです。
 しかも、二度と会わないという関係ではなく、フォローアップがありますし、2~3年の単位で取り組むところがほとんどです。1週間で変われるとは誰も思っていないので。そして、年間を通して(毎週)教師同士が互いにサポートし合う関係まで構築されます。
 要するには、しっかり教師の実践を変えるためには何をどうしたらいいのかを練った上でのプログラムと言えます。
 これと比較すると、日本で行われている学校レベルの各種研修・研究や教育委員会や教育センター主催の研修(さらには、大学や大学院等で行われている免許更新制関連の研修や内地留学等も)は、ほとんど最初から授業実践を変えることを目標に設定にしているとは言えないことが明確になってしまいます。いったい何を目標に設定しているのでしょうか?


★ アーティストよりも、広く知られているのはお医者さんたち(の卵)のresidencyです。しかし、この場合は研修医と称して、本物の医者になる前段としてのトレーニングのことを意味します。「インターン」と同じです。従って、ここで扱っているテーマとは異なります。
★★ 健全な教育実践を行うために私たちがすでに知っていることと実際にしていることのギャップがどれだけあるのかを示した表が最近出た『算数・数学はアートだ!』の182ページで紹介されているので参照ください。

2016年5月1日日曜日

改めて「学ぶ」ということについて考えたこと


O先生が退職したのを期に、書いてくれました。

 定年退職という人生の節目の年を迎え、改めて「学ぶ」ということについて考えてみた。私自身が、学ぶことの楽しさを最も強く感じたのは、自分自身で希望して、時には身銭を切って、あるいは平日の夜や休みの日に自分自身で時間をつくって研究会や学習会・勉強会に参加したときであった。もちろん、いわゆる悉皆の研修会や講演会などでも、考えさせられたり、新たな発見や気づきがあったりしたこともあったが、自分の意思で希望して参加した研修会での学びに勝るものはなかったと考えている。
 このことは、「学ぶ」ということの本質を表現している。すなわち、学びの主体者は、学習者自身であり、学ぼうという意思、学びたいという意欲が重要であるということである。「主体的で、能動的な、探究的で、そして協同的な学び」こそが、「学習」であり、「学ぶ」ということなのである。
 特に、私自身が教師として、あるいは人として大きな学びを得ることができたものを挙げてみる。A科学教育財団の東日本特別研修会(23日)、環境学習のプログラムProject Leaning Treeのファシリテーター養成研修会(23日)、民間の理科教育の研究会の夏合宿(12日)、B県教育委員会の新教育相談講座(年7回開催で2年間)、C大学の大学院生や学生によって運営されていたカウンセリング研究会(毎週水曜日の夜開催)、大学の学校心理学の研究室でのSchool Psychology Handbookの輪読会(2週間に1回の開催で2年間)、学校心理学の研究会での学習会(年78回開催)、構成的グループエンカウンターの宿泊研修会(23日)、B県長期研修生(教育相談)としての1年間(大学・大学院への内地留学)。
以上の研修会や研究会、学習会などへの参加は、およそ1990年から1994年までのわずか5年間のことである。
それでは、この時期とそれ以前の教員生活とではいったい何が違っていたのか。それは、「時間の使い方」と「行動範囲を広げたことによる様々な人との出会い」である。私は、公立中学校の教師となり、理科の教科担任として理科の授業を担当し、学級担任として不登校の生徒や非行傾向の生徒にもかかわり、そして、放課後や土曜日、日曜日は、野球部の顧問・監督として部活動の指導をしていた。
教師としての1日の生活は、朝715分からの部活動の朝練習の指導に始まる。その後、朝の会、授業、給食指導、清掃指導、帰りの会と続く。放課後の部活動の指導が終わり、下校指導を済ませると、夕方6時頃から教材研究や校務分掌上の仕事・事務処理などを行う。毎日、学校を出るのが夜8時過ぎという生活を送っていた。もちろん、土曜日の放課後や日曜日は、野球部の練習や大会引率でほぼ1日が終わる。
教師としての研修・学ぶ機会は、市や県の教育委員会主催の悉皆研修会、市の教育研究会の研修会、自分が希望して参加できる年に34回程度の県教育委員会主催の研修会、そして、校内研修会であった。研修の機会・回数は、多かった。しかし、内容や質的な面では、千差万別、玉石混交であった。やはり、自分自身の「学びのニーズ」にマッチするものは、少なかった。さらに自分の学びのニーズを満たすために、自ら学校の外に出て、「学ぶ」機会を積極的に得よう、広げようという時間的なゆとりはなかった。というより、心の余裕もなかった。
1989年に、同じ市内で学校規模が半分ほど(学年5学級)の中学校に異動となった。教師としての生活は、それまでとほとんど変わっていなかったが、中学校の教員として10年近くになり、また、市の郊外で落ち着いた雰囲気の学校であったこともあり、心のゆとりも生まれた。さらに、異動後2年目から、「学年主任」という中学校の教員としては最もやりがいのある校務分掌を担当することになり、自分自身の「学ぶ意欲」が高まっていった。
部活動は、野球部の監督として、それまでと同様、朝から放課後、土曜・日曜とほとんど休みなく指導にあたっていた(市の野球専門部長としての役割も担っていた)。
しかし、精神的な余裕が生まれていたことにより、土曜日の午後や日曜日に行われる研修会や学習会に参加するために、部活動を休みにしたり、二人態勢のときには、もう一人の顧問に部の指導をお願いしたりしたのである。そのために、部活動の計画(練習日程や練習試合の予定)を2ヵ月~3ヶ月単位で早めに立てて、部員と家庭・保護者に知らせるようにした。時には、研修会・学習会に参加するため、1週間前になってから急遽、土曜日の練習を中止にしたりしたこともあった。もちろん、子どもたちには、「学習会に参加して、教師としての勉強をするために、練習をなしにしてくれ。頼む。」と正直にお願いをするのである。ほとんどの子どもたちは、自分の時間が増えるので、喜んで私からの申し出を受け入れてくれた。

