2017年7月2日日曜日
教科書とカリキュラムづくり
2020年3月1日日曜日
教科書がテーマの本の新刊案内
2015年4月19日日曜日
教科書 = カリキュラム ?
ある意味で、それこそが教師にとってもっとも大切なものだと思っているからです。
と同時に、これこそが日本の教育で弱い部分ではないかと思っているからです。
しかし、
「現 実的に、わたしにとってのカリキュラムは、すでにもう決められてあるものです。どの学校でもそうですが、学年ごとに指導要領と教科書をベースに年間に学習 内容を割り振り、立てた年間計画になります。このカリキュラムは、個人で変えられるものではなく、学校で定めて、当該学年はどのクラスも同じく実行するも のです」
このカリキュラム観をもっている先生が圧倒的だと思います。99%?
私が教育に関わり始めた1980年代の初頭、オーストラリアの指導主事は、「教科書の位置づけは、自分でカリキュラムをつくる能力のない教師のためにあります」と言っていました。
「目の前にいる子どもたちと教えるべき内容や入手できる学習材等を踏まえて、ベストのプログラムを考えるのが教師の仕事で、教科書をカバーする教師は、残念ながら子どもたちがよく学べる授業をできない先生たちだ」とも。
スッキリしますね。
(以前にも紹介した教科調査官と私とのやりとりです)
1980 年代の末、高校の世界史担当の教科調査官は、「いっこうに“フランス革命はいつ始まって、いつ終わったのか”という一つの問いで、年間教えていただいても 結構です」と言い切っていました。もちろん、本人が書いた手前、「学習指導要領に書いてあることを、すべて押さえてくれれば」ですが。
それを受けての私の質問: そんな授業をつくれる教師は日本にいるんですか?
教科調査官: いないでしょうね。
私: できるようになるのですか?
教科調査官: 無理でしょうね。養成過程でも、現職研修でも、教師にカリキュラム開発能力を身につける、という視点が丸ごと欠けていますから。
私: それが分かっていて、文科省は何もやる気がないのですか?
教科調査官: 越権行為になってしまいますから。養成過程は大学の、現職研修は都道府県の教育委員会の役割です。
私: そうなると、いつまでたっても教科書をカバーする授業が続くわけですね?
教科調査官: まあ、そういうことです。
なんという理想と現実のギャップ!!
教育公務員である教師は、学習指導要領を押さえる義務はあっても、教科書をカバーする義務はありません。教科書は、欧米と同じで、あくまでも「主たる教材」でしかありません。しかし、いつのまにか「学習指導要領=教科書」になっています。
マスコミが、それを煽動しています。官僚等とグルになって??
でも、上の教科調査官の言っていたこととは大きなズレがあると思いませんか?
(それとも、教科調査官は、単に「本音と建前」を使い分けていただけ?)
年 間計画(カリキュラム)は、学校レベルで決定できるのですが、実際にしていることは、学習指導要領はほとんど見ないで、教科書会社が作ってくれている年間 計画を教育委員会に提出して、教科書どおりに授業をするという例年通りのお決まりのパターンを繰り返すだけと思います。
子どもたちが主体的に学べるか、ということはあまり気にもせずに。
親たちも、教科書どおりの授業をしてくれているのかは気にしていますから。
次の2つについて
・カリキュラムは、個人で変えられるものではなく
・当該学年はどのクラスも同じく実行するもの
どう思われますか?
教師が主体的に教えるという考え方をどう思いますか?
教師がお付き合いで(仕方なく)教えていたら、それは間違いなく子どもたちに伝わってしまいます。
教師がワクワクしないで教えていて、いいのでしょうか?
ワクワクよりも、教科書をカバーする方が大事なのではないでしょうか?
学習指導要領を押さえるのでいいなら、上記の教科調査官が言っていたように、教師も(そして子どもたちも)ワクワクする授業はいくらでも作り出せます。
でも、それが教科書をカバーする授業になってしまうと、面白いワクワクする授業からは遠ざかってしまいます。暗記することが中心になってしまいかねません。
選択は、誰にありますか?
2019年3月17日日曜日
どちらが現実? 枠を外す方向、それとも締め付けを厳しくする方向?
