2013年3月17日日曜日

授業研究


 前回のTさんからの職員室に代わる学びのスペースをつくったという、とてもいいアイディアの中で、私がいちばん気になったのは「授業研究」です。(これは、20年ぐらい前から気になり続けています。)
 教師が授業研究をしている限りは、いい授業を作り出すことはできないんじゃないか、と。

 Tさんの学校では違うかもしれませんが、
 授業研究=指導案検討=教材研究を意味します。そして、それは教科書をカバーする授業であり、単元をベースにした授業である場合がほとんどです。
 しかし、教材ありき、指導案ありきで考えている限りは、子どもたちがよく学べないことを保証しているようなものです。主役は、子どもたちではなく教材であり、そして教師であり続けることを意味しますから。★子どもたちの学び方も、学ぶスピードも多様なのに。興味も関心もこだわりも違うのに。

 これは、「私たちはどんな時によく学べるか?」を考えてみたら明らかです。「授業で学べた」と言える人は、皆無です。

 それは、「学びの原則」をまったく無視して、授業を考え(研究し)、そして授業をしている場合がまだほとんどだからです。(「学びの原則」についてお知りになりたい方は、右側のアドレスに資料請求してください。喜んでお送りします。)

 「私たちはどんな時によく学べるか?」や「学びの原則」や、さらにはライティング・ワークショップが成功する5つの要因を踏まえると、求められているのは「授業研究」=指導案検討=教材研究=研究授業ではないことは明らかです。

 そして、これを校内研修/研究の中心に据えている限りは、先生たち自身が学ぶことを好きにもなれないとも思います。

 扱う教材が、教師が心底好きで、価値を見出していれば、話は別とも言えますが、ほとんどは教師自身が「しかたなく」というか、「当然のもの」としか思えないようなレベルの教材です。そして教師のそういう思いは、見事なぐらいに子どもたちにも伝わっています。その意味で、このアプローチで作られた授業は、みんなが「お付き合いする」レベルの授業になります。もっと悪く言うと、展開されるのは「授業ごっこ」というか「正解当てっこゲーム」です。それに長けた子どもたちもいますし、私も含めてですが、多くの子どもはその教科が嫌いになっていきます。なんでこんなものを学ばされるのか皆目わかりませんから。要するには、卒業するために、そしてテストでそれなりの点数を取るために暗記をして、テストが終わったらほとんどを忘れる、という偉大なる悪循環を続けるだけです。覚えませんし、身につきませんし、使いこなせません。「そういえば見た記憶はあるかな」という程度のことばかりです。それが、授業研究=指導案検討=教材研究=研究授業が生み出しているもの、と言えるのではないでしょうか。

 自分たちがしていて楽しい、意味を感じられる、「授業ごっこ」のための準備ではない、教師同士の学び合いの事例をぜひ教えてください。

 もちろん、授業研究=指導案検討=教材研究=研究授業の成功体験も、歓迎します。(すべてが、まずいはずはないので・・・・)

2013年3月10日日曜日

職員室の続編


 金沢大学附属小学校のTさんが、前回の「職員室」にとてもありがたい反応をしてくれたので紹介します。

日本の学校での「職員室」は、特別な場所です。単に校務をする場所・休憩する場所ではなく、日常的な授業研究の場であり、生徒指導の場であり、インフォーマルな会議等を行う場でもあります。しかも、管理職も参加している場です。こんな機能がある「職員室」の存在が、日本の学校の特色だと思います。
それなのに、十分機能していないところがあります。単に休憩場所であったり、個の職務等をする場所であったり。
そこで、授業研究できるスペースを、本校では設置しました。もちろん、テーブル・ソファ・掲示板・ホワイトボード・湯茶設備・冷蔵庫・テレビ・パソコン等も置きました。1ヶ所ではなく、2ヶ所集まる場所を作りました。あらためて会議室等へ移動しなくても、すぐ研修・会議・打ち合わせ等ができます。様々な研修の情報・書籍も設置しました。休憩しててもいいし、新聞・雑誌を見ててもいいし、授業研究してもいいし。なんとなく始まり、なんとなく終わる場でもあります。誰でも、自由に出入りできます。周りで聞いているだけでもOKです。
職員室に必要なのは、立派な機器や間仕切りのない等より、人が気楽に出入りして、何となく集まってくるステーション(ワーキング&ラーニング・ステーション)とすることだと考えます。

 読んで、どう思いましたか?