このように、自ら研修・学びのための時間を創り出し、研修会・学習会に参加することによって、新たな「気づき」と「学び」が広がった。同時に、様々な人々との新たな「出会い」が生まれた。そして、新たな人々との「出会い」を通して、さらなる「学びのためのネットワーク(人や学びのための情報とのつながり)」が生まれていったのである。

2016年4月21日木曜日

創造性の大切さ


先週の話題は「創造性」でしたが、パートナーが創造性やイノベーションを阻害する要因として次の6つの項目を取り上げました。
    
・「よく聞いてもらえない」

 忙しいということもありますが、話を十分に聞いてもらえずに改善が進まないということも往々にしてあります。教師同士、あるいは生徒との対話は大切にしたいものです。
   
・「新しい考えを排除している」

 前例を踏襲するというのが仕事を進めるうえでは一番楽です。しかし、それでは仕事をこなしているだけであって、そこに関わる人たちの幸せにはつながらないでしょう。組織が管理的になればなるほど、新しいことに挑戦するよりも、無難にこなしていこうという守りの姿勢が強くなるものです。

 学校は毎年それを構成するメンバーが子供も含めて、新しくなる組織なのですから、そのメンバーに一番ふさわしいやり方で、みんなが望む目標に向かっていくべきでしょう。

 前年度末に大急ぎで作った年間計画に基づいて、いろいろなことを進めていくのではなく、その都度、そのときの学校の実情をベースにして、カリキュラムを修正していくことはぜひやらなくてはならないことです。

・「安全・安心を優先している」

先ほどの話とも重なりますが、リスクを冒したくないという気持ちはだれにでもあります。しかし、それが教師であれば、無難に事を進めようという姿は子供の目にどう映るでしょうか。 

・「疑問や質問が提示できない」

 「問い」を立てるということの大切さは、今までに何度も出されてきましたが、まさに「問い」「疑問」こそが新たなものを生み出すの源です。

 
・「自由を制限している」

 わが国の学校にどれほどの自由があるのか、はなはだ心もとないところですが、それでもできる範囲で自由の領域を広げていく挑戦が必要です。特に、授業の中ではもっと子供たちに自由を与えて、創造的で、魅力のある内容にしていくことが可能だと思います。
   