大学でも実践的な学びを提供してくれるものはありませんでした。
その理由として教科書に管理されているというのが大きいです。
来年度から赴任する都内の某小学校でも
ボランティアをして見てみるとほぼ教科書会社が作った
社会科においてはタブレットが1人1台ありますがほぼ教科書をなぞって
教えていました。ベテランの先生に
「どこまで児童に学びの内容を譲れるか?」と尋ねたところ
「百歩譲っても、テーマは教師が決める。その中で児童の興味や疑問を
もとに授業をつくるのは可能だ。でもそれだとテストは悲惨になる」
と話されていました。私は「そのテストにこだわる必要はないのでは?」と
さらに尋ねると「それだと成績をつけるのが面倒だ」と言われました。
単元のテーマを教師が決めるのは仕方ないと、1時間くらいいろんな先生に
2)『子供の夢を奪う学校』の動画を見た感想
まず動画を見終わった後、自分は何のために学校に行っていたのかを考えました。
小学校のときは、親に怒られるから。行くのが当たり前だから。給食がおいしいから。
友だちがいるから。
高校のときは大学に行くため。友だちや恋人がいるから。家にいても暇だから。
振り返って気づいたのは、勉強が楽しいからというのがなかったことです。
それに気づくのに半日かかりました
学校で何か面白さや楽しさを期待したときは行事があるときや、部活動。あとは友だちとなにか個別でプロジェクトをやった時でした。小学校のとき縄文時代について学んだとき校庭からもしかしたら土器が出るかもしれないと、1カ月間友達と掘り続けたときは
赴任する学校で、あるクラスで男性教諭が
「自由というのはルールという枠のなかで自分のしたいことをやること。
動画のゴーディン氏が言うように、何も考えない/考えさせない。
先生(教科書)がやると言った内容を、言われた方法で、言われたとおりに解決して。
従順な機械をつくるように。その証拠にノートに書かれてあることはみんな同じ。
まるで囚人のようでした。
私は以前、教科書を執筆に携わった元教師の女性にインタビューをしたことがあります。その先生は教科書を書いて少しでも他の教師の助けになればという思いが一番であると言っていました。
また「教科書を教えるのではなく、一人ひとりの児童の『はてな?』に寄り添い、一人ひとりの色(解釈)を全体につなげてあげてほしい」とも言っていました。はじめは一種の呪いのようなものだと思っていましたが、長い教師人生を歩んで来た先駆者の祈りだったと気づきました。問題はそれに甘えている現教師です。
でもそれを変えるにはどうやら教科書を使った授業で一人前になる必要があるみたいです。ベテラン教師から「やりたいことをやるにはそれ相応の教師になってからにしなさい」とアドバイスされました。私はその「やりたい」の主語は児童であってもと尋ねたところ、話をかわされてしまいました。
やはり長年つづく学校の伝統のような学びのスタイルを変えるつもりはないようです。
「現副校長は教科書をベースに、プラスアルファで教えるなら良し」と話されていました。
教科書はやはり神様のようです。
2019年3月24日日曜日
「教科書を教える」は、誰にとってもよくない!
2013年9月22日日曜日
教科書の+面と-面
<メルマガからの続き>
少なく見積もっても、マイナスがプラスを5倍ぐらい(ひょっとすると10倍以上)上回ると思いませんか?
2020年2月23日日曜日
『教科書をハックする』
彼女は本書のなかで次のように書いています。
2024年11月23日土曜日
授業のあり方を見直す
少し前になりますが、今年の9月23日付の『読売新聞』に、「デジタル教科書 巨額予算推進ありき」という記事が掲載されました。この記事は、「小中学校で英語を教える教員のうち、授業で紙の教材を使わず、「デジタル教科書」のみ使用している割合は3%にとどまることが財務省の調査でわかった。」で始まっています。続いて、「文部科学省はデジタル教科書の活用拡大を検討しているものの、多くの教員が紙の教科書を支持していることが浮かび上がった。」とあります。この記事の終わりは、「デジタル教科書をもっと活用していく」と文科省は前のめりで、中教審の作業部会も「デジタル推進」を鮮明にしたとまとめられています。★
この記事はいろいろな受けとめ方があると思いますが、ICT活用は何も「デジタル教科書」を使うこととイコールではないはずです。「端末を一人一台」で整備したことは、何も紙の教科書をデジタル教科書に置き換えるためではないわけです。単に端末に置き換えるだけなら、「教科書をカバーする」これまでの授業と全く同じことになってしまいます。
そこで、今回は9月に出版された『一人一台で授業をパワーアップ!』で原著から割愛した第9章の一部を紹介して、ICT教育のあり方を考えたいと思います。
