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2017年7月2日日曜日

教科書とカリキュラムづくり


■教科書の進化

 日本の公立学校では、教科の学習・授業において、文部科学省検定済みの「教科書」を使用しています。現在の教科書は、30年前、40年前と比べると印刷もフルカラーになり、写真や図表もふんだんに掲載され、記述内容も詳しく、読みやすく書かれています。学習課題あるいは学習問題も囲みで示されています。学んだ内容に興味関心をもった子どもたちに応じるために、本の紹介や発展的な内容の読み物資料なども掲載されています。また、社会科や理科などでは、子どもたち自身が疑問に思ったことを自分たちの学習問題(問い)として、それを解決するための学習計画・調査計画・実験計画を立てて、探究学習を進めていく単元が設定されているものもあります。さらに、4年生で学習する消防署や浄水場、クリーンセンターなどの社会科見学と国語の新聞づくりの学習とが関連づけられているなど、横断的な学習、いわゆるクロス・カリキュラムも考慮されています。至れり尽くせりといった感があります。 

 このように、教科書は子どもたちの学びを、さらに教師の学習指導を強力に支援してくれるもの・道具に変わってきているようにも感じられます。 

しかし、教科書は、教科書会社(出版社)が執筆者とともに全国どこの地域でも使えるように作成したものです。いわば「レディメイド」であって、目の前の子どもたちに合わせて作成された「オーダーメイド」ではありません。まして、それぞれの学校の子どもの実態を考慮して、先生方自身が教科書を選択したわけではなく、いくつかの市区町村が集まって一括して採択されたものなのです。 

教科書が進化したぶん、先生方が目の前の子どもたちの実態・学習状況(興味関心やレディネス、学習スタイル、学習スピード、才能などの違い)に応じた「学習指導計画づくり・カリキュラムづくり」という教師本来の創造的・魅力的でやりがいのあることから、手を放してしまっているように思えてなりません。 

 教科書は、学習指導のための一つの資料にしか過ぎないはずなのに、私が知る範囲ですが、多くの先生方は教科書に書かれている内容を、教科書を使って教えています。先生方は、なぜ、創造的・魅力的でやりがいのある「カリキュラムづくり」に取り組まなくなったのでしょうか。教科書が進化したからでしょうか。 

■カリキュラムづくりを阻むもの

 教師自身によるカリキュラムづくりの前に立ちはだかる大きな壁は、次の3つだと考えています。

1.学校現場の多忙化

2.カリキュラムづくりという学校文化そのものの希薄化

3.目の前の子どもを中心に据えたカリキュラムづくりという視点の欠如 

 6月4日のPLC便りでも書いたとおり、てんこ盛りの状態の次期学習指導要領の移行期に向けて、学校現場は、多くの教育課題を解決するために多忙を極めています。

特に、小学校は、一人の学級担任が、国語、社会、算数、理科、生活、音楽、図画工作、家庭、体育、学級活動、道徳、外国語活動(英語)、総合的な学習の時間と、10教科以上の学習指導を行わなくてはなりません。これら、すべてについて、一人でカリキュラムづくりを行うのは、至難の業といえるかもしれません。中学校は、いじめの予防・克服など生徒指導や部活動の指導にエネルギーを注ぎ、教師の本務である学習指導・授業改善は二の次になりがちです。 

教科書が現在のように進化していなかった30年・40年前頃は、目の前の子どもの実態に応じたカリキュラムをつくることそのものが、「学校文化・教師文化」として存在していました。私も当時の校長先生から「授業は、教科書(教科書に書かれている内容)を教えるのではなく、教科書で教える(教科書を活用して教える)。教科書は、学習指導・授業の一つの資料に過ぎない。」「教科書どおりに授業を進めるのではなく、目の前の子どもたちの思考に沿った単元の学習指導計画になるよう工夫しなさい。」と言われたことを覚えています。 

しかし、現在は、この当たり前だったカリキュラムづくりという学校文化・教師文化が希薄になってきているように感じられます。教科書がなく学校独自のカリキュラムを作る必要のあった「総合的な学習の時間」が削減された頃を境にして、教育委員会も、カリキュラムづくりの重要性をあまり強調しなくなりました。このため、都市部を中心に急速に増えている若い先生方の間で、カリキュラムづくりの重要性や進め方を知らない人たちが増えつつあるのです。 

そして、最も本質的な問題をはらんでいるのが3つ目の壁です。「目の前の子どもたちを中心に据えること」を忘れたカリキュラムづくりは、子どもたち一人ひとりの主体的な学びの実現にとって致命的です。教科書の最大の問題点は、ここにあるのです。 

■目の前の子どもたちを中心に据えたカリキュラムづくりを!!

 教師主導の授業を行うための教師側に立ったカリキュラムづくりではなく、目の前の子どもたち一人一人が「学びの主体者」として学習・成長していくことを第一に考えたカリキュラムづくりを進めていきたいものです。その実現のために参考になるのが、以下の3冊です。 

1.『たった一つを変えるだけ~クラスも教師も自立する「質問づくり」~』ダン・ロスステイン&ルース・サンタナ(著),吉田新一郎(訳)[新評論]

2.『ようこそ、一人ひとりをいかす教室へ ―「違い」を力に変える学び方・教え方―』C.A.トムリンソン(著),山崎敬人・山元隆春・吉田新一郎(訳)[北大路書房]


1と2は、これまでPLC便りで何回も紹介されてきたものです。目の前の子どもたちを中心に据えたカリキュラムづくりを進めていく際、具体的な実践例が示されていて、とても役に立ちます。特に1は、教師による「教える」授業から、子どもたちの「問い」を出発点とした子ども主体の「学ぶ」授業へ、授業観の転換が図れる刺激的な内容です。3では、「逆向き設計」論 ★とそれを教科や総合的な学習において、具体的にどう活かして子どもたち主体の探究的な学習を創造していくかについて、実践例とともに詳述されています。 