・「グループの中の多様性を排除している」

 学校だと、すぐに「足並みをそろえて」と言われ、自分のクラスだけ独自のことはできないような雰囲気がありますが、そこは多様性をもっと認めてよい領域だと思います。若手の先生方が遠慮せずにどんどん自分のカラーを出せる学校はいいですね。最低限の協調は必要ですが、初めから安全な道だけを取ろうとせず、挑戦してほしいものです。 

 教育は最も創造性が求められる仕事であるにもかかわらず、ルーティンワークをこなすだけの仕事になっているとしたら、これほど不幸なことはありません。失敗を恐れず、多くの教師が新しいことに挑戦していってほしいと思います。

2016年4月17日日曜日

大切な教師の創造性

教師の仕事は、創造性なしに存在するでしょうか?

管理職に限らず、教職員は誰しもリーダーシップが求められています。
よく言われる「一国一城の主」である教師は、当然です。教室の中に入ったら、他にリーダーシップを発揮できる存在はいませんから。

リーダーの特徴を表わす言葉として、「影響力がある、献身的、視野が広い、集中している(焦点/優先順位が明確?)」などたくさんありますが、「創造性」は含まれているでしょうか?

少なくとも、最近よく言われる「21世紀のスキル」の中には、創造性が必ず含まれています。ということは、教師(管理職も)はそれを子どもたちに(教師たちに)モデルで示さないといけない立場にあることを意味します。創造性こそが、イノベーション=革新的な製品やサービスやビジネス等の核と捉えられているからです。

創造性は、想像性と深い関係にありそうです。そういうこともあって、創造性は従来のリーダーの特質には含まれていなかったのかもしれません。リーダーに欠かせないと思われている「コントロールや管理」とは対照的な「自由で流動的、無秩序/混沌/カオス的状態、無拘束/無制限」といったイメージを伴っていますから。しかし、間違いなく言えることは、リーダーが習慣どおりにつつがなくこなしてさえいればいいわけではないので、適量の(しかも適切な)創造性を使うことで、驚くほどの素晴らしい効果を生み出します。それこそが教育の世界でも求められており、「革新的な製品やサービスやビジネス」につながります。(授業を「サービス」と捉えることはとても大切ではないでしょうか? 現時点では、悲しいかな、それがあまりにもなさ過ぎます!!)

それでは、このコントロールと管理、硬直化、創造性の対極にあるような学校という場で、想像的/創造的になり、そして想像性/創造性を発揮することができるのでしょうか?

下の2つの表を見ていただくと、それほど難しくはないと思われるのではないでしょうか。

資料:① 創造力をつけるためにできること

 このリストは、研修会に参加した普通の参加者によって作成されたリストです。
 
  
            出典:『効果10倍の<教える>技術』の183ページ

資料② 創造的な人の特性

 誰もがこれらすべてをもっているわけではありません。これらの中で自分がもっているものを活かせばいいのです。

 

                    出典:『創造的問題解決』B.ミラー他著の16ページ

環境・雰囲気・文化は、創造性とイノベーションに適していますか? それとも、妨げるものですか? 妨げているものは、いったい何でしょうか? 
妨げている要因にはどんなものがあるでしょうか?
     よく聞いてもらえない ~ 互いに聞けた上での、改善やアクションのためのフィードバックが行きかっていない。
     新しい考えを排除している! ~ 単に従来のやり方と違うという理由だけで。まずはじっくりオープン・マインドで聞くことから。
     安心・安全を優先している ~ 創造性=リスクを冒して挑戦すること! 無難にことを運びたいという気持ちは、その対極にある。従って、楽しむことも驚きも味わえない。
     疑問や質問が提示できない ~ 現状への疑問は、創造性の「核」と言える。疑問は「批判的思考」と言えるので、これら2つはイノベーションの両輪!
     自由を制限している(ほとんど存在しない) ~ 創造性と自由は相関関係にある。その意味でいまの学校にどれほどの自由があるかを見直す必要があり、そしてその幅を広げる努力こそが大切! 自分がベストと思えるものを追求する自由が(ある一定の枠内で)ないと創造性を摘み取りこそすれ、発揮させることはできない。
     グループ(学年や学校)の中の多様性を排除している ~ 違いがないところでは創造性は存在しない! 異なるやり方や見方は集団としての動きを必ずしも円滑にはしないが、多様性=違いの排除は互いの中にある可能性を殺すことであり、結果的に質を飛躍的に高める芽を摘み取っているだけである。