第9章のタイトルは「授業時間を考え直す」です。これまでは「ほとんどの授業は、対面している時間に学習内容を詰め込み(記憶し、理解する)、生徒を家に帰して自分だけで学んだことを練習する(応用する、分析する、評価する、創造する)ように設定されています。」(原著180ページ)という問題意識からスタートします。
「記憶」「理解」「応用」「分析」「評価」「創造」は、「ブルームの改訂された思考の分類法」で取り上げられた6つの思考です。これまでの授業では、思考レベルで言うと、低い方の「記憶」「理解」をもっぱら行い、それ以外の「より高いレベル」の学びを行う時間が確保できないことが多かったわけです。
そこで、「時間管理」の発想を大胆に転換して、「記憶」「理解」を映像コンテンツなどのその取扱い方を事前に指導した上で生徒に預け、家庭で学習してきてもらう方法が考え出されました。そして、家庭学習の翌日以降の授業では「応用」「分析」などの「より高いレベル」の思考を扱うという「反転授業」が生まれたわけです。
この点を『一人一台で授業をパワーアップ!』では次のような例とともに、紹介しています。
「国語の授業では、ライティングの指導をすべてオンラインで見られる動画などに移し、すべての作品づくりと編集(修正と校正)を授業の中心に置き換えました。教師がガイドする演習が授業時間内で行われ、指導の一部が宿題として課されるこの指導法は、反転授業またはブレンディッド学習★★と呼ばれています。」(原著178ページ)
ライティングの指導に当たり、作品づくりやその編集作業を授業の中心にすえるために、「記憶」「理解」にあたる部分を「動画」の視聴で行ったわけです。これによって、「評価」「創造」まで含めた高次の思考を実現する授業となりました。その点を著者は次のように述べています。
「講義ベースの指導を教室の外に移したことによって、生徒が互いに協力し合い、学習を創造的に応用するダイナミックな活動を行う時間が増えます。その結果として、私の役割がよく言われる「舞台上の賢者」から、夢であった「脇役のガイド」という立場に明確に変わったことをとても好ましく思っています。」(原著178ページ)
教師が「舞台上の賢者」として、授業の中心になってしまう従来の授業スタイルではなく、「脇役のガイド」という立場になり、まさに「生徒が主役の授業」が実現したわけです。さらに著者は次のように続けます。
「適切なタイミングで適切な指導を提供できる私の経験は、ブレンディッド指導の利点の一つであり、一人一台端末で得られる贈り物の一つです。私の授業計画は、授業時間の開始時と終了時のベルによって決まるのではなく、生徒のニーズに耳を傾け、それに応じて計画を立てられる自由がありました。このやり方は、これまでとは異なる新しい時間管理の方法です。」(原著179ページ)
まさにここで述べられていることが「一人一台端末」の良さです。単に教科書の知識をドリルするための使い方ではなく、「記憶」「理解」レベルを超え、最も求められている高度な「思考力」を鍛える方法がここにあります。さらに著者はこう続けます。
「一人一台端末によって教室を変革できるようになると、過去に教えることと学ぶことを束縛していた同じ時間というルールに従う必要がなくなりました。単に一連の授業の次の時間だから、あるいは生徒と一日に五〇分しか会わないからという理由だけで、学習活動を計画するのに何日もかける必要はなくなったのです。むしろ、授業の内外で行う学習経験の種類を融合し、「学校の勉強」と「宿題(家庭での学習)」の境界をあいまいにすることで、限られた対面の時間を最大限に活用して本当に教師のサポートと仲間の協力を必要とする授業を行うことができます。」(原著179ページ)
コロナ禍を経験する中で、私たちは「対面授業」と「オンライン授業」のそれぞれの意義を確認しました。限られた「対面授業」の中に、何を指導内容として盛り込むのか、これをもう一度考える必要がありそうです。
また、反転授業にしろ、ブレンディッド学習にしろ、事前に動画などの学習題材を用意する必要があります。授業改善をしたくても、このような資料をつくる時間がないと言われるかもしれません。その問いに対する答えとして、著者は「徐々に」と書いています。いきなりすべての単元の資料を用意することは不可能ですが、最初は一つ、次の学期は一つと増やしていくことは可能です。同時に、校内の同僚や地区の先生方と協働で作成していくことも考えられます。こうした学びのネットワークの大切さは、このブログでもたびたび強調されているところですので、ぜひそうしたつながりを積極的につくっていくことが大切です。
教職を志望する学生が減少し、さまざまな困難が押し寄せている学校において、こうした取組が一筋の光明になるものと思います。
★今年度は小学5年から中学3年までの英語と算数・数学の一部で本格導入が始まりました。
★★集団と個別、オンラインとオフライン、インプットとアウトプットなどの形式から、あるいはテキストや動画などのコンテンツまで、さまざまな学習要素を組み合わせて行う学習です。


