2013年9月22日日曜日

教科書の+面と-面

9月8日の2番目の問いは、「教科書があること(教科書をカバーする授業をし続けること)のプラス面とマイナス面」でした。
そんなこと、これまでに考えたことありましたか?

教科書信仰が根深い日本では、そういう問い自体浮かべてはいけない状態が続いているかもしれません。

しかし、子どもたちの学び=カリキュラム開発という視点に立つと、避けて通れない大きな課題です。教科書と授業が一体のものとなっている限り、大半の子どもたちはよく学べない状態が続くことが約束されていますから。(皆さん自身の小学校~高校時代の記憶に照らし合わせても、そうなのではないでしょうか? 少なくとも、私はそうでした! 単に暗記しては、忘れるものでしかありませんでしたから。それが、勉強/学習では、勉強/学習がかわいそうです。)

 以下は、私が考えたリストです。
 賛成できるものも、できないものも含まれているかもしれません。
 加えられるものや異論がありましたら、ぜひ教えてください。

 どういうわけか、マイナス面はどんどん挙がりましたが、プラス面を挙げるのはしんどかったです。したがって、リストを増やすためにできるだけ「プラス面」は広範に捉えました。


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教科書のプラス面

・あたかも、それをしていれば子ども達は学べるような錯覚を起こせる
・教師は当然教えた気になれる
・「すべて正解が書いてあるもの」(百科事典に近い存在)
・その教科のエキスパートの論理で書かれている(パソコンのマニュアルのように)
・準備しなくても(指導書がついているので)教えられる
・他の本や資料を探す必要がない
・ダメな教師ほど助かる?!
・同僚(隣のクラス)との差が生まれにくい
・文科省がお墨付きを出したものなので、これだけしていれば安心!
・それを受けて教育委員会もお墨付きを出したものなので、安心
・本来は各学校レベルで教育課程編成を行うことになっているが、教科書会社が懇切丁寧に用意してくれるので、自分たちでゼロから創る必要がない
・それにあわせた市販テストもたくさん作られているので、評価もお任せできる
・写真やイラストや多色刷りなどで、魅力度はアップしている (しかし、内容がよくなっているかといえば・・・)
・文科省や教育委員会が、何をどう教えるか管理しやすい (←マイナス面?)
・保護者も、マスコミも安心する
・勉強の目的を、教科書をカバーすることで統一しやすい?


教科書のマイナス面

・教科書で学べる子もいるが、そうでない子もいる(おそらく大半)
・目の前の子どもたちを知らない人たちが書いているものなので、書かれていることや教材と子どもたちがマッチングしないこともある(が多い)
・掲げられている諸目標が達成されるかは、これまでの実績からははなはだ疑問
・正解が書いてあるので、それを覚えることが勉強となり、主体的に自分で探り出す学習ができなくなる →「思考停止」状態
・理科なら科学者になる体験、歴史なら歴史家になる体験、数学なら数学者になる体験を阻み、素人とエキスパートのギャップをそのままにすることになりがち。(=テストでは点が取れても、わからない状態)
・生徒がよく学べるために欠かせない主体的に考える、質問する、探究する、応用するといった要素が極めて弱い
・必ずしも、「人間はどう学ぶのが効果的か」に基づいて書かれているものとは言えない → 教えること/学ぶことに対する誤解に基づいた産物
・教科書に書いてあることをなぞる単調な一斉授業になりがち
・「自立的な学び手」を育てるのとは反対のベクトルが働いている
・教師が学び続けることを妨げる → 出版界で一番本を読まない人種は教師、ということになる
・教師の創造性やチャレンジ精神を奪っている
・一番努力しない教師のレベルに合わせることになりがち(?)
・教師には、カバーしなければいけないもの、という義務感を生む
・選択がない (教師にとっても、子どもたちにとっても)
・教師にとって欠かしてはいけないカリキュラム作成能力を育てない/奪い去る媒体になっている
・教師、学校関係者から、自主性や創造力を奪っている
・カリキュラム、教え方(指導書)、評価も、すべて他人任せになる
・教科書の存在が、学ぶことの楽しさを制約していることは否定できない
・管理されやすい人間をつくり出す媒体になっている
・安心することと、学びの質と量の確保はまったく別物
・知識以上に大切な「考える習慣」やライフスキルを忘れさせる
・主役が教科書なので、あとはみんな脇役/従属者!


 少なく見積もっても、マイナスがプラスを5倍ぐらい(ひょっとすると10倍以上)上回ると思いませんか?

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