2016年4月10日日曜日

吉井コーチ(日本ハム)のコーチングから考えたこと

吉井コーチはすごいです。メジャーで経験してきたことをけっしておごるのではなく、自分の教えたいことを教えるのでもなく、あくまでもプレーヤーを中心に据えている。

私のしていることに当てはめてみると、「子どもを中心に物事を考えている」ということになる。でも、自分はどうだろう? 自分の教えたいことを教えている従来の日本のコーチと近いのではないかと思う。

そして、選手が教えを必要としている時、あるいは悩みを打ち明けてきた時、適切なアドバイスができるように自らも学び続けている。かっこいい。私自身もそんなふうでありたいと思う。

青空ミーティングも良い取り組みだと思う。学ぶ主体である選手が何をしたいのか、どんなことを考えているのかを探り、練習や試合の様子を見守る。そしてその後に彼らが何を学んだのか聞き取っている。きっとそんなときに何か声をかけているのだろう。

さらにすばらしいこととして、コーチはいつか変わっていく。でも学ぶ選手はそこに残される。コーチが違えば教え方や考え方もちがう。学び方を教えておくことでそんなことに選手が振り回されることはなくなる。

私達がしていることも、そういうことなのだと感じた。自立した学び手を育てることが大切なのだ! 
なにができる?(自問)

以上は、Y先生が
日本ハム・吉井コーチの育成術目指す理想は“選手のための図書館”
を読んで考えたことを書き出してくれたことです。

あなたは、どんなことを考える/参考にするでしょうか?

以下、記事(一部)を貼り付けておきます。

青空ミーティングで選手と対話

“選手たちにとって図書館みたいな存在になりたい”

「明らかに間違えている部分があったら指摘するが、それ以外は彼らのやりたいようにできるよう手伝いたい」

 2月のアリゾナキャンプで目撃したある光景が今も印象に残っている。紅白戦が終了した後、登板した投手全員をグラウンドに集め、芝の上に座りながら青空ミーティングを行っていた。吉井コーチはノート片手に選手たちと対話をしていた。

 後で確認したところ、キャンプ中は毎日、投手からその日の課題を聞きノートに書き出し(吉井コーチはそれを“取材”と称していた)、それを各人と練習、試合後に確認作業を行っていた。青空ミーティングもその一貫だった。

 つまり吉井流コーチ術とは、選手自ら自分の課題を考えさせ、さらにそれを克服していくにはどう対処すべきかをも一方的に指導するのでなく、話し合いながら選手にその方向性を導かせるというものだ。まさに学生が勉強に困った時に資料を集めるため図書館を利用するように、コーチは選手が自ら成長するため利用する存在であるべきだと考えているのだ。

押し付けるのではなく自主性を伸ばす


   <写真>

 これまでプロ野球のコーチ(打撃、投手に限らず)といえば、自らの経験で培った知識を元に選手たちを指導するというのが大半だった。もちろん吉井コーチは数少ない日米球界に精通する知識の持ち主であり、それだけでも他のコーチたちとは一線を画す存在ではあったはずだ。だが逆に他のコーチたち以上の経験を積んできたからこそ、少しでも多くの選手を育成するには知識の押し売りではなく、自ら考えて取り組ませる選手の自主性を伸ばすことだと感じ取っていた。

 しかしプロ野球のみならず日本の野球環境の中で、吉井コーチの理想を追求するのは簡単ではない。そもそも選手たちは子供の頃から監督、コーチから指導を受けるのが当たり前で、中には高校、大学、社会人と自分で考えることもなく、指導者に言われるがままプロまで駆け上がってきた選手も少なくない。

