2020年1月24日金曜日

教科書は教材のひとつ

最近ある本の「あとがき」に次のようなことを書きました。

 「学校」という言葉から連想されるものとして多くの人は「教科書」を第一に挙げるのではないでしょうか。ただ「教科書」には一般的なイメージとして、退屈で面白くないという印象もともなうように思います。

 そのような退屈な教科書もわが国では、その宿命として、学習指導要領が変わるたびに一新され(ほぼ10年周期)、その間、改訂版が出されるとしてもそのときどきの社会情勢や新たな知見とは3,4年のずれが生じることになります。特に大きな影響があるのが理科、社会科だろうと思います。
 最近、『「鎖国」を見直す』荒野泰典/岩波現代文庫2019を読みました。
 この本は、現在でも我が国の多くの人が、江戸時代は「鎖国」状態にあったと信じている常識が「実はそうではありませんでした」と史料をもとに解説しています。長崎におかれた出島を通じてオランダなどとの交易があったことは私たちも学生時代に学んだことですが、実は長崎以外にも、対馬、琉球(これは主に薩摩藩)、松前の3か所が交易の窓口として開かれていたというのです。筆者の荒野さん曰く、「江戸時代にはこれら4つの口」があり、そこから海外の産品や情報が出入りしていたようです。私たちのイメージとしては、厳しく海外との交易は制限されていたのが江戸時代だという感じではないでしょうか。
 その原因の一つとして、荒野さんは次のように指摘しています。

江戸幕府の正史である『徳川実記』という資料のなかに書かれていた「異国渡海之禁」を日本史研究者の山本博文さん(東京大学大学院情報学環教授、史料編纂所教授)の指摘があるまで、多くの研究者がすべての日本人の海外渡航を禁じていたと誤読していたため、それが長らく私たちの発想を縛ってきたというのです。

また、別な要因として、明治政府が自らの立場の正当性を主張するために、ことさら江戸幕府の施策を貶め、「鎖国」→「開国」の流れこそ、新しい国造りという「坂の上の雲」的な精神に合致すると考えたことも影響しているようです。
このように「鎖国」という歴史上の一つの出来事をとってみても、研究の成果によってその解釈が変わってくることがあります。教科書の記述はその制作された時点での事実に基づいたものであり、絶対ではないということです。

また、「鎖国」を暗記すべき項目として捉えるならば、何の面白みもない学習になります。ところが、「鎖国」を問いの出発点として、ダイナミックな人間社会の営みを描き出すこともできるのです。しかし、教科書の限られたスペースでは、このような面白い人間ドラマを描くことは不可能です。ですから、教科書の語句だけを追う授業では無味乾燥なものになってしまうのは当たり前です。他の教科にしても、重要な部分だけを決められたスペースに入れ込むために、どうしても「退屈で面白くない」ものになってしまいます。
したがって、これから求められる授業とは、たとえば、この「鎖国」を出発点として、縦横無尽に人間社会の営みを描き出す広がりのある探究型の授業が基本になるものでしょう。

そのような授業では、教科書はたくさんある資料の一つという扱いであり、単元の学習内容に関連する資料を様々なところから集めてくる必要があります。アメリカの学校での実践事例では「テキストセット」という形式のものがあります。これは、教師(または図書館司書)によって作成されたあるテーマに関するさまざまなリソースで構成された資料のコレクション(セット)のことです。こうした資料をもとに、生徒はそれぞれの探究課題を追究することになります。 

理科においても、すでにこのブログでも紹介されている『だれもが<科学者>になれる』(新評論)のような探究型の授業がスタンダードになる必要があります。

また、教科書は今後も学校教育のなかで、形はどうであれ、引き続き主たる教材として使用されることになると思いますので、それをいかに効果的に利用していくか、その点も忘れてはならないと考えます。その話は次回、私の担当する回ですることにします。

2020年1月19日日曜日

深い学び 再考


 「深い学び」については、https://projectbetterschool.blogspot.com/2017/03/blog-post_19.htmlで触れています。しかし、すでに形骸化してしまったというか、「不変と流行」の流行として洗い流されてしまったのでしょうか?★ 学校現場でその言葉自体聞くことはあるでしょうか? 先生たちは、日々の実践でどれほど意識しているでしょうか?