★ 「逆向き設計」論では、 (1) 学習の修了時をイメージして「求められている結果(目標)を明確にする」→ (2)「承認できる証拠(評価方法)を決定する」→ (3)「学習経験と指導(学習・授業の進め方)を計画する」というように、学習・授業によって最終的にもたらされる結果・ゴール・目標から遡って学習・授業を設計することを主張しています。また、「逆向き設計」論では、「本質的な問い」「永続的理解(原理と一般化)」「(永続的理解を促進し評価するための)パフォーマンス課題 ★★」「パフォーマンス評価のためのルーブリック(評価指標)づくり」「ポートフォリオ評価法」が、カリキュラムづくりのための重要な要素となっています。


★★ 多くのパフォーマンス課題では、「作家の時間」や「読書家の時間」と同じように、新聞記者になって特集記事を書いたり、科学者になって実験計画を立てたり、国会議員になって経済政策を提言したりするなど、「○○になるアプローチ」が採用されています。

2020年3月1日日曜日

教科書がテーマの本の新刊案内


 「学校での授業」と聞いたら、あなたは何を一番に思いつきますか?
・兵隊さん並びの机とそこに座る生徒たち?
・教科書?
・時間割?

 他に何を思いついたか、ぜひ教えてください!(pro.workshop@gmail.com宛に)
 これらは、21世紀のいまとなってはすべてハック(改良・改善)を要することばかりです。(残念ながら、文科省や教育委員会をはじめ教育に関わる人で、このことを意識している人はまだほとんどいません!)
 https://projectbetterschool.blogspot.com/2019/10/vs.html で紹介した図をもう一度見ていただくと、明らかです。いつまで左側を学校や大学でやり続けたら気が済むのでしょうか?

 また、まだしたことがない方は、「教科書があることのプラス面とマイナス面」というテーマでブレインストーミングをしてみてください。私自身、10年近く前に自分でし、そして10人以上の先生たちにも協力してやってもらいました。その結果は、プラス面を出せた人はあまりおらず、マイナス面の方がかなり多かったです。(教育の名のもとに行われている多くのことで、このような実態のものがいかに多いかを、この簡単な方法が明らかにしてくれます! ぜひ、いろいろなテーマで試してみてください。そして、その結果を教えてください。)
 その時は、残念ながら、その先には進めませんでしたが、教科書との関係を何とかしなければ、という気持ちを引きずっていたのが、今週売り出される『教科書をハックする~21世紀の学びを実現する授業のつくり方』につながったわけです。

 本は、まさに生徒たちが退屈し、主体的にはなれない授業から脱して、自立した学び手になるために練習する授業のあり方を具体的に提示してくれています。(ある意味では、図の右側を実現するための方法を具体的に書いている本、と位置づけられます!)

 ここでは、先週の「PLC便り」や、金曜日の「RW/WW便り」(http://wwletter.blogspot.com/2020/02/blog-post_28.html)とは違った点にフォーカスして紹介します。(第7章の「テキストセットで本物の学び」★と第8章の「教科書をハックすることでワクワクする学びを実現する」の二つです。)

 第7章は、次のような文章ではじまります。


 これは、あなたの予想をはるかに超えた教科書批判に聞こえますか? 残念ながら、教師が教科書をカバーすることに頭がいってしまうと、学びは飛んで消えてしまうからです。思い出してください、自分の生徒・学生時代を! 教師や教授たちは、がんばって教科書やシラバスをカバーしてくれましたが、どれだけのものが残っている/身についているでしょうか?

 一冊の教科書(あるいは、一つの教材や指導案)が、教室にいる全生徒に等しく適切に受け入れられないことは、教師なら誰もが知っています。多い場合でも半数ぐらいで、時には1~2割でしかないことも。

 『教科書をハックする』の著者は、この問題を乗り越えるための方法として、テキストセットを提案しています。その中に含まれるのは、表7-1に示されているように極めて多様です。21世紀の学びに適していると思われませんか?(それに対して、教科書に固執するのは、20世紀というよりも、19世紀の教え方・学び方です!)

 もちろん最初からこれらすべてをすべての単元で用意する必要はありません! 教師が(可能なら同僚や司書等の協力を得ながら)自分がいいと思う内容のものを徐々に集めていけばいいのです。いいところ、年に2つ、3つの単元というところでしょうか?

 第8章では、教科書を唯一のテキストとして使うことから解放された、いくつかの学校が紹介されています。その中心は、探究学習です。(それは、「学校 vs 学校外の学び」の表からも明らかです! 特に一番最後。)

 294ページに、次のように書かれています。

探究学習に取り組むたくさんのモデルがありますが、簡潔で実行可能なプロセスのモデルを作成している研究者もいます。
・熱中する――好奇心を呼び起こし、背景を築き、テーマを見つけ、不思議に思う。
・探究する――質問を考え、情報を検索し、答えを発見する。
・合体する――研究を強化し、情報を統合し、そして知識をつくり出す。
・発表する――学習を共有し、理解を示し、行動を起こす。[参考文献57]

明らかに、教科書のある章から次の章に移動するときに探究に取り組むことは不可能です。しかしながら、教科書の情報をほかの情報源と一緒に使うことが探究プロジェクトの基礎を間違いなくつくります。

 このことから、20年前に導入された(しかしいまは、風前の灯火の感が否めませんが!)総合的な学習も、的外れではなかったことが分かります。ただ、文科省や教育委員会が、それを実施する先生たちに、ちゃんとした情報提供と「それ」が何かを理解してもらい、実践するためのサポート★★を提供できなかっただけです。(20年後のいま、同じことが「探究学習」で起ころうとしています! 私たちは、過去の歴史と海外の取り組み★★★から学ぶことができるでしょうか?)