 多様な機能を一挙に満たしてしまおうとしている「職員室」、まったくその通りだと思います。しかしながら、いろいろな機能を満足したようと思うと(効率よく多機能化を図ろうとすると)結局は何も満足できないいい例のようなところを、私などは感じてしまいます。もちろん、そこにいる先生たちの人間関係でどうにでもなるわけですが・・・・

 実践中のところは、「附属だからできるのか?」

 そんなことはありません。

 紹介してくれているようなすべての機器を最初から揃えなくとも、必要最低限から始め、徐々に揃えていけばいいわけで。いまは空き教室をもっているところが少なくありませんから。

 職員室のベストの唯一のあり方というのはないと思うので、ぜひアイディアを出し合って行動に移してください。それを模索し続けていくことは、教室はどういう姿であったらいいのかと同じレベルで、とても大切だと思います。「たかが職員室(教室)ですが、されど職員室(教室)」で、箱ものが及ぼす影響は絶大です。
 なんといっても、私たちが日々過ごすところ/考えるところ/コミュニケーションをとるところ(コミュニケーションをとったつもりになれるところ!!)ですから。

2013年3月3日日曜日

職員室というスペース


 至極あたりまえのスペースであり、変えることの必要性などあり得るのかと思われている職員室(や職場、教室、研修室)を、「学ぶことを最大限にする」という観点で見直してみることが今日のテーマです。

 見直すことは、単に教師が学ぶことを大切にするために必要なだけでなく、昨年末からのテーマであり続けている教師相互のコミュニケーション/協力関係を築くためにも極めて大切だと思うからです。
 さらに言えば、子どもたちに学び続ける教師であることをモデルで示すためにもです。

 同じように、学ぶことを最大限にする、という観点で教室を見直してみることもできます。★さらには、教育センター等の研修室も、学ぶことを最大限にする、という観点で見直すことは価値があるというか、すぐにでもしないといけないことだと思います。

 これまでがそうだから、これからも今までのままでいいということはありません。

 ぜひ、今のままであり続けることのプラス面とマイナス面を考えてみてください。
 こんなふうになったらいいのにな~、というアイディアをブレーンストーミングの要領(できるだけたくさんのアイディアを短い時間で出す。とっぴなアイディアほど歓迎!)で出してみてください。

 何か一つでも変えられる点が見つけられたら、それが突破口になります。今してことがベストなはずはありませんから。

 ぜひ思いついたことを吉田(pro.workshop@gmail.com)へお送りください。


★ 教室の場合は、とっぴなアイディアとして「間仕切りのないオープン・スペース」というアイディアもあり得ますが、これは欧米では70年代ぐらいがピークで、その後は元に戻したところが多いです。

2013年2月24日日曜日

あるセミナーに参加して


昨日、友人と二人で、東京のある教育セミナーに参加しました。

10時少し前に、会場について受付を済ませ、私は「理科」の分科会に参加しました。

その分科会の参加者は30名ぐらいだったでしょうか。

中には、函館から来ていた小学校の先生がいました。

 

理科の研究会に出るのは、久しぶりです。

東京の小学校の先生方の研究発表でしたが、発表者3人のうち、2人は若い人でした。

まだ、経験も浅いでしょうから、質疑応答も四苦八苦していました。
でも、若いというのは、いいですね。どんどん新しいことに挑戦してもらいたいです。

 

最後に、文科省の教科調査官から講評と短い講話がありました。

12月に発表されたTIMMSという国際理数調査の結果を引き合いに出して、日本の理科教育は決してその力は落ちていないと強調されていました。

私もこれだけ環境のよくない中で、日本の教師は頑張っていると思います。もっと、現場がやる気を出すようにあまり、上からああしろ、こうしろと言わない方がいいと思いますね。