「主体的、対話的で深い学び」は、このブログが始まったときから、その言葉はあえて使っていませんが、中心テーマの一つであり続けています。
たとえば、先週の「PLC便り」も、それを見事に実践している授業の紹介でした。
そして、「主体的、対話的で深い学び」が起こっている時に、教師がしていることと生徒がしていることの違いを明確にしています。(教科書中心の一斉授業との対比で。)

 これらを別な言葉でいうと、生徒たちがオウナーシップをもった授業であり、エンパワーする授業です。(両方とも、カタカタですみません! 概念自体が、日本の教育では乏しいので、いい日本語にまだなりません。)
 「オウナーシップ」は、「自分のものと思えること」です。「主役意識がもてること」です。「エンパワー」は「力を与える」や「権限を委譲する」と訳されることが多いのですが、「人間のもつ本来の能力を最大限にまで引き出す」ことです。

 これら2つについて言及している資料を二つ紹介します。
 一つは、いま訳していて3月に発売予定の『あなたの授業が子どもと世界を変える ― エンパワーメントのチカラ(仮題)』の中に描かれている図(76~77ページ)です。(たまたま、ゲラ校正をしているのでコピーできました!)

 あなたは、図に納得したでしょうか?
 数学教師の井本さんの授業には、最初の「選択」はありませんでした。井本さんが提示した「良問」を解くことしか、生徒たちは許されていませんでした。しかし、みごとなぐらいに、「オウナーシップ」はもっていましたし、「エンパワー」されていましたし、「深い学び」をつくり出していました。
 しかし、教師の役割は、常に良問を提示することでいいのでしょうか?
 あなたは、他にどのような質問や疑問をもたれましたか?
 図に示されている順番には、納得できますか?

 もう一つは、このブログでだいぶ前に紹介している絵本の『てん』から私が導き出した(というよりも、『エンパワーメントの鍵』で紹介されていた)図です。
 その図も、カタカナばかりですみません。
 このサイクルを回すことによって、人がどんどんエンパワーされることは理解できると思います。
 さらには、最初は「クリティカルな問いかけ」は教師からされるわけですが、サイクルを回し続ける(練習する)ことによって、徐々に自分で(ないしは、クラスメイト相互に)問いかけられるようにもなります。

 教師ないし教材が主役の授業から、生徒たちが主役の授業にはやく転換しないと、いつまでたっても正解におどおどする生徒たちを拡大再生産するだけです。(後者の「生徒たちが主役の授業」が、「主体的・対話的で、深い学び」の中身だと思うのですが、言い始めた人たちはそのことを理解していたでしょうか?)

★ 文科省のすることは、宿命的にそういうところがあります。しっかり普及・定着させるノウハウをもっていないので。もちろん、それは本気度も問われます。自分たちはアドバルーンを上げるのが役目、と考えている節が多分にあります。また、責任者がいないという大きな問題も。言い出した人たちは、数年でどこかに異動してしまいますから。そういえば学校(特に管理職)の人事もそうでした。
少なくとも、文科省や教育委員会が上で書いたようなエンパワーする組織になっていないことは確かです。それをモデルとして示すことが一番大切なのに、そんなことは頭のどこにもありません。そして、エンパワーの真逆の「従順、服従、忖度」をまき散らす組織になっています。困ったものです。学校や授業は大丈夫ですか?

2020年1月12日日曜日

NHKのプロフェッショナル仕事の流儀 数学教師の井本さんの授業を考える


先日、NHKのプロフェッショナル仕事の流儀をご覧なりましたか? 数学教師の井本さんの紹介でした。
プロフェッショナル 仕事の流儀 答えは、子どもの中に~数学教師・井本陽久~
見逃してしまった方は、再放送 1月14日火曜日 午前0時20分〜NHKでご覧ください。

生徒たちが夢中になって学ぶ姿がとても魅力的でしたね。考えることそのこと自体が「自分たちのもの」になっていました。生徒たちは教室内を自由に歩き回り、井本先生がまるでいなかったかのように、問題について夢中になって話し合い、考え合っていました。そう、学習者中心の授業でした。