●「PLC便り」の読者への割引情報
定価   2640円のところ、
1~2冊は2400円(税・送料サービス)、
3冊以上は2200円(税・送料サービス・宅配便での発送)

ご希望の方は、①冊数、②名前、③住所(〒)、④電話番号を 
pro.workshop@gmail.com  宛にお知らせください。

※ 1~2冊の場合は、送料を抑えるために割安宅配便を使っているため、到着に若干の遅れが 出ることがありますので、予めご理解ください。

★このタイトルから分かるように、教科書での学びは「偽物」であることが伺えます。「学校ごっこ」や「正解あてっこゲーム」ばかりが横行してしまいますから。

★★サポート/フォローアップなしの研修は、何もやらないのと同じです(というか時間と予算の無駄遣いなので、やらない方がいいです)!!

★★★本ブログで紹介してきた、『だれもが科学者になれる! ~ 探究力を育む理科の授業』『PBL ~ 学びの可能性をひらく授業づくり』『たった一つを変えるだけ』『教科書では学べない数学的思考』『イン・ザ・ミドル』、そして今月末に出る『あなたの授業が子どもと世界を変える: エンパワーメントのチカラ』も、すべて探究学習を可能にするための本です。

2015年4月19日日曜日

教科書 = カリキュラム ?

これまでに、このブログで「カリキュラム」をテーマに何回も書いてきました。

ある意味で、それこそが教師にとってもっとも大切なものだと思っているからです。
と同時に、これこそが日本の教育で弱い部分ではないかと思っているからです。

しかし、
「現 実的に、わたしにとってのカリキュラムは、すでにもう決められてあるものです。どの学校でもそうですが、学年ごとに指導要領と教科書をベースに年間に学習 内容を割り振り、立てた年間計画になります。このカリキュラムは、個人で変えられるものではなく、学校で定めて、当該学年はどのクラスも同じく実行するも のです」

このカリキュラム観をもっている先生が圧倒的だと思います。99%?


私が教育に関わり始めた1980年代の初頭、オーストラリアの指導主事は、「教科書の位置づけは、自分でカリキュラムをつくる能力のない教師のためにあります」と言っていました。
「目の前にいる子どもたちと教えるべき内容や入手できる学習材等を踏まえて、ベストのプログラムを考えるのが教師の仕事で、教科書をカバーする教師は、残念ながら子どもたちがよく学べる授業をできない先生たちだ」とも。
スッキリしますね。

(以前にも紹介した教科調査官と私とのやりとりです)
1980 年代の末、高校の世界史担当の教科調査官は、「いっこうに“フランス革命はいつ始まって、いつ終わったのか”という一つの問いで、年間教えていただいても 結構です」と言い切っていました。もちろん、本人が書いた手前、「学習指導要領に書いてあることを、すべて押さえてくれれば」ですが。

それを受けての私の質問: そんな授業をつくれる教師は日本にいるんですか?
教科調査官: いないでしょうね。
私: できるようになるのですか?
教科調査官: 無理でしょうね。養成過程でも、現職研修でも、教師にカリキュラム開発能力を身につける、という視点が丸ごと欠けていますから。
私: それが分かっていて、文科省は何もやる気がないのですか?
教科調査官: 越権行為になってしまいますから。養成過程は大学の、現職研修は都道府県の教育委員会の役割です。
私: そうなると、いつまでたっても教科書をカバーする授業が続くわけですね?
教科調査官: まあ、そういうことです。

なんという理想と現実のギャップ!!


教育公務員である教師は、学習指導要領を押さえる義務はあっても、教科書をカバーする義務はありません。教科書は、欧米と同じで、あくまでも「主たる教材」でしかありません。しかし、いつのまにか「学習指導要領=教科書」になっています。
マスコミが、それを煽動しています。官僚等とグルになって??

でも、上の教科調査官の言っていたこととは大きなズレがあると思いませんか?
(それとも、教科調査官は、単に「本音と建前」を使い分けていただけ?)


年 間計画(カリキュラム)は、学校レベルで決定できるのですが、実際にしていることは、学習指導要領はほとんど見ないで、教科書会社が作ってくれている年間 計画を教育委員会に提出して、教科書どおりに授業をするという例年通りのお決まりのパターンを繰り返すだけと思います。
子どもたちが主体的に学べるか、ということはあまり気にもせずに。
親たちも、教科書どおりの授業をしてくれているのかは気にしていますから。


次の2つについて
・カリキュラムは、個人で変えられるものではなく
・当該学年はどのクラスも同じく実行するもの
どう思われますか?

教師が主体的に教えるという考え方をどう思いますか?
教師がお付き合いで(仕方なく)教えていたら、それは間違いなく子どもたちに伝わってしまいます。
教師がワクワクしないで教えていて、いいのでしょうか?
ワクワクよりも、教科書をカバーする方が大事なのではないでしょうか?

学習指導要領を押さえるのでいいなら、上記の教科調査官が言っていたように、教師も(そして子どもたちも)ワクワクする授業はいくらでも作り出せます。
でも、それが教科書をカバーする授業になってしまうと、面白いワクワクする授業からは遠ざかってしまいます。暗記することが中心になってしまいかねません。

選択は、誰にありますか?

2019年3月17日日曜日

どちらが現実? 枠を外す方向、それとも締め付けを厳しくする方向?