 

講話のなかで、理科は自然の事物を対象にしているので、できるだけ観察・実験に時間をかけて、やってほしいと話されていました。その通りなのです。理科は「教科書」を読んで、説明して終わりでは、何も身につかないのです。
中学校でも、きちんと実験をやらないで、黒板で説明して終わりという授業をやっている人が未だにいるようです。確かに、準備は手間がかかるし、教科書を読んで終わりのほうが楽なのです。でも、理科はそこを手抜きしてはいけないのです。だから、小学校で理科が好きな子どもも中学校2年くらいで理科嫌いになってしまいます。その解決には、教師にゆとりが必要ですね。

 

今月は結局、毎週土曜日東京に来て、セミナーや研究会に参加しました。トータルで5万円はかかりましたね。でも、それに見合うだけの収穫がありました。

また、今回は気の合う友達と行けたので、行き帰りも教育に関する様々な話をして、あっという間に目的地に着いたような感じでした。この友人とはもう30年来の付き合いですが、20代のころ同じ学校に勤務して、いつも遅くまで学校でいろんな話をしながら、次の日の授業の準備をしていた懐かしい思い出があります。やはり、持つべきものは友です。

2013年2月17日日曜日

教育の情報化について


昨日、教育情報化に関連するフォーラムに行ってきました。

その中で、学校のホームページ運営や校務の情報化について話を聞きました。

 

学校のホームページがどれくらいの頻度で更新されているかという調査結果が紹介されていました。なんと、およそ60%の学校は週1回も更新していないようです。反対に、週に4回以上更新している学校は全体のわずか7%だそうです。自分の学校はどうなのかと考えてみると、だいたい週1回です。今回のフォーラムの主催団体に所属している人たちの学校はほとんど毎日更新しているぐらいのレベルのようです。

 

 その主催者の一人が、ある地区の中学校長会研修会に講師として呼ばれたときに、校務の情報化の一つとして、このホームページ更新の話をしたそうです。この方は、ある中学校の現職校長でもありますが、学校の中でホームページ運営を自分が中心になって行っています。
 

 そのことを校長会の研修で話すと、研修後のアンケートのなかに、「ホームページ運営は校長がやるべきことなのか」という批判が一つあったそうです。

 「校長がそんな仕事までやるべきでない」「係りに任せればいい」という考え方の校長はかなりの数いることでしょう。私の地区の校長さんたちもそういう考え方をしている人がかなりいることを知っています。

 私は、情報発信、あるいは地域とのネットワークづくりの大切さが言われている今日では、校長こそ「ホームページ運営」の中核を担う必要があると思っています。ホームページで不適切な表現を使ったり、著作権や肖像権を無視した内容を提示したりしたら、それこそ学校の信用は大幅にダウンします。それだけ、重要なものだと思います。だからこそ、校長が積極的にかかわる必要があると思います。

 

 今日のフォーラムで学んだことが一つあります。
 それは、学校のホームページは外部の人に見てもらうだけでなく、内部の職員にこそ見てもらい、それを経営に生かす方略もあるのだと言うことです。つまり、「校長室だより」に書いたことが職員へのメッセージにもなり、学習指導や生徒指導の方向性を示すのに大切な役割を果たしてくれるということです。
 また、いろいろな授業風景を写真入りで紹介することで、先生方相互の研修のきっかけづくりや情報提供にもつながるということです。ということは、ホームページも使い方一つで、校内研修、職員研修につなげることができるということです。これは発見でした。

 往復の新幹線運賃と参加費を含めて、13,000円かかりましたが、それだけの価値はあったと思います。

 

2013年2月10日日曜日

教師間の「協力」が学校を変える


 昨年12月はじめの「互恵的な関係」の記事以来、教師同士の協力関係について、考え続けています。
 もう大分前になりますが、月刊・高校教育という雑誌に「教師間の“協力”が学校を変える」というタイトルで原稿を書いたことがあります。