今回のPLC便りは、なぜあのような姿が生まれるのか? 井本さんの授業づくりについて予想してみます。

従来の一斉授業と比べてみると、その特徴がとてもわかりやすいため、下にリストを作ってみました。すでに放送をご覧になった方は、下のリストを読む前にペンをもって、一斉指導型の授業との違いについて考えてみてから、読んでください。
(リストは、前半は一斉授業にありがちなこと、後半が井本さんの授業でVTRから見取れることを/(スラッシュ)で分けています)

教師について
・教科書の問題を扱っている/先生が教えたい問題を扱っている
・たくさん問題をとく/一つだけ問題をとく
・教えることがいっぱいある/考えさせたいことをしぼりこんでいる
・答えのある問題しか扱わない/答えがない問題を多く扱う
・知識をカバーする/知識を少なくして学びのプロセスをつくっている
・間違いをできるだけ減らす/間違いを歓迎して活かそうとする
・正答を誰が発言するかを予想する準備している/間違えを予想して徹底して準備している
・分からないと進めないから教える/分からないことは夢中になれると考えている
・先生は教えることに忙しい/先生はひまなのでうろうろしている


生徒の様子
・教師に指名されて発表する/勝手に考えを共有しようとする
・自分の席で独りで学ぶしかない/教室内、自由に立ち歩き、どこで誰とでも学び合える
・言われたことをうつす/自分で必要なことを書き出す
・先生が満足/生徒がぷるぷるしている(幸せを感じている)

どうして井本さんのような授業が可能なのでしょうか? 教科書を使わないとこうなるのでしょうか? 多くの教師は教科書を使って(に頼って)よりよく教えようとしています。もし、その教科書をとっぱらって、あなたが本当に教えたいことを教えていいとしたら、一体何を教えますか? それを何で見取って、そのためにどんな教材を選択しますか? あの授業には、教科書はありませんでしたが、生徒の「学びのプロセス」をつくっていました。つまり、何をよりよく教えるのかではなく、人はどのように学ぶのかがよく理解されている授業でした。

この授業のしかけのひとつは、教師が配った問題にあります。一つの授業でたった一問だけ。そのぶん、じっくり考えさせるものです。難しいからこそ誤答をふり返り、修正し、一人では解けないことで仲間同士の交流が自然と生まれ、関係性を引き出し、さらに問題に夢中にさせてしまうんですね。これはうまいやり方です。この授業は何かを教える教師主導型の授業ではなく、生徒に考えさせたい学習者中心の授業なのです。

作家の時間、読書家の時間を算数授業に応用した「数学者の時間」に取り組んでいる先生たちは、このように生徒を夢中にさせてしまい、答えが一つに限らない問題を良問と呼んでいます。同じように1時間でたった1問だけを扱います。ときにはその問題だけに、4時間もかけることだってあります。それでも、子どもたちにとって挑戦しがいのある問題となっています。

きっと、問題を用意している井本先生自身がその問題を本当に好きなのでしょう。その熱量によって、生徒たちは誰もがついうっかりと問題へ誘い込まれてしまいます。だからこそ、井本先生は生徒たちがどのように解いたのか、また間違えたのか、その解答に夢中になれるんですね。VTRでは休日にもかかわらず、朝から晩まで夢中になって授業準備をしている姿がありました。その生徒たちの一見正答のような誤答例を使って、さらに深く考えられるように問題を準備していました。先生自身が自立した学び手であることがなによりも伝わってきます。

「間違えの中にこそ発見がある。その発見が面白い。面白いから生徒は考えることに夢中になれる。その夢中は、人を自然と試行錯誤する人へと高めてくれる」、問題はそんな井本先生の哲学があります。「自分で考えない限り、教師が教えたことは身につかない」と繰り返し訴えていました。言われたことや教えるべき事をカバーするのが先生の仕事と思っていません。生徒に考えさせることが教師の仕事だと、その矜持が伝わってきます。