 こうした選手は壁にぶつかった時に自分で対処する術がなく、コーチの指導に頼り切りになってしまう。だがプロ野球でもコーチの指導は人によってさまざまで、しかも入れ替わりも激しい。コーチとうまく合致した時はいいが、多くの場合は自分の才能を開花できないまま去っていくことになる。そうした選手が自分で考え取り組むようになれれば、もっと多くの選手たちが成長していけるかもしれないのだ。

 だが選手の図書館になるには経験上の知識だけでは限界がある。それを痛感したからこその大学院入学だった。野球専門の研究室で学術的な知識を広げる一方で、吉井コーチは他の研究室の講義にも積極的に参加。スポーツ心理学、生化学、栄養学、運動学などアスリートとして必要な知識も深めていった。

意識改革が進む先に見据える投手王国

 もちろん吉井コーチをフル活用できるかどうかは各選手次第。自ら図書館に向かわなければなんの知識も得られないのは学生と変わらない。ただ吉井コーチは前述の青空ミーティングでも理解できるように、選手たちにモチベーションを与える対話も忘れてはいない。常に彼らの道標になろうとしている。

 吉井コーチの試みは即効性のあるものではない。だが投手たちの意識改革が進めば進むほど、日本ハムは投手王国へ着実に歩を進めていくことになるはずだ。

「順調です」

 開幕直前に今シーズンの活躍を祈願するメッセージを送ったところ、こんな短い返信が戻ってきた。これからも吉井コーチの選手育成術に期待を込めて注目していくつもりだ。


2016年4月3日日曜日

新刊『算数・数学はアートだ!』


あなたは、算数・数学の授業が好きでしたか?
楽しんでいましたか?
私は、決して嫌いだったわけではありませんが、単位を得るため、卒業するために仕方なくお付き合いしていたというのが本音です。
いずれにせよ、私たちはみなそれがどんな授業だったかは鮮明に覚えています。
この本は、音楽家と画家が悪夢を見ている場面から始まります。音楽家は学校で、楽器を奏でることは一切許されず、ひたすら「ルールに従って」五線譜に記号を記す練習だけをさせられています。画家も同じように、キャンバスに絵を描くことなく、ワークシートのマス目に指定の色を塗る練習ばかりをさせられています。
夢だと気づいた二人は、ともに次のことを確認します。「どんな社会だろうと、音楽や美術といった美しくて価値のある芸術を、くだらない作業に落とし込んだりはしないだろう。どんな社会だろうと、音楽や美術によって極めて自然に自分を表現することができる機会を、子どもたちから取り上げるなどという残酷なことはしないだろう。もしそんなことが起こったら、狂気としかいいようがない」と。
しかし、本書の著者に言わせると、私たちの知っている算数・数学は、まるっきりこうした悪夢にほかならず、その点で今の社会は狂気に陥っているのです。上の文の「音楽や美術」を、算数・数学に置き換えて読んでみて下さい。それでもピンとこないとすれば、ある種の感覚がすでに破壊されている証です。
幸いにも音楽と美術は、音楽家と画家が見た悪夢のような状況にはなっていません。算数・数学を音楽や美術以上にアートであると信じる著者は、本書の中でその本来の魅力を取り戻すための具体的な方法を提示しています。この本を読めば、「狂気の授業」のせいで算数・数学嫌いになってしまった人、仕方なしにやっていた人も、きっと「今からでもやってみようか」と思うはずです(訳者がその生きた証拠です!)★。生徒・学生時代から好きだった人は、さらに好きになること請け合いです。
<訳者による本の紹介・おわり>

★ 算数・数学が大嫌いだったという人も、読める本です。(原稿の段階で、数人に確認してもらいましたから。)ほとんど「文学」として書いてあるといっても過言ではありません。それほど、読み応えがあります。

