2020年10月18日日曜日

知識ではなく、概念を中心に据えた授業/カリキュラムづくりを!

 『思考する教室をつくる概念型カリキュラムの理論と実践: 不確実な時代を生き抜く力』 (H・リン・エリクソン、ロイス・A・ラニング他著、遠藤みゆき他訳、北大路書房)の紹介文を、神奈川県の高校で教えている小岩井先生が送ってくれました。

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必要な知識を身につけながらも、主体的と言われる活動を行い、生徒の思考を深めることを可能にするためにはどうしたらよいのか。単元の中に話し合う活動を入れたり、プレゼンテーションを行わせたり、教師の工夫は多岐にわたる。そんな活動の結果、知識がないから話が深まらない、ただの調べ学習の延長に過ぎない、そんな結果を聞くことが多い。

これらの結果から知識の重要性を説く教師がいる。それは、知識がないと深い話し合いはできない、だからまずは知識を与えなくてはと。それができていないのだからその先の活動はできないと。これが多くの講義型の(というよりも一方的な)授業をしている教師(新たな指導法に挑戦しない教師でもある)の論理であったりする。

本書はこのような教師の目を見開かせる可能性を秘めている。本書における最も重要なキーワードは、タイトルにもある「概念(Concept)」であり、「概念的理解」は単に事実を知るということよりさらに深い次元での理解であり、ここでの「理解」は、「文化を超えるものであり、別の状況や別の時に転移可能なものである(p.35)」とされている。この理解を生徒が獲得する際には「知識」も必要とされる。しかし、本書において理解は知識の上に成り立つのではなく、「知識」と「理解」は相互に作用することでともに深まりを見せるものであるとされている。

現在の多くの授業では、テストのために知識を積み上げ、どれだけ身につけられたかをテストにおいて評価する。テストが終われば知識の多くは忘れ去られるにもかかわらず。

一方で、本書で語られる、「概念的理解」は他の状況に転移可能なものとしての理解となるため、一度身につけば様々な場所において応用可能である。同じ教科内の別の単元においても、他の教科においても、社会に出てからも。

例えば、広告を分析する単元を行うことで、生徒に「対象に効果的に伝えるために、製作者はテクストの特徴(見出し、キャッチコピー、用語、図表など)を工夫して用いる」という理解がもたらされた場合、この理解は、次の単元において文学作品を読む際にも転移する。生徒は改めて教えられる必要もなく、作品のタイトル、表現に用いられる言葉に着目し、その理由を自ら探究していく。

また、この理解は他の教科にも転移する。例えば社会科において戦争においてどのようにプロパガンダが用いられ、人々の考えが形成されたのかを探究する際にも、着目すべきことが生徒の中にはすでに理解されている。その際に、宣伝のための広告との違いやパターンを考えることで、教科や単元特有の知識の必要性も浮かび上がる。

このような概念的理解を持つ生徒が社会に出た際に、デザインを行うとなれば、その構成や背景などに用いる事物によってどのような意味が相手に伝わるかを適切に考えることができる。

テストのみに用いられる一過性の知識しかもたらされない授業と、様々な場面において応用される理解をもたらす授業とでは、どちらが生徒に必要な授業であるのかは自明と言って良い。

確かに、概念的な理解に生徒がたどり着くには時間がかかる。しかし一度概念的理解にたどり着けば、今まで単元や教科が変わるごとに必要とされていた説明が学年を進むごとに不要になっていく。何が重要なのかが身についているのだから。多くの教科が概念的理解を求めて設計され、教科を超えた繋がりを見いだすことで、本当に必要なことが明確になる。この一歩を踏み出すためのガイドとなるのが本書なのである。

本書では、基本的となる理論的な部分に加え、概念型の授業やカリキュラムの構築をステップに分けて詳細に解説する。その中には問いの立て方、評価方法のあり方が含まれ、これまで教師が教え、その内容についての記憶の定着度をペーパーテストで測ってきた教師にとっても少しずつ実践の方法を変えていけるヒントが載っている。さらには、多様な教科の単元例も提示され、実際にどのような授業が展開されるのかも見て取ることができる。

本書を教師が「概念的に」理解することができれば、その実践は大きく変わる可能性を見出すことができる。(ただ、この本だけを用いて一人で理解を深めるのは、初めは非常に難しいかもしれない。)そのために具体的にできることとしては、本書は国際バカロレアの導入が日本においても進み、そのベースとなる考え方にもなっているので、国際バカロレアの授業などを見学する機会を作ることが考えられる。本書を含め、現在教育のあり方を考える際に主となっている理論にしっかりと基づく本を読む(できることならば誰かとともに読む)ことで一冊では理解しきれない部分も、他の本における異なる表現から理解が深まり概念型の授業や生徒が主体的に学ぶことに対する概念的な理解が深まっていく。