最近、千代田区立麹町中学校や田谷区立桜丘中学校の(校長先生たちの)取り組みが脚光を浴びていますが、全体的には学校・授業・教師への締め付けがより一層厳しくなっています。

来月から小学校の先生になる大学生とメールでやり取りした内容を紹介します。(まずは、彼の私の質問への回答から。)

1) カリキュラムに関して
確かに、カリキュラムを自分で作る経験はほぼゼロに近いです。
大学でも実践的な学びを提供してくれるものはありませんでした。
その理由として教科書に管理されているというのが大きいです。
来年度から赴任する都内の某小学校でも
ボランティアをして見てみるとほぼ教科書会社が作った
カリキュラムをなぞっているように感じます。
社会科においてはタブレットが1人1台ありますがほぼ教科書をなぞって
教えていました。ベテランの先生に
「どこまで児童に学びの内容を譲れるか?」と尋ねたところ
「百歩譲っても、テーマは教師が決める。その中で児童の興味や疑問を
もとに授業をつくるのは可能だ。でもそれだとテストは悲惨になる」
と話されていました。私は「そのテストにこだわる必要はないのでは?」と
さらに尋ねると「それだと成績をつけるのが面倒だ」と言われました。
単元のテーマを教師が決めるのは仕方ないと、1時間くらいいろんな先生に
説得されて、はやくも釘を打たれている気分でした。

2)『子供の夢を奪う学校』の動画を見た感想
まず動画を見終わった後、自分は何のために学校に行っていたのかを考えました。
小学校のときは、親に怒られるから。行くのが当たり前だから。給食がおいしいから。
友だちがいるから。
中学校のときは部活が楽しいから。給食がおいしいから。親が悲しむから。
高校のときは大学に行くため。友だちや恋人がいるから。家にいても暇だから。
振り返って気づいたのは、勉強が楽しいからというのがなかったことです。
それに気づくのに半日かかりました💦
学校で何か面白さや楽しさを期待したときは行事があるときや、部活動。あとは友だちとなにか個別でプロジェクトをやった時でした。小学校のとき縄文時代について学んだとき校庭からもしかしたら土器が出るかもしれないと、1カ月間友達と掘り続けたときは
本当に思い出深いです。そして一カ月かけて土を戻した苦労は今でも鮮明に覚えています。学校はたしかに管理するためという理由で、児童の自由を制限しています。
赴任する学校で、あるクラスで男性教諭が
「自由というのはルールという枠のなかで自分のしたいことをやること。
その枠をこえた自由は単なるわがままだ」と話されていました。
すると女子児童が「その枠は自分たちで決めていいですか?」と尋ねると
「それを許したら無法地帯になるから、基本は自分たち(教師)が決める」と答えていました。児童の『色』が無くなっていくのが見えました。
動画のゴーディン氏が言うように、何も考えない/考えさせない。
先生(教科書)がやると言った内容を、言われた方法で、言われたとおりに解決して。
従順な機械をつくるように。その証拠にノートに書かれてあることはみんな同じ。
まるで囚人のようでした。

3)教科書ベースの社会科で「自立した(自分で考えて行動できる)市民」を育てることは可能でしょうか? という質問に関しては、
私は以前、教科書を執筆に携わった元教師の女性にインタビューをしたことがあります。その先生は教科書を書いて少しでも他の教師の助けになればという思いが一番であると言っていました。
また「教科書を教えるのではなく、一人ひとりの児童の『はてな?』に寄り添い、一人ひとりの色(解釈)を全体につなげてあげてほしい」とも言っていました。はじめは一種の呪いのようなものだと思っていましたが、長い教師人生を歩んで来た先駆者の祈りだったと気づきました。問題はそれに甘えている現教師です。
でもそれを変えるにはどうやら教科書を使った授業で一人前になる必要があるみたいです。ベテラン教師から「やりたいことをやるにはそれ相応の教師になってからにしなさい」とアドバイスされました。私はその「やりたい」の主語は児童であってもと尋ねたところ、話をかわされてしまいました。
やはり長年つづく学校の伝統のような学びのスタイルを変えるつもりはないようです。
「現副校長は教科書をベースに、プラスアルファで教えるなら良し」と話されていました。
教科書はやはり神様のようです。
◆

以上は、この4月から教師になる学生の発言でした。
以上の3つは、このブログで継続して扱ってきたテーマです。
あなたは、「教科書は神様」を受け入れてしまいますか?

私からの学生さんへのフィードバックは(これまでのPLC便りの書き込みを紹介する形で)、以下のようなものでした。

1)カリキュラムについては、

2)『子供の夢を奪う学校』+「教師の夢を奪う学校」ついては、ぜひhttps://projectbetterschool.blogspot.com/2012/04/blog-post_29.html を読んでいただいて、蛾にならずに、蝶でい続けてください。

3)「教科書は神様」を受け入れてしまっては、●●さんの生徒・学生時代を拡大再生産するだけになってしまいます! 面白くない授業/何も記憶に残らない授業が確約されていますから。そんなことのために生徒・学生時代を過ごしたいとは、誰も思っていないはずです。

教師には、選択があります。(というか、意識するしないに関わらず、常に選択をしています。)
教科書通りに面白くない授業をやり続けるのか、それとも子どもたちがワクワクする授業をして結果的に教科書の内容をすべて押さえるのかの。
『読書家の時間』の年間計画の章を、もう一度読み直してみてください。
『一人ひとりをいかす評価』と『ようこそ、一人ひとりをいかす教室へ』もおすすめです。

2019年3月24日日曜日

「教科書を教える」は、誰にとってもよくない!