◆大事な付け足し
私は、これまでとは違う算数・数学の教え方を知って欲しくて、この本を訳しましたが、読んでいただけると納得して頂けますが、算数・数学に言えることは、すべての教科で同じように言えてしまいます。あらゆる教科と教えるという行為を見直すためにも、ぜひ読んでいただきたいです。

この本は、単なる知識の本ではありません。アクションの本です。読まれて、どのようなアクションを起こしたくなったか、ぜひ教えてください。

◆注文受付◆
1冊(書店およびネット価格)1836円のところ、
訳者経由だと1冊=1600円(送料・税込み)です。
5冊以上は、1冊あたり1500円(送料・税込み)です。
本は、4月8日発売です。(届くのは、それ以降になります。)
ご希望の方は、①冊数、②名前、③住所、④電話番号をpro.workshop@gmail.comにお知らせください。
お近くの図書館でリクエストを出して読んでいただくという手もありますので、ぜひ。

2016年3月27日日曜日

校内研修のあり方


これまでの校内研修の定番は、研究授業・授業研究という手法でしたし、今でも大半の学校はこのやり方を続けています。この手法は今後も初任者の教師には授業の基本的な進め方を学ぶという点では多少は必要かも知れない。しかし、その経験の浅い時期を過ぎた教師にはそれよりも「カリキュラム開発」がこれまで以上に求められるでしょう。

 
先月パートナーから紹介のあった『イギリス教育の未来を拓く小学校』(マンディ・スワン他 / 大修館書店 )で取り上げられている「限界なき学び」をテーマにしたイギリスでの研究では、校内に「専門領域チーム」を設置しています。このチームは校内のカリキュラムについての責任をもつ役割を担うものです。同書には次のような説明があります。

 
専門職の学びとは、取り組んでいるものの欠陥を明らかにして直すことではなく、子どもの学びに対する理解を深め、その新しい理解に基づいて実践を開発することです。★

このやり方は、学校で独自のカリキュラムを各教科等で開発していくという方向なので、時間もかかるし、手間もかかるものです。それでもこれをやっていくことが重要なのです。かつて中教審答申にも引用されたホワイトヘッドはその著書「教育の目的」のなかで次のように述べています。

 
理論的な諸概念は生徒のカリキュラムのなかで、つねに重要な応用例を見付けねばならないということでした。これを実行するのは容易なことではなく、きわめて困難な原則です。ですが、この原則には知識に生気を保たせ、不活発になることを防止するという問題が内在している訳で、これこそ教育全体の中心問題なのです。★★

 
各学校にはそれぞれ各教科等の年間指導計画が整備されています。各教師はそれを基にして日々の授業を実践しているわけですが、その授業には各教師の個性が反映されたり、それぞれの学級の児童生徒の実態に応じて修正が加えられたりするのは当然のことです。ホワイトヘッドの言葉を借りるならば、「知識に生気を保たせる」ことが授業の中核であり、そのために教師が学ぶことが最も重要であるということです。つまり、校内でカリキュラムをどうするかということを日常的に話し合い、検討し、学校独自のものを作り上げていくことが校内で最も優先されなければならないということになります。そうであれば、校内研修においてもこのことが最優先となるはずです。さきほどのイギリスの小学校のように、校内に「専門領域チーム」を置くかどうかは別にしても、年間の研修計画のなかにカリキュラム開発を位置付けて、時にはこれまでに取り組んだことのない、新しいカリキュラムを開発していくことも必要なのです。

 「知識に生気を保たせる」授業ができれば、子供の学習意欲の問題などは一気に解決です。要は、教師がすべて管理して授業の主導権を握るやり方から、子供たちにかなりの部分を任せ、子供たちとのパートナーシップの下に授業を促進するやり方への転換がまったなしに求められているということです。そして、そのためには子どもたちのそれまでの体験、興味・関心、学び方などが一人ひとりみな違うということを教師がしっかりと、今一度自覚することが出発点となるでしょう。

★マンディ・スワン他(新井浅浩他訳)『イギリス教育の未来を拓く小学校』大修館書店、45頁、2015
★★ホワイトヘッド(森口兼二他訳)『教育の目的』松籟社、