この機会に周りの教師と一緒になって本書の読みを深め、あたらしい授業に挑戦してみませんか。

 

書名:エリン・オリバー・キーン『理解するってどういうこと?』(山元隆春・吉田新一郎訳)新曜社

グラント・ウィギンズ、ジェイ・マクタイ『理解をもたらすカリキュラム設計』(西岡香名恵訳)日本標準


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 私がこの本の初版(英語)を読んだのは、1999年だったと思います。80年代の後半に『ワールド・スタディーズ』や『テーマワーク』に出会い、90年代のはじめに、http://eric-net.org/detail/WS-25.htmlhttp://eric-net.org/detail/TW-25.html の形で出していたことが、この本につながっていました。両方とも、概念とテーマをベースにカリキュラムがつくられていたからです。(概念とテーマは微妙な関係というか、密接な関係にあります! 2冊の本は共に、1970年代の英語の文献およびイギリスでの実践を基に、80年代の半ばに書かれたものです。)

 『ワールド・スタディーズ』は、以下の図で扱っている中身を容易に想像させてくれます。(30および28ページ)。知識と技能と態度がこれだけ明確に提示されている教育本に出会ったのは初めてだったので、とても魅力を感じ、訳す決断をしました!


 ちなみに、いまだったら、「調査」は「探究」、「冷静な目」は「クリティカルな思考」、「公民的な資質」は「政治的な資質」と訳すことでしょう。実際に、原語ではinquirycritical thinkingpolitical skillsが使われていますから。)

 もう一つの魅力は、「ワールド・スタディーズの10の切り口=基本概念」を提示してくれている下の図(34ページ)です。


この本が出版されてすぐあとに(30年近く前のことです!)、7~8人の中高の社会科の先生たちと日本版のワールド・スタディーズを開発実践しようと意気込んでチームをつくって研究しはじめたのですが、彼らはすぐに、「これら10個の概念はそのまま日本の社会科が明示しているか否かは別にして、押さえようとしている概念だ」と納得しました。そして、「これらを核に据えて実践すれば、成功間違いない!」と。

 もう一冊の『テーマワーク』にも「概念」について分かりやすく説明してあるところがあるので(78~79ページ)、その部分を紹介します。



 さらに、今こうした流れを汲んだ、Doing History(歴史をする? 歴史する?)という本を翻訳中なので、お楽しみに!https://thegiverisreborn.blogspot.com/search?q=Doing+History(半年以内には出版されます!)

 小岩井先生も書いているように、『思考する教室をつくる概念型カリキュラムの理論と実践: 不確実な時代を生き抜く力』を読むだけでは、なかなかその必要性や大切さが理解できないかもしれませんが、上で紹介した本などと読み合わせると(私がそうだったように)、それらがスンナリ理解できる可能性は高まります(私の場合は、日本語訳ではなくて、原書の第一版でしたが。そのタイトルは、Concept-based curriculum and instruction : teaching beyond the factsでした。サブタイトルが第二版とは違います)。

 

2020年10月11日日曜日

「知る」ことは「感じる」ことの半分も重要ではない

“「知る」ことは「感じる」ことの半分も重要ではない”

 

この言葉は、196456歳で生涯を閉じた海洋生物学者レイチェル・カーソン(〜1956)の言葉です。★感じること。それは、神秘さや不思議さに目を見張る感性のこと。レイチェル・カーソンは「センス・オブ・ワンダー」と呼びました。

 

10月の朝、子どもたちと一緒に校庭を散歩すると、いくつかの心震わせる自然との出会いがありました。そろそろトンボも少なくなってきたこの季節ですが、池に網をいれてみるとヤゴだってまだけっこうとれました。土の上に大きな蝶の死骸を見つけました。蝶の羽は何かにかじられているよう。その脇で、枝のようなものが先っちょだけニョロニョロと動いています。後で分かったことですが、それはハリガネムシでした。

 

雨の日は、子どもたちの五感のセンサーを高めてくれます。キンモクセイの華やかな香り。雨水につけて香水作りや色水づくりもしている子もいました。いつも遊んでいるターザンロープ。足下の窪地に見たことのない大きな池ができていました。子どもたちにとって格好の遊び場。くるぶしまで使って、水しぶきを上げてみる。雨をたっぷりに蓄えた大木の下。枝を揺らしてみると、大粒の雨。それを受け取る傘の音。気がついたらいつの間にかあの夏の蝉の鳴き声がなくなっていたことに気付く子も(私の学校は、東京の世田谷区と調布市の間の局番03地域にあります)。

 