教科書をカバーすることだけに縛られず、よりよい問題を扱っていくことはできないのでしょうか? 私たち多くの教師は、教科書をいきなり捨てることはできませんし、そう簡単に良問を用意もできそうにありません。どの教室でも、現行のカリキュラムを活かしつつ、よりよい学習者中心の授業を実践する算数ワークショップ「数学者の時間」を、今年中に提案する予定です。「数学者の時間」でも、同じように子どもたちは考えることをもがきながら、楽しんでいます。こういった授業をつくれるように、計画的なミニレッスンで短く教え、試行錯誤できるワークタイム、それを支える教師の個別カンファランス、考えの道筋を記録する数学者ノートを活かし、深く考え、学びを共有し合うことを目指します。今年の出版、期待していてお待ちください。



井本先生は、毎朝、学校で生徒たちに会えるのを楽しみにしていました。先生自身が教えたいことを教えたいように、自由に、ありのままに活きる姿が、生徒たちをもまた魅了しているのかもしれません。数学を通して、自分を信じ、認め合おうと輝こうとする生徒たちに、愛情を伝えているんですね。

皆さんはこの授業のハイライトはどこにあると予想しましたか? よい授業を紹介されると思考が刺激されますね。まだの方は今週の再放送があります。是非ご覧ください。よかったら、ご意見、ご感想をお聞かせください。

2020年1月5日日曜日

2020年。あなたたにできることは何ですか?

新年、あけましておめでとうございます。

2020年。オリンピック・イヤーの幕開けです。

まだ小さかった私には、1964年の東京オリンピックの時の記憶はほとんどありませんが、当時の日本人が抱いていた高揚感のようなものを感じたことを覚えています。なんだかよくは分からないけど、明るい未来が訪れるような、そんなワクワクした気持ちに胸が高鳴ったものです。

戦災からの復興と国際社会への再デビュー。高速道路も新幹線も全て東京オリンピックを目指して作られたインフラでした。いわば、戦後日本の高度経済成長の礎を築いた大会だったと言えるでしょう。

あれから、50年以上の年月が流れて、迎える2020東京オリンピック。1964年当時は、国全体がナイーブに肯定していたのでしょう。オリンピックに対する捉え方もずいぶん変わりました。多様で、複雑な価値観が取り巻くようになってきた。皆さんは、どのような思いを抱いて、この大イベントを迎えますか?

1964東京五輪へのノスタルジーに浸る人もいるでしょう。商業主義のスポーツ大会に何の意味があるのか、強い疑問をもつ人もいるはずです。選手目線で考えると、もっと純粋なものが見えてきます。自分自身の限界への挑戦、努力、チームワーク、絶叫、感動。スポーツには人の心を動かす様々な要素があります。

皆さんは、どのようなスタンスでこの大イベントに接しますか。オリンピック反対の論陣を張って、SNSなども活用しながら、世論に訴えて行きますか?それも一つの方法でしょう。仲間を募って、デモ隊を組織しますか?日々、テレビにかじりついて、日本選手に声を枯らして応援を送るのも、一つの選択です。オリンピック観戦を契機にして、ジョギングを始めて、健康で豊かな人生を送ろうと決意する人もいるでしょう。

しかし、どのような反対意見があろうが、どのような賛成意見があろうが、確実にオリンピックはやってきます。私たちが抗うことができないところで、進んでいく物事はたくさんあるのです。

賛否の議論は大切です。大局を見た議論や学びは不可欠だと思います。一方で、今自分にできることは何か、考えて行動することも、同じように大切だと思います。

「意見が一致しないので、自分は何もやらない。」つまり、ゼロかイチかといったデジタル思考のみでは、この複雑な時代を前に進めることは困難だと思います。

今、学校教育も、複雑で混沌とした時代に入ってきました。

本質を見極める議論はもちろん大切ですが、この大きなうねりの中で、今、私たちにできることは何かを考えて行動していきたいものです。

“Do one thing everyday that makes you happy.” ★

今年もよろしくお願いします。

★Elena Aguilar (2013) The Art of Coaching, Jossey-Bass, p40.