 その内容をここで書きなおすことはしませんが、唯一、表だけを紹介します。


  (出典: 月刊・高校教育、2004年9月号、65ページ)


 圧倒的多数の教師が体験しているのは、①気楽な協力と②制度的な協力だと思います。
 でも、①と②だけでは、生徒たちの学びも、そのベースとなる教師の学びも得られません。

 ③を体験している教師は、どれぐらいいるでしょうか?
 そのための環境や動機づけはあるでしょうか?
 スキルや方法を身につける機会は提供されているでしょうか?

 ③建設的な協力には「批判的」★「振り返り」「不協和音を歓迎」「波風を立てることが前提」「隠された事実★★を暴き出す」などがキーワードになっています。こういったところからこそ、教師が学べるのではないかと思って、書きました。

 もちろん、80/20のルールで紹介したように、常に③ばかりを使う必要はありません。8割がたは①か②でいいのです。習慣の維持・継続でいいのです。そうでないと、疲れますから。しかし、大切な2割ぐらいは③で取り組まないと、何も変わらない、何も学べない、何も成長しないが続いてしまいます。


★ これは、クリティカルの直訳ですが、いまなら「批判的」とはせずに、「大切なこと(を選び出す力)」としたいです。「鵜呑みにせず、習慣にも流されず」に「何が大切かを見極めることの大切さ」です。
★★ これも、「隠された事実」よりは「疑うことなくやり続けている習慣」の方が分かりやすい気がします。

2013年2月3日日曜日

教師の協力関係


 教師相互のコミュニケーション、信頼関係、協力関係をいかに構築するか?


 皆さんは、どうお考えですか?


 実際、どんな努力をされていますか?


 どんな方法が効果的だと思われますか?



 ブッククラブをやってみるのは、一つの方法ではありますし、その他にもいろいろな方法を『効果10倍の学びの技法』などで紹介しましたが、最近思うことは、教科書をカバーする授業からの脱却です。★各教師が教科書をカバーする授業をしている限りは、教師間のコミュニケーションも信頼関係も協力関係も構築できない気がするのです。

 文科省が言っているようにいろいろな教材の一つ(それで不満な人には、「主たる教材」)と位置づけない限りは。★★ 教科書を教え続けるということは、教師が学んだり考え続けたりすることを放棄しているようなものですから。

 生徒たちにとっては、教科書はその教科の百科事典のような存在になっています。すべての答が書いてあると言う意味で。従って、自ら進んで読みたがる存在ではありません。教師も生徒もが、深く考えられる/何回も読みたがる/教科書よりもはるかにいい文章で書かれている読み応えのある読み物を用意する過程で、教師間のコミュニケーション、信頼関係、協力関係は築けます。今の時代、教科書よりもはるかに読み応えのあるあらゆるジャンルの読み物が各教科で揃えることができるのですから。


★ それができない限りは、教科書という極めて特別なジャンルに得意なごく少数の子たちを優遇する学びしか提供できないのが学校/授業ということになります。9割方の子どもたちには、その教科が嫌いになる場としての授業です。

★★ 教師が、教科書教材を「ほどほどのレベル」「しかたなく」「がまんして」使っていると、すぐ生徒たちは感知してしまいます。生徒たちには、教師がベストと思うものしか使わないようにしないと、失礼です。そのためにこそ、教師相互のコミュニケーションと協力が役立ちます。他の目的のためのコミュニケーションと協力はすべて二義的なものです。

★★★ 「教材」は、あくまでも教える側、指導要領をカバーしてもらう側に都合よくできたもので、学ぶ側にはとって難解なもの、読めないもの、苦役の象徴というイメージがつきまといます。その意味で「学習材」ないし「学習資料」に発想を切り換えていく時に来ています。その中に教科書も含まれてもいいのですが、あくまでも百科事典と同類の位置づけの気がします。子どもたちが進んで読みたくなるようには書かれていませんから。