直近のPLC便りとRW/WW便りの両方で、「教科書は神様」(カリキュラムの捉え方)についての記事を書きました。しかし、「教科書を教える」ことに満足感が得られない/疑問に思っている教師は多くいます。
単に教科書をカバーするだけの退屈で誰も受けたいとは思えない授業ではなくて、生徒たちはもちろん、教師もワクワクできる授業をしたいと思っている授業をしたいからです。それは、教師も自立する授業であり、教師の仕事をクリエイティブなものにする授業でもあります。(さらには、隠れたカリキュラム★としての「従順、服従、忖度」などから脱する授業です!)
そのような授業をつくり出し、実践するための具体的な情報が詰まっている本が、先週15日に発売が開始された『シンプルな方法で学校は変わる』なので、まだ読まれていない方はぜひ参考にしてください。

 この本は、「教科書を教える(カリキュラムの捉え方)」問題に特化しているわけではありませんが、現場の教師にとっては大きな問題なので、この点に即して紹介します。
 まず何よりも、文科省が求める「主体的・対話的で深い学び(アクティブ・. ラーニング)」★★を授業で実践するための具体的な事例が多様に紹介されています。それらは、「生徒たちはもちろん、教師もワクワクできる授業であり、教師がクリエイティブになれる授業」です。しかも、「これをしなければならならない」という形ではなくて、「自分はこれならやりたい/やれる」と思えるものを選べる形で提供されています。そしてそれらの方法はすべて、「学びの原則」をおさえた授業であることが明らかにされています(102~104ページ)。
 具体的に紹介されているのは、チーム学習(=協同/協働学習)、テーマワーク(=プロジェクト学習、PBL)、ワークショップ、マルチ能力、思考法を核にした教え方、異学年の学び合い、本当の仕事を使った学習、インターンシップ(=サービス・ラーニング)、授業の展開の前に評価の方法や基準を考える「逆さまデザイン」などです。(他の章は、平均30ページなのに対して、この章のみ約倍のページ数で手厚く紹介しています。)

 以上の教科書を教える/カリキュラムに関連する内容以外に、学校をよくしていくための多様なアプローチが紹介されています。たとえば、
・「指導と評価の一体化」も文科省は2000年前後に唱え始めましたが、残念ながら唱え始めた人たちも、多くの教師も具体的にどうすればそれが実現されるのか分からない状態が続いていますが、実現するための方法を選択できる形で紹介されています。
・教師はすでに十分に忙しすぎます(もちろん、忙しさの質を改善する余地はいくらでもありますが!)。教育の当事者である子どもたち当人や、子どもたちの教育に対して一番の責任をもっている保護者に、もっと活躍してもらう方法もたくさん紹介されています。
・学校/教育にまつわる制度・仕組み・ハードは、https://youtu.be/TPYYOJFwfw8?t=4
を見ていただければ明快なように、長年変わっていません。これは、教育システムがその主役であるはずの子どもたちをいったいどう捉えているかが反映されています。規則、教室というスペース、時間割、図書室を含めて何を情報源として学び★★★、学んだことをどう発信したり表現したりするのか等についても、提案されています。図書室も含めた情報源に関しては、このインターネットの時代に、いまだに教科書のみに限定しては、21世紀を生きる子どもたちのために教育を行っているとは言えません!
そして何よりも、
・教師が学び続けるための仕組みや方法です。「学び手中心ないし主体の学校や授業づくり」と言ったときに欠かせないのは、楽しく学び続ける存在としての教師だからです。これまでの研修・研究の枠から解放されることが求められています! それこそが本ブログのテーマであり、教師が継続的に学んでいれば、「教科書を教える」問題は起こり得るはずもありません! 学び続けている教師は教科書をカバーする授業で満足できませんから。


★隠れたカリキュラムも含めて、カリキュラムについての捉え方および作り方について興味のある方は、いい学校や教室や授業のつくり方を書いている『いい学校の選び方』(中公新書)の126~155ページが参考になります。
★★この言葉は2012年に文科省が使い始めたとされています。この本の初版はその5年前に出版されています。しかも、その後に起きた「アクティブ・ラーニング」ブームでは、この本で大事にされている点の多くが理解されないまま(ということは、実践されないまま)の状態が続いています。その理由のかなりの部分は「学びの原則」を無視し続けていることによります。
★★★「しかし、教科書をカバーし、その中にあることをひたすら暗記し続けるのか、それとも、子どもたちが興味・関心の持てる「本物」や自分が選んだ学習材を使って学ぶのかでは、身につくものが確実に違ってしまうのではないでしょうか。教科書は、あくまでも結果的にカバーされるべき内容の「一つの案」が書き記されているだけです。それにこだわる必要性はどこにもありません。おさえるべきは指導要領であって、教科書ではないのですから。文部科学省や教育委員会は、はっきりそのことを教師や親に伝えるべきです。曖昧な状態が続いているので、「基礎・基本」の名の下に、退屈でおもしろくない、テストが終わったらほとんどすべてを忘れる授業を続けざるを得ない状況が続いています。それは、教師にとっても、生徒たちにとっても、社会全体にとっても不幸なことです。費やしている時間のほとんどが無に帰すのですから。それは、教科書中心の授業が続く限りは約束されています。教科書とは、所詮そのレベルのものでしかありません。」(『シンプルな方法で学校は変わる』の「図書室を学びの基点に」239~240ページより)

2013年9月22日日曜日

教科書の+面と-面

9月8日の2番目の問いは、「教科書があること(教科書をカバーする授業をし続けること)のプラス面とマイナス面」でした。
そんなこと、これまでに考えたことありましたか?