2019年12月28日土曜日

イノベーションを起こせる組織とは

    イノベーションを起こせる組織とはどのようなものか。山口周さんによるとその要因の一つは「人材の多様性」であると言います[*1]。この人材の多様性は、「考え方の多様性」「意見の多様性」につながるものです。また、ただ人材の多様性が確保されていればよいかと言うとそうでもなくて、大切なことは「多様な意見」を促す組織運営に関するリーダーシップです。このようなマネジメントはますます学校という組織で求められていくものだと思います。

『次世代スクールリーダーのための「校長の専門職基準」』という本があります[*2]。このなかに「基準1」として次のように書かれています。 

「学校の共有ビジョンの形成と具現化」小項目1「情報の収集と現状の把握」
校長は様々な方法を用いて学校の実態(児童生徒の学習・生活、教職員の資質・能力や職務の実態、保護者・地域からの期待、地域社会の環境、これまでの経緯など)に関する情報を収集し、現状を把握する。 

実態の把握、現状分析はまずマネジメントの出発点で重要な要素です。そのために、自ら求めて、様々な立場の人とコミュニケーションを図り、日頃から学校内外の情報を取りに行かなくてはなりません。それを校長室で待っているだけではご機嫌伺の部下からの耳触りの良い情報しか入ってこないのです。それでは、校長として学校経営の大切な場面で、判断や指示を誤ることになります。人には残念ながら二面性があり、自分の利益を優先する姿を表面的には隠していたり、相手への嫌悪感や嫉妬などを笑顔の下に隠したりしているものです。それを見抜くことは難しいことですが、絶えずその二面性を意識しながら話を聞くという心構えがリーダーには求められるのではないでしょうか。 

また、最近出版された『先生、この「問題」教えられますか?』[*3]では、高校の職員会議の様子を再現するということで、次のように紹介しています。議題は「新学習指導要領による2022年以降の高校のカリキュラムをどうするか」とのことです。そこに描かれた会議の冒頭のあいさつと最後の締めくくりとしての校長の発言は以下のようなものです。 

「今日は、2022年以降から実施される高校の新学習指導要領について皆様の意見をお聞きしたい。生徒たちにとって大変重要なものであると認識しているので、しっかりと議論をしたうえで、本校の独自性が感じられる内容にしていきたいと考えている。」
「今日は、活発な議論をありがとうございました。カリキュラム改訂は、「学校」としては教育の根幹を担う重要なものと考えておりますので、今後も皆様のご意見を聞きながら検討していきたいと思います。」 

これを読まれてどのように感じられましたか。
この類の話は学校ではよく聞く話かもしれません。しかし、考えてみれば、このような話では、校長が学習指導要領の改訂をどう受け止めているかわかりませんし、この学校でそれをどう展開したいのかが全くわかりません。学校の現状を踏まえたうえで、学習指導要領が求めているような生徒を育てていくためには、「何を」「どうやって」いけばいいのか、具現化するための道すじを示す必要があります。その過程で、職員の多様な意見を拾いながら、活かせるものは提案として活かしつつ、具体的な方針を示すことで、学校が組織として動き出すことになります。
結局、このようなマネジメントが行われないために、ただ表面上「やっているふり」をするだけの状態が続くことになるのです。これでは、いくら学習指導要領で次世代の教育方針を示したところで、学校現場で効果をあげることは難しいと思います。

本来、校長会、教頭会はチャレンジ精神のある会員をサポートする役割を担うべき組織のはずですが、これもまた年間の様々なイベントをこなすだけの組織になってしまっています。米国にも校長で構成する職能団体がありますが、ここには学校経営に役立つ情報やサポートがふんだんにあります。
この彼我の差を埋めるための情報提供もこのブログの目的の一つです。ぜひ、『教育のプロがすすめるイノベーション』(新評論2019)をまだお読みでない先生方には手に取っていただきたいと思います。改革のための道すじがはっきりと見えてきます。学校にはICT教育など取り組まなければならないことが山ほどありますが、それを仕方なく、「やらされているという意識」で取り組むのと、自ら主体として取り組むのとでは天地ほどの差があります。 
今年一年このブログの記事をお読みいただき、ありがとうございました。
また、年明けからも引き続き、皆さんとともに、「学びの共同体」づくりを考えていきたいと思います。よろしくお願いいたします。

[*1]山口 周『世界で最もイノベーティブな組織の作り方』光文社新書/2013
[*2]日本教育経営学会実践推進委員会編『次世代スクールリーダーのための「校長の専門職基準」』花書院/2015
[*3]石川一郎・矢萩邦彦『先生、この「問題」教えられますか?』洋泉社/2019