〝もしもわたしが、全ての子どもの成長を見守る善良な妖精に話しかける力を持っているとしたら、世界中の子どもに、生涯消えることのない「センス・オブ・ワンダー=神秘さや不思議さに目を見張る感性」を授けてほしいと頼むでしょう。この感性は、やがて大人になるとやってくる倦怠と幻滅、私たちが自然という力の源泉から遠ざかること、つまらない人工的なものに夢中になることなどに対する、変わらぬ解毒剤になるのです。”同書P.23より

 

私たちは今、なにか知識、知ることを詰め込み過ぎていないでしょうか? 毎日6時間授業。土曜日授業など休校中の遅れを取り戻そうと。そして、休校中のオンライン授業においても本当にそれをする必要があったのでしょうか(大学はオンライン授業にとどまっているところもまだありますが)? 知ることと感じることバランスが失われているのではないでしょうか。一度しかない子ども時代に何を感じ、どんな経験をするのか、それは大人になって彼ら、彼女らを支えてくれる土壌となります。

 

〝私は、子どもにとっても、どのようにして子どもを教育すべきか頭を悩ませている親にとっても、「知る」ことは「感じる」ことの半分も重要ではないと固く信じています。子どもたちがであう事実の一つ一つが、やがて知識や知恵を生み出す趣旨だとしたら、さまざまな情緒や豊かな感受性は、この趣旨を育む肥沃な土壌です。幼い子ども時代は、この土壌を耕すときです。”同書P.24より

 

その知ることとの出会い方が大切です。もちろん、知ることから感じる事へ深まっていくこともあります。しかし、自然を通して学べること、生命の構造の中に活かされていること、四季を感じること、しっとりと心豊かになること、それはまず感じることからなのではないでしょうか。

 

“いろいろなものの名前を覚えていくことの価値は、どれほど楽しみながら覚えるかによって、全く違ってくると私は考えています。もし、名前をおぼえることで終わりになってしまうのだとしたら、それは余り意味のあることとは思えません。生命の不思議さに打たれてはっとするような経験をしたことがなくても、それまでに見たことがある生き物の名前を書き出した立派なリストを作ることはできます。”同書P.47

 

先週の授業を振り返ってみてください。あなたの授業で子どもたちはどのくらいの割合で「知ること」と「感じること」があったのでしょうか? もし、ほとんど知ることで終わってしまったら、一度、立ち止まって教科書内容をカバーすることから、「子どもたちにとって」の知ることの意味を考えてみてください。私たちには、学習内容をどのようにアレンジするのか、その力があります。教材を今の子どもたち一人ひとりにどのように届けるかは、私たち教師の工夫する最大限の楽しみでもあります。

 

“毎年、毎年、幼い心に焼き付けられてゆく素晴らしい光景の記憶は、彼(甥っ子のロジャー)が失った睡眠時間を補って余りある遙かに大切な影響を、彼の人間性に与えているはずだと私たちは感じていました。”

 

甥っ子のロジャーとの深夜、海に浮かぶ美しい月を観賞した一節。睡眠時間を少し割いてでも、子ども心に残っているなにかを感じるセンス・オブ・ワンダーは、その後の彼を支えているのでしょう。

 

生物学用語に「ネオトニー」という言葉があります。「幼体成熟」と訳されます。ヒトはこのネオトニーの時間が長く担保されています。ヒトとチンパンジーのDNA98%一致するそうです。なぜかヒトの赤ちゃんも、チンパンジーの赤ちゃんもどこか似ている顔立ちをしていますね。けれども、チンパンジーには成人になるスイッチがヒトのそれよりも速く、成人になってしまいます。つまり、ヒトは成人までのネオトニーの時間が長く、様々なことに心震わせられる時間が保障されています。ヒトは子ども時代の好奇心豊かな時間、探究する心を十二分に発揮するための時間を長くとることができるのです。このときに、本当に何を知り、感じる必要があるのでしょうか?★

 

“人間を超えた存在を認識し、恐れ、驚嘆する感性を育み強めていくことには、どのような意義があるのでしょうか。自然界を探検することは、貴重な子ども時代を過ごす愉快で楽しい方法の一つに過ぎないのでしょうか。それとも、もっと深い何かがあるのでしょうか。わたしはそのなかには、永続的で意義深い何かがあると信じています。地球の美しさと神秘さを感じ取れる人は、科学者であろうとなかろうと、人生にあきれて疲れたり、孤独にさいなまれることは決してないでしょう。”同書P.50より

 

秋です。子どもたちと校庭へ、教室から外に出てみませんか? 朝の会に拾った落ち葉を子どもたち一人ひとりが手に取ってなにを感じるのか、聴き合ってみませんか。きっと、そこには知るだけではない、何か感じることの豊かさがこみ上げてくるはずです。