教科書信仰が根深い日本では、そういう問い自体浮かべてはいけない状態が続いているかもしれません。

しかし、子どもたちの学び=カリキュラム開発という視点に立つと、避けて通れない大きな課題です。教科書と授業が一体のものとなっている限り、大半の子どもたちはよく学べない状態が続くことが約束されていますから。(皆さん自身の小学校~高校時代の記憶に照らし合わせても、そうなのではないでしょうか? 少なくとも、私はそうでした! 単に暗記しては、忘れるものでしかありませんでしたから。それが、勉強/学習では、勉強/学習がかわいそうです。)

 以下は、私が考えたリストです。
 賛成できるものも、できないものも含まれているかもしれません。
 加えられるものや異論がありましたら、ぜひ教えてください。

 どういうわけか、マイナス面はどんどん挙がりましたが、プラス面を挙げるのはしんどかったです。したがって、リストを増やすためにできるだけ「プラス面」は広範に捉えました。


  <メルマガからの続き>



教科書のプラス面

・あたかも、それをしていれば子ども達は学べるような錯覚を起こせる
・教師は当然教えた気になれる
・「すべて正解が書いてあるもの」(百科事典に近い存在)
・その教科のエキスパートの論理で書かれている(パソコンのマニュアルのように)
・準備しなくても(指導書がついているので)教えられる
・他の本や資料を探す必要がない
・ダメな教師ほど助かる?!
・同僚(隣のクラス)との差が生まれにくい
・文科省がお墨付きを出したものなので、これだけしていれば安心!
・それを受けて教育委員会もお墨付きを出したものなので、安心
・本来は各学校レベルで教育課程編成を行うことになっているが、教科書会社が懇切丁寧に用意してくれるので、自分たちでゼロから創る必要がない
・それにあわせた市販テストもたくさん作られているので、評価もお任せできる
・写真やイラストや多色刷りなどで、魅力度はアップしている (しかし、内容がよくなっているかといえば・・・)
・文科省や教育委員会が、何をどう教えるか管理しやすい (←マイナス面?)
・保護者も、マスコミも安心する
・勉強の目的を、教科書をカバーすることで統一しやすい?


教科書のマイナス面

・教科書で学べる子もいるが、そうでない子もいる(おそらく大半)
・目の前の子どもたちを知らない人たちが書いているものなので、書かれていることや教材と子どもたちがマッチングしないこともある(が多い)
・掲げられている諸目標が達成されるかは、これまでの実績からははなはだ疑問
・正解が書いてあるので、それを覚えることが勉強となり、主体的に自分で探り出す学習ができなくなる →「思考停止」状態
・理科なら科学者になる体験、歴史なら歴史家になる体験、数学なら数学者になる体験を阻み、素人とエキスパートのギャップをそのままにすることになりがち。(=テストでは点が取れても、わからない状態)
・生徒がよく学べるために欠かせない主体的に考える、質問する、探究する、応用するといった要素が極めて弱い
・必ずしも、「人間はどう学ぶのが効果的か」に基づいて書かれているものとは言えない → 教えること/学ぶことに対する誤解に基づいた産物
・教科書に書いてあることをなぞる単調な一斉授業になりがち
・「自立的な学び手」を育てるのとは反対のベクトルが働いている
・教師が学び続けることを妨げる → 出版界で一番本を読まない人種は教師、ということになる
・教師の創造性やチャレンジ精神を奪っている
・一番努力しない教師のレベルに合わせることになりがち(?)
・教師には、カバーしなければいけないもの、という義務感を生む
・選択がない (教師にとっても、子どもたちにとっても)
・教師にとって欠かしてはいけないカリキュラム作成能力を育てない/奪い去る媒体になっている
・教師、学校関係者から、自主性や創造力を奪っている
・カリキュラム、教え方(指導書)、評価も、すべて他人任せになる
・教科書の存在が、学ぶことの楽しさを制約していることは否定できない
・管理されやすい人間をつくり出す媒体になっている
・安心することと、学びの質と量の確保はまったく別物
・知識以上に大切な「考える習慣」やライフスキルを忘れさせる
・主役が教科書なので、あとはみんな脇役/従属者!


 少なく見積もっても、マイナスがプラスを5倍ぐらい(ひょっとすると10倍以上)上回ると思いませんか?

2020年2月23日日曜日

『教科書をハックする』

まもなく、邦訳『教科書をハックする』(新評論)が発売されます。
この本は、リリア・コセット・レント(ReLeah Cossett Lent)さんによって書かれたものです。彼女は中学・高校での教職経験後、セントラルフロリダ大学のリテラシー・プロジェクト創設メンバーとなり、現在は教育コンサルタントとして、リテラシーから学校や教育委員会の(授業を本質的に変える)実践コミュニティーまでをテーマにワークショップを行っています。
 彼女は本書のなかで次のように書いています。

実際のところ、教科書疲労には「もう教科書にはうんざり」という倦怠感以上のものがあります。それは、教科書や指導案をカリキュラムの手引きとして使うこと、すなわち教科書会社が概要を示した順序と、その提供する活動の両方をロボットのようにただこなすだけというもどかしさです

この「教科書疲労」という言葉は、金属疲労にたとえて彼女が使った造語です。固い金属は壊れるとは思われていませんが、長年使われることで破損する場合があるのと同じく、国が関与して厳重につくられている教科書も「ほころびる」ということを意味しています。この本では、どのようにすれば教科書疲労に対する解毒剤となるように、さまざまな資源とツールを教師と生徒が使いこなして、生徒が積極的に学ぶ意味を感じられるような授業をつくり出せるかを私たちに解き明かしてくれます。

たとえば、第2章の「予備知識」では、予備知識が「すべての学びは、それまでの経験からもたらされる。初めて学ぶことでさえ、これまでの経験と予備知識をもとに行われる」という識者の言葉を引用してその重要性を教えてくれます。そして、どのようにすれば、生徒たちの予備知識を教師が授業前に把握することができるのか、その具体的な方法についても言及しています。「予想の手引き」を作成して、これから学ぶ単元に登場する重要な概念について生徒たちに予想をさせます。この活動によって、生徒たちは興味・関心をもって授業に臨むことができるわけです。