2019年12月22日日曜日

新刊『だれもが<科学者>になれる!』



 サブタイトルは、「探究力を育む理科の授業」ですが、探究の授業に興味のある方には必読の本です。探究の本質がわかる内容になっているからです。それを図で表すと、次のようになります。

 この図を記憶にとどめたうえで、4人の読者(この本の下訳を読んだ協力者=「科学者の時間」に取り組んでいるメンバーたち)の感想をお読みください。

◆井上太智さん(元公立中学校の理科教師、今年度から私立小中一貫の教師)

すべての子どもは科学者である ~ そういわれて素直に頷けるでしょうか?
あなたの生徒たちは、理科を暗記教科だと勘違いしていませんか?
もしくは、実験をレシピの決められた料理のようにこなしてはいませんか?

もしそうだとしたら、教師であるあなた自身の授業がそうさせているのです。
まさか、すべての子たちが、教科書と同じ順序で、同じペース、決められたやり方で学んでいるなんてことはありませんよね?

その時、学ぶべき内容は生徒一人ひとりの心の中(問い)にあるものです…。
しつこいようですが、質問を続けます。

あなたの授業では、教師が想定していたこと以外のことが起こりますか?
それに感動したり、新たな発見があるでしょうか?

極めつけは、
実験の失敗に「よーし!燃えてきたぞ!」とワクワクするような子たちが育っているでしょうか?

科学者は学び、探究する足を止めないのです。
たくさんの質問をしましたが、いずれも簡単ではないことはわかっています。
しかし、私たち教師がまず新しい授業への一歩を踏み出すべきではないでしょうか?

この本には、そのためのヒントがたくさん詰まっています。そして、科学者としての子どもたちの姿がそこにあるのです。

これから、あなたと出会うたくさんの子どもたちが「科学者」としての本来の力を発揮することを祈っています。
そして、教師であるあなた自身もそのうちの一人です。
一緒に探究の旅をはじめましょう!


◆青木孝史さん (私立中高一貫校の理科教師)

まずは、臨場感が素敵です。本を読んでいるだけで、ピアス先生の
教室に座って、自分も授業に参加しているような気持ちになりました。
これが、自分が「科学者の時間」の取り組みをしているからなのか、
それとも、理科の教員だからもつ気持ちなのかは、わかりませんが、
とても不思議な気持ちでした。

あと、生徒を一人の人間としてみることの大切さを感じました。
定期購読している「教育」の最新号が
『学校スタンダードと無寛容(ゼロトレランス)』という特集でした。
ななめ読みしかしていませんが、生徒を一人の人間として扱い、
勝手に、「小学生はこんなものだろう」という決め込みをしない
ピアス先生のような授業をすれば、たちどころに、これらの問題が
解決するように、思えました。
ただ、全国の先生方が、ピアス先生のような立ち位置になることは、
簡単な事ではないと思います。できることから始めて、世の中を変える
初めの一歩を踏み出したいと思いました。

また、選書の重要性も感じました。「科学者の時間」のメンバーに
すすめられた『生命と燃焼の科学史』『植物はなぜ動かないのか』
『バッタを倒しにアフリカへ』『生物と無生物の間』も、とても
面白かったです。
こうした本をどんどん知ることで、理科室の書棚を充実させ、
読書から探究にも、行けそうな気がします。

また、ピアス先生の実践を真似しやすいように、記録を残している
ことにも驚きました。少しずつ改変しながら、明日からの授業で
使えそうなワークシートがたくさんありました。
「子ども探究学会」の進め方も同様です。
同じ志を持っている人であれば、読むだけでそのピアス先生と
通じ合えること間違いなしだと思います。


◆梅健さん(元公立中学と高校の理科教師、現在小学校の教頭 ~ 理科の授業はしている)

・多様な実験方法を学びました。
・植物育成用のライトがあることを知りました。日本でも2~3000円で買えることがわかりました。来年から使いたいと思います。
・ミールワームを使って実験できそうです。
・生物の調査をやります。
・以前勤務していた高校では、敷地内の生物調査をして、記録を付けていました。これをやります。
・発見ボックスをつくる。電磁気学の発見ボックスを作れたら最高です。


◆内山智枝子さん (私立の高校の理科教師)

