2026年9月20日日曜日

総括評価について考える ~ 災害支援で大切なDWATのアプローチの第2弾

9月8日号に「災害支援で大切なDWATのアプローチ」では診断評価と形成評価が鍵を握っていることについて書きました。そこでは、総括評価については一切触れませんでした。2学期制の学校や地域が増えているので、いまが丁度1学期の成績をつけている時期だと思います。自分たちがしていることの振り返りと改善に向けて考えるいいタイミングではないでしょうか?

 その際、避難所(ないし非難した地域)という「同じ場所にいても、一人ひとりの健康状態、生活歴、家族関係、必要としている支援は違う。その違いを把握し、その人にとって必要な支援を提供することが大切。避難所から次の暮らしにつないでいく大事な役割を担っている」のがDWATDisaster Welfare Assistance Team)です。そして、これらのほとんどは医師と看護婦で構成された命を守るための医療を提供することが目的のDMATDisaster Medical Assistance Team)にはできないことでもあります。

教室の中で行われている授業を考えたとき、教師の役割はDMATに近いのでしょうか? それとも、DWATに近いでしょうか?

是非ご自分で考えてみるか、知人に投げかけてみるか、生成AIの回答を求めるか(それとも、3つ全部を)してみてください。

教育とは何をすることで、教師の役割とは何なのかを深く考えることができますから、ぜひ!

 

 また、9月8日の記事を書いてから、災害支援では総括評価(学校での授業の場合は、成績)は何に相当するのか? その役割(というか位置づけ)は診断評価や形成評価よりも重要度が高いのか、それとも低い(あまり意味がない)のか考えました。

 災害の場合の総括評価(成績)として思いつくのは、直接死者数、災害関連死者数、そして重症患者の救命率でした。生成AIに「防ぎ得た災害死(Preventable Disaster Death)の数 」というのもあることを教えてもらいました。それが信ぴょう性のある数字として出てくるのかは大きな?マークが浮かびましたが。

 また、これらは、最終成果(下の④)であって、他にも①インプット、②プロセス、③アウトプットなどの指標もあることがわかりました。これらはすべて、DMATにまつわる評価指数です。

Input(投入)

  • DMAT何隊派遣
  • 医師何名
  • 看護師何名
  • 車両何台

Process(活動)

  • 何時間で到着
  • 何病院を支援
  • 何人搬送
  • 調整会議何回

Output(直接成果)

  • 搬送患者数
  • 支援病院数
  • 診療患者数

Outcome(最終成果)

  • 災害関連死減少
  • 防ぎ得た災害死減少
  • 医療崩壊回避

これらは、教育でいえば、通知表、定期テスト、入試結果、単元テスト、評定などに相当するものです。

 DWATに関連する指標を考えてみると、

  • 避難者が無事に仮設住宅や地域生活へ移行できたか
  • 災害関連死は防げたか
  • 要介護度の悪化は防げたか
  • 孤立した人を減らせたか
  • 被災者が自力で生活を再建できたか

などであり、DWATがしていることを見ると

  • アセスメント
  • ニーズ把握
  • 見守り
  • 環境改善
  • 支援への接続

などであって、彼らは最終結果を測るために活動しているわけではありません。

 つまり、DWATの努力とエネルギーの大部分は、「評価すること」ではなく「状況を改善すること」に向けられています。

 結果は大切ですが、結果そのものは人を救いません。人を救うのは、診断と支援です。

 

 教育も同じ構造をもっているのではないでしょうか? テストや成績は、学習を改善する直接の力をほとんどもちません(それらが行われたり、結果が出たときは、すでに学習は過去のものになっていますから!)。学習を改善するのは、

  • 子どもが今どこにいるのかを把握すること(診断評価)
  • 学習中に軌道修正すること(形成的評価)
  • 教師が個々の子どもにとって必要な支援を行うこと

です。つまり、学習改善への寄与について見ると、

診断評価非常に大きい

形成評価非常に大きい

総括評価小さい(ほぼ皆無★)

となります。

 DWATとの比較で言えば、日本の学校はしばしば、総括評価を主役にしすぎていると言えます。DWATにたとえるなら、避難者を支援する時間よりも、避難者を点数化する時間の方が長い状態です。本来なら、DWATが行うアセスメントや継続的な見守りに相当する診断評価・形成評価こそが活動の中心で、総括評価は最後に位置づく補助的なものです。仕事そのものは、アセスメントと支援です。教育も、本来は同じではないでしょうか。

 いくら考えても、学びそのものに寄与しにくい「総括評価や成績つけ」に心血を注ぐのは愚かなことだと強く感じると同時に、これまでにそこへ費やしていた時間とエネルギーを、子どもたちの学びを促進する「診断評価」や「形成評価」へ大胆に振り向けられないかと、つくづく思う次第です。(教育の世界にどっぷり浸っていては見えないものが、今回、災害支援へのDMATDWATのアプローチについて知ったことで、とても鮮明に見えるようになりました!)

 なお、DMATおよびDWATと教師の役割との関係について興味のある方は、pro.workshop@gmail.comへ連絡ください。喜んで共有させていただきます。

 

★ひょっとしたら、それがあることのプラス面よりも、弊害の方がはるかに大きいかもしれません。

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