また、生徒たちの予備知識を培う方法として「絵本を利用する」ことを著者は薦めています。なぜ絵本を利用するかという点に関して、著者はある研究者の次のような言葉を引用しています。 

子どもの本として知られる絵本は、小さな子どもたちのためだけにつくられたものではありません。驚くべきことに、1000文字ごとに含まれている難しい言葉の数は、ゴールデンタイムのテレビ番組や大学生の会話以上なのです。 

また、日々の授業のなかで、教科書に登場した語彙を効果的に学ぶためにはどうすればよいか悩んでおられる先生方も多いと思います。そのような問題を解決するために、著者はいくつもの方法を具体例も交えて紹介しています。たとえば、「見える化用紙」(考えることを促進するツールで、図式による表現方法が用いられています)を利用して、視覚的にわかりやすく整理するやり方や、「読み聞かせ」を積極的に利用する方法などを説明してくれています。 

まだまだ紹介しきれないほどの宝の山がこの本のなかにありますので、ぜひ手に取っていただいて、お読みいただくことをお薦めします。

2024年11月23日土曜日

授業のあり方を見直す

 少し前になりますが、今年の9月23日付の『読売新聞』に、「デジタル教科書 巨額予算推進ありき」という記事が掲載されました。この記事は、「小中学校で英語を教える教員のうち、授業で紙の教材を使わず、「デジタル教科書」のみ使用している割合は3%にとどまることが財務省の調査でわかった。」で始まっています。続いて、「文部科学省はデジタル教科書の活用拡大を検討しているものの、多くの教員が紙の教科書を支持していることが浮かび上がった。」とあります。この記事の終わりは、「デジタル教科書をもっと活用していく」と文科省は前のめりで、中教審の作業部会も「デジタル推進」を鮮明にしたとまとめられています。★

 この記事はいろいろな受けとめ方があると思いますが、ICT活用は何も「デジタル教科書」を使うこととイコールではないはずです。「端末を一人一台」で整備したことは、何も紙の教科書をデジタル教科書に置き換えるためではないわけです。単に端末に置き換えるだけなら、「教科書をカバーする」これまでの授業と全く同じことになってしまいます。

 そこで、今回は9月に出版された『一人一台で授業をパワーアップ!』で原著から割愛した第9章の一部を紹介して、ICT教育のあり方を考えたいと思います。

 第9章のタイトルは「授業時間を考え直す」です。これまでは「ほとんどの授業は、対面している時間に学習内容を詰め込み(記憶し、理解する)、生徒を家に帰して自分だけで学んだことを練習する(応用する、分析する、評価する、創造する)ように設定されています。」(原著180ページ)という問題意識からスタートします。

「記憶」「理解」「応用」「分析」「評価」「創造」は、「ブルームの改訂された思考の分類法」で取り上げられた6つの思考です。これまでの授業では、思考レベルで言うと、低い方の「記憶」「理解」をもっぱら行い、それ以外の「より高いレベル」の学びを行う時間が確保できないことが多かったわけです。

そこで、「時間管理」の発想を大胆に転換して、「記憶」「理解」を映像コンテンツなどのその取扱い方を事前に指導した上で生徒に預け、家庭で学習してきてもらう方法が考え出されました。そして、家庭学習の翌日以降の授業では「応用」「分析」などの「より高いレベル」の思考を扱うという「反転授業」が生まれたわけです。

この点を『一人一台で授業をパワーアップ!』では次のような例とともに、紹介しています。

「国語の授業では、ライティングの指導をすべてオンラインで見られる動画などに移し、すべての作品づくりと編集(修正と校正)を授業の中心に置き換えました。教師がガイドする演習が授業時間内で行われ、指導の一部が宿題として課されるこの指導法は、反転授業またはブレンディッド学習★★と呼ばれています。」(原著178ページ)

ライティングの指導に当たり、作品づくりやその編集作業を授業の中心にすえるために、「記憶」「理解」にあたる部分を「動画」の視聴で行ったわけです。これによって、「評価」「創造」まで含めた高次の思考を実現する授業となりました。その点を著者は次のように述べています。

「講義ベースの指導を教室の外に移したことによって、生徒が互いに協力し合い、学習を創造的に応用するダイナミックな活動を行う時間が増えます。その結果として、私の役割がよく言われる「舞台上の賢者」から、夢であった「脇役のガイド」という立場に明確に変わったことをとても好ましく思っています。」(原著178ページ)

 教師が「舞台上の賢者」として、授業の中心になってしまう従来の授業スタイルではなく、「脇役のガイド」という立場になり、まさに「生徒が主役の授業」が実現したわけです。さらに著者は次のように続けます。

「適切なタイミングで適切な指導を提供できる私の経験は、ブレンディッド指導の利点の一つであり、一人一台端末で得られる贈り物の一つです。私の授業計画は、授業時間の開始時と終了時のベルによって決まるのではなく、生徒のニーズに耳を傾け、それに応じて計画を立てられる自由がありました。このやり方は、これまでとは異なる新しい時間管理の方法です。」(原著179ページ)

 まさにここで述べられていることが「一人一台端末」の良さです。単に教科書の知識をドリルするための使い方ではなく、「記憶」「理解」レベルを超え、最も求められている高度な「思考力」を鍛える方法がここにあります。さらに著者はこう続けます。