・読み終わって一番自分の中に広がる思いは、生徒は科学者であることを認めるだけでなく、共に探究を楽しむ同志でありたいということです。生徒と教師で肩書は異なりますが、自然の事物や現象と向き合う気持ちや能力において、どれだけ差があるというのでしょうか。教師は少し先を生きて、少し物事を知っているに過ぎません。失っているものもあります。しかし私自身、私たち教師自身が能力の限界を暗示されるような教育を受け、同じように目の前の生徒を限界のある存在として扱っているのだと思います。一条校に勤務する自分が置かれている状況を知る為に、次期学習指導要領が何を目指しているのかを多少探り、比較を意識しながら読みました。『だれもが<科学者>になれる!』との一番の大きな違いは、子どもは子どもであって、教師を超えることがない、という前提が学習指導要領にはあることだと思います。コントロール色はそのままです。これは国として意図的に行っていることなのでしょうか? 行動だけでなく思考さえも従順な国民である方が、国にとっては都合が良い、ということなのでしょうか? 特に、評価に関しては、マインドのシフトチェンジが必須だと思います。文科省はまずは実施してから評価に関して言及するという方針である、という話がある研修会で聞きました。形だけでない探究活動を行うためには、評価方法の問い直しも同時並行で必要だと思います。評価の章、気になります。
・『だれもが<科学者>になれる!』の下訳と出会った当時、とてもつらい状況にいました。伝授型一斉講義を前提とした時間割が組まれ、伝統的な評価方法が求められていたからです。だからと言って、完全に諦めるつもりはありませんでした。『だれもが<科学者>になれる!』に励まされたからです。
・校種が違っても、具体的に導入しよう、役立てようという方法に関する情報を、入手することができると改めて思いました。
<内山さんは、この後、自分の実践を某出版社が主催する実践記録の募集に提出し、みごと特選を受賞しました! この件については来月紹介します!>

 ちなみに、ピアス先生の実践は小学校5年生を理科の授業を対象にしたものです。しかし、上の感想から読み取れるように、中高の先生方が大いに刺激を受けていますし、他教科(国語、社会、算数・数学はもちろん、専科も)の先生が読んでも得るものはきわめて大きいです。
 教師が教えたいこと(教えなければならないこと)と、生徒がよく学べること(主体的に取り組んで、身につけること)のバランスを考えさせてくれ、それを実現するための手立てが満載だからです。

●本ブログ読者への割引情報
定価          2640円のところ、  
PLC便り割引だと 1冊=2200円(送料・税込み)
3冊以上の注文は 1冊=2000円(送料・税込み)です。

ご希望の方は、①冊数、②名前、③住所(〒)、④電話番号を 
pro.workshop@gmail.com  宛にお知らせください。

※ なお、送料を抑えるために割安宅配便を使っているため、到着に若干の遅れが出ることがありますので(特に、年末年始の忙しい時期を挟みますので、年明けの到着になる可能性もあることを)、予めご理解ください。



2019年12月13日金曜日

浅い理解と深い理解から新しい知識をつくるSOLOタキソノミー

SOLOタキソノミーという考え方の分類を聞いたことがありますか? Structure of Observe Learning Outcome :SOLOの略称、「観察学習結果の認知処理分類構造」と呼ばれるものです。1970年代から80年代にJohn BiggsとKevin Collisという二人のオーストラリア学者が教育のエビデンス(科学的根拠)を元に提唱したものです。★

SOLOタキソノミーとは、人の理解を4つの段階で分類した階層図(タキソノミー)のことです。人が知識を獲得する際に、浅い理解である【単純】な思考から【複雑】な多構造の思考へと発展します。そこから深い理解であるそれぞれの【関係性】から、他の領域への【拡張】へとしだいに複雑化して、新しい概念や世の中の成り立ちを理解していきます。




SOLOタキソノミーの4分類
⓪【Prestructual :知識前の状態】まだ何も知らない状態、または思い込みなどのまちがっている思考段階

物理的で具体的な浅い理解
①【Unistructual :一つの考え・単一構造】課題の1つの側面だけが取りあげられる思考の段階。例「太陽から最も遠い惑星はどれですか?」
②【Multistructual: 複数の考え・多構造】課題について2つ以上の側面で取り上げられ、対象とする量が増え複雑化している思考の段階。しかし、まだそれぞれは相互に関連していません。「地球に最も近い惑星はどれですか?3つ挙げましょう」

