2013年2月3日日曜日

教師の協力関係


 教師相互のコミュニケーション、信頼関係、協力関係をいかに構築するか?


 皆さんは、どうお考えですか?


 実際、どんな努力をされていますか?


 どんな方法が効果的だと思われますか?



 ブッククラブをやってみるのは、一つの方法ではありますし、その他にもいろいろな方法を『効果10倍の学びの技法』などで紹介しましたが、最近思うことは、教科書をカバーする授業からの脱却です。★各教師が教科書をカバーする授業をしている限りは、教師間のコミュニケーションも信頼関係も協力関係も構築できない気がするのです。

 文科省が言っているようにいろいろな教材の一つ(それで不満な人には、「主たる教材」)と位置づけない限りは。★★ 教科書を教え続けるということは、教師が学んだり考え続けたりすることを放棄しているようなものですから。

 生徒たちにとっては、教科書はその教科の百科事典のような存在になっています。すべての答が書いてあると言う意味で。従って、自ら進んで読みたがる存在ではありません。教師も生徒もが、深く考えられる/何回も読みたがる/教科書よりもはるかにいい文章で書かれている読み応えのある読み物を用意する過程で、教師間のコミュニケーション、信頼関係、協力関係は築けます。今の時代、教科書よりもはるかに読み応えのあるあらゆるジャンルの読み物が各教科で揃えることができるのですから。


★ それができない限りは、教科書という極めて特別なジャンルに得意なごく少数の子たちを優遇する学びしか提供できないのが学校/授業ということになります。9割方の子どもたちには、その教科が嫌いになる場としての授業です。

★★ 教師が、教科書教材を「ほどほどのレベル」「しかたなく」「がまんして」使っていると、すぐ生徒たちは感知してしまいます。生徒たちには、教師がベストと思うものしか使わないようにしないと、失礼です。そのためにこそ、教師相互のコミュニケーションと協力が役立ちます。他の目的のためのコミュニケーションと協力はすべて二義的なものです。

★★★ 「教材」は、あくまでも教える側、指導要領をカバーしてもらう側に都合よくできたもので、学ぶ側にはとって難解なもの、読めないもの、苦役の象徴というイメージがつきまといます。その意味で「学習材」ないし「学習資料」に発想を切り換えていく時に来ています。その中に教科書も含まれてもいいのですが、あくまでも百科事典と同類の位置づけの気がします。子どもたちが進んで読みたくなるようには書かれていませんから。

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