「一人一台端末によって教室を変革できるようになると、過去に教えることと学ぶことを束縛していた同じ時間というルールに従う必要がなくなりました。単に一連の授業の次の時間だから、あるいは生徒と一日に五〇分しか会わないからという理由だけで、学習活動を計画するのに何日もかける必要はなくなったのです。むしろ、授業の内外で行う学習経験の種類を融合し、「学校の勉強」と「宿題(家庭での学習)」の境界をあいまいにすることで、限られた対面の時間を最大限に活用して本当に教師のサポートと仲間の協力を必要とする授業を行うことができます。」(原著179ページ)

コロナ禍を経験する中で、私たちは「対面授業」と「オンライン授業」のそれぞれの意義を確認しました。限られた「対面授業」の中に、何を指導内容として盛り込むのか、これをもう一度考える必要がありそうです。

また、反転授業にしろ、ブレンディッド学習にしろ、事前に動画などの学習題材を用意する必要があります。授業改善をしたくても、このような資料をつくる時間がないと言われるかもしれません。その問いに対する答えとして、著者は「徐々に」と書いています。いきなりすべての単元の資料を用意することは不可能ですが、最初は一つ、次の学期は一つと増やしていくことは可能です。同時に、校内の同僚や地区の先生方と協働で作成していくことも考えられます。こうした学びのネットワークの大切さは、このブログでもたびたび強調されているところですので、ぜひそうしたつながりを積極的につくっていくことが大切です。

教職を志望する学生が減少し、さまざまな困難が押し寄せている学校において、こうした取組が一筋の光明になるものと思います。

★今年度は小学5年から中学3年までの英語と算数・数学の一部で本格導入が始まりました。

★★集団と個別、オンラインとオフライン、インプットとアウトプットなどの形式から、あるいはテキストや動画などのコンテンツまで、さまざまな学習要素を組み合わせて行う学習です。

2020年5月31日日曜日

語彙の新しい学び方

 最近、知人が新たに学習塾を立ち上げようとしています。私は時々ボランティアとしてお手伝いをしていますが、その塾のスタイルはある会社が制作した学習コンテンツ(小学校から高校まで)を子どもたちにWeb上で学ばせるというものです。
 もちろん基本は塾に通う「通塾スタイル」なのですが、今の感染症対策から自宅でのオンライン学習も認めるようです。感染症対策のなかで、学習塾もしばらく自粛の対象となり、対面授業は中止しているところが多かったので、このオンラインスタイルは需要が結構多いようです。もちろん子どもだけに任せていては、なかなか目標を達成することは難しいので、途中の進行管理は必須です。学び方の多様性については、このブログでもいろいろと取り上げてきましたが、これからは学校の授業もそうですが、このような様々な学びのスタイルがあっていいように思います。
各分野の学びのなかで、「語彙」を学ぶことは基本の一つです。前回も紹介した『教科書をハックする』(新評論/2020)にも、いかに子どもたちに語彙学習を楽しく進めさせるかという章があります。(第3章101ページから138ページ)
そのなかのある節「よい教科書の語彙の使い方」には、次のような一節があります。

 もし、あなたが使っている教科書が複雑すぎて、あなたでさえ二回読まなければ分からないような定義を載せていたり、新しく登場する難しい言葉に説明がなかったり、「たとえ」が提供されていなかったりする場合は、可能ならば教科書を換えるか、補足的な資料をもとにして授業を展開することをおすすめします。理想的と言えるものは、以下のような方法で新出語彙にアプローチしている教科書です。

・語彙を予習し、生徒の予備知識とつなげている。
・生徒になじみやすく語彙を定義している。
・語彙がどのように使われるかという例を載せている。
・章のなかで、違った形で語彙を使っている例を数回以上載せている。

実際問題として、教科書を変更することはできないと思いますので、上記の例にあるような形で補足資料を使いながら、子どもたちが語彙を学ぶことをサポートしたいものです。この語彙の定着には、ある程度のドリルが必要な場合もあると思いますが、そこは今まで以上にICTの力を借りてもいいと思います。これまでの紙ベースの教科書と異なり、ディジタル教科書では、重要な語彙や新出語彙について、子どもたちの理解を助ける機能が付いているので、こうした機能の利用も進めたいものです。

さきほどの『教科書をハックする』には、次のような一文もあります。(116ページ)

予備知識は、生徒が内容に関連した新たな情報をどれだけ学べるかを示す重要な指標となります。同様に、生徒たちが語彙に関連した予備知識と結び付けられるとき、彼らはその言葉の意味をよく理解し、より容易に文章を把握することができます。

この後に、具体的な指導方法として「語彙をごちゃ混ぜにする」「質問カード」「語彙知識を精巧化するためのモデル」などが紹介されています。興味のある方はぜひこの本をお読みください。

話は変わりますが、「Monoxer」というアプリがあります。「モノグサ」(ネーミングも面白い)と呼ぶらしいですが、これはアップルでもアンドロイドでも両方用意されているようです。個人でアプリをダウンロードしてスマホなどで使う分には無料で使えます。(もちろん課金されるコンテンツも含まれています。)このアプリの特長は、自分が覚えたい語彙などをその説明とその語彙を入力するだけで、選択肢のある問題などをAI機能の利用によって、そのアプリが自動で作成してくれるところにあります。しかも、語彙の定着度を自動判定してくれる機能までついています。

中学校では、中間テスト、期末テストを実施している学校が多いと思いますが、その定期試験対策としても使えます。試験範囲の英単語や歴史の年号、元素記号や新出漢字など、覚えなければならない語彙はたくさんあります。その定着のためのアプリとしてこんなに便利なものはないでしょう。こういうイノベーションはどんどん取り入れるべきです。そして、こうして学んだ語彙を使って、探究の学びの範囲をもっと大幅に広げることができるでしょう。