複雑化される深い理解
③【Relational :関連する考え・関係構造】全体に一貫した構造と意味を持つように、関係性をみつけて統合していく思考の段階。「太陽からの距離と惑星の温度関係を説明しましょう」
④【Extended/Abstract :拡張する考え・拡張・抽象化構造】一貫性のある関係構造は、より高いレベルに一般化されます。未経験な問題解決へと思考を活用する段階。「太陽に対する地球の位置を考えると、地球の気候と季節にどのような影響を与えますか?」



これを算数問題に適用すると以下のようになります。



①【一つの考え・単一構造】「図のようなマッチ棒3軒の家には、何本のマッチ棒が必要ですか?(答え13本)」図に示されているマッチ棒を直接数えることで簡単に解決することができてしまいます。

②【複数の考え・多構造】「それぞれ家に必要なマッチ棒の数はいくつですか?(答え5本)」ここでは、それぞれの家の棒を数える必要があります。ここでは家とマッチ棒の数の関係性を導き出すためにまだ情報を集めている段階です。

③【関連する考え・関係構造】「53つの家を作るにはマッチがいくつ必要ですか?(答え213本)」マッチの数が増えていくと、直接数えることが困難になります。そこでマッチの数にきまり(パターン)を見つけ、4本ずつ増加することに目をつけます。

④【拡張する考え・拡張・抽象化構造】「マッチの数を□で、家の数を○で関係を式に表しましょう(4○+1=□)」どんな場合でも当てはまるように式で表現します。これによりどんな家の数でも全ての場合において、問題解決できます。

このSOLOタキソノミーに当てはめて考えることを複雑化していく手順は、なかなかわかりやすいと思いませんか? この問題がもつ数学的な構造(パターンや特徴)を式で明らかにして数学的に一般化をするよい見本です。

しかし、実際の授業において、生徒は「浅い理解」をカバーすることが重要であると思っているけれど、教師自身は実は「深い理解」を教えているつもりになっています。教師の質問の60%が事実の再生、20%が作業手順を答えさせる「浅い理解」に関するものであり、生徒に思考を求めるものはたったの20%に過ぎませんでした。多くの教室ではこの「浅い理解」が教えられ、「深い理解」まで使って本当に教えられていないことが問題視されています。ペーパーテストの評価においては、30%の「浅い理解」と30%の「深い理解」をバランスよく取り入れて出題することも推奨しています★★★。

この分類表は、学習を次のステップへ進むための見通しを示しています。最初の「浅い理解」が土台となり「深い理解」を生み出します。深く考えるための浅い材料なくして思考は深まりません。この「浅い理解」と「深い理解」は、学習する文脈や学習者の知識体系に関連して理解する必要があります。より挑戦的な問題で難易度の高い思考を要求することによって、この「浅い理解」と「深い理解」を通して、新しい概念を自分の中に作り上げ、知識や現実世界への打倒な枠組みをよりよく構築していくことができるのです。

このSOLOタキソノミーを使うことで、あなたが教える学習目標を段階的に定めることができます。さらに、思考をより複雑にするために複数の資料を用いることもできるでしょう。この表を意識しながら授業づくりを見直してみるのはどうでしょうか?



★この資料は英文ですがThe SOLO TAXONOMY Abstract - e-asTTleで検索するとPDF資料で読めます。分かりやすいものとしては動画もあります。こちらも英語ですがテロップをつけて観るだけでもわかりやすいかと思います。

★★2001年に改訂版がAnderson, Krathwohlにより出されました。ブルームの6分類の2番目「知識」の次元を4段階(事実的知識、概念的知識、手続き的知識、メタ認知的知識、)に細分化され、SOLOモデルと類似した設定がみられます。ちなみに、ブルームの最初の2分類(記憶と知識=理解は低次の思考スキル、応用、分析、統合、評価は高次の思考スキルと言われています。授業で時間を費やしているのは、どのレベルでしょうか?

★★★この論文が出た当初はそれぞれのバランスが25%となっていましたが、最近では30%に落ち着いたようです。