 

レイチェル・L・カーソン著『センス・オブ・ワンダー』新潮社

 

★★阿川佐和子・福岡伸一著『センス・オブ・ワンダーを探して ~生命のささやきに耳を澄ます 』だいわ文庫より。

 

 

 

2020年10月4日日曜日

新刊『「おさるのジョージ」を教室で実現 ~  好奇心を呼び起こせ!』

 


  タイトルを実現するための本です。

サブタイトルは、「好奇心を取り戻せ!」の方が当たっているかもしれません。

 

 訳者の兵庫教育大学大学院の池田匡史先生が、紹介文を書いてくれました。

 

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「学校での勉強=嫌なこと、苦しいこと」

このように、「勉強」や「学習」に対してネガティブなイメージを持っている児童・生徒は少なくないのではないでしょうか。そして子どもたちにそのような思いを抱かせてしまっているのは、私たち大人なのではないでしょうか。

しかし、新しいことを知る・学ぶのは、そもそも楽しいことであるはずです。本書では、学ぶことを楽しめる児童・生徒を育てるために、人間が本質的に持っているはずの「好奇心」を活用することに着目しています。いわば好奇心のおもむくまま、さまざまなことにチャレンジする「おさるのジョージ」のような学習姿勢を、教室で再現しようということです。
 では、どのようにすれば「好奇心に満ちた教室」を実現できるのでしょうか。この問いに答えるには、「どのような学習の文脈をつくり、どのような活動を展開すればよいのか」、「どのような点に留意したカリキュラムを組めばよいのか」、「どのような教室環境を設計すればよいのか」など、さまざまな点を考えなければなりません。それが、この本ではしっかり押さえられています。また、本書ではそれらについて考えるためのヒントとなる「好奇心を活用するための33の方法」が、脳科学や心理学の研究成果を踏まえた上で提案されています。たとえば、その中の一つに「縛られない時間を確保する」というものがあります。ある研究では、学習者が急かされることなくリラックスしているときにこそ、好奇心が解放されて創造性が発揮され、学びが最も進展するという結果が出ているのです。
 学習指導要領にも謳われているように、現代はとりわけ探究的な活動が求められています。にもかかわらず実際の教育現場ではそれが十分に実現できていないのが実情です。本書はきっと、「子どもたちがワクワクする授業をしたい」と願う先生方に、たくさんの刺激とヒントを与えてくれるでしょう。そして、先生自身が持っている「好奇心」にも向き合うことになるはずです。

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 好奇心は、学びの「核」だと思いますが、日本の学校教育ではどういうわけか軽視(ないし無視)され続けています。その結果、興味がもてないし、身につかない状態が続いています。その状況を打ち破るヒントが満載の本です。

 いくつか、著者の言葉を紹介します(数字は、ページ数です)。

4 好奇心は、学習者に知識をもたらす原動力です。好奇心をもつことは、物事によく気づくためにオープンであること、物事を確かめてみること、試してみること、自分の周り交流することにつながります。 ~ 好奇心を喚起しないと、これらが行われないことを意味します!!

17 好奇心に満ちた教室は、生徒に本物で、差し迫った、臨場感にあふれるような体験と可能性、そして自分たちの空間だという感覚(オウナーシップ)を提供することになります。本書は、生徒が好奇心を表現できるようになるために、教師が生徒の好奇心を引き出し、持続させ、好奇心でいっぱいの教室をつくれるようになることを目的として書かれました。

22 ・生徒と教師の好奇心を組み合わせることによって、好奇心に満ちた教室をつくることができる。

   ・好奇心に満ちた教室をつくることによって、教育と学習の伝統的な見方を変えることができる。

23 好奇心旺盛な子ども(つまり、すべての子ども)は、危険を冒し、知的に遊び、何かを試し、生産的な間違いを犯すことで深く学ぶのです。

   あらゆる教室を好奇心のあふれた場所に変える方法は、ほんのわずかな修正を加えることです。まず、教師が自分自身に対する見方を、単なる教師という存在(要するに、教える役割=教科書をカバーする役割)から、自らも好奇心をもち、学習者と共に学習を促進する権利ともっている存在に変えることです。

 

 以上はすべて、本の「はじめに」から抜粋しました。興味をもたれた方は、中身の詰まった第1章以降を、ぜひ読んでください。

 

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2020年9月27日日曜日

好奇心を大切にする

最近、授業について改めて考えてみると、学習者の「好奇心」にいかに働きかけるかが大切であると感じます。以前も紹介しましたが、『好奇心のパワー』(新評論)について、もう一度触れてみたいと思います。同書「第3章 聴き方を選択する」では、65ページに次のような言葉が紹介されています。 

「人間の欲求で最も基本的なものは、人を理解したい、そして人に理解されたいという欲求です。人を理解する最も有効な方法は、人が話すことを聞くことです。   ラルフ・ニコルス」 

ここに書かれたことは、学校教育において最も大切なことの一つであろうと思います。もっと人を理解しようという営みが学校で行われていれば、無用なトラブルや、最悪の場合、命にもかかわるような悲劇が減るものと思います。生徒指導は子ども理解から始まると言われますが、まさに子どもたちの発言に耳を傾け、子どもを理解することが出発点です。 

質問の大切さはたびたび、このブログでも取り上げてきましたが、この本の「第4章 好奇心を示すオープンな質問をする」では、どのような質問を投げかければよいのかがわかりやすい事例を通して語られています。87ページに次のような言葉が紹介されています。 

「賢い人は正解を言わず、よい質問をする  クロード・レヴィ=ストロース」 

レヴィ=ストロースは有名な人類学者ですが、さすがに素晴らしい言葉を残したものです。教師は授業の中で、問題・課題に対する解答を教える場面がもちろんあるわけですが、いつもそうであっては子どもの思考力は育ちません。「よい質問」で子どもたちにじっくりと考えさせ、調べたり、話し合ったりして、考えを深めさせる必要があるわけです。

質問にもクローズドな質問とオープンな質問の二つのタイプがあるわけですが、これまでの授業ではこれしか正解がないというクローズドな質問が主流でしたが、21世紀になってからはオープンな質問の大切さに光が当たるようになりました。

実際、社会の中では、答えのなかなか見つからない問いがたくさんあるわけですから、このような変化は当然のことでしょう。

たとえば、再生医療や遺伝子工学などでは、これまで神の領域と言われてきた事柄にまで人間の科学技術が及ぶようになりました。クローン人間なども決して夢ではなくなってきたわけです。ただ、技術的に可能ならば何をしてもよいのか、このあたりの生命倫理の問題は今後ますます重要になるものと思います。また、原子力の問題。福島の事故は未だに終息していませんが、国策として「原子力発電技術の輸出」を掲げている現状があります。あの事故の教訓を完全に学び取ったのかどうかわからない状況で、次に踏み出していくという科学技術と社会の有り様をどう考えるのでしょうか。学校で教えられている「理科」という教科にはそのあたりまでが学びの範囲に入るべきだと改めて思う次第です。 

しばらく前に、新学習指導要領が発表されて、新聞報道では特に「カリキュラム・マネジメント」に対して、にわかに注目が集まったことがありました。

このブログでも、再三「カリキュラム・マネジメント」の重要性については触れてきましたが、特に「ひと・もの・お金」という条件整備が整わない環境での「カリキュラム・マネジメント」は成果を生み出すことが難しいのも事実です。

「教育課程論」の第一人者である安彦忠彦氏も「その種の活動が可能になるような条件整備がよほど伴わなければ、空回りして所期の成果を挙げることは難しい」(日本教育新聞・平成29220日号記事)と述べています。同新聞の同じページには、埼玉県内の校長談が次のように紹介されていました。 

「当初は授業方法の大幅な見直しを求められると身構えたが、それを思うと、大きく変わる印象は受けない。正直、少し拍子抜けした感じだ。」

やはり、「アクティブ・ラーニング」という文言が消えてしまったので、こんな印象になってしまったのでしょうか。しかし、よく考えると「深い学び」を追究するわけですから、これは大変な転換です。

しかも、「学習内容を減らさずに」です。内容を減らして、じっくり時間をかけて「深い学び」をやるというわけではないのです。そのためには、当然各学校での「カリキュラム・マネジメント」が必須になります。

子どもたちの「好奇心のパワー」に依拠しながら、探究の学びを追究したいものです。理科の授業については、『だれもが<科学者>になれる!――探究力を育む理科の授業』(新評論・2020)が参考になります。探究理科の実現に向けた道程が必ず見えてくるものと思います。

 

 

2020年9月20日日曜日

教え方と学び方の革新的なモデル by High Tech Highの校長Larry Rosenstock

 「教え方と学び方の革新的なモデル」は、実は極めて当たり前のアプローチです!

 この校長さんとは、5年以上前の2015年にメールで数回やり取りして、たくさんの情報を提供してもらいました。その後、映画の上映等で、High Tech Highの取り組みは日本でもかなり知られるようになりました。

 彼は、いくつかの点での統合が必要だと訴えます(それを、ベースに彼の学校は創設されています!)。まず、社会的階層の統合(要するにリッチな人たちだけでなく、貧しい人たちを含めた統合)です。二番目は、手と頭の統合です。モノを作ったり、実際にいろいろしたりすることが理解を深め、かつ夢中で取り組ませます。三番目は、学校と地域の統合です。学校と地域に歴然と存在する壁をできるだけ低くする(可能なら消し去る)必要があります。四番目は、中等教育と中等教育後の統合です。この最後のポイントは、生徒全員を大学に送りだすことを意味します。~ これら4つをうまく統合している日本の中等学校(アメリカの高校は4年間)は、どのくらいあるでしょうか?

 テクノロジーと従来の教科の統合は、二番目の手と頭の統合に最も関係します。前者は、グループで教えたり学んだりし、最終成果物もグループ発表が中心です。まさに体験的な学びをつくり出します。このような方法論に、生徒たちが従来の教科で知る必要があったことをうまく統合させることで、身につくレベルの理解や、従来の教科指導では見られなかった夢中で取り組むこと=学びを実現します。私は、生徒たちに消費するのではなくて、生産してほしいと思っています。つくり出し続けるのです! ~ この点については、『あなたの授業が子どもと世界を変える!』の第7章「生徒は誰もがつくり手~消費することから、つくり出すことへの転換」と第6章「従順なマインドセットから、自立的マインドセットへの転換」をご覧ください。

 High Tech Highでは、ブツ切りの時間割ではなくて、ブロック化された時間割で、物理や生物とアートを統合し、本づくりやフィルムづくりをしています。これを実現するためには、教える教師たちはチームとして機能する必要があります。彼らが計画し、学ぶ時間を提供する必要があります。教師は「教えるプロ」として扱われる必要があります。

 生徒も一人前の者として扱われる必要があります。教職員のためのトイレがあって、生徒用のトイレがあるというのでは、ダメなのです。また、トイレに行くのに教師の許可が必要というのも、生徒を一人前の者として扱っていない現れです。彼らがいく必要がある時はいつでも自分の判断で行けないとおかしいのです。それが敬意をもって接することであり、このような些細なことが積み重なって学校の文化が形成されるのです。もし、生徒に敬意をもって接すれば、彼らも礼儀正しく振る舞うことでしょう。

高校時代の最も印象的で価値ある学習体験

 たくさんの人が、あれもしたい、これもしたいが、でもできない、と言います。そして、できない理由をいろいろとあげてくれます。そういう人たちには、このエクササイズがおすすめです。対象は、教師だけでなく、誰でも構いません。まずは、各自で5~10分の時間を取って「高校時代の最も印象的で価値ある学習体験」について振り返って書いてもらいます。書き終わった後は、3~5人のグループで、各自の体験を披露し合い、価値のある学習体験がもっている特徴をまとめてもらうのです。そして、全体に発表してもらいながら、私はその特徴を書き出します。私は28以上の都市でこれをやりましたし、私の教職員とも何度もやりましたし、昨日は建築家たちとやりましたが、いつも結果は同じものが得られます★。以下のような特徴が含まれています。

  ・プロジェクト

  ・学校の中だけでなく、地域に関係する

  ・失敗や不安を伴っていた

  ・成功を認められた

  ・メンターがいた

  ・最終成果物は公にされた

 これらは、まさにHigh Tech Highが実現していることです。

 私はエクササイズをした対象に尋ねます。「これらのリストと、あなた(学校で)の教え方はマッチしていますか?」「もしマッチしていなければ、望ましい学びを生徒に提供するために、何をしはじめますか?」

 リストは、自分たちで作ったものなので押し付けではありません。教師集団が動き始めるのに、このエクササイズは最適です。そして、私たちがHigh Tech Highでしていることは、極めて真っ当なことです。

 

出典:https://www.edutopia.org/video/taking-lead-interview-larry-rosenstock と

   https://vimeo.com/10000408

 

★対象が、保護者や地域住民でも同じ結果が得られます。

 

「教え方と学び方の転換」を可能にする文献リスト

・『教育のプロがすすめるイノベーション』

・『あなたの授業が子どもと世界を変える』

・『「おさるのジョージ(Curious George)」を教室で実現――好奇心を呼び起こせ!』  https://www.hanmoto.com/bd/isbn/9784794811622

・『退屈な授業をぶっ飛ばせ!――学びに熱中する教室』https://www.hanmoto.com/bd/isbn/9784794811653

▲来春には出版予定の以下の2冊もです!

Design Thinking in the Classroom (デザイン思考の学び方)https://projectbetterschool.blogspot.com/2020/05/blog-post.html 

Project-based Teaching (プロジェクト学習の教え方)


2020年9月13日日曜日

今こそ人権教育を「気持ちこそ全てのものごとの礎石」

今、人類は人権の危機にさらされています。

 

香港国家安全維持法により香港市民の民主的な権利が脅かされています。アメリカでは先月、警察官に背中を7発以上黒人が銃撃される事件も起こりました。日本国内では貧困や格差、身体的特徴からの問題、LGBTQA+、部落や朝鮮人への格差の問題が昔から根強く残っています。そして、このコロナ禍において学校内で新型コロナ感染症クラスターが発生と共に、感染者や医療従事者の家族へ新たな差別も起きています。すでに、大学生がアルバイト先から解雇され社会問題となりました。

 

今後、あなたの教室でもコロナ差別が起こりうることです。起こってからでは遅いのです。今こそ、これまで以上に人権教育に力をいれて、幼い頃から子どもたちが人権に触れて心を豊かにし、平和な社会となる礎石を育むことが求められています。


ERIC国際理解教育センターでは、今から30年も前にシドニー大学の世界的な人権教育の権威であるラルフ・ペットマンを招き、「オーストラリアの思いやり教育の実践に学ぶ」セミナーが開かれました。そのときのニュースレター「ERIC NEWS LETTER No.6」がとても参考になりましたので、紹介します★。

 

"こどもたちが他人との関わりの中で、相手の身になって感じたり、考えたりする感覚を育てていくこと、また、自分自身もかけがえのない存在であるという感覚を育むことです。この二つの心の持ちからこそが人権=「ひととして正しいこと」の最も基本となるものなのです。  
ERIC NEWS LETTER No.6 P.8より



 

人権教育というと、子どもの人権宣言やいじめ防止対策推進、SDGsなどの権利を知ることから話が始まることが多いのですが、オーストラリアの人権教育はその土台となる「気持ち」の部分を固めることがいかに重要かを説かれています。一方、私たちは道徳の教科科に伴って「教えたこと」が「理解している」とつい誤解しがちです。社会契約を人工的につくったとしても、子どもの心には「知っている」以上のものにはなかなかなりません。人権感覚は教えられ知ることで育っていくだけでは決してないのです。日常の関わりの中でこそ育まれていくものだといえるからです。

 

自分に対する信頼と、他人への共感という二つの気持ちが芽生えていれば、そこから人間としての価値観が生まれるはずです。この気持ちこそ全てのものごとの礎石です。他人にも自分自身にも価値を認められるない子どもたちに「人として正しいこと」を教えようとして、どうしてうまく伝わるのでしょうか?

 

“自分自身に価値を認めることと、他のひとたちの価値を尊重すること、この二つの気持ちはともにかかすことができない基本的な「二本の脚」です。片方は主体性に、もう一方は対人関係にかかせません。他人を全く理解しないまま自分自身であり続けようとすると傲慢になってしまいます。逆に外とのつながりを大事にしすぎると、自分を失い、他の人と共有できる自分らしさをなくしてしまいます。片方の「脚」がもう一方より長いと歩きにくいのです。” ERIC NEWS LETTER No.6 P.9より

 

この自分も相手も大切にすることを同時に行うことは対立を伴い、難しいもの。この二つの緊張関係は、人として自然なもの。私たち人間は、二つの気持ちを共に育て、どうバランスをとっていくかを考えなくてはなりません。そして、子どもは自らの経験を通してしか学ばないものです。自分の気持ちを振り返り、相手の立場を想像しようとすることで、先生の手を借りながらも、原因や背景などを子どもたち自身が考えて解決することこそ必要なのです。そこで、NEWS LETTERでは教室でできる人権意識を学べる具体的なアクティビティの紹介もされています。

 

  • 人を信頼する大切さ、人の立場を考える姿勢を培う「目隠し散歩」
  • 自分の意見を言える、聞く、自分と他人に価値を見い出す「輪になって」
  • 世界人権宣言に興味を持つ「ほしい・したい、必要、当然」
  • 人はみな異なる意見をもつことに気付く「部屋の四隅ーキミはどこ?」
  • 同じ点や異なる意見を聴き尊重できる「わたしのともだち」
  • 観察して箱に戻したジャガイモから自分のジャガイモを見つけ出すことで、その違いがあることに気付く「じゃがいもと友達になろう」

 

言葉だけの抽象的なやりとりとことなり実感を伴った活動には子どもたちの五感が触発されます。部分部分ではこれまであったような活動かもしれませんが、改めてこれらのアクティビティを人権の立場で捉え直してみると、そのよさが伝わってきます。そしてこれらは幼い子どものうちから経験するほど効果的だと思いませんか?

 

 

 

今後、コロナウィルスによる差別、経済格差による差別、外国籍の子どもへの差別、身体的特徴による差別などが、ますます子どもたちを取り巻きます。自分を大切にすること、相手を大切にすることを礎石とし、一人ひとりがかけがえのない存在であると教えることについて体験的に学ぶ。この短いニュースレターにはその実践と理論が詰め込まれていました。

 

私たち教師が今、自分自身の思いを大切にすること。子どもたち人として本当に必要だと思ったことを大切にすることから人権教育はすでに始まっています。学習の遅れを取り戻すカリキュラムに終始せず、本当に大切なこと、人権意識を体験的に育めるような学び、していきませんか。

 



ERICニュースレターNo.6「思いやりを育てよう」は、ERIC NEWS LETTER  ERIC通信に、PDFとして全ての号も公開されていますので、ご覧ください。全て無料で見られることが素晴らしい!

http://eric-net.org/project/newsletter/nl_no6.pdf

 

1990年台初頭にすでに人権意識を求める活動が展開されていたことに驚きと共に、今の現状を踏まえると人権教育を継続して取り組むことの世界的重要さがうかがえます。

 

2020年9月6日日曜日

上位概念による問題解決

学校では、意見の対立は、日常茶飯事だろう。教育の問題は、正解が一つであることはないのだから、当然である。皆さんは、どのようにして様々な問題に対処しているだろうか。

著書『麹町中学校の型破り校長-非常識な教え』などで知られる工藤勇一校長は、上位概念による問題解決を提案している。★1 一例として紹介しているのが、生徒たちが体育祭の種目廃止に取り組んだ事例である。中3生全員参加のリレーは、毎年大いに盛り上がっていたという。その種目をどうするかが問題になった。生徒会がとったアンケートでは、8対1で賛成派(リレー継続)が圧倒的に優勢。多数決でそのままものごとを決する学校であれば、問題なくリレー継続が決まったはずだ。しかし、10%の生徒がリレーを走りたくないという意見をもっていた。

そこで、工藤校長は、生徒たちに結論を委ねるにあたり、「生徒全員が楽しめること」という上位概念を提案したそうである。生徒たちは、白熱した議論を重ねたようだが、最終的に「走りたくない」という少数派の意見を尊重して、リレー廃止を決断したそうである。そのうえで、運動の苦手な生徒も楽しめる種目を考案したとのこと。

重要なことは、生徒たち自身が、少数意見を尊重して、自分たちで結論を出そうとしたことだろう。提示された上位概念について深く考え、単純に多数決で決めなかった。

また、PBLでも、生徒が上位概念によって問題解決を図った事例がある。★2

都市計画のPBLに取り組んだ、アメリカの高校生の事例だ。生徒たちは、アーバン・ランド・インスティチュート(ULI) (https://japan.uli.org (http://minnesota.uli.org/programs-and-events/urbanplan/)が提案した都市計画プログラムに取り組んだ。生徒たちには、ヨークタウンという架空の町のさびれたエリアの5~6ブロックを再開発するための提案書を作成することが求められた。

その中で問題となったのが、ホームレスの保護施設をどこに置くかだった。その施設があることで犯罪が多くなっていたからだ。「実際そこに生活する人だったら、ホームレス保護施設のそばに住んだり、近くを通ることを望まないだろう。」という意見もあった。一方で、ホームレスの人たちを追い出すようなことも望まない意見もあったのだ。

妥協点として生徒たちが見出した結論は、教会の近くにホームレス保護施設を移すというものであった。

なぜ、このような結論に至ったかと言うと、このグループは、まず「ミッション・ステートメント」(企業とその企業で働く従業員が、共有すべき価値観や行動に関する指針や方針を明文化したもの)づくりから始めたらしい。そのミッション・ステートメントでは、「誰一人として排除しない社会づくり」が重要なビジョンだったのだ。生徒たちは、様々な意見をたたかわせ、議論をしたようだが、最終的にはこのビジョンを実現する方法を考え出した。それが先にあげた結論だったのだ。見事ではないか。

何か問題が発生すると、その出来事の細部に目を奪われてしまい、対症療法的な解決策になってしまうことが多い。自分たちがいったい何を実現したかったのか、少し引いたところから眺めて、上位概念を見出し、それよって問題解決の糸口を見つけたいものだ。★3


★1 工藤勇一 (2019) 『麹町中学校の型破り校長-非常識な教え』SB新書.

★2 マーサ・セヴェットソン・ラッシュ (2020)『退屈な授業をぶっ飛ばせー学びに熱中する教室』[長崎政浩&吉田新一郎訳]  新評論  近日、刊行。ぜひ、ご一読を。

★3 学校が、上位概念による問題解決を図るには、学校としてのビジョンの存在が不可欠だろう。ビジョンは、リーダーとして校長が示すこともできるが、教職員との共同作業で、学校のビジョンづくりをすることもできる。吉田新一郎(2005)『校長先生という仕事』(平凡社新書)にその手順や考え方が紹介されているの参考